薄明かりの古民家で、昼からノンアルコールドリンクをコース仕立てで提供する店があるという。
さらに、“チェイサードリンクはお酒かお茶から選ぶ”という、なんともミステリアスな流れ。
月に数回、完全予約制でオープンする「澱々-oriori-」だ。
主宰するのは、料理人をはじめ、飲食業界のプロたちが注目するビバレッジアーティスト、emmyさん。
これまで独学で数百種類のドリンクレシピを生みだし、レストランやイベントでのノンアルコールペアリングやドリンク監修なども手掛けるemmyさんが、オリジナルドリンクと空間演出を掛け合わせることで、新たな飲み物の嗜好体験を創出している。
お酒が好きで、オーセンティックなバーで学んだという彼女が、なぜノンアルコールドリンクに挑戦するのか?
また、イベントやポップアップへの出店を通じて、ノンアルコールドリンクを広めてきたemmyさんだからこそわかる、ノンアルコールドリンクの可能性とは?
彼女にとっては“ラボ”でもある「澱々-oriori-」で、コースを体験しながら、話を聞いた。
(文:藤井存希 写真:江藤海彦 編集:小池真幸)
午前11時オープン。時の流れを忘れてしまう、薄明かりのカウンターで
文京区本郷。
下町の風情を残す木造住宅が並ぶ路地に、ひっそりと構える「澱々」。
軒先に旗めく真っ白な暖簾が、オープンを告げる合図だ。
月に数回、完全予約制で営業する「澱々」は、ビバレッジアーティストとして注目を集めるemmyさんのラボ兼ノンアルコールカクテル専門店。オリジナルドリンクを主役に、“つまみ”と呼ぶには気が引けるような逸品と、チェイサードリンクを合わせたコース仕立てで提供される。
基本は午前11時、もしくは午後1時30分のスタートながら、昼を感じさせない薄明かりのカウンター席。時間の流れを忘れてしまうような空間演出はもちろん、時折ふわっと鼻先をくすぐるハーブなどの素材の香りや、しっとりと趣のあるemmyさんの声色まで、すべてが重なり「澱々」を構成している。
「ファッションの専門学校を卒業した後、20歳からの2年間は、アパレルの会社で販売員として働いていました。日本でファストファッションが浸透した過渡期だったこともあり、“大量生産して、大量消費されていく”という侘しさを感じて」
「その頃から、消費される“モノ”ではなく『人が生み出す“空間”に関わる仕事ができたら』という想いが強くなっていったんです。建築業などさまざまなアプローチがあると思うんですが、私は何かを伝えたり表現したりできるような空間をイメージしていたので、飲食業界へ転向しました」
なぜ澱々を「バー」と呼ばないのか?
飲食業界のキャリアをスタートし、バーに立つ機会があったemmyさんは、お酒の歴史や文化などその奥深さに開眼。修行先を探し、根津にあるオーセンティックなバーで経験を積んだ。
「『うちだけでなく、いろいろな場所を見なさい』と言ってくださるマスターだったので、途中でほかのバーでも働いてみたりしながら、全部で7年くらいいました。お酒の作り方だけでなく、大人の粋な飲み方や、サイコロ遊びなど昔ながらの遊び方、大人の嗜好、お客さまとの会話など多くのことを学びました」
emmyさんがメジャーカップを操るしなやかな動きや、グラスの中を軽くかき混ぜる様に目が惹かれる。
もともとお酒は好きだったというemmyさん。バーからの独立を考えた際に、個人でドリンク監修やポップアップ出店という形態で続けていくには、揃えられる酒類に限界を感じていたと言う。
「最初はお店がなかったので、限られた量のアルコールドリンクのために、世界中からお酒を集めていくことは現実的に難しいと感じていたんです。そんななか、『ノンアルコールなら食材から基材を作れる』と気づいて、なんでも創り出せるという発想からノンアルコールドリンクのレシピ開発をスタートしました」
この頃から約2年間、独学で開発したドリンクレシピを、毎日X(旧Twitter)に投稿していたと話すemmyさん。当初は、誰でも作れるレシピとして載せていたが、作っていくうちに「もっと扱う食材や技術を高めていきたい」「お客様に飲んでもらえるようにしたい」という思いが募るようになったと言う。
“チェイサーはお酒”──ノンアルコールの可能性を最大限に引き出す
「澱々」のコースは2種類。
ノンアルコールカクテル4種にフード4皿、チェイサードリンク2杯で構成されるコースと、ノンアルコールカクテル3種にフード1皿、チェイサードリンク1杯がつくショートコースだ。
メニューは毎月変わるが、10月にいただいたショートコースの1杯目は、金木犀のお茶をベースに、すりおろした洋梨、すだちと、わずかに炭酸を感じるドリンク。
洋梨の澄んだ果実味に寄り添う甘みは、氷砂糖を使用しているという。ボディ感が出にくいノンアルコールカクテルでは甘みは大切な要素だが、砂糖はレシピによってきび砂糖なども使い分けるこだわりだ。
ショートコースの“つまみ”は、大根の浅漬けを主役にしたオリジナルの「フルーツサラダ」。この時期は柿を加え、 はちみつとビネガー、ハーブソルト、胡椒などで仕上げている。
旬を迎えトロトロに熟した柿は、まるでソースのように大根に絡まり、食感の妙を感じさせる。
また、福岡県大川市で酢造り300年を誇る「庄分酢」のビネガーにより、まろやかな酸味とはちみつの重なりも愉しめる。
タイミングを見計らうように、“チェイサードリンク”が供される。
ナチュラルワイン、クラフトビール、日本酒など幅広い“お酒”とお茶から選べるのも、ユニークなスタイルだ。
「主役はノンアルコールですが、お酒があることも肯定したいですし、私にとってはどちらも大切。アルコールが少し入ることで、香りや味、空間まで感じやすくなったり、ノンアルコールメニューをより味わってもらえるような気もしています」
2杯目は、emmyさんがグラスの内側にレモングラスと檜の蒸留水を吹きかけていくことで、始まる。
小豆島産のオリーブ茶をベースに、杉と檜の葉の蒸留水、黒酢、わずかにかぼすを効かせたドリンクは、香りだけでなくグラスの中にも“木”を感じる1杯だ。
杉と檜の葉の蒸留水は、イベントがきっかけで繋がった大分県で林業を営むメンバーから送ってもらっているという。
「間伐材を使ってアロマオイルなどを作る『六月八日(ろくがつようか)』というブランドをやっていらして、大分県中津市のフィールドワークに行った時に、私も実際に、木と遊ばせてもらったんです」
「その時のイベントでは、山から見た川の流れをドリンクで表現して、上流はピュアな香りに、中流は葉っぱなど生命力の強さを、下流は少し人工甘味料のような味わいをつけたりと、営みの循環に、より関心を持つきっかけになりました」
「木を育て、山を育てると言うことは、その先の海、さらには自分たちの生活にも直結しているということを、都会にいるとなかなか感じられません。だからこそ、ドリンクに取り入れることで伝えていきたい」
コース料理に抑揚をつけるように、最後は、京番茶をベースにごぼう茶、柿や黒酢などで仕上げられた厚みのあるドリンクが登場。
ごぼうのやや土っぽい風味と京番茶の香ばしさがリンクし、燻煙したかのようなスモーキーな風味が印象的だ。
ショートコースには含まれないデザートの「あんみつ」を追加でオーダーした。
天草から作る寒天、素材によって森の蜜や檜の蒸留水を加えて作る蜜、塩と一緒に生姜やカカオニブとともに炊いた餡子など、すべて手作りの「あんみつ」は、甘さ控えめでファンも多い逸品。
この日はレモングラスを煮含めたジューシーな寒天に、カルダモンと一緒に炊いた白い花豆が添えられ、料理の延長線上にあるような食べごたえと華やかで余韻を残す味わいだ。
どこでも、誰でも飲めて、“創造”と“自由”が表現できるノンアルドリンク
「澱々」では、コースドリンクとして使用するコーディアルのような基材を、最低4種類、ボトリングして常備。
これまでに開発したドリンクレシピは、ビーツとブルーベリーとローズマリー、黒豆とカカオ、みりんと薔薇、茗荷と金木犀、ごぼうと柿とウイスキーの蒸留水……など、意表をつく組み合わせばかり、数百種類にのぼると言う。
「レシピを考えるときは、最初に旬の食材を軸に考えるのですが、全てフルーツのものとも限りません。これとこれは合いそうだなと3つぐらいの要素を絞ってから、あとは何を掛け算したら面白くなるかな……というふうに、手を動かしながら、完成に向けてチューニングしていきます」
素材は、市場で仕入れることもあれば、移住した方のご縁で地方から直接届くことも多いそう。
店内には蒸留器もあり、食材以外にも「土」まで蒸留を試して、探究している。
「ノンアルコールドリンクのレシピを考える時はいつも、“立体感”を意識しています。アルコールにはボディ感がありますが、ノンアルコールはどうしても厚みが出にくいので、奥行きを出していけるように、素材を少しずつ重ねていくんです」
レストランでのノンアルコールペアリングやドリンク監修などのレシピ開発はすべてこの場所で行われるため、「澱々」は“ラボ”としての役割も持つ。
「実験を繰り返しているような場所が『澱々』なので、今後は紹介制など、よりクローズな場所にしていきたいとも思っています。その一方で、イベントやポップアップでは、飲食に限らずアーティストなど異業種の方々とも、ノンアルコールドリンクをハブに繋がっていけるような、“一人ではできないこと”を中心に活動していきたい」
そう話すemmyさんは2023年、銀座の地下最大を誇る『西銀座駐車場』で期間限定のポップアップバーを監修。銀座の通り名にちなんだ「花椿通り」「並木通り」などの名前のノンアルコールカクテルから空間のディレクションを行ったり、数々のシェフとノンアルコールペアリングのイベントなどを行った。
また、今年の年末には、蔵前でビストロも経営されているナチュラルワインショップ『酒室-Centoux-』で、おそばをテーマにちょっとしたお料理とノンアルコールドリンクを提供するイベントも。
「来年はアーティストの方の展覧会に合わせて絵画作品からインスピレーションを得たコラボレーションドリンクをお出ししたり、レストランとのペアリングイベントをしたりする予定があり、ノンアルコールドリンクの可能性の広がりをひしひしと感じています」
「ノンアルコールドリンクは、“どこでも飲めて、誰でも飲める”という強みはもちろん、コーヒーやお茶よりも“創造”や“自由”が表現しやすいジャンルだと思っています」
「澱々」の名は、ワインなど液体の「おり」を表す言葉でもあるが、emmyさん曰く「四季折々」や「さまざまな要素が積み重なっていく」という意味もある。
素材の香りや味わいを重ねることで手技を増やし、人との出会いやイベントを重ねることでさらに表現力を高めていくemmyさん。「澱々」で表現されるドリンクと空間を掛け合わせた体験価値は、飽くなき進化とともに厚みを増していくに違いない。
大学時代に受けた食品官能検査で“旨み”に敏感な舌をもつことがわかり、国内・国外問わず食べ歩いて25年。出版社時代はファッション誌のグルメ担当、情報誌の編集部を経て2013年独立。現在、食をテーマに雑誌やWEBマガジンにて連載・執筆中。
編集、執筆など。PLANETS、designing、De-Silo、MIMIGURIをはじめ、各種媒体にて活動。
ひとの手からものが生まれる過程と現場、ゆっくり変化する風景を静かに座って眺めていたいカメラマン。 野外で湯を沸かしてお茶をいれる ソトお茶部員 福岡育ち、学生時代は沖縄で哺乳類の生態学を専攻