疲れたときに食べるひと口のチョコレートはやすらぎを与えてくれる。その一方で、仕事などの前に食べれば、頭を覚醒させ、高揚感を感じさせてくれるのもまたチョコレートだ。
その原材料であるカカオは、最近では、チョコレートだけでなく調味料や食材としても注目を集めている。
若くしてそんなカカオにハマり、学生のころから世界中のチョコレートを食べ歩いてきた宮原利衣さんが、その本当の魅力を伝えたいと京都に開いたのが『+chocolat(プラスショコラ)』だ。カカオ豆の選定からチョコレートになるまで一貫してひとつの会社が手がけるBean to Bar(ビーントゥバー)を100種類取り揃え、その食べ比べやお酒とのペアリング、カカオを食材として使った料理などが楽しめる。
「チョコレートとカカオを文化して根付かせたい」
そう語る宮原さんに、Bean to Barの魅力やドリンクとのペアリングについて、また、食材としてのカカオ、嗜好品としてのカカオの可能性などを聞いた。
学生時代から美味しいチョコレートを探して世界各地へ
京都は祇園四条駅から徒歩5分。花街の一角に、世界中のBean to Barチョコレートを取り揃える店『+chocolat(プラスショコラ)』はある。
町屋作りの小さな入り口には、「+chocolat」と書かれたのれんがかかり、小料理屋と見まがうような風情のある佇まい。
のれんをくぐり、店内へ。履き物を脱ぎ、掘りごたつ式のカウンターに座れば、自然とくつろげる空間が広がっている。
カウンターの向かいの壁一面には、華やかなパッケージが並ぶ。すべて世界中から集めたBean to Barのチョコレートだ。店内では、それらの食べ比べや、ドリンクとのペアリングが体験できる。
オーナー兼店主の宮原利衣さんが、チョコレートの魅力にハマった原体験は、中学2年のときのバレンタインだったという。
「中学2年のバレンタインに、好きだった男の子に『美味しいチョコレートのお菓子を作って贈りたい』と思ったのがきっかけです」
「まずネットで製菓用のチョコレートをいくつか取り寄せたところ、全て商品名は『ダークチョコレート』と書いてあるにもかかわらず、食べてみるとすべて味が異なることに驚きました」
「パッケージに貼ってあるラベルを見てみると、メーカーの違いだけでなく、カカオの産地や含有率も異なり、チョコレートは甘い苦いだけでなく、酸味もあったり、産地や量によってこんなにも味が違うんだ! と衝撃を受けました」
宮原さんは製菓用チョコレートを買い集め、アルミの袋に小分けして学校に持っていき、友達に配って味比べを提案するようになる。
これが、プラスショコラの原点とも言える。
宮原さんは「『今日はマダガスカル産』『今日のはエクアドル産でカカオ47%』と、学校で配っても、同級生はそれほど興味を示してくれませんでした(笑)」と当時を振り返る。
カカオ本来の味の違いがきちんと伝わって、それぞれの味の違いを比較して楽しめるようなサービスや商品があったら、もっと多くの人がチョコレートに興味を持ってくれるのではないか……。
次第にそんな夢を思い描くようになった。そして、大学時代に留学先ではじめてBean to Barのチョコレートに出合ってからは、まだ日本には入ってきていない美味しいチョコレートを探すために休暇のたびに世界各地へ赴くようになった。
海外から持ち帰ったチョコレートは、全て食べて、その味わいや特徴をノートに記録。この活動を社会人になってからも続け、いつしかそのデータは膨大な量になっていった。当時住んでいた家の棚には、食べ終わったチョコレートの空き箱と、これから食べるチョコレートの箱が、それぞれ50音順で大量に並べてあり、家に遊びに来た友人を驚かせたという。
会社員の傍ら副業でチョコレートの輸入業に携わる
会社員1年目のある日、偶然訪れた青山の『ファーマーズマーケット』での出会いが転機となった。
「もともと好きだった『アンチドート』というBean to Barのチョコレートを個人輸入している方と話が弾み『そんなにチョコが好きなら一緒に輸入しよう』と誘ってもらったんです。それを機に、副業としてチョコレートの輸入に携わるようになりました」
2015年、Bean to Barチョコレートが日本でも広がり始めたタイミングだった。すでにチョコレート生地として出来上がったものを原料に作られる一般的なチョコレートとは異なり、Bean to Barはカカオ豆の選定からチョコレートの製造までを一貫して行う。
そのため、Bean to Barのチョコレートは単一産地のカカオ豆で作られているものが多く、カカオ豆の産地や製法による味の違いなどを、より感じることができるのだ。
加えて、海外から輸入されたBean to Barは、パッケージのデザインも個性豊かで世界観が伝わるものばかりだった。
しかし、いざ輸入を始めてみると、輸入業者は多いものの、販路が圧倒的に足りないことに気づいたという。
いわゆる板チョコの賞味期限は1〜2年だが、日本でチョコレートが売れる時期は年に2〜3週間のバレンタイン前に集中する。そのため、多くの輸入チョコレートが廃棄されている現実を知った。
「輸入者である前に、日本でBean to Barを食べたり買ったりできる場所や機会を作らないと、Bean to Barのブームはすぐに終わってしまう。そんな危機感を覚えました」
こうして、2017年末に、チョコレートを仕事にするため会社を退職。お店の物件を探しながら、珈琲屋さんを間借りしたチョコレート販売のイベントを開催するなど、約1年の開業準備期間を経て、2018年11月に『プラスショコラ』を開業した。
好みに合ったチョコレートを100種類の中からセレクト
『プラスショコラ』に並ぶ世界中からセレクトしたおよそ100種類のBean to Barチョコレートは、宮原さんが海外で食べ歩いた膨大な知識と、ノートに書きためた記録をもってセレクトされている。
全体のチョコレート数におけるダーク・ホワイト・ミルクの割合や、産地の品揃え、フレーバーやナッツ入りなど種類のバランスも考慮し、ラインナップを決めるそう。
チョコレートは1種から注文可能だが、プラスショコラでの人気メニューは3種か5種の食べ比べだ。
まず大枠で、「甘さ」と「苦さ」を選ぶ。例えば「ビターで5種」にした場合は、産地別で酸味の有無や濃淡をつけた5種になることもあれば、シンプルなビターと、お酒を使ったビター、ナッツやフレーバー入りのビターを組み込むなど、お客さんの希望によってアレンジしていくことも。
私たちは、5種食べ比べをオーダーすることに。
宮原さんの原体験である「同じダークチョコレートでも食べ比べると全く異なる味わい」の面白さに惹かれ、ビターを2種と、宮原さん肝煎りの『アケッソンズ』のホワイトチョコレートも織り交ぜつつ、合計5種の食べ比べを試みた。
宮原さんが盛り付けたのは、右上のダークチョコレートから時計回りに5つ。
『アケッソンズ(マダガスカル べジョー ホエステート75%)』
『パンプストリート ベーカリーチョコレート トーゴ(スイスミルク44%)』
『ヒョーク(68%MORK INDIA)』
『アケッソンズ(マダガスカル べジョー ホエステート43%ホワイト)』
『オリジナルビーンズ(エスメラルダスミルク 42%)』
「『アッケソンズ』は、マダガスカルで100年ほど前からカカオ農園を経営している会社が作ったブランドです。自社で大きなカカオ農園を持っていて、他のメーカーにも自社の豆を卸しています。自社農園ならではの最高級カカオを使った贅沢なシングルオリジンを楽しめるのが特徴です。75%のダークチョコレートはベリーのような酸味が際立っていて、浅煎りのコーヒーが好きな方などに好まれます」
「ノルウェーのメーカー『ヒョーク』のダークチョコレートは、インドのカカオ豆を使っているため酸味が少なく、蜂蜜のような独特な香りをもち、穏やかな味わいに仕上がっているんです」
同じダークチョコレートでも食べ比べてみると、フルーツのような酸味がスッと鼻を抜け、爽やかな後味の『アケッソンズ』と、甘美な香りが濃密で、ベルベットのような口どけの『ヒョーク』は、まさに対照的。
香りや味わいが、地域や農園によって大きく異なり、ビーントゥーバーの奥深さに気付かされる。
ホワイトチョコレートでも、最高級の品質やブランドごとの製造のこだわりを教えてくれる。
「ホワイトチョコレートは本来、カカオ豆から搾ったカカオバターと、砂糖、粉乳を混ぜて作りますが、市販のホワイトチョコレートは、原価が高いカカオバターに異なる植物油脂を混ぜて原価を抑えているものが大半なんです」
「カカオバターは漂白・脱臭して真っ白にしたものが使われることが多いですが、『アケッソンズ』のホワイトチョコレートはカカオバターを100%使用しています。漂白・脱臭をいっさい行わずに、独特のクリームがかった色合いと、カカオの風味も感じられるんです」
「実は、市販のホワイトチョコレートが苦手」という宮原さん。
彼女がおすすめする『アケッソンズ』のホワイトチョコレートは、市販のホワイトチョコレートとは明らかに一線を画す。カカオバター100%を感じさせるチーズのようなコクと、甘みの中にも旨みがあり、まるで食べる人の味覚を刺激するチョコレートの新体験のようだ。
お酒とのペアリングで、チョコレートの楽しみ方が広がる
チョコレートの味比べはもちろん、『プラスショコラ』ではチョコレートとドリンクのペアリングも提案している。
宮原さんは開業前に、単身イギリス・ロンドンに渡り、フードペアリング理論を学んでいる。
「チョコレートとペアリングするならコーヒーと思われがちですが、コーヒーを淹れると香りが強く店内に充満してしまい、チョコレートや他の飲み物の香りを感じられなくなってしまいます。そのため、プラスショコラではコーヒーを置いていません」
大学時代に紅茶専門店でアルバイトしていた経験があるという宮原さん。チョコレートとドリンクのペアリングの可能性を広げて提案していきたいと、紅茶、日本茶、日本酒、ワイン、焼酎などのお酒とのペアリングもオープンと同時にスタートさせた。
一般的には食事に合わせてドリンクを選ぶが、プラスショコラでは、まずドリンクを先に選び、それに合わせるチョコレートを提案してくれる。
特に人気があるのは、チョコレートと日本酒のペアリングだ。
「日本酒は淡麗・辛口以外をおすすめしています。甘口でなくてもいいのですが、カカオ自体にも酸味があるので、香りや酸味のある日本酒のほうがチョコレートと合わせやすく、酸味のなかでもリンゴ酸が入っているとチョコレートによく合うんです」
「うちで扱っているチョコレートはタブレット型なので、ガナッシュなど水溶性のチョコレートに比べて油分が多く、口の中をスッキリさせるためにも酸味は欲しいところ。淡麗・辛口だとスッキリし過ぎて、濃厚なカカオの風味に日本酒が負けてしまいます」
なお、赤ワインはタンニンの渋みがダークチョコレートに合わせやすいため、レパートリーを揃え、白ワインはアロマティック品種など華やかな味わいのものをストック。焼酎は酸味のないチョコレートや、ナッティー(ナッツのような風味がある)なものとフィットするそうだ。
チョコレートだけじゃない。カカオは可能性を秘めた食材
さらに、『プラスショコラ』では、カカオを使ったドリンクや料理の提供もしている。
ゴルゴンゾーラチーズに、カカオ豆の胚乳を発酵・焙煎してすり潰した「カカオマス」を練り込んだパスタは、その茶色の色味に驚く人も多いが、お酒とも好相性。特に、軽めの赤ワインや樽の香りを感じる重めの白ワインが合うという。クセの強いチーズの香りを、カカオが上手に臭みだけを隠してくれて、特徴であるチーズのコクは楽しめるとあって人気のメニューだ。
フードメニューはすべてカカオを食材として使っており、麻婆茄子やミートソースには、カカオマスを直接入れてコクを引き出している。
「カカオ=チョコレートと思われがちですが、あくまでカカオを一つの食材と考えて、その可能性を広めていきたい」と話す宮原さん。
カカオ料理の好評を受けて、2021年には京都市上京区の今出川駅近くに『カフェ プラスショコラ御所北』をオープン。カカオを使った定食やパスタ、ホットサンドなどを提供。食べ比べはできないがチョコレートも販売している。
覚醒とリラックス、カカオならではの2つの特徴を上手に取り入れる
これほど一意専心にカカオにのめり込む宮原さんにとって、嗜好品としてのカカオはどんな魅力があるのだろうか。
「疲れたとき、ひと息つきたいときに、チョコレートをひとかけら口にするだけで、ふうーっと肩の力が抜けていきます。逆にシャキッとしたいときは、カカオ100%のチョコレートを補給すると、神経の末端までカカオが広がるような感覚で、ハッと覚醒するんです!」
カカオに含まれるカフェインには、覚醒とリラックス、両方の効果が期待できる。カカオを極めた宮原さんは、自らの気分や体調に合わせて、カカオを愉しむ方法を知っていた。
誰よりもカカオの力を探求する宮原さん。そんな彼女にとって必要不可欠なのは、「チョコレートと全く関係のない、自然の中で過ごす時間」だという。
「今でも根本にあるのは、中学生の頃に感じた、『チョコレートの魅力を多くの人に伝えたい』という思いです」
「でも、チョコレートやカカオとまったく関係のない自然の中に足を運んで、自分なりのインプットの時間を持つことで、そのバランスを保っている。京都は歩いているだけでも、鳥の鳴き声や川のせせらぎが聞こえます。私は和歌山県の田舎育ちなので、人がまったくいない山奥まで行ってゴロンと寝転び、流れる水の音や、土の香りを感じたくなるんです」
宮原さんは「チョコレートとカカオを、きちんと文化として根付かせるために、さらに可能性を広げていきたい」と語る。
宮原さんが人生をかけて探究してきたカカオの世界。その全てが『プラスショコラ』には詰まっていた。
チョコレートの奥深さ、ペアリング、食材や調味料としてのカカオ。私たちがその可能性に目を向ければ、もっと深く豊かなカカオの時間を過ごせると気づかせてくれた。
写真:川しまゆうこ
大学時代に受けた食品官能検査で“旨み”に敏感な舌をもつことがわかり、国内・国外問わず食べ歩いて25年。出版社時代はファッション誌のグルメ担当、情報誌の編集部を経て2013年独立。現在、食をテーマに雑誌やWEBマガジンにて連載・執筆中。
合同会社ディライトフル代表。1976年、埼玉県秩父市出身。早稲田大学第二文学部在学中より、制作会社にて編集者、ライターのアシスタントとして雑誌などの制作に携わる。2004年よりリクルートにてフリーマガジン『R25』の創刊に携わり、編集を担当。2010年に独立し、雑誌、書籍、ウェブメディア、企業や自治体が発行する冊子、オウンドメディア等の企画、編集を手がけている。
若いころは旅の写真家を目指していた。取材撮影の出会いから農業と育む人々に惹かれ、畑を借り、ゆるく自然栽培に取り組みつつ、茨城と宮崎の田んぼへ通っている。自然の生命力、ものづくり、人の暮らしを撮ることがライフワーク。