連載:「未知なる嗜好品をつくるタネ」
『広辞苑 第七版』によれば、嗜好品とは「栄養摂取を目的とせず、香味や刺激を得るための飲食物。酒・茶・コーヒーの類」とある。そして一般的に、嗜好品の対義語は「生活必需品」であるとされる。つまり嗜好品は、人間にとってエネルギーにはならず、必ずしも必要なものではないのだろうか。
しかし、クラフトジン「HOLON」のファウンダーであり、嗜好品の作り手である堀江麗は、「嗜好品は生命活動を営むための、精神的な栄養をもたらしてくれるもの」と語る。
では移り変わりの激しい現代、──またはこれからの未来において、嗜好品はどうなっていくのだろうか。
本連載「未知なる嗜好品をつくるタネ」は、堀江麗がさまざまな領域の専門家との対話から“あり得るかもしれない、まだ見ぬ「嗜好品のタネ」を見つけ出し、記録する収集帖。そして、近い将来にそのタネを“芽吹かせる”ための覚え書きである。
初回に訪れたのは、東京大学大学院理学系研究科附属の研究施設「小石川植物園」で植物学、多様性生物学を研究する望月 昂(こう)さん。
植物はあらゆる嗜好品の原料であり、切っても切り離せないもの。中でも、植物の放つ香りはその嗜好性を表現する大きな要素だ。そもそも植物はなぜ香りを発しているのか、それを人間はなぜ良い香りだと感じるのか。花と、その送粉者である虫の関係性を研究し、日夜植物が発する香りの解析をする望月さんと、植物と香りについて、そして嗜好品の可能性について語り合った。
(文:細川紗良 写真:田野英知 編集:川崎絵美)
花と虫の蜜月関係。花はどのように虫を引き寄せるのか
堀江:望月さんは花と虫の関係性に着目して、花のどのような要素が昆虫を誘引しているのか研究されていますよね。まずは花が虫を引き寄せる理由についてお聞きしたいです。虫に花粉を運んでもらって受粉を促す、つまり生殖のためであることが多いのでしょうか。
望月:送粉のためであることがほとんどです。送粉者として一般的に知られているのはチョウやハチだと思いますが、それ以外の虫──例えばハエやガ、またはコウモリや鳥も花粉を運ぶのに貢献しているんです。チョウに受粉される植物は、実はそこまで多くありません。一例としてユリなどが挙げられます。
ハチやチョウは色の分解能が高く、ヒトには3つしかない色覚が、アゲハチョウなどには6つあるんです。僕らより色鮮やかに世界が見えています。色覚に大きく頼って花を選別していて、香りが強くない植物にも寄りつきます。虫以外の例だと、鳥はほぼ100%視覚に頼っているので、鳥に受粉される植物の花はほぼ香りがありません。
逆に、強い香りを出している花は、ハエやガ、コウモリなど、あまり視覚が発達していない動物や、夜行性の動物を呼び寄せます。夜に白い花を開かせ、ジャスミンに似た香りを放つことで知られている月下美人はコウモリに、香水によく使われるイランイランは、ケシキスイやガなど、僕たち人間が害虫としてしまうような小さな昆虫に送粉してもらっているといわれています。
堀江:私たちが良いイメージを持っている花ほど、一般的には忌み嫌われる虫や動物を呼び寄せているのは興味深いです。色と香り、どちらもを総合的に見極めて近づいてくる虫もいるんですか?
望月:たくさんいると思います。送粉者の中でも特に活躍しているマルハナバチがそうです。マルハナバチに受粉される植物は青紫色や黄色で、テルペン類の香り(*注1)を持つ、という特徴があります。青紫色であるだけでも虫は引き寄せられますが、テルペンを持っていると虫の記憶能力が上がることがあるので、色×香りの掛け合わせが好まれるんですね。
花がどういう動物を呼びたいか、その動物がどういう感覚を持っているのか。植物は、送粉者の行動に左右されながら進化し、今の香りや形になっているんです。
(*注1)テルペン:天然香料の主体となる植物精油の主成分。商業生産される精油のうちで、とくに生産量も多く重要なものとその主成分を以下に示す。〔レモングラス油〕シトラール、〔針葉油〕α-ピネン、〔オレンジ油〕リモネン など。(出典:日本大百科全書)
堀江:これまでは花が虫を引き寄せる理由について伺いましたが、逆に虫は何を求めて花に近づくのでしょうか。
望月:3パターンくらいの理由があります。1つ目は、蜜や花粉を欲している場合、あるいは花を食べたい場合です。例えばこのツツジ科の植物アガペテス グランディフロラ(学名:Agapetes grandiflora)は、つぼみや咲き終わった花から蜜を出していて、アリがこれを舐めにきます。花からすると、アリは他の虫を排除してくれるボディガードになるので都合がいいんですね。しかもアリは蜜を見つけるとすぐに仲間を呼ぶので、たくさんリクルートできるというわけです。
堀江:蜜を欲するのはわかりますが、虫が花を食べるというのは予想外でした。
望月:花って葉に比べて寿命が短いですよね。長くもつものでも1カ月くらい。それくらい儚い器官なので、植物としては守るべき部位ではないんです。つまり、葉に含まれることがある毒などの防衛物質が花には含まれてないことが多く、昆虫にとっても食べやすいケースがあります。
花に虫が訪れる2つ目は、騙されておびき寄せられてしまうケースですね。例えば、ラン科の数多くの植物で、特定の昆虫のメスに擬態することでオスを呼び寄せることが知られています。
そして3つ目が、花を訪れるほかの虫を狩りたいケースです。例えば、スズメバチの仲間はセリ科の植物の花に近づくことがあります。花で蜜を飲むのと同時に、花の上に集まる小さな虫たちを狩ることが知られています。
堀江:どのパターンも機能的な理由からなんですね。人は花を愛でたり香りを楽しむこと、いわば嗜好性で植物を好むことがありますが、虫が植物に近づく行動は基本的に生殖のためであると。
あえて悪臭で誘引し、香りで虫を防御する。植物の知られざる“香らせ戦略”
堀江:植物が香りを発するメカニズムをリサーチする中で、「誘引」と「防御」の2パターンがあるということがわかりました。植物が虫などを引き寄せる例については先ほどお話しいただきましたが、「防御」するための香りについても教えてください。
望月:植物には誘引のため、防御のための香りがそれぞれ同居しています。先ほどアリが蜜を求めて植物にやってくるという話をしました。しかし植物からすると、葉や茎にアリがいてくれるのは助かるけれど、花に居ると送粉者である虫さえも撃退してしまう可能性があります。そのためテルペン類などのアリが嫌う香りも同時に出す花もあると聞きます。
堀江:防御はしてほしいけど、花には来ないでほしい。植物ってしたたかなんですね(笑)。
望月:虫を面白い香りで誘引する花があります。南アフリカに生息する、ガガイモ科のスペタリア。近くで嗅いでみてください。
堀江:わっ、悪臭がします……!生ゴミのような臭いというか。
望月:そう、タンパク質が腐っていくときの──野菜ではなく、肉が腐敗した感じの臭いですね。なぜこんな臭いを放っているかというと、ハエが受粉してくれるからです。動物の死骸やフンに集まるハエが、スペタリアが咲くと速やかに寄ってきて、花に産卵していくんです。自分の子どもを育てられる動物の死骸だと勘違いするんですね。香気成分でいうと、硫黄と同じ成分であるジメチルジスルフィドやジメチルトリスルフィドなどを発しています。
堀江:人間の立場から捉えると、花って良い香りで動物をおびき寄せると思ってしまいがち。予想を裏切るギャップがあって、とても面白いです。
花が防御のための香りを出すという話も興味深いです。花は誘引用、葉は防御用と解釈していたので。
望月:葉は確かに防御一筋であることが多いと思います。でも花は誰にでも来てほしいわけではない。誰でもウェルカムだったら、悪臭なんて出さないですよね(笑)。
僕はいつも「ガスクロ(ガスクロマトグラフィー質量分析計)」という機械で香りの分析をしています。植物の香りの化合物を分離して、どの香気成分がどれくらい入っているかがわかる優れものです。僕が今研究している植物では、香気成分が10種ありますが、その中でも虫の誘引に効くのが2種。でもその2種も、それぞれ単体だと効きません。複数の香気成分が組み合わさると誘引能力が発生して、他の成分を追加していくと、その能力が上がっていきます。
堀江:複合的な香りの方が好まれやすい、と捉えることもできますね。
花にもカフェインが?“中毒性”というキーワードから見つけた嗜好品のタネ
望月:「防御」の代表格となる化学物質といえば、アルカロイド(*注2)です。カフェインやカプサイシン、ニコチンなどが、アルカロイドの一種として知られていますね。
(*注2)アルカロイド:植物体に存在する、窒素を含む特殊な塩基性成分の総称。一般に、少量で動物に対して強い生理作用をもつ。ニコチン・モルヒネ・コカイン・アコニチン・キニーネなど。植物塩基。(出典:デジタル大辞泉)
堀江:中毒作用のある物質が並んでいますね。私は嗜好品を深掘りしていく中で、その定義は「中毒性×香り」なのではないかと考えています。「気持ちいいな」と感じる報酬系に働いて、「もう一回飲みたい、食べたい」などの感情を引き起こすのではないかと。なので、中毒性を持つ植物には非常に興味があります。
望月:これらの化学物質は、主に葉に含まれていることが多いです。先ほどの話でもあったように、葉は防御のための器官でもあるので。僕の研究領域ではないので詳しい事例はお話できませんが、食べられたときに動物を刺激して追い払うんですね。
一方で、カフェインが虫を誘引する、という特殊な例も研究で明らかになっています。南米にあるコーヒー属とミカン科の植物で、花の蜜にカフェインが入っているものがあります。その花の送粉をするミツバチが、なんとカフェインを摂取することで記憶能力が高まり、より頻繁に花を訪れることが分かったんです。
その研究では、何種類かの異なる濃度のカフェインをミツバチに与え、記憶能力の変化を調べているんですが、薄すぎても濃すぎても能力は高まらず、最適な量が存在することを突き止めているんですね。
堀江:人間以外でも、カフェインによって薬理作用が働くことがあるんですね!
望月:薬物的な効果についての研究は、コーヒー属とミカン属の花でしか知られていません。でも、カフェインを生合成できる植物だったら、蜜にカフェインが入っていてもおかしくないと思うのです。チャノキで有名なカメリア属やコカなどを調べたら、葉だけではなく、もしかしたら花の蜜にカフェインが含まれているかもしれません。
堀江:カフェインを含んでいる植物は知られていますが、その花のカフェイン含有量については研究が進んでいないということですね。それをリサーチしながら、カフェインが入っている蜂蜜なんかが作れたら、新たな嗜好品として面白いものになりそうです……!
望月:そのリサーチをした上で、カフェインを含む花と虫の関係性について調べたら、新たな発見があるかもしれません。カフェインの含有量は簡単に調べられるので、リサーチには協力できますよ。
人はなぜ植物を良い香りだと感じるのか。進化学的な観点から紐解く。
堀江:これまで、昆虫目線で花との関係性を教えていただきました。次は私たち人間の目線も踏まえて、植物の香りや中毒性、嗜好品というものを深掘りしていきたいと思います。
人にとっての嗅覚の役割は主に2つあると思っていて、1つは「危機回避」。危険を察知し、生命を守るための機能ですね。そして2つめは「情動」を変化させる役目かなと。自律神経などに影響を与え、リラックスさせたり気持ちの変化を司る機能があると推測しています。情動は人間的だなと感じる一方、危機回避は虫も人間も共通して持っている機能ですよね。
望月:「食べてはいけないものを判別する」ことと同じくらい重要なのが、「食べられるものを見つける」という役割です。果実や蜜の匂いに惹かれるのは、虫も人間も同じです。その傾向を利用し、果物に近い匂いを出して虫を誘引する花もあります。例えばイランイランは、熟した果実のような香りを放って虫を呼び寄せている。そして僕たち人間も、それを良い香りだと感じますよね。虫にとっても人間にとっても、積極的に追っていくような匂いであると言えます。
堀江:人間が引き寄せられる匂いには、生理的な欲求から良い香りだと感じるものと、嗜好的に惹かれる香りがありそうですね。
望月:そうですね。だから、人がなぜ花を良い香りだと感じるのか、すごく不思議なんです。花を食べて栄養になるわけでもなく、人間の生殖に花が関係するわけでもないので。嗜好品を愛でること自体が、何か進化学的に有利だった可能性もありますね。
堀江:ジンももともとは薬として使われていたんです。でも途中から嗜好品として愉しまれ始めました。体に良いからと摂取していたものが、良い香りと認識され、結果として嗜好品として解釈されるようになる。そういう事例は他にもありそうですね。
望月:ヒノキ風呂が良い香りだと感じるのも、似たような構造かもしれません。ヒノキなどの針葉樹はテルペン類を含んでいます。そしてその抗菌作用や防虫作用が、僕たち人間に有利に働いてきた。しかし現代では機能よりも、良い香りで癒される、という嗜好品的な使われ方をしていますよね。
堀江:習慣的なものだったからこそ好意的に捉えるようになる、といった文化的な影響でしょうか。
望月:そういう意味では、花を愛でる文化がない民族がいたとしたら、その人たちはユリの花を臭いと感じる、という可能性も考えられます。
複雑な香りほど嗜好性が高い?
堀江:お酒でも香水でも、複雑な香りのするものの方が嗜好性が高いと感じることがあります。
望月:確かにそうですね。例えば、単体だと臭いと感じるような香りでも他の香りと複雑に絡み合えば嗜好性が上がる、といったことがあります。香水では、フンの匂いのするスカトールが少量含まれているものも多いです。
堀江:先ほどガスクロを見せていただいたときも、香りがより複合的なものの方が虫の誘引に効きやすい、という話もありましたね。生物の本能として、複雑な香りに惹かれるという性質があるんでしょうか。
また、ワインやジンなどのお酒も、初めて口にしたときはその複雑さに驚くけれど、飲んでいくうちにだんだんとクセになって好きになる……という経験をしたことがある人も多いのではないでしょうか。
望月:進化学の中では、いわゆる「自然選択」(*注3)のほかに、「表現型可塑性」というものが知られてきています。進化というのは、遺伝子が変化することで環境に適応した個体が生き残っていくことです。対して「表現型可塑性」は、子孫に引き継がれる遺伝子を変化させずに、環境に順応させて自身の状態を変化させる能力のこと。
つまり、変化に対する柔軟性やバッファを持っているのかもしれない。最初は苦手だったけれど途中から好きになっていくという変化は、そういう性質からきているのかもしれません。
(*注3)自然選択:ある生物に生じた遺伝的変異のうち、生存競争において有利に作用するものは保存され、有利でないものは除去され、選択されることをいう。自然淘汰ともいう。C・R・ダーウィンが、品種改良で行われる人為選択から類推し、自然界における新しい種の出現のための主要因として提唱した概念。(出典:日本大百科全書)
堀江:生物として「苦手かも」が「好きかも」に変わり得る余白を持っている、というのは面白いです。またヒトの場合、複雑化した社会・文化の中で解釈の幅が広いことも関係していそうですね。香りが複合的なほうが、想像力を掻き立てられたり、知的好奇心が満たされたりすると思います。
堀江:最後に、植物学の研究者から見て「こんな嗜好品ができたら面白そう」と思うものは何かありますか?
望月:僕はお酒が好きなので、野生植物を取り入れたリキュールを飲んでみたいです。ヨーロッパにはパンチの効いたお酒がありますよね。そういうものが日本の野生植物で作れたら面白そうです。
堀江:例えばどんな野生植物が入っていたらワクワクしますか。
望月:木が面白いんじゃないでしょうか。ヨーロッパの地中海側には香りが強いハーブがたくさんありますが、日本にはあまり強い香りの草がないので。
堀江:確かに、特徴のある草は熱帯か北に多いですね。日本みたいな温帯にはマイルドな香りの草が多く生息しています。香りというとハーブや花のイメージが強いですが、日本の木の香りを掘り下げていくのも面白そうです。
望月:近年、野山に行くたびに山が朽ち果てている状況を目にします。林業をする人が減り、管理が必要な植物がどんどん姿を消していくんです。僕は基本的に論文ベースで仕事をする業界にいますが、プロダクトやビジネスの領域にいる人たちと手を組むことで、植物の保全にも貢献できればいいなと思っています。
堀江:作り手としても研究領域にいる方とタッグを組めるのはとてもありがたいことなので、ぜひリサーチなどでご協力いただきながら、新しい嗜好品を一緒に作っていきたいです。
嗜好品のタネ 01
葉だけでなく花にもカフェインを含む植物があることを知った。そのような植物がどれくらいあるのかを調べた上で、その花が嗜好品としての可能性を秘めているのか検証したい。カフェインを含有している花から蜂蜜を作ったり、花茶として加工したりできるだろうか。
嗜好品のタネ 02
日本の木は香りが強いものが多い。望月さんが木のリキュールを作ったら面白そうと話してくれたように、木の香りを利用した嗜好品が作れるのではないか。また、宗教や儀式と香りの関係性も気になっていたので、香木を掘り下げるのは面白そう。
1995年生まれ、武蔵野美術大学卒業。代々木上原のスペース〈No.〉の立ち上げなど、「飲食×デザイン」の領域で様々なプロジェクトに企画やディレクションで携わる。その後BRUTUS.jpを経て、現在はフリーランスの編集者として活動。広義的な編集の観点から、場や体験づくりのディレクションなど、言葉だけでない領域も対象とする。パッションワークとして、植物にまつわる探究と表現をするコレクティブ〈VERDE〉、創作の前段階の生活にフォーカスする活動〈6okken〉など。最近の興味は散歩、微生物、子宮、古代文字、音、天文と暦、エレメントなど。人や知などの情報を、伝達するだけでなく受粉できる存在でありたい。
お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。
1995年、徳島県生まれ。幼少期より写真を撮り続け、広告代理店勤務を経てフリーランスとして独立。撮影の対象物に捉われず、多方面で活動しながら作品を制作している。