食べもの、お金、エネルギーを自分たちでつくる。そんなコンセプトを掲げた、福岡・糸島の「いとしまシェアハウス」。
近くの田畑で米と野菜を収穫し、庭で鶏や蜂を飼っている。電気は自家発電の太陽光エネルギーを極力使い、上下水道はなく湧き水を利用する。そうした田舎暮らしにまつわるワークショップを開催して、収入にしている。
一体なぜ、彼らは糸島で生活をDIYしているのだろう? どんな暮らしを送っているのだろう?
2021年4月、「いとしまシェアハウス」管理人の畠山千春さん、料理人の志田浩一さん夫妻を訪ねた。
畑で野菜を育て、野草を摘んでお茶に
いとしまシェアハウスは糸島の海沿いの道路から山間部に少し入った佐波集落にある。
山と川に囲まれた自然あふれる環境。空気が遠くまで澄んでいて、棚田を見渡すことができる。耳を澄ますと、鳥の鳴き声と川のせせらぎが聞こえてくる。
家から歩いてすぐのところに、田んぼと畑があるという。二人はしょいかごを背負って先導してくれた。
道中では、季節ごとに野草を摘む。「野草は食べられないものを覚えるのが大事です」と志田さん。毎年採ることができるように、採った場所と種類を覚えている。
野草は天日干しにして、自家製の天然ハーブティーをつくる。ドクダミ、桑の葉、レモングラス、ヨモギ、スギナ、背高泡立草など。そのときの気分でお茶を淹れる。二人の最近のお気に入りは、びわの葉と桑の葉とのこと。
ほどなくして、畑が見えてきた。
肥料と農薬を使わない自然栽培を実践している。育てているのは、桜島大根、麦、ショウガ、ワサビのほか、ニンニク、ジャガイモ、ゴボウ、ルッコラ、カブ、スナップエンドウなど。自然の恵みを受けた野菜は、どれも青々としている。
この日はスナップエンドウを収穫。採れたての野菜が、毎日の食卓に並ぶ。
畑中に広がるレンゲは、緑肥(りょくひ)といって、草を土に返すことで肥料がわりになる。また家ではハチの巣箱でハチミツをつくっていて、一面に咲くレンゲの花はハチたちの蜜源になるという。
志田さんは、「自然はよくできているんです。ひとつのことをして、いくつもの効果がある。いろんなところに作用して、何かにつながっていかないと持続しません。最小限の労力で最大限の効果を引き出すノウハウを考えています」と教えてくれた。
糸島に移住してシェアハウスを始めた理由
畠山さんは、もともと埼玉出身。東京の大学を卒業後、横浜に住みながらNGO/NPO支援・映画配給会社のユナイテッドピープルで働いていたという。
そんな彼女が、なぜ糸島でシェアハウスを運営しているのだろう。
最初のきっかけは、「東日本大震災だった」と振り返る。
「いざというときにお金は全然役に立たないと気がついてしまって。震災直後は、買い占めでものがなくなりました。電気がつかず道は真っ暗で怖かった。電車にも乗れない。いろんな大きな変化を体験しました」
「いかに自分がいろんなものに依存して暮らしてきたかを痛感しました。福島の原発で発電していたのは、私たちが何も考えずに使っていた電気でした。今後、首都直下地震が起こる確率も高い。このまま街に暮らしつづけることは果たしていいのかと」
2012年、会社が福岡に移転することになり、交際していた志田さんと移住を決めた。
最初は都市部に住んでいたが、移住先を探して車であちこちを回っていたときに、偶然「空き家」と張り紙が貼られた古民家を見つけた。
そこは、棚田があって星がきれいな場所に住みたかった畠山さんと、海の近くに住みたかった志田さんの両方の思いを完璧に満たすような場所だった。
築80年でかつておばあちゃんがひとりで住んでいて、3年ほど空き家だったとのこと。最初は売家だったが、半年後に貸家に変わり内見をしてすぐに引っ越しを決めた。
こうして2013年に、いとしまシェアハウスを始めた。
「この家と出会ったから、シェアハウスを始められました。人をたくさん連れてきてくれる、本当にすごい家ですよ。もともと薄暗い雰囲気でしたが、人が来れば来るほど、明るく美しくオープンな雰囲気になりました」
初めての本格的な田舎暮らしに不安はなかったのだろうか?
「めっちゃ不安でした。お金を失うのが怖くて。会社勤めからフリーランスになろうと思っていたタイミングでしたが、なかなか踏ん切りがつかず……。でも家を直したりするうちに、自分でも何かつくれるかもしれないと思えたんです。少しずつ自信を積み上げていきました」
失敗とプロセスをシェアすること
ちなみに、この納屋も以前は薄暗く物置のような状態だったという。
「大工インレジデンス」という企画で、シェアハウスの滞在費と食費を無料にして何人かの大工に滞在してもらい、大がかりなリノベーションを一気に進めてもらったそう。
あっという間に、カフェスペースのような温かい憩いの空間が誕生した。
何もかも自分たちでやらなければいけない環境で、古民家の掃除やリノベーションなどの楽しめるようなワークショップを企画し、プロフェッショナルや地元の人たちを巻き込みながら、一緒につくって前に進んできた。
志田さんは、「意外と人は何になるかわからないことが好きなんです」と笑う。
「古民家の片付けや土壁の漆喰塗りなどをワークショップにしました。一緒に屋根裏のゴミを出して、集落の神楽を見に行って、わいわいご飯を食べたりするんです。たくさんの人が来てくれました。参加費を、漆喰や木材の費用に充てることができました」
「その後も、『あれからどうなった?』と見に来てくれたりして。最初は手つかずの何もない状態でしたが、オープンにして人を巻き込んでいくことで、持続的に関わってくれる人が増えていったんです」
ワークショップと聞くと、専門家がノウハウを教えながら参加者が学ぶイメージがある。しかし、二人の場合は、参加者とともに一緒に学びながらつくっていく。
失敗は、自然とともに暮らす二人にとって財産だ。
畠山さんは、「失敗の中に、想像力を働かせるものが眠っています。『あれをしておけば、こんなに困らなかったよね』という学びがあるんです」と話してくれた。
すると志田さんも、「僕らが一番シェアしたいのはプロセス。完成したものを見せると、プロセスが抜け落ちてしまう。僕らと一緒に失敗も経験してほしいと思います」と重ねた。
自然の恵みともに生きるシェアライフ
同じ家に暮らすシェアメイトとの距離は、家族のような近さだ。毎晩、夕食は一緒に食べる。週に1回は田んぼや畑の共同作業をする。コミュニケーションを欠かさないことが大事だという。
入居者の募集は基本的にWebフォームから。これまで多彩なメンバーと時間を共にした。
整体師、バレエダンサー、音楽家、着物着付け師、大工、フランス語翻訳者、庭職人、Webデザイナー、パタンナーなど。地方で仕事をするためには、一人一芸を持ったフリーランスが多くなるとのこと。
1年未満の短期の移住体験もあるが、住民としての滞在期間は、基本は1年以上を単位にしている。
志田さんは。1年というサイクルについて、米づくりを意識していると話す。
「前の人がつくってくれた米を、次の人が食べるから。食べた分は自分たちで植えて収穫する。そうして次の人につないでいくんです」
「田舎暮らしは大変なことも多いですが、みんなでやると大変さが楽しさに変わるんですよ」と志田さん。
ある風が強い日に、田んぼで天日干しにしていた稲が倒れてしまったことがあった。みんなで急いで駆けつけて、重い稲を立て直す作業を1時間ほど……。このペースなら無事に終わりそうだと「よかったね」と言い合ったとき、突風が吹いてまた全部倒れてしまったそうだ。
畠山さんは、「もう大爆笑して帰りましたね。やべえやべえ! 帰ろ! 酒飲んで寝よう! と(笑)。もしひとりか二人だったら、嫌な気持ちになっていたかもしれませんが、みんなでやったから笑って終われたんです。次の日に直しに行ったんですけどね」と笑って教えてくれた。
2019年には、二人の間に赤ちゃんも生まれた。外出時にはシェアメイトが子どもを見ていてくれる。「親だけの世界にならないように。いろんな大人に触れてほしいです」と二人は微笑む。
食べ物、お金、エネルギーからの自立
今、いとしまシェアハウスの生活にかかる費用を尋ねると、1カ月に食費が6000円、光熱費が7000円、合計でわずか1万5000円ほどだそう。生活は「なんとかなる」と思えるようになった。
畠山さんは、「米は1年分備蓄しています。窯があって薪がある。湧き水がある。家は雨風がしのげている。しばらくはなんとかなるやろ!と。そういう気持ちになれることがすごく大事です」と説明する。
集落にいきなり移住して、地域の住民たちとはどう馴染んでいったのだろう。二人は「住人とのコミュニケーションを粘り強く行い、関係性を少しずつ構築していった」と話す。
「最初はとにかく話をしにいって、みんなでいつ集まっているかを聞きました。曖昧でわからないときは、次はいつやるんですか? と具体的に聞いてメモをして。何もできなくても顔を出して参加しつづけましたね」と志田さん。
畠山さんは、8年間に渡る糸島での生活を経て、都市部の消費を中心とした生活を次のように考察する。
「街での暮らしは、自分の決定権を誰かに委ねている状態に思えます。ものを売ってくれる人がいなかったら暮らしていけない。だから消費するしかない。そうするとお金を手放せなくなる。安いものを選ばざるをえない。その中には安い賃金で働かせた搾取によってつくられた商品もある。システム全体が悪循環ですよね」
「環境に優しいものなど、自分が使って気持ちがいいものを意識して買い物をする。それがダイレクトに社会を変えることだと私は思います。気持ちのいいお金のサイクルをつくっていきたいですね」
糸島での暮らしは、社会や消費のありかたへの問題提起でもあり、課題解決の実験でもある。
それでも畠山さんは、「8年続けられているのは、純粋にこの暮らしがすごく楽しいから」と笑みをこぼした。
誰もが暮らしをつくる実践者に「なる」
2020年からは暮らしのDIYキット「Be」という定期便をはじめた。「暮らしの手づくりキット」「キッチンで育てるスプラウトキット」「暮らしのおすそ分け」の3つが毎月届くサブスクサービスだ。
コロナ禍のさなかに、DIYキット「Be」は生まれた。
「私たちはずっと街と田舎をつなぐ活動をしてきました。でも今はコロナ禍で高齢の方が多く暮らす集落に、街からたくさん人を呼ぶことはできません。だったら、うちの暮らしを体験できるものをみんなに届ければいいんじゃないかと思ったんです」と畠山さん。
これまでのキットの中身は、海水からの塩づくり、味噌の仕込み、みつろうラップづくりなど。生活の中に取り入れられる“手づくり”が詰まっている。味噌屋さんなどの専門家に取材をして、読み物として同封することも。
畠山さんは、「毎回、試行錯誤をしながらアイデアを出している」と力を込める。
「海水から塩をつくるキットのときは、普通の海水だと塩分濃度が少ないので塩は少ししかできませんでした。だから庭の窯でガンガンに炊いて、濃度を高めた海水を送って、おうちで少し煮るだけで結晶が出てくるようにしました」
「素材や体験を編集しないと、街で再現できないんですよ。街の人は時間がないから、すぐにできないとつづけられません。できるだけ作業時間が少ないようにする。分量はこちらで測ったものを送って、最後に混ぜるだけにするなど簡単にできるように工夫しています」
そのプロセスはオンラインでも発信している。インスタライブでワークショップを開いて、一緒につくりながら質問があればすぐに答えるようにする。時間が合わない場合は、あとからアーカイブを視聴できるそうだ。
最後に、畠山さんに「Be」という言葉に込めた意味を聞いた。
「ガンジーの言葉で『見たいと思った変化にあなた自身がなりなさい(Be)』という言葉があります。自分が手を動かすことで、ものをつくるプロセスがわかる。自分自身がつくる当事者になっていく広がりをつくりたいと思いました」
時間に追われる街の生活を手放して、日々の営みのひとつひとつを実験し、つくり出していく。自然、エネルギー、そしてお金から自立した暮らしは、時間を溶かす体験にあふれていた。
いとしまシェアハウスの日常は、未来の生き方のヒントがたくさん詰まっていた。
Follow us! → Instagram / Twitter
(写真:川しまゆうこ)
1990年、長崎生まれ。フリーランスのライター。本の著者をはじめとした文化人インタビュー記事など執筆。最近の趣味はネットでカピバラの動画を見ること。
『DIG THE TEA』メディアディレクター。編集者、ことばで未来をつくるひと。元ハフポスト日本版副編集長。本づくりから、海外ニュースメディアの記者まで。企業やプロジェクトのコミュニケーション支援も。岐阜生まれ、猫好き。
若いころは旅の写真家を目指していた。取材撮影の出会いから農業と育む人々に惹かれ、畑を借り、ゆるく自然栽培に取り組みつつ、茨城と宮崎の田んぼへ通っている。自然の生命力、ものづくり、人の暮らしを撮ることがライフワーク。