蜂蜜を酵母によりアルコール発酵させてつくられる蜂蜜酒「ミード」。世界最古の酒と言われ、ギリシャ神話にも登場するミードをつくる醸造所が日本にもあるという。蜂蜜の酒はどんな味わいなのか。世界最古の酒が人々に生み出した時間とは。埼玉・秩父にある「ディアレットフィールド醸造所」の工藤エレナさんを訪ねたーー。
古代、そして神話の世界で親しまれてきた蜂蜜のお酒
アルコールは酵母が糖を分解することでつくられる。酵母は自然界のいたるところに存在しているから、たとえば熊などに荒らされて落ちた蜂の巣に雨水がたまり、そこに酵母が入り込めば、アルコール発酵が始まったとしても不思議はない。これが、一般的に考えられている酒の起源である。
つまり、人類は農耕を覚えるよりもはるか前、およそ1万4000年前には酒に出会っていたというのが現在の通説だ。
その人類最古の酒の1つがミード(蜂蜜酒)である。
ミードは原料である蜂蜜を酵母によりアルコール発酵させて造る醸造酒だ。ワインやビール、日本酒といった醸造酒も、基本的に同じ製法でつくられている。蜂蜜を葡萄に変えればワインに、大麦に変えればビールに、米に変えれば日本酒に仕上がるという塩梅だ。
さらに、いささか乱暴に語れば、そのワインを蒸留すればブランデーに、ビールを蒸留すればウイスキーに、日本酒を蒸留すれば焼酎になる。厳密にはそれぞれ、「のようなもの」が出来上がると理解されたいが、これが大まかな酒の系譜であり、ミードはすべての原点ともいうべき酒なのだ。
ミードはロマンティックな酒である。ギリシャ神話の中では「神々の飲み物」として崇められ、古代ケルト人には「不死の飲み物」として重宝された。
また、中世ヨーロッパにおいては、花嫁は結婚から1カ月間は外出を控え、自宅でミードづくりに励むのが習わしとされた地域もあったという。これは多産な蜂にあやかった子宝祈願の一環だったと考えられるが、蜂蜜の栄養価からすれば、滋養強壮の面で理に適っていたのかもしれない。これがハネムーン(蜜月=ハニームーン)の語源となった。
そんな歴史のあるミードだが、世界的に見ると「昔おじいちゃんが飲んでいた健康酒」のように認識されていて、若い人がわざわざ買って飲むような酒ではなかった。ところがここ最近、ワインに近い味わいの新しいミードが世界各地で造られるようになってきたのだ。
2021年、そのミードをつくる醸造所が、埼玉県秩父地域にオープンした。その名を「ディアレットフィールド醸造所」という。ディアレット(Deerlet)とは小鹿の意味であり、Fieldと組み合わせて醸造所が置かれる小鹿野(おがの)町を表している。醸造所は秩父の市街地から車でさらに40分ほどかかる山中にある。
仕掛け人の工藤エレナさんは、ウクライナにルーツを持つロシア人。生まれこそモスクワだが、研究者である父親が福島県の会津大学に赴任したのをきっかけに4歳で来日、以降を日本で過ごしてきた。おかげで「自分が外国人であると意識したことはあまりない」というほど、日本に溶け込んでいる。
甘やかさと濃厚さ、ミード生原酒の味わい
醸造所で発酵直後のミードをタンクから柄杓ですくい、試飲させてもらった。火入れ前の生原酒だ。
リキュールに近い甘やかさと、ワインや日本酒の濃厚さを併せ持つ、なんとも言えない滋味に思わず声が出た。蜂蜜の芳醇な香りはしっかりと感じられるが余計な甘ったるさはない。口の中に幸せが広がっていくのを感じた。まだ化学反応の最中で、舌の上でふつふつと微発泡している様子が、自然の手仕事を表現しているようだった。
「美味しいでしょう?うちの醸造所には、ガスが届いていないんです。でもあえてそうしているところもあって、ボイラーはすべて県産の薪で賄っています」
「ガス代を節約する意味もありますが、せっかくこんな環境でミードをつくるのですから、とことん小鹿野の自然と寄り添ってやっていければと思っています」
この原酒に火入れすることによって発酵を止め、濾過した後にボトリングされ、世に送り出されることになる。そのため、出荷される製品では、よりクリアな味わいになる。
将来の酒づくりのために、社会人を経て東京農大へ
では、彼女はなぜ家族で秩父に移住し、ミードをつくることになったのか。その半生を少し遡ってもらった。
「会津にいたのは小学生のときまでで、その後は父の仕事の都合で東京の八王子に移りました。高校卒業後はとくに深い考えもなくいったん就職し、衛星放送の会社で営業をやっていたんです。そのうち社会人生活の中でお酒をおぼえると、どうしてもこれを仕事にしたいと考えるようになり、貯めたお金で東京農業大学へ進む決意をしました。それが23歳のときです」
この時点ではまだ、日本酒でもビールでも、およそ酒に属するものなら遍く強い関心を持っていた。その点、醸造科学科のある東京農大は、全国から酒づくりを志す若者が集まる大学だ。酒蔵やワイナリーを営む家庭の学生も多く、「ここへ行けば将来に向けて、様々なコネクションがつくれるだろうと考えました」という彼女の思考は、なかなかに聡明だ。
「でも結局、入学金と初年度の学費でお金が尽きてしまい、2年で中退することになってしまいましたけどね。それでも、本当にいろんな人との縁が築けたので、一定の目的は果たせたと思っています。何より、ミードの存在を知ったのも大学時代でしたから」
ミードとの出会いは唐突に訪れた。たまたま旅行で訪れた福島県の旅館で、地場の酒蔵がつくるミードのポスターが貼ってあるのを見つけたことがきっかけだった。
「女将さんに『Aizu Meadって、まさか会津でミードを造ってるんですか』と聞いてみたら、すぐ近くでつくっているからと、蔵まで連れて行ってもらったんです。そこで初めて飲んだのが、バラの花の蜜で仕込んだ美しい味わいのミードでした。こんなお酒もあったのかと、一気に虜になってしまいましたね」
蜂蜜由来とはいえ、ミードは甘ったるいだけの酒ではない。芳醇な香りとスッキリとしたキレを備え、アルコール度数も10%程度のものが中心。比較的、万人受けしやすい酒類と言える。酒豪で鳴らすエレナさんにとっても、ミードは他のどの酒とも似ていない、不思議な魅力を感じさせた。
農大を辞めたあと、いつか酒の仕事に生かせるだろうと大手IT企業の通販部門で働いたエレナさんは、以降もずっとミードの存在を頭の片隅に置き続けることになる。
秩父の山中で最古の酒をつくる理由
2度目の社会人生活のなかで、エレナさんは現在のパートナーである宏樹さんと出会った。宏樹さんはIT企業の経営者であり、エレナさんはオンライン通販の知見を蓄えていたことから、2人は夫婦になるのと前後して、ミードのオンライン販売に乗り出した。
「この頃にはもう、ミード一択でした。ミードの醸造所は世界に1,000以上ありますが、日本にはまだ蜂蜜だけで造るミードの専門醸造所はありません。こんなに美味しいお酒があるということを多くの人に知ってほしいというのももちろんですが、新しい市場を切り拓いていくことに大きなロマンを感じました」
「そこで、いつか自分でつくることを念頭に、まずは酒類販売免許を取得して、商品は会津の酒蔵にOEM(委託醸造)をお願いしたんです。最初につくったのはりんごの花の蜜を使ったミードで、その後、オレンジやライチの花の蜜など、相性の良さそうな蜜を探しては商品化していきました」
ほどなく会社を退職し、宏樹さんの会社でミードの販売事業に専念するようになったエレナさん。オンライン販売の売れ行きは好調で、ときにはポップアップショップで消費者のリアルな反応に触れることもできた。
次第に「これならいける」との手応えを強めたエレナさんが、続いて自前の醸造所の建造を目指すことになるのは、いわば自然な流れだった。
「夫に想いを伝えてみると、『それなら融資を受けなければならないけど、同じ借金をするなら、マイホームを建てるのと醸造所を建てるのと、どっちがいい?』と聞かれました。もちろん、私は醸造所だと即答しましたね」
こんなやり取りからスタートした、夫婦による醸造所設立計画。場所に秩父を選んだのは、東京との行き来がスムーズで、なおかつ、地域で採れる原材料や水の質がいいことが決め手だったという。
「秩父というのは日本酒やワインだけでなく、ビールや焼酎、ウイスキーまで、あらゆるジャンルのお酒をつくっている土地柄です。ここに日本初のミード専門醸造所が加われば、いっそう盛り上がるに違いないという期待もありました」
自治体も協力的で、エレナさん夫妻の計画を理解すると、醸造所向けの物件について積極的に情報を集めてくれた。やがて見つかった小鹿野町の廃校は、まさに探し求めていた通りの理想的な物件だった。
ミードづくりを支える、自然と戯れる日々
現在、醸造所が置かれているのは、2001年に廃校となった小鹿野町立倉尾中学校の体育館だ。厳密には体育館の1階部分にあった駐車スペースを改築したもので、2階フロアはいまも体育館のまま。校舎はすでに取り壊されているが、敷地内に残る校歌の石碑がかつての賑わいを感じさせる。
豊かな自然に密接し、傍らを藤倉川が流れるロケーションは、酒づくりにはうってつけだろう。付近から湧出する毘沙門水は、「平成の名水百選」の1つに選ばれているほど水質の良い土地で、時折、野生のカモシカが顔を覗かせる。
しかし、そんな長閑なムードとは裏腹に、秩父へやって来てからのエレナさんの生活は、多忙を極めた。
「一家で秩父へ移住してきたのが2019年。その直後から醸造所の工事が始まりました。建築の知識なんて皆無なのに、電気工事から水回りまで醸造所の設備を整えるための工事をひと通り手配し、並行して醸造に必要な機材を調達。ある程度完成したら、今度は認可を得るために税務署や消防署のチェックを受ける。おまけに第二子の出産まで重なって――。この時期は本当に、目が回るような忙しさでしたね」
それに比べれば、少なくともミードづくりに注力できる現在は、おだやかな日常だとエレナさんは言う。
「育児こそ地元のシッターさんの手を借りていますが、ずっとやりたかったことをようやく仕事にできたわけですから、大変だなんて言っていたら罰が当たりますよね。幸いこういう環境なので、出勤がてら付近を1~2時間かけて散歩をするのが、いい気分転換になっているんです」
澄んだ空気を吸い込みながら、ゆっくりと時間を噛みしめるように歩く。毎日、その時々の気候や時間帯で風景は変わり、野に咲く花から季節の移ろいを感じる。
たまに地域の農家の人と出会うと、持ち前の明るさとコミュニケーション力であっという間に打ち解けてしまう。「何もかもが、自身を豊かに育む栄養になる」とエレナさんは語る。
そして2021年の11月下旬、ディアレットフィールド醸造所はついに初出荷を果たしたのだった。
ミードが届けるコミュニケーションの時間
ミードにかぎらず、酒づくりとは大半が肉体労働だ。おまけに酵母という微生物に頼る面が大きく、必ずしも思い通りに運ぶとは言い切れない難しさがある。
それでも、醸造作業から機器の洗浄、瓶詰め、ラベル貼りなど出荷までの一連の作業に追われることが、いまのエレナさんには楽しくて仕方がないようだ。
「人がつくったお酒だってあんなに美味しいのに、いまはどんなに疲れ切っていても、自分がつくったお酒で乾杯できるんですから、これほど幸せな時間はありません。豊かな自然の中で仕事をして、夜には最高の晩酌が待っている。少々のストレスなんて吹き飛んでしまいますよね」
なお、エレナさん自身がたびたびメディアに取り上げられてきたこともあり、ディアレットフィールド醸造所の出足は好調だ。地元の食卓で親しまれるのはもちろん、結婚祝いや引越し祝いなど贈答用に買い求める人も後を絶たないという。
自分が手がけたミードが、届く先々でどのような時間を生み出しているのか、想像するだけで幸せな気持ちになるとエレナさんは目を細める。
「私がこういう性格だからなのか、お酒というのは誰かとのコミュニケーションありきの飲み物だと思うんです。だから、私がつくるミードの感想や要望をたくさん聞きたいし、お客さんとの接点をこれからもっと増やしていきたいですね」
そのための取り組みのひとつとして、西武秩父駅前に「秩父令和商会」と名付けたサテライトショップをオープンした。ウイスキーとミードを中心に希少なラインナップを用意し、週末には多くの顔なじみ客が集まる場になっている。
「そういった場所も使いながらいろんな人の意見を聞いて、お酒づくりに生かしていきたいと考えています。お客さんと一緒に商品を開発していくような酒造メーカーであることが理想的ですね。この醸造所も、見学ツアーや醸造体験などを企画して、より多くの人が訪れる場所にしていくつもりです」
目指すのは、ミードが秩父の地酒として定着する未来。
蜂蜜由来の芳醇な味わいが生み出すひとときは、人と人をつなぎ、豊かな時間を作り出していくだろう。日本初のミード専門醸造所の挑戦は続く。
写真:斉藤美春
フリーライター・編集者。主にルポルタージュを中心に、雑誌やWEBメディアなどに寄稿中。主な著書に『日本クラフトビール紀行』、『物語で知る日本酒と酒蔵』(共にイースト・プレス)、『作家になる技術』(扶桑社文庫)、『一度は行きたい「戦争遺跡」』(PHP文庫)ほか多数。また、東京都内でバーを経営するほか、プロボクサーライセンスを持つボクシングマニアでもある。
合同会社ディライトフル代表。1976年、埼玉県秩父市出身。早稲田大学第二文学部在学中より、制作会社にて編集者、ライターのアシスタントとして雑誌などの制作に携わる。2004年よりリクルートにてフリーマガジン『R25』の創刊に携わり、編集を担当。2010年に独立し、雑誌、書籍、ウェブメディア、企業や自治体が発行する冊子、オウンドメディア等の企画、編集を手がけている。