「いただきます」
その一言に私たちは日々、どれほどの意味を込めているだろうか。
10月に閉幕した大阪・関西万博2025のシグネチャーパビリオン「EARTH MART」のテーマ事業プロデューサー・小山薫堂さんはこの言葉を通して、私たちをとりまく食のあたりまえをリセットし、食文化の伝統と可能性、そして未来の食の在り方を問いかけた。
一方で、「おいしい」を求める人間らしさこそが食文化を生み、生きる喜びや幸せを育んできたと小山さんは提言する。そこには食に携わるすべての人への崇敬の想いが込められている。
食への嗜好や食べることに幸せを感じることは、人間の宿命でもある。
私たちは、なぜ食べるのか。なぜ「おいしい」を求めるのか。
2025年の締めくくりに、小山さんが「EARTH MART」を通して向き合った、日本の食体験を丁寧に紐解いてもらった。食文化と向き合ってきた希代の放送作家とたどる、食を巡る思考の旅は、嗜好の価値、そして幸福の原点へと私たちを誘う──。
(取材・文:吉川慧 写真:川しまゆう子 編集:笹川ねこ)
「いただきます」に込められた、社会を変える力

――大阪・関西万博2025のシグネチャーパビリオン「EARTH MART」では「食を通して、いのちを考える。」がテーマでした。どんなことを意識していたのでしょうか。
今回の展示は、もう一度「いただきます」の意味を深く感じてもらうきっかけになればいいなと。
私たちは、何かを食べたり飲んだりする際に「いただきます」という言葉を口にしますが、これは習慣というか、無意識のうちにやっている一種の「型」のようなものになりがちです。
「食べる」という行為には、たくさんの人やモノが関わっています。
食材のいのちをいただくことはもちろん、生産者や流通に関わる人、いま目の前にある料理を作ってくれた人、食べ終わった後の片づけやゴミの処理をしてくれる人もいます。
たった一言「いただきます」と口にする数秒間で、いのちをいただくこと、食べることへの感謝を意識できるようになれば、私たちは感謝の時間を一日3回持つことができるわけです。
そうすると、人はもっと他人のことを思いやることができるのではないか。そんな人が増えたら、社会はきっとよりよくなるのではないか。そんな思いがありました。

――なぜ「いただきます」という言葉を据えたのでしょうか。
きっかけは、今回の万博のテーマとなった「いのち輝く未来社会のデザイン」という言葉です。
いのちをどう輝かせるか、いのちの輝きをどう作るか。このテーマに向き合ったとき、つまるところ「いのちのかがやき」とは「幸せを感じる瞬間」ではないか、と。
でも、幸せの基準は人によって異なります。なので、それぞれの人にとっての幸せの原点とは何かを考えてみました。
――幸せの原点、壮大な問いの答えには辿り着きましたか。
大げさに言えば、人間として生まれてきたこと、生きていることへの感謝ですね。
動物や植物であれば、食べられる側の存在ですし、食べられないで生きていけるということだけでも、実はすごいことではないかと。
歴史をみれば、生命のやりとりが当たり前だった時代もありました。そう考えると、この時代に人間として生まれてきたことは幸せなことかもしれません。
ただ、私たちのいのちは、別のいのちを食べることで成り立っています。そこで、「EARTH MART」では、人間が80数年間に及ぶ寿命を積み重ねていくために、どれだけ他のいのちをいただいているのかを目に見える形にして、その意味を感じてもらう仕掛けを考えました。

「人間らしさ」こそが食文化を育んできた
――前半の展示「いのちのフロア」は、私たちが日々いただいている「いのち」がどのように生まれ、作られ、どれだけ消費しているかを可視化するものでした。
人が一生にどのくらいの「いのち」をいただいているのかを伝えたい。そのひとつが、日本人が生涯で口にする約2万8千個の卵を並べた「一生分のたまご」という展示です。
卵は、いのちの象徴でもありますから。

このほかにも、いのちのフロアの壁では、地球上の人間がどれだけのいのちをいただいているのかをデジタルで示したものを展示しました。これを見たとき改めて、「人間は、世の中の生き物の中で最も雑食な存在だ」と感じましたね。
人間はありとあらゆるものを日々食べています。野菜も、卵も、魚も、肉も、海藻も、発酵食品も。そして人間は、自力では赴くことができないほど遠く離れた場所のものを、獲って、または育てて、運んで、作って、食べている。これほど利己的な生き物はいないかもしれません。
――たしかに。
人間は「食べなければいけないもの」ではなく「食べなくてもいいもの」を食べています。食べなくても生命の維持には関係ないもの、食べたからといって長生きするわけでもないものも好んで食べています。
――人々の食をめぐる嗜好性は、人間ならではの特徴のひとつかもしれません。
もしかしたら、ちょっと我慢するとか、行き過ぎを抑制しなくてはいけない部分もあるかもしれません。
でも、だから人間という存在自体がダメだというわけではありません。おいしいものを希求することは人間の価値でもある。歴史をふりかえれば、そこから食の文化が生まれ、人生の喜びや幸せをもたらしてくれました。
食べること自体に嗜好や幸せを感じることは人間の宿命みたいなもの。否定されるものではないですし、そこも含めて人間らしくていいなと思います。
直売所を万博に変える「心とまなざし」の力

――「EARTH MART」という名の通り、スーパーマーケットの売り場のような展示手法も目を引きました。この狙いは?
私たちの日常の中で、食べ物が置かれていながら“最もいのちを感じさせない場所”がスーパーマーケットだと思ったからです。
スーパーマーケットでは、食材が美味しそうに並んでいますが、それが「いのち」であることは意識させないようにしていますよね。生け簀があるお店もありますが、それは新鮮な食材であることを伝えるためですから。
僕たちが日ごろから「いのちをいただいている」ことをEARTH MARTの展示を通してマインドセットしてもらえれば、暮らしの中でスーパーマーケットへ行った時に「あ、これっていのちなんだよな」と気付いてもらえるのではないか。それがこのようなつくりにした一番の狙いでした。
そういう意味で、一番僕がうれしかった感想は、入口に展示した「野菜のいのち」に感動したという女性のお話です。
この女性は、EARTH MARTを見てから、「野菜のいのち」で野菜の提供と展示の監修をしてくれた長崎県雲前市の岩崎政利さんと奥津爾(おくつちかし)さんのもとに赴かれたそうです。そして、実際の直売所を見た瞬間、「自分の周りにもEARTH MARTがあったんだ」と思ったのだと。

――日常の中に、EARTH MARTはあったんだと。
EARTH MARTを体験したことによって、自分の中の視点が変わり、今まで直売所としか認識していなかったのに「日常生活の中にもEARTH MARTがある」と思えた。
この話を伺って感じたことが、「心とまなざし」の大切さです。
どんな心を持って、何を見つめるか。それによって、その人が得る価値が生まれてくる。これまで見過ごしていたものに価値を感じるようになり、そこに気付きや学びがある。これこそ万博が作り上げたレガシーだと思いました。

湯葉が教えてくれた「未来の食」へのヒント
――後半エリアの「みらいのフロア」では、未来に遺したい25の日本発の食材や食の知恵・技術を紹介した「EARTH FOODS 25」が印象的でした。「食べておいしい」という嗜好的な視点や、いのちをいただく感謝と持続可能性に加え、“いかにおいしくいただけるか”も大切にしていることが伝わってきました。
未来の食を考える上では、最新のフードテック(食品に関する新技術)も頭にありました。ただ、万博では他のパビリオンで培養肉が展示されたり、大規模なものがあったりしたので、EARTH MARTは別の切り口があっても良いのではないかと。
そこで考えたのが、未来の食として全く新しいものを開発するのではなく「未来に持っていくべきもの」の価値に気付くきっかけづくりです。
私たちからすると、日本に昔から伝わる食の知恵や見慣れた食材は、当たり前のものかもしれません。でも、海外の方からしてみれば「これはすごいフードテックだ」「こんな食べ方や食材があるんだ!」と気付くきっかけがあるかもしれない。
その逆もしかりで、きっと他の国や地域にも同じように、未来に持っていくべき食の知恵や食材があるはずです。

――なるほど。私たちにとっては日常的な食の知恵や食材が、海外の新しい食、未来の食を拓くきっかけになるかもしれない。
そう思ったきっかけのひとつが、「料理の鉄人」という番組をやっていた頃にありました。
フレンチのシェフの調理を見る機会があったのですが、牛乳を入れたミルクパン(小鍋)を温めて、表面に張った膜を取り出して、これを料理に使っていたんです。
――まるで湯葉ですね。
まさに。でも、それをフレンチのシェフが、しかも牛乳でやると、新しい発明になるんですよね。
同じように、日本では梅を塩に漬けて何十年も持たせてきましたが、「それなら、うちの国の食材を塩で同じようにつけたら、こんなものができた」と、新しい食の発明にもつながると思うんです。
「日本にはこういうものがありますが、皆さんの国や地域に伝わる食の知恵や調理法、食材にはどんなものがありますか」と、みんなでひとつのテーブルに出し合えば、たとえ新しい発明がなくとも、未来を良くする食材や新たな食のアイデア、持続可能性など食の課題にアプローチできる料理を作れるのではないか。EARTH FOODSには、そんな思いを込めました。

食をめぐる哲学「一食入魂」の神髄とは
――EARTH MARTでは、「いただきます」とともに、独自の存在感を放つ言葉がありました。それが「一食入魂」。小山さんの雑誌連載のタイトルでもありますね。
日々の暮らしの中、今の自分ができる範囲で食べられる美味しいものを選び、どうすれば一番美味しくいただけるかを考え、行動する姿勢を貫く。
それを表した言葉が「一食入魂」です。
――日々の食との向き合い方を考えさせられる言葉ですね。
たとえば、「時間がないから、今日はこれでいいや」と仕方なく食べるよりは、できる範囲で「今、自分は何を食べたいんだろう」と一生懸命考えて、「今日はこれだ!」と思ったものを自ら選び、きちんと食べる。
自分が置かれた状況の中で、一番美味しいと思うものを探し出して食べる。それが、「一食入魂」の意味するところです。

――動画企画「伝説の朝ごはん」(通勤タイムスYouTubeチャンネル)では、小山さんが塩昆布や梅干し、熊本県産の塩、ふりかけなどのおかずとともに、ご自身で炊いた白米を美味しそうに召し上がっている姿が印象的でした。まさに「一食入魂」のシーンだな、と。
忙しくてお昼ごはんをコンビニで買うときも、ワクワクしながら、数ある商品の中から「自分がいま何を食べたいか」を真剣に考えて「これ!」と選ぶようにしています。
これも「一食入魂」ですね。
うちの会社の近くのコンビニでも、海外からの旅行者の方が、お店の前でたまごサンドとかを食べている風景をよく見かけます。
考えてみれば、安全かつ新鮮で美味しいたまごサンドを、この価格で食べられることって、実はすごいことなんですよね。
大切なのは、消費者がこれを当たり前だと思うのではなく、「すごいことだよな」とリスペクトしながら食べること。「今日はコンビニでいいや」と食べるのとでは、同じ「食べる」行為ではあるけれど、味も気分も変わってくるということです。
――一食入魂の「魂」には、自分ができる範囲で食べたいものを食べる気概だけでなく、食にまつわる全ての人の心も含まれているように感じます。
食べることは、生産者の応援にもつながりますよね。生産者の方にとって、自分が作ったものを美味しそうに食べてもらえることは最高の幸せだと思うんですよね。
以前、イタリアンの巨匠である奥田政行シェフ(山形県鶴岡市のレストラン「アル・ケッチァーノ」オーナーシェフ)を熊本に招いてディナー会を開催したことがあります。奥田さんは「生産者の方にもお見せしたい」とおっしゃって、参加者が食べているところを生産者の方に裏からご覧いただく機会を設けたことがありました。
最後、生産者の方にスピーチをしていただいたのですが、お話をしながら涙を流されていました。
「今まで農協にしか出荷していなかったけど、こうやってレストランで自分の野菜を美味しいと食べてもらえるとは思わなかった。ありがとうございます」と。あの姿は本当に良かったですね。

「美味」から「心と舌」へ。変わりゆく「おいしい」の価値観
――小山さんが携わった「料理の鉄人」が放送された1990年代と現在を比べると、食をめぐる嗜好はどのように変わってきたと感じますか。
一番大きいのは、当時は「食の正義」の大半を「美味」が占めていたことではないでしょうか。つまり「とにかく美味であればいいじゃないか」と。
時が経つにつれて、健康への意識や地球環境へのリテラシーの高まりもあって、こうした要素が料理の価値とされることが増えていったと感じます。
――健康や環境など、周縁の要素が加味されるようになった。
「おいしい」は、味覚だけではなく、食べる人や作る人の考えや気持ちにも影響されるからだと思います。
料理のおいしさは、「心と舌」によって作られている。それが今の時代の特徴かもしれません。
前提としては、料理人には食べる人に「うまい!」と思わせるものを作ってほしいですね。一方で、最近の料理人の中には、舌よりも心の割合が大きくなりすぎている方も増えてきたかもしれません。
人によって「おいしい」と感じる幸せの価値観は異なります。だからこそ、料理人は「舌と心」の割合をふまえて、「誰に、何を作るのか」を意識することがとても大切だと思います。

――では、いまの小山さんにとってのおいしさとなる“心と舌”は。
僕は「ふくあじ」というのを提案しているのですが、それが近いかもしれません。
満腹になる。おふくろの味を思い出す。幸福感に包まれる。満腹、おふくろ、幸福の三つからなる「ふくあじ」。これは「美味しさのストライクゾーン」を広くする考え方です。
たとえば、「化学調味料を使っている料理はダメ」「地球環境に良いものしか認めない」と決めつけるようなことは、僕はあまり好きではありません。また、安全性や価格などを考えれば、必ずしも有機栽培の野菜や天然モノを使う必要はないと思います。
おいしさの範囲を広く持っている人とそうでない人では、僕は前者の方が幸せを感じるポイントが増えるのではないかと思います。
「おいしさの閾値」を下げる、とも言えるかもしれません。
それはおいしさの妥協ではありません。時間をかけてエイジング(熟成)した和牛のシャトーブリアンはもちろんおいしい。ただ、外国産の牛の肩ロースも焼き方次第でとってもおいしくいただけますよね。
幸せのレンジを広げることで、人生において楽しめるものも増えていく。「おいしさのストライクゾーン」を広げることは、人生を幸せにするポイントだと思います。
――次世代を担う若手料理人を発掘するコンペティション「RED U-35」を立ち上げ、「EARTH FOODS 25」でも新進気鋭のシェフ5人を起用されています。これからの世代の料理人たちにどんな言葉をかけたいですか。
僕自身は、「おいしい」という価値や幸せを提供することこそ、料理人の使命だと思います。その上で、「おいしさ」が舌だけで作られる時代ではなくなってきていることも確かです。
例えば、色々なフードテックを使いこなす方法があるでしょうし、場所を工夫するやり方もあるかもしれません。新しい食器やカトラリーを作ったりすることもひとつですよね。
食文化は、総合芸術であり、料理人は幸福を作り上げる総合芸術家です。料理人の皆さんは、ぜひこれからも頑張っていただけたら嬉しいですね。

嗜好の本質、それは「つながること」
――「飲食」という熟語があるように、食事と一緒に嗜む飲料も人類とともに歴史を重ねてきました。小山さん自身、お酒やお茶など嗜好的な飲み物の価値をどう捉えていますか。
今まで考えたことがなかったのですが、ただ、食事の際には必ず何かお酒を飲まないと気がすまないように思います。
僕自身は必ず毎晩お酒を飲むのですが(笑)、それは食卓を華やかにしたり、味のためだけではない気がします。
かつて日本ソムリエ協会のソムリエ・ドヌール(名誉ソムリエ)の授与式でのスピーチで、「世の中にソムリエほどずるい職業はない」という話をしたことを思い出します。
――ずるい……!
「ワインを作る人たちは、雨が降ればブドウの心配をしますし、収穫も大変な仕事です。醸造し、一生懸命にそれを保管していく人もいます。でもソムリエは、ワインを作らずとも、ワインを美味しそうに飲むお客さんの笑顔を目の前で見ることができる。しかも、店によっては原価の3倍ぐらいのお金をいただける。こんなにずるい仕事はないと思う――」
そんな話をし始めたら、会場にいたソムリエの皆さんが「なんだあいつ……」「あいつを連れてきたのは誰だ!」というようなお顔をなさっていて……。
――それは……(笑)

でも、この話には続きがあるんです。
もし僕がワインだったら、作ってくれた生産者への感謝とともに、飲んでもらうタイミングや合わせる料理、そして何より「誰に飲んでもらうか」がとても重要だと思うんです。
たとえば、ワインをかじり始めて、格付けや名前だけで飲むようなお金持ちのお客さんの中には、ブルゴーニュワインのヴィラージュ(村名)や、マイナー作り手だけど本当に美味しいものを飲んでも、「やっぱりDRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ)に比べると……」と言う人がいたりします。
逆に、まだ全く飲みごろじゃないDRCを「やっぱこれだよ」と飲んだりする人もいたりする。
――そのワインの価値を最大限に引き出せるのが、ソムリエの真骨頂なんですね。
まさに。ソムリエというのは、この人に、このタイミングで、こんなワインを出したら、きっと喜んでもらえる――。そうやってワインの価値を高めることができる。それはソムリエにしか生み出せない付加価値だと思うんです。
つまり、ワインを生産してはいないけど、生産者と同じぐらい重要な使命を持っている。だからソムリエはずるいけど、すごい職業なんですね。
――最後に。時を経て、食をめぐる嗜好の変化を感じるというお話がありましたが、小山さんは何かを嗜むこと、嗜好の本質をどう捉えていますか。
「つながる」ということだと思います。つまり、同じ嗜好性を持った人とコミュニティが生まれることですね。
たとえば、「私はワインが好き」「私はシガー(葉巻)が好き」と、自分の殻に籠っているだけでは得難いものがあると思います。時には同じワインをともに開けることを喜んだり、あるいは自分の好きなものを語り合ったり。自動車などもそうですよね。
嗜好を通じて、新しい出会いにつながることもあります。自分が大切にしているものの価値を、ともに語り合える人と出会えることも嗜好の良さのひとつだと思います。

取材協力:Nœud. TOKYO
Business Insider Japan記者。東京都新宿区生まれ。高校教員(世界史)やハフポスト日本版、BuzzFeed Japanなどを経て現職。関心領域は経済、歴史、カルチャー。VTuberから落語まで幅広く取材。古今東西の食文化にも興味。
『DIG THE TEA』メディアディレクター。編集者、ことばで未来をつくるひと。元ハフポスト日本版副編集長。本づくりから、海外ニュースメディアの記者まで。企業やプロジェクトのコミュニケーション支援も。岐阜生まれ、猫好き。
若いころは旅の写真家を目指していた。取材撮影の出会いから農業と育む人々に惹かれ、畑を借り、ゆるく自然栽培に取り組みつつ、茨城と宮崎の田んぼへ通っている。自然の生命力、ものづくり、人の暮らしを撮ることがライフワーク。
