透き通ったブルーの海に、緑鮮やかで雄大な森林。
福岡・糸島の自然に囲まれたこの地で、DIYした工房を構えるのは、デザインエンジニアのダグラス・ウェバーさんだ。
かつて、Apple本社で、世界的な大ヒット商品となったiPod nanoを始めさまざまなプロダクトのリードメカニカルエンジニアを担当していた。
いまは自身の会社「Weber Workshops」で、コーヒー豆を挽くグラインダーをはじめとした器具を開発している。
新商品「KEY Coffee Grinder」で実施したクラウドファンディングで、3億円を優に超える支援金を集め、コーヒー関係のプロダクトの記録を更新し、世界的な注目を集める。
なぜ糸島の地で、コーヒ器具を手がけるのか? “世界一”のプロダクトを生み出す条件とは? 自然や生きものと向き合いながら、プロダクトを通じて心が溶けるひとときを生み出す、ダグラスさんを訪ねた。
糸島から生まれる最先端のコーヒー器具
裏山を越えれば海辺が広がる場所に、ダグラスさんの工房はある。
通りに面した大きな門を押し開くと、数羽のニワトリたちが集まってきて出迎えてくれた。
敷地内で飼っている猫が、工房からこちらを覗いている。
ダグラスさんの工房は落ち着いたカフェのよう。キッチンには数々のコーヒー器具が並べられている。窓を眺めると、裏山から木漏れ日が降り注ぐ。
さっそくダグラスさんは、私たちにエスプレッソを淹れてくれた。
いつものように、自身が開発したグラインダーで豆を挽き、エスプレッソマシンで抽出。DIYした空間に、スタイリッシュなグラインダーが馴染む。
最後に、フォームミルクを注ぐとリーフをあしらってくれた。
香ばしい香りとキリッとした苦味。
その深い味わいと美味しさにほっとひと息つく。一杯のコーヒーで心が溶け、この空間に馴染めたように感じられた。
少年時代に過ごしたカフェの時間
アメリカ・カリフォルニア州出身のダグラスさん。コーヒーの魅力に出会ったのは高校時代だった。
「当時はおいしさというよりも、カフェで過ごす時間が好きだったんです。サンフランシスコ近辺で友達がバイトしているカフェがあって、そこで勉強をするのが日課だったんですよ」
「何時間もソファに座って勉強をしました。コーヒーはおかわり自由で、ちょっと休憩しようと思ったら人と話せる交流の場でもありました」
その後、スタンフォード大学で機械工学を学ぶ。子どもの頃から近所に日本人の友達がいて、日本文化に関心があったこともあり、京都大学に1年間留学した。
とくに陶芸文化に惹かれたダグラスさん。Apple本社からのオファーを辞退し、もう1年留学すると決めて九州大学へ。
糸島の山奥にある陶芸の工房に出入りし、勉強よりも陶芸に没頭した1年間だったが、ものをかたちにするプロセスの原点を学んだという。
20代、Appleで手がけた大ヒット商品の開発
留学を終えた2002年、再びApple本社から熱心なオファーが届いて入社。1年間、陶芸三昧の日々を過ごしたが、提示された年棒は上がっていたそうだ。
Apple創業者のスティーブ・ジョブズとともに、メカニカルエンジニアとして働く日々。いまや世界的な大企業となったが、当時はまだスタートアップの精神が息づいていたと振り返る。
「非常に面白い仕事をボンボン振ってもらいました。ひとり当たりの責任がまだ大きい時期だったんですよ」
「あくまでイメージだけど、当初はひとりで1台のプロダクトをすべて担当するような感じでした。今はひとりでボタン1つくらいかな。それくらいの役割分担の差があるんですよ」
20代で、リードメカニカルエンジニアを担当した商品は、世界的ヒットとなった。
「はじめて任されたプロジェクトはiPod nanoでした。当時一番売り上げに貢献する商品でしたが、26歳だった自分が任された。ハラハラしながらも、すごく楽しかった。いい仕事をさせてもらったおかげで、設計士として凄く成長できました」
激務のメンバーが大切にした「至福の5分間」
仕事は充実していたが、多忙を極め、全力疾走する日々。とにかく仕事の合間のコーヒーブレイクは何ものにも代えがたい時間だった。
「デザイナーの会議や打ち合わせは、必ずコーヒーから始まるんです。もう儀式みたいでした。多忙であればあるほど、その『至福の5分間』がすごく大切だなと思いました」
「僕はもともと機械が好きなほうでした。お茶も好きだけど、コーヒーの場合は、マシンをうまく扱うことによって、よりおいしいコーヒーを楽しめる。マシンとの一体感がすごく自分にしっくりきたんです」
入社2年目には、「いつかコーヒー器具をつくりたい」と思っていたそうだ。
「自分でつくりたいものをつくって世の中に出していくのが夢でした。当時、サンフランシスコなどのアメリカ西海岸では、サードウェーブコーヒーが世界に先駆けて流行り出した頃だったんですよ」
「コーヒーという文化を見直す真っ只中にいました。でも製品を買ってもイマイチだと思ったんですよね。だからいつか自分でつくりたいと。同僚とコーヒーを飲みながら、冗談のように『将来一緒につくろうよ』なんて話していましたね」
後に、Appleのプロダクトデザイン部のアジアチームリーダーに着任。
日本の技術を発掘して開発に役立てるために、東京や台北などの都市を行き来する日々。当時から福岡に古い家を購入し、週末に遊びに来ていたという。
「コーヒー器具をつくりたい」という思いは変わらず、2014年に独立し「Weber Workshops」を創業。2017年には、糸島に家族で移住した。
「世界一」のプロダクトを開発するまで
ダグラスさんは、プロフェッショナルのエンジニアとして、「世の中にこれに勝るグラインダーは絶対にない」という思いで設計している。
「クリーンでおいしい味を実現するためには、グラインダーの質は豆のよさと同じくらい重要なんですよ。精度を最大限に高めるのが僕の仕事です。すべての部分にこだわっています」
4月に発売されたばかりの最新のグラインダーも見せてくれた。ブラックのボディとレザーが調和したスタイリッシュなデザインだ。
そもそもグラインダーを開発したきっかけは、従来のグラインダーへの不満が大きかったからだ。
「業界内でコーヒーのグラインダーはこういうものだという思い込みがあって、進化することを全然考えられていなかったんですね」
「基本的に、(従来のグラインダーは)豆の挽き残りがあって掃除ができません。上部のホッパーに豆がいっぱい入っていて、山盛りで挽くんですよね。そしてスプーンで余分な豆を捨てるんですよ。地球の反対側からわざわざ送られてきた豆が無駄になってしまう」
「さらに器具を分解しない限り、掃除ができません。分解できないものもありました。だから、不衛生なのに何年間も掃除しないのが普通とされてきたんです」
ダグラスさんのグラインダーは、手動・電動ともに欲しい分量の豆だけを挽くことが可能だ。磁石つきの器具はすぐに分解でき、刷毛で吐き出すだけで、数秒で掃除することができる。
今までにないほど簡単な手入れで、清潔な状態を保つことができるのだ。
本当に「いいデザイン」とは何か
プロダクトを開発する上で一貫してこだわっているのは、無駄を削ぎ落とし、機能美を追求すること。ミニマルなデザインで世界を席巻したApple製品を想起させる。
「いいデザインとは?」そう尋ねると、次のような答えが返ってきた。
「地球に対して責任を持ってつくられているものです。世の中には数年で壊れるように計算されているものもある。リサイクルできない素材でつくる。それではまったく地球環境のことを考えていません」
「数年持つかどうかじゃなくて、余裕で一生持つこと。圧倒的にオーバースペックでものをつくって『これが人生で最後のものだ』というスタンスでいること」
「そうすると、消費生活から抜け出していける」と、ダグラスさんは力強く語る。
「高価だったとしても、毎日触れることをより楽しめる。長い間使えますよね。逆に安いものを短期間だけ使う消費の仕方がおかしいと思います」
ダグラスさんのグラインダーは、世界中から注文が寄せられ、日本のユーザーは1割ほどだという。著名なコーヒーの専門家が、YouTubeで「世界一」を評したそうだ。
ダグラスさんは、いまは周辺のコーヒ器具を手がけているが、「ゆくゆくはエスプレッソマシンをつくりたい」と将来の展望を語った。
最高のアイデアが生まれる環境
「なぜ糸島に?」。その魅力を尋ねると「都会への適度な距離感」と「自然の豊かさ」の2つを挙げた。
「Weber Workshops」のプロダクトの生産工場は台北にあるが、朝に自宅を出ても昼前に現地で打ち合わせすることができる。東京への日帰り出張も可能だ。
工房の裏山を抜けると海が広がっている。
「天気がよかったら海に行きます。昼休みに泳ぎに行くこともあります」
「海岸沿いを散歩しながら余念のない環境で深く考えると、いいアイデアに結びついていく。パソコンの前だとメールをするなど仕事に追われてしまいます。何もない状態で考えると、インスピレーションが勝手に湧いてくるんですよね」
「たとえ『すごい』と言われるものを作っていても、一歩外に出て海を見てみると、もっと全然すごいものがあるから。自分にはまったく再現できない。その事実はずっと忘れちゃいけないなと思っています」
ダグラスさんは、リサーチに時間をかけることはしない。最先端を走りながら、新しい発明のために大切にするのは、ただ「何もしない時間」を創りだすことだ。
最後に、仕事をしていて一番面白い瞬間はいつかを尋ねると、「新しい発明が思い浮かんだとき」だと即答した。
「『よしこれだ!』と思った瞬間の楽しさ。海沿いの散歩のときかもしれないし、車の運転をしているときかもしれない。いつかわからないけれど、大体何もしていないときですね。すぐに図面を描くんです」
「僕は経営もやっているけれど、やっぱり新しい発明をすることが仕事なんです。これまでになかった新しい仕組み・思考・ものを生み出していきたいと思っています」
社名に「workshop」を冠した理由を尋ねると、「いいものが生まれてくる場所は、ラボではなく、工場(こうじょう)でもない。ワークショップだと思ったから」だと教えてくれた。
「実務が行われる場所として、日本語に訳すと工場(こうば)。工場だと生産しかしない。『ワークショップ=こうば』だと、ものを考えたり、改善したり、コツコツやったりする要素が入る。規模感がちょうどいい」
チームの顔が見える距離感で自由に実験できる環境が、発明に必要な要素なのかもしれない。
人懐っこい猫は、私たちと一緒に話を聞いていた。
ニワトリたちは、裏山の木の実をついばみ卵を産むそうだ。
ダグラスさんは終始、自信に満ちた表情でものづくりへの思いを語ってくれた。自然体で余裕があって、話を聞いている私たちが力をもらった気がする。
大量消費が問い直されるいまの時代に、突き抜けたひとつのプロダクトを創り、人々の「時間」を変えていく。
糸島から世界のコーヒー好きへ。心が溶ける「至福の5分間」を支えるプロダクトが生み出される瞬間に出会った。
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(写真:川しまゆうこ)
1990年、長崎生まれ。フリーランスのライター。本の著者をはじめとした文化人インタビュー記事など執筆。最近の趣味はネットでカピバラの動画を見ること。
『DIG THE TEA』メディアディレクター。編集者、ことばで未来をつくるひと。元ハフポスト日本版副編集長。本づくりから、海外ニュースメディアの記者まで。企業やプロジェクトのコミュニケーション支援も。岐阜生まれ、猫好き。
若いころは旅の写真家を目指していた。取材撮影の出会いから農業と育む人々に惹かれ、畑を借り、ゆるく自然栽培に取り組みつつ、茨城と宮崎の田んぼへ通っている。自然の生命力、ものづくり、人の暮らしを撮ることがライフワーク。