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これからの「持続可能」な嗜好品って? 経済学から、未来の「常識」をデザインする:農業経済学者・下川哲

石田哲大

酒やタバコ、コーヒーやお茶といった嗜好品の多くは、何らかの「ボタニカル(植物)」を原材料としている。

栽培、収穫(採集)、加工、保存、流通……植物が「嗜好品」として私たちの手元へと届くまでの過程で、周囲の環境から被る、あるいは逆に及ぼす影響は小さくない。

例えば、このままでは2050年までにアラビカ種のコーヒー栽培適地が半減してしまうと言われている「コーヒー2050年問題」。あるいは、大規模プランテーションでのコーヒー栽培は熱帯林消滅につながり、生物多様性の消失や地球温暖化を促すと懸念されている。

植物と環境の不可分な影響関係を踏まえ、これからの持続可能な嗜好品のあり方を探っていくにあたってヒントを与えてくれたのは、農業経済学者の下川哲(さとる)さんだ。

「重要なのは、人間が我慢できるギリギリのバランスを探すことです」

下川さんが掲げる研究テーマは「『食』をとりまく社会的問題の要因と解決策を実証的に解き明かすこと」。行動・心理・実験経済学の視点から現地調査や実験などを行い、食料消費行動をとりまく問題とその解決策について実証的に分析してきた。

農業経済学の見地から、嗜好品という存在は、いかにして捉えられるのか?

これからのサステナブルな嗜好品、そしてその素材である「ボタニカル(植物)」のあり方を考えるとき、私たちが踏まえるべき観点とは?

(文:石田哲大 写真:田野英知 編集:小池真幸)

「持続可能=環境に負荷を与えない」ではない

──今回は下川さんの専門である農業経済学の見地から、嗜好品について話を聞いていきたいと思います。まずは下川さんがどのような研究をしているのか、全体像や問題意識を教えてもらえますか?

いわゆる途上国の人々が貧困や飢餓で苦しむ一方で、アメリカなどで肥満が増えているのは一見すごく理不尽ですよね。かといって「余っている地域の食糧を足りない地域に送ればいい」という簡単な話ではなく、なるべくして現在の状況に至ってしまっている側面もある。

こうした問題を解決するために、「食料を取り引きする場である『食料市場』をはじめ、食を取り巻くさまざまな社会の仕組みを、今よりも良い結果になるようにデザインする」のが農業経済学です。

不幸になる人を減らしつつ、もっと多くの人がより良い生活ができるようになるための食の仕組みをつくれないか。そう思って研究しているんです。

──農業によってつくられた食料の分配の偏りを、「市場」という仕組みで解決するための方法を研究されていると。

その際、人だけでなく「環境」も見る必要があります。

究極的には、農業は人がいなければやらなくていい活動であり、人間のエゴによるものです。どんなに環境に優しくても、農業は何かしら環境への負荷をかけずにはできない活動であり、なおかつ食料がないと死んでしまうので、人間に絶対に必要な活動でもある。

ですから、農業と環境のバランスはどこかで絶対に取らなければいけません。よく誤解されるのですが、「持続可能」とは「環境への負荷をゼロにする」という意味ではなく、「環境が回復できる範囲内に環境負荷を抑える」という意味なんです。

環境負荷を抑えようとしたとき、「生産者」である農業の側だけにアプローチするのでは不十分です。人口で言えば、地球上のあらゆる人が該当する「消費者」のほうが圧倒的に多いので、僕は消費者の行動を変えるアプローチに注目してきました。

というのも、消費者が変われば、生産者も変わらざるを得ないと考えているからです。逆に言うと、消費者が変わらない限り、生産者も変わることができません。

経済学では、主に「価格」「所得」「情報」の3つの要素が消費者の選択や行動に影響すると考えます。さらに農業経済学の場合は、「腐りやすい」など食べ物特有の性質も考慮に入れる必要がある。

そのうえで、例えば補助金によって価格を下げたり、環境負荷が低い製品を買うことが「カッコいい」といった情報を発信したりすることで、農業と環境のより良いバランスを実現する仕組みを研究しているんです。

農業経済学における「嗜好品」

──そうした農業経済学の見地に立つと、「嗜好品」はどのように捉えられるのでしょうか?

「嗜好品」の定義は難しいのですが……「所得弾力性」と言われる、「所得変化にどのように反応する商品か」という観点から考えると、まずは「奢侈品(ぜいたく品)」に分類されると言えるでしょう。

経済学上で「奢侈品」とは、生活必需品ではないものを指します。特徴は、所得が変わると需要もすぐ変わること。「貧しくなると買わなくなりやすい」とも言い換えられます。

もう一つ考慮すべき要素として、嗜好品には「依存性」があるケースが少なくありません。多くの人は値上がりしてもタバコを買い続けるように、他の奢侈品よりも価格に対して需要が変わりづらい傾向がある。生きるのに必要ではなくても、多くの人が消費し続けるわけです。

──「嗜好品」には「奢侈品」+「依存性」の要素がある、ということでしょうか。

そう捉えることもできると思います。そして経済学において、消費者は「効用(満足度)」を最大化させる行動を取る存在として想定されています。「おいしい」「楽しい」だけでなく、「健康にいい」「環境にいい」といった感覚も含めての「自分の満足度や幸せ」です。

ただ、依存性が高い嗜好品はときに「やめたくてもやめられない」という状態になることがあります。例えばアルコール依存症の人は、お酒を飲むと一時的に満足しますが、長期的には自分の健康や幸福を害していきますよね。

こうした現在と未来のトレードオフが発生するからこそ、依存性のある嗜好品には社会的な最適量があると言えます。ですから、近年のアルコールやニコチンへの人々の考え方の変化も鑑みると、やはり将来性がある嗜好品とは「人間が幸せを感じられるが、依存性は少ない」ものになると感じます。

そうした意味で、一口に「嗜好品」と言っても、依存性の強弱によってジャンルが変わると思います。

依存性が高いタバコやお酒に対して、相対的に依存性が低いお茶やコーヒーは、どちらかといえば飲料やお菓子の枠組みに入るかもしれませんね。お茶やコーヒー、アルコール度数の低いお酒などは、今後も長く愛されるのではないでしょうか。


嗜好品を「食べ物」や「飲み物」として捉えるのをやめてみる

──依存性が低い嗜好品がより愛されるようになるという話は、近年広まっている「ソバーキュリアス(Sober Curious=飲まないことに興味を持つ)」の潮流にも合致しますね。

そして嗜好品の価格弾力性を考えるにあたって、もう一つ重要な観点は「代替品があるかどうか」です。

もし甘いお菓子やジュースがなくなっても「果物などの他の甘い食べ物に置き換える」といった行動が取れますよね。しかし、例えば「コーヒーの代わりに何を飲むか?」と聞かれても答えづらいと思うんです。

それは、コーヒーがそれ自体にとどまらず、「コーヒーを飲む」という「体験」として成り立っているという側面もあるからだと思っています。

「体験」という切り口であれば、食べ物や飲み物に限らず、例えば目的もなくとりあえずスマートフォンを見ている人たちの可処分時間も競合になります。そうすると、マーケティングにおいても「なんとなくスマートフォンを見ているぐらいだったら美味しいお茶を飲もうよ」といったメッセージが有効になりますよね。

嗜好品は栄養摂取が目的ではないので、「健康にいい食べ物」などと比較してもあまり意味がありません。そこには代替関係がないからです。

その一方で、体験はみんなが求めてお金を使う別カテゴリーのもの。ドライブやスマホゲームといった趣味のカテゴリーで嗜好品を分析し、それを代替していくマーケティングを行うと、より市場が広げられる気がするんです。

──嗜好品を単なる「食べ物」や「飲み物」ではなく、嗜好「体験」として捉えることで、新たな市場に入っていけると。

要するに、比較の枠組みを変えることが重要なんじゃないかと思うんですよね。

別の見方をすれば、「健康にいい食べ物」がフィジカルな健康をもたらすのだとすれば、嗜好品はどちらかというとメンタルの健康増進につながると思います。

カフェインなどは身体的に少し負の影響があるかもしれませんが、それによってストレスが軽減できるなら、全体としては「健康にいい」とも捉え得る。今後はメンタルケアのサプリメントに近い役割を担うマーケットとなっていく可能性もあるでしょう。

「人間が我慢できるギリギリのバランスを探す」

──嗜好品を、嗜好「体験」として捉えることで、「環境」とのより良いバランスも探っていけるのでしょうか?

できると思います。例えば、私たちが月10杯飲むコーヒーのうち3杯を環境に配慮した認証マークのあるコーヒーに置きかえたり、国産のお茶に置き換えたりする。

ポイントは、「環境に悪いから食べない」といった極端な結論に走らずに、少しでも環境負荷を減らせる実行可能なバランスを見つけることです。そして、そうしたバランスを新しく生み出すために、「体験」という付加価値は重要になると思います。

その際に重要なのは、「人間が我慢できるギリギリのバランスを探す」という考え方です。

現在の気候変動の進行状況を鑑みれば、「全員が最高に満足する」という状況は限りなく不可能に近いと思います。だから、目指すべきは人間が最もハッピーになれることではなく、ギリギリ我慢できる最適な地点になる。

──「人間が我慢できるギリギリのバランス」とは、具体的にはどのようなイメージでしょうか?

例えば、「大量の電気や化石燃料を消費して遠くへ旅行をするよりも、近場でボタニカルなお茶やコーヒーでリラックスしませんか?」とメッセージを発してみる。

また、私たちはいま大量生産品のビールを飲むことが多いですが、例えば旅先ではその土地のクラフトビールに変えるだけでも、現状の問題の解決に寄与するかもしれない。

価格は少し上がりますが、地産地消が成り立ちやすくなるので、環境負荷との「ちょうどいい」バランスを保ちやすくなるかもしれません。

「エネルギー」という死活問題

──ここまで主に消費者の体験にフォーカスしてお話を伺ってしてきましたが、「農業」の側から嗜好品を捉えると、どのような問題や可能性が見えてくるのでしょうか? 例えば、近年は大規模プランテーションでのコーヒー栽培は環境負荷が高く、気候変動を促進するという点も指摘されていますよね。

おっしゃる通り、「生産者」の観点での課題はたくさんあります。ただ一方で、むしろ「生産者」という視点で問題が大きいのは、「エネルギー」の観点だと思っていまして。

──エネルギー、ですか?

エネルギーは食料価格や生産量に直結するので、食とは切り離せない問題です。日本では食料自給率が問題視されがちですが、実はエネルギー自給率はもっと低くて12%程度しかない。この問題をなんとかしなければ、やがて食料自給率も危機的な状況になってしまいます。

──日本のエネルギー自給率が12%、全然知らなかったです。

実は最近、早稲田大学で「食とエネルギーシステム研究所」という研究所 を立ち上げて所長に就任したんです。食料自給率とエネルギー自給率、この困っている2つをうまく組み合わせることで、両方が改善するような社会の仕組みを考案するための研究を進めています。

例えば、農業で電力への依存度が特に高いのが酪農と施設園芸で、ビニールハウスや、腐りやすい牛乳を冷やしたまま運ぶための「コールドチェーン」には大量の電気が必要です。

もしその電気代を安くできれば、食料価格の上昇を少しは抑えることができるはずです。

──コールドチェーンは嗜好品においても死活問題ですよね。例えば品質が良くて高価なワインでも、流通過程で劣化して美味しくなくなると一気に価値が下がってしまいます。

そうですね。酪農のコールドチェーンでは、牛乳を絞ったらすぐに冷やしはじめます。搾乳機とつながっているタンク(バルククーラー)で4℃以下に冷却し、そこにトラックが取りに来て、その中でも4℃以下で保温。トラックが積み下ろした集積所から加工工場、その後のスーパーマーケットでの販売……消費者が買うまでずっと4℃以下を維持しなければならない。

そこで僕が最近考えている改善策は、地方の太陽光発電で余った電力を、酪農農家やコールドチェーンの一部である地元の倉庫やスーパーマーケットに安く提供するというアイデアです。

こうしたエネルギーの地産地消ができれば最も効率が良いはずで、嗜好品などにも応用できるのではないかと思っています。

「常識」を変え、新しい文化をデザインしていく

──最後に、持続可能な、すなわち「環境が回復できる範囲内の負担に抑える」かたちでの嗜好品の開発・普及を今後いっそう進展させていくために、どのような点がポイントになってくると思いますか?

「参照点」と呼ばれる、人間が物事を考える際の起点となる常識を変えることが重要だと思います。

行動経済学や心理学で「デフォルト効果」と呼ばれている現象なのですが、多くの人は最初の設定つまり参照点の違いによって、その後の選択や行動が大きく変わることがわかっています。

例えば、「ラーメンは1000円以下で食べれるもの」という暗黙の了解が日本人にはありますよね。この場合、1000円が参照点になっていて、お店側は1000円以上で売りづらいですし、多くの客も1000円以上では買ってくれない。ただ、海外からの旅行者にはそういった暗黙の了解はなく、もし彼らの参照点が自分の国でのラーメンの値段(たとえば1杯3000円)であれば、1杯2000円でも安い!となって喜んで買ってくれます。つまり、日本人と海外からの旅行者では参照点が違うので、消費行動も違うというわけです。

だから、新商品は最初にどのような価格帯で、いかなる層の人々に売り出すかをよく考える必要があるんです。

どれくらいの価格が基準なのか。どれくらいの頻度で飲むのが普通なのか。その常識をいかに世の中に浸透させていくのかが、これからの嗜好品開発において重要になってくると思います。

例えば、健康のためにスポーツジムに行くことが以前よりも広く受け入れられて、ジムに行っても行かなくても毎月何千円も支払っている人が多くいると思います。そこで、やらない運動のために毎月何千円も払うよりは、「家でリラックスできる良いお茶に1万円かけるほうがマシ」という視点を広められれば、9000円でも安いと消費者は考えてくれるわけです。

──嗜好品そのものだけでなく、生産者・消費者ともに、環境に合わせて「常識」ごとつくり変えていく必要があると。

その意味では、コーヒーにおける「サードウェーブ」は示唆深い事例だったと思います。苦味が強いことが売りだったコーヒー市場に、酸味の強いコーヒーを発売することで、新たなデフォルトとなる文化や習慣をつくり上げた。

これを応用すれば、例えば抹茶の新しいデフォルトをつくる、といった発想の転換ができると思うんですよね。

「参照点」という観点で、僕が最近研究しているのが、カーボンクレジット(企業間で温室効果ガスの排出削減量を売買できる仕組み)を通じて、非農業部門のお金が食品産業の上流に回るように誘導する仕組みです。カーボンクレジットはもうすでに世界的に義務化される流れなので、特に大企業はお金をかけざるを得ないんですよ。

もしこれが実現すれば、直接農家の売上やマージンを増やせなくても、収入の一部がカーボンクレジットになるような仕組みをつくることで、農家の経営状況を改善できます。

いま、農業部門でのCO2削減1トンあたりのカーボンクレジットは1.5万円くらいで、省エネ部門のカーボンクレジットなどよりもかなり高めなのですが、食料安全保障やおいしい食を未来に残すという目的であれば、多少高めでも購入してくれる企業はあると思います。そして、カーボンクレジットによって農家の収入を増やすことで、日本における農家の持続可能性を高められるのではないかと。

──まさに「市場」を取り巻く「仕組み」にアプローチする、経済学ならではの視点ですね。

こうした試行錯誤は、嗜好品が文化であるからこそ重要なのだと思います。

文化は誰かが保存しようと考えなければ、消えていってしまう可能性があるからです。

このままだと食の多様性が失われていく可能性が高いという未来を考えると、「嗜好品を楽しめる文化をいかに残すか?」は重要な論点です。

食文化を新しくデザインしていく視点が、求められていくのではないでしょうか。

》特集「ボタニカルを探求する」すべての記事はこちら

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Author
ライター/編集者

国際基督教大学(ICU)卒、政治思想専攻。ITコンサルタント、農業用ロボットのPdM、建設DXのPjMを経て独立。関心領域は人文思想全般と、農業・建築・出版など。

Editor
ライター/編集者

編集、執筆など。PLANETS、designing、De-Silo、MIMIGURIをはじめ、各種媒体にて活動。

Photographer
写真家

1995年、徳島県生まれ。幼少期より写真を撮り続け、広告代理店勤務を経てフリーランスとして独立。撮影の対象物に捉われず、多方面で活動しながら作品を制作している。