毎日、目が覚めてから寝るまでの間、ずっとスマホかPCに張り付いている。

そうでない時間も、積んだまま読めていないKindleを片付けるように読んだり、仕事のために(と半分言い訳をしながら)Netflixを観たり、ゲームをしたりと、少しでも多くの情報を消化すべく、隙間を見つけてはそんな時間に身を委ねている。

数年前、空の上はまだ “安全地帯” だったが、今やWi-Fiが飛び交う時代。メッセンジャーやLINEでどこにいてもやりとりができるし、データの納品だってできてしまう。

大量の情報が濁流のようにやってきては流れに負けないように足を踏ん張り、咀嚼しようと努力し、手から溢れた情報を少しでも拾おうと必死になっている自分がいる。

だけどふと、自分のポジションが見えなくなる瞬間がある。

今の自分がどんな状態でどこに立っていて、人生のどこに向かおうとしているのか?

そう、「ゆったりと自分のために過ごす時間」が圧倒的に減っているのだ。

だから息もつけないほどハイになる情報社会の中で、一瞬歩みを止めただけで恐ろしいほど不安になる。

歩いていても、トイレにいても、食事中も、さらにお風呂でも、ベッドの中でも、寝てる時以外はひたすら情報の流れに身を委ねている。むしろそれが心地いいと思う瞬間さえある。

気づけば、「ながら」で複数の事柄を並行処理して、つい先日の食事ですら何を食べたかも覚えていないが、そんな忙しい毎日が「生きている」という実感を与えてくれる。

そう思い込んでいる。

もはや「ヤバい状態」だと気づけないくらいに。

テクノロジーは確かに生活を便利にしたが、そのテクノロジーに順応しようと自らも「アップデート」が求められる世の中になったとも言える。少しでも今に追いつけないと「情弱」と揶揄され、仕事や信用を取りこぼしてしまうかもしれない。そんなうっすらとした不安を抱え、ポーカーフェイスを装いながら「情報に溺れる」ような日々を過ごしている。

そんな「情報に溺れている」真っ只中で、DIG THE TEAを運営する「Project Infinitea」の立ち上げに関わることとなった。

元々、食とデザインを絡めた活動を行っていたこともあり「お茶」については興味があった。(コロナ禍以前の)プロジェクトの初期に、お茶の源流に触れておこうとメンバー数名で中国へと渡航した。

そこで僕は、日本ではあまり見られない、生活のリズムに組み込まれたお茶のシーンを垣間見ることになった。

例えば、ある会社の社長室。面会で通された場所には、お茶専用のテーブルが中央に鎮座し、ボタンひとつで給水と沸騰が完了するシステムが組み込まれている。社長オススメのプーアル茶を社長手ずから淹れながら、お茶とタバコを間において雑談する。

ある社長室にて。全自動化されたお茶テーブル。

またある施設を訪問した際、庭先に使い込まれた石造の茶盤が置かれており、ゆったりとお茶を楽しむ若い人の姿があった。

庭に置かれた茶盤。

バーやレストランの一角にも必ずお茶のコーナーがあったり、ホテルにも工夫茶(中国式のお茶スタイル)のセットが置かれていたりと、どこにいてもお茶が楽しめるようになっている。

街のカフェはどこも賑わっており、老若男女問わず、好きなお茶を楽しんでいる。

あるITハードウェア企業の社長室にて。最新デバイスに囲まれるオフィスの中に茶テーブルが置かれ、皆でお茶を楽しんでいた。

そこでふと気がついた。

中国では、「お茶」ではなく「時間」を喫しているのではないだろうかと。

お茶を媒介にしながら、会話を楽しむ。誰かとつながる。新しいものに目を向ける。そんなリズムを生み出すための「ゆったりと過ごす時間」が生活に根付いてるように、僕の目には見えた。

もっとボーッとしよう。

もっと時間をつぶそう。

あっという間に1時間も2時間も過ぎていくような、「逃避」ができる時間。

情報から離れて一息をつき、周りを見渡してみると「まだ発見されていない、新しく逃げ込める時間」に出会うチャンスは身の回りに溢れているのではないだろうか。スマホを持った手元に注目する時間を忘れてふと辺りを見渡したとき、実は見過ごしていた「心が溶ける瞬間」が見つかるのではないか。

そう考えるようになった。

日本に戻ってまもなく、新しい茶卓の試作を始めた。

中国で見た「お茶の時間」が生まれる源はテーブルにあると考えたためだ。

そこで考案したのが、日本の狭小空間に合わせて家具にも茶卓にもなり、欲しい機能を空間に合わせてグリッド状に配置できる「TransGrids(トランスグリッド)」と名付けた新しい茶卓システム。

30cm四方のコンパクトなボックス形状をフォーマットに、ガスコンロ、IH、シンクと、お湯を沸かしてお茶を淹れるための最低限な機能を有している。

また蓋を置くことによってサイドテーブルやローチェアとして使えたり、ボックス自体を縦に組み合わせると背の高いハイテーブルにもなる。

30cm四方でフォーマット化したTransGridsの試作第一弾

仕事の合間や来客時に「ちょっとお茶したいな」と思ったら、サイドテーブルにしていたTransGridsの蓋を外すとコンロが出現。すぐにお茶を淹れることができる。座位の場合は低いまま、立位の場合は縦に組み合わせることでハイテーブルに変わる。自分の馴染んだ空間の中で、シーンに応じて組み合わせを変え、居心地よくリラックスできる状態をサッと用意することで、お茶を飲みながらゆったりと溶けるような時間を生みだせる。

これはまだ試作段階の域を出ないプロトタイプではあるが、作ることで分かったことがある。中国訪問をキッカケに「逃避できる時間」が欲しいと願うようになったが、当然そう「考えるだけ」では前に進まない。

まずは「実験」によって行動を起こす。発見したことを発想に変え、具現化して共有する、という一連の流れを行うことで、わずかだが確実に、未来に向けた新しい一歩を踏み出すことにつながる。

メディアを実験の現場にする

DIG THE TEAは「サンドボックス型メディア」と称している。サンドボックスとはつまり砂場のこと。子どもたちが砂場を舞台に自由な世界を作り遊ぶように、メディア自体を遊び場にしながら、新しい「お茶の時間」のような心が溶けるひとときを発見したい。そういった想いを込めている。

日々のタスクから逃れ、没頭できる自分だけの時間。

大切な仲間や家族と、時を忘れ、リラックスできる時間。

同じ時間を過ごすことで育まれる、人と人がつながる時間。

そんな一息をつくことで生まれる、次につながるための「逃避できる時間」を見つけたい。あらゆる可能性を探るための「実験」を、好奇心旺盛で柔軟な遊び心を持ったdotsの方々と共に取り組んでみたい。

新しいシーンをいきなり作り上げるのは難しいが、実験なら失敗してもいい。むしろ失敗した方がいい。遊び場であるメディアを思い切り活用して、ひとつでもふたつでも世の中を豊かにするような「逃避できる時間」を作りたい。

そう考えて、特集「実験するDIG THE TEA」を立ち上げることとなった。

実験を進めるために大切にしたいこと

僕は、「実験」を支え、前へ前へと推進するために、大事な要素があると考える。

それが、「コト」「人」「舞台」の3要素だ。

アイデアだけでも、作り手だけでも、場所があるだけでも成立はせず、この三つが相互に絡んで、初めて新しいシーン作りにつながる実験が成立すると考える。

もう少し具体的に掘り下げていこう。

まず「コト」について。「コト」とはつまり、頭の中にあるアイデアが触れられたり体験できたりするかたちに具現化された事象のことを指す。

世の中の流れや日々の隅々に目を向けると、「新しい発見」が起こり(とくに、好奇心が豊かな状態だと多くの発見が起こる)、それが「発想」を促す。

僕が発想を起こす際に大事にしてる視点は、「“あたりまえ”と“違和感”を混ぜる」ということ。よく知っているネタや現象に、一見「違和感のある」視点や新しいアイデアを混ぜていく。そうすると、見知ったようなものが途端に鮮やかで魅力的に見える発想に変わるのだ。

発見によってもたらされる「発想の種」はかなりの数が生まれる。その中のいくつかのアイデアを、粘土のようにこねたりくっつけたり一部を切り離したりすると、初めは掴みどころのないフワフワした発想の種が、次第に具体性を帯びたイメージとなって現れてくる。

それらはスケッチや文章、サンプルイメージを集積させたムードボードなどに落とし込んでみることによって、徐々に見える形になっていくはずだ。

発想の種を、直接触れたり体験できる状態へと具現化させてみることで、個人の頭の中にある発想に、他人が直接アクセスができる「コト化」へつながっていく。

そして次の「人」。

コト化されたものは、おそらく大抵の場合、最初は小粒なことが多い。その粒を育て、大きくするためには、多くの人の協力が欠かせない。

ここで大切になるのが、仲間にしたい人と「雑談」をすることだ。

いきなり相談したい話をするのではなく、日々のことや考え方、興味のあるもの、最近あった出来事……など、ざっくばらんな話をすることで、お互いの関心やメンタリティ、人間性が見えてくる。

その中から、お互いに「この人となら一緒にやりたい」という共感が生まれると、いい連携が成立する。

さらにその「共感と連携」は、自分やチームの中にないカラーを持つ「異能者」をできるだけ集めていくといいだろう。

同じ方向性や能力の仲間が集まると、一歩目の踏み込みはたやすく、初期のプロジェクトも一見うまく進みがちだが、不思議とスケールせずに凡庸なものになることが多い。

違った価値観やスキル、経験のばらつく様々な異能者を混ぜて意図的に「ムラ」を生み出すことで、強く太くしなやかにコトが育つ“砂場”ができあがっていく。

コトが生まれ、人が集まったら、その現象化したものを披露する場所が必要になってくる。それが「舞台」。

育てた「コト」を舞台の上で披露し、異能者の集う「チーム」が舞台の上のあらゆる「体験」を設計していく。

今の時代、「舞台」には様々な選択肢がある。

展示会やイベントなどの直接的に人と触れる場所もあれば、YouTubeやInstagramなどの配信を活用したもの、VRやARを活用した体験装置、クラウドファンディング、書籍やWebメディアなどの情報媒体、SNS……など。

今向き合っているコトを最大限に生かすために、プラットフォームとの連動性を意識して、舞台を設計していく。

舞台で新たな体験が生まれ、そのプラットフォームに集う人に披露され、フィードバックがあり、その一連が糧となり「コト」がさらに育っていく。

舞台の訪問者や関与者が、新しい縁をつなぎ、強力なパートナーや応援者となって増えていく場合もある。

「コト」「人」「舞台」。

アイデアの社会実装を目指しながら、関わるメンバーの成長や関係性が深くなるよう適した舞台を作り、「遊ぶように」実験をする。3要素が絡み合い循環を繰り返していくことで様々な価値と縁が生まれ、ムーブメントに育っていく。

また、実験を通じて枝葉となって伸びたアイデアが「新しい種」となり、別のコトが生み出されるキッカケとなる。

使われなかったアイデアが別のプロジェクトで活かされたり、深まった関係性で仕事が生まれたり、想像もしなかったステージへの扉が開くこともある。

そういった新しい種や芽の「別のストーリーへの道筋」を見逃さずアクションを繰り返し起こすことで、新しい可能性が拓かれていく。

特集「実験するDIG THE TEA」においては、「時を溶かす体験」を「多様なdotsたち」とともに「オンラインやオフラインに限らない自由な舞台」で実験していく。そのプロセスを、コンテンツにして紹介していきたい。

好奇心と想像力が、溶けるような時間を作る

情報化社会やテクノロジーの進化は、私たちに日々の逃げ場をなくす際限のない忙しさを生んだが、そのおかげで世界中のあらゆるナレッジとスキルが拡散し、できること、学べることの選択肢が増えたのも事実だ。

プラットフォームが多種多様な現在においては、プロフェッショナルとアマチュアの境界が溶け、誰しもがプレイヤーや発信者になれる。

また、ニッチなもの、パーソナルなもの、ジャンルレスなもの、古さが新しい価値を生むもの……などが顕在化しやすくなり、様々な場面や空間で自分の嗜好性に合ったものに出会いやすくなっている。

学びや表現の多様さ、プラットフォームの多様さ、嗜好性の多様さ。

その現代の利点をうまく生かしながら、新しい「時を溶かす体験」を見つけていく。

人の好奇心と想像力は、果てのない海のようなもので、その広がりには際限がない。

誰もが持つその能力を、蓋をすることなく開放し、自分たちが望む世界を空想する。

実験をくり返し、失敗も許容し、果てしない好奇心と想像力で足りない部分を補完する。

あっという間に時間が過ぎ去る、心が溶けるような「お茶の時間」を創りだそう。

もっとボーッとしよう。

その時間はすでに、日常のあらゆる隙間に隠れている。

※もし本エントリーを読んで共に実験したい方がいたら、以下の応募フォームよりご応募ください。皆様からの応募、お待ちしております。

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  • 著者:
    望月 重太朗
    武蔵野美術大学 基礎デザイン学科卒。博報堂アイ・スタジオを経て、2019年にデザイン、教育、R&Dをテーマとした REDD inc.を設立。クリエイティブディレクターとしてサービス/プロダクト開発、新規事業開発、デザイン戦略開発、クリエイティブ教育プログラムの開発、海外との協業によるデザインメソッド開発などに従事。UMAMI Lab等、食領域のデザイン活動にも携わる。
  • 編集:
    笹川ねこ
濁流のように去りゆくこの時間を、心が溶けるひとときに。