ひとくち飲んだお茶の味に驚愕する。
「これ、お茶ですか?」と思わず訊ねてしまうほど。
旨味が凝縮された深い味わいのそのお茶は、まろやかで苦味や渋みは感じられない。まるでナチュールワインを思わせる、芳醇な甘さも秘めていた。
ほんのひとくちに、これほどの旨味が詰まった飲み物に出会ったことがなかった。その味を「雑味のない上質な出汁(だし)」と表現した人もいた。
これまでに味わったことのない特別な茶体験となった。
お茶を淹れてくれたのは、京都・祇園で鉄板焼きのフレンチレストラン「MAVO∞(マヴォ インフィニティ)」を営むオーナーシェフの西村勉さん。ひと皿ひと皿の料理とお茶をペアリングして提供する「ティーペアリング」の第一人者だ。
「日本が世界に誇る茶文化を、国内外に広めたい」
西村さんは、そんな思いからティーペアリングを発案。料理人として食のあり方を極めていくなかで、日本茶に出会い、奥深い世界を探求してきた。
MAVO∞ならではのコース料理が織りなす時間芸術と、心踊るティーペアリングの世界を探訪しよう。
「まず食材の声を聞く」
MAVO∞のメニューは本格フランス料理でありながら、和の暦、七十二候にもとづき、京都の季節を料理で表現する。
七十二候は、季節の二十四節をさらに五日間ずつ(初候・次候・末候)に分けたもの。MAVO∞では全国から取り寄せた旬の食材を使い、そのときにしか味わえない季節の繊細な移ろいを感じさせる料理をコースで提供している。
食材はすべて信頼している生産者に任せ、こちらから具体的な指定はしない。
「届いた箱を開けたら、まず食材の声を聞きます。どうすれば美味しく調理できるのか、食材との対話のなかで自然とインスピレーションが湧いてくるのです」
食材ひとつひとつの命に感謝をしながら、調理した繊細な一品。その料理に寄り添うように、日本茶を柱にハーブやスパイスを組み合わせたさまざまなお茶をペアリングしていく。
私たちが訪れた3月のコースは、はじめから驚きに満ちていた。最初のお茶は、スパークリングワインを思わせる微発泡の阿波晩茶。
乳酸菌で発酵させる珍しい製法の阿波晩茶をベースに、林檎のビネガー、カルダモン、レモングラスなどのハーブを配合させたもの。真鯖と春の野菜、柑橘の果物を合わせ白味噌をベースとしたカルパッチョとのペアリングだ。丁寧に添えられたエディブルフラワーが初春を感じさせた。
お茶とのペアリングが、真鯖のうま味をより一層引き出してくれる。
お酒を飲める人と飲めない人の間の「見えない壁」
煌びやかなワイングラスに注がれたお茶は、まるでお酒のようだが、すべてノンアルコールだ。
西村さんは15年前、ホテルのフレンチレストラン料理長を退職後、自身が目指す料理の世界を追求しようと小田原に小さなフレンチレストランを開いた。
その頃から、あるジレンマを抱えていたと明かす。
「料理を提供する立場でお客様を見ていると、お酒が飲める人とそうでない人の間にいつも見えない壁があった」
「お酒を飲んでいる人は、コースが進むにつれて話し声や笑い声が朗らかに変化していく。一方で、お酒が飲めない人は、どこか遠慮がちで後ろめたそうに見えたんです」
西村さんは、「同じ空間の中で、お酒が飲める人と飲めない人の距離をもっと縮めて、食事の体験を共有しあえるにはどうすればいいのだろう」と考えるようになった。
当然、メニューにはソフトドリンクも用意していた。ただ「ジンジャーエールやフルーツドリンクに含まれる糖分が、食事には邪魔なのではないか」とも感じられた。
お酒が体質に合わない人のほか、飲みたくても飲めないドライバーや妊婦など、事情があってお酒を控えている人は多い。本格的なノンアルコールドリンクの需要は高いはずだ。
美味しい食事には、仕方なく選ぶソフトドリンクではなく、価値のある一杯を。西村さんは考えを巡らせていった。
京都で出会った「一杯の玉露」
2014年に妻の故郷である京都の祇園の地で、フレンチレストラン「MAVO」をオープンした西村さん。開店ほどなくして、料理人としての人生を大きく変える出来事があった。
オープンして間もないMAVOを訪れたのは、1860年から続く宇治茶の老舗、祇園辻利の人だった。
「50度のお湯を用意してもらえますか?」
そう言って、彼が丁寧に淹れてくれた宇治茶の玉露をひと口飲んだ西村さんは、あまりの美味しさに衝撃が走ったという。
「長年、ノンアルコールドリンクを模索していくなかで、点と点がつながった瞬間でした」
糖分を含まず食事を邪魔しないノンアルコールドリンク。味わい深く、食事とともに楽しめる価値のある一杯。それが、京都で出会った宇治のお茶だったのだ。
「同時に、自分を恥ずかしくも感じました。私は日本人でありながら、フランスの食文化や舶来の新しいものにばかり目を向けてきた。日本には、こんなに素晴らしいお茶の文化があることに、なぜ気がつかなかったんだろうと」
それまでは、どこか“京都らしく”あらねばならないとプレッシャーを感じていたという。
「京都という街の空気感に飲まれてしまう怖さと、ここでフランス料理をやることの難しさを感じていました。どこか“和”にとらわれすぎていたんです」
「心にブレがあると料理にも現れます。素材と会話ができなくなり、集中力にも欠けて、料理人としての感覚が鈍るような時期がありました。フランス料理のシェフでありながらヨーロッパでの修行経験もないことが、コンプレックスになっていたのかもしれない」
そんなときに出会った一杯の玉露が、西村さんの心を溶かしてくれた。
「ああ、自分は日本人だなと思ったんです」
「素直に受け入れられたことで、ティーペアリングを極めようと前を向けた。心の迷いも消えてなくなった今は、しっかりと根を張って、軸がブレることもありません」
最上級の茶葉で、ブレンドと抽出を研究
日本茶に魅了された西村さんは、MAVOのメニューにティーペアリングを加えた。何種類もの茶葉のブレンドと抽出を繰り返し、研究を重ねる日々を送った。
そんなある日、西村さんのSNSにメッセージが届いた。
「あなたに、ぜひ飲んでいただきたいお茶があります。すぐにお会いしましょう」
メッセージをくれたのは、茶農家の五代目として宇治伝統製法を受け継ぎ、茶を極める辻喜代治(つじ・きよはる)さん。辻さんは、てん茶の部で農林水産大臣賞など多くの受賞歴をもつ茶の芸術家だ。
辻さんは週に1度はMAVOに自ら通い、ティーペアリングを追求する西村さんに、茶の淹れ方のレクチャーとテイスティングをしてくれたという。
全国各地から食材を集めるたくなる“料理人のさが”で、静岡、鹿児島、八女など茶の名産地から茶葉を取り寄せて奮闘していた西村さんに、ある日、辻さんはこう告げた。
「まずは宇治だけを見てください。あなたのために間違いないものを調達します。どこにも流通していない入手不可能な上質な茶葉ばかりです」と。
江戸時代から続く茶農家と問屋との繋がりや、代々決められた相手や特別な献上茶ではない限り出回ることはない宇治茶があることを、辻さんは教えてくれた。
煎茶、かぶせ茶、玉露、てん茶、抹茶……。辻さんは、宇治の最上級とされるシングルオリジンの茶葉を西村さんに託してくれた。
その後、辻さんは最高峰といわれている農林水産祭天皇三賞を受賞。
「もし受賞後にお会いしていたら、相手にしてもらえなかったかもしれませんね。タイミングとご縁に感謝です。当店では間違いなく、世界中のどこへ行っても飲めないお茶をお出ししています」と胸を張る。
「和食では、食事中にお茶を飲むことがマナー違反とされてきた背景があり、これまで食事中にお茶を嗜む文化はあまりなかったと思います。お寿司のあがりや食後の甘味のときくらいでしょう。お料理に合う誰もが楽しめるお茶を、食事中に嗜む。このスタイルを追求したいと思いました」
急須で淹れるお茶にこだわらず、お湯から水出し、水出しから氷出しへ。
西村さんの職人気質が功を奏し、試行錯誤を重ねた結果、雑味がなくクリアで旨味がたっぷりと出た美味しいお茶を作り出すことができた。
味わいに立体感を出す、究極のマリアージュ
MAVO∞では、ティーペアリングのお茶を7種類用意している。
その日の食材に合わせて抽出して作られるが、ブレンドの内容もわずかに調整して、ボトリング。冷蔵したボトルを、やや常温に戻した状態でグラスに注がれる。
これらはワインを嗜むように少しずつゆっくりと味わう。食とお茶の共演を存分に味わう、ティーペアリングの愉しみ方だ。
西村さんは「3つのS」を基準に、料理とペアリングしているという。
「①シンクロ=同調効果」、「②サブリム=引き上げ効果」、「③シナジー=相乗効果」の3S。
この3つの効果をコースに取り入れることで、味わいに立体感が生まれるのだ。
この日のコース料理のメインは、最高ランクの佐賀牛ヒレ肉の赤ワインソース。
果たして、このお肉に負けない、お茶のペアリングとは何か。
目の前に注がれたクロスグリ、クランベリー、イチジク、ブラックペッパー、八角などをブレンドしたほうじ茶ベースのお茶。まるで赤ワインのような鮮やかな見た目。何層もの味わいを楽しめる複雑さがあった。
果実味とスパイスの香りが、お肉の熟成感と香ばしさをふわっと際立たせてくれる。
ペアリングによって生まれた味わいと後を引く余韻。これこそが、「シンクロ」「サブリム」「シナジー」が計算され尽くされた、“究極のマリアージュ”だ。
しあわせなサプライズが続く。ここにしかない体験を味わい尽くした。
コロナ禍にたどり着いた新たな場所
西村さんを苦悩させたのは、新型コロナウイルスだった。2020年4月の緊急事態宣言をきっかけに、MAVOを閉店する決断をした西村さん。それから約1年、再起を図るために祇園の新店舗に向けて準備を進めた。
新店舗の1階はオープンキッチンのレストランフロア。カウンターの前には大きな鉄板が広がる。ドイツから取り寄せた最新の換気システムを導入し、食事中の飛沫対策をするなど、コロナ禍の飲食店の安全性にもこだわった設計だ。
コロナ禍で、飲食店では酒類の提供に制限がある状況が続いている。期せずして、ティーペアリングはwithコロナの時代にフィットした食の愉しみ方とも言える。
さらに西村さんは、飲食業界の常識に囚われることなく、新店舗を週3日の営業にする決断をした。
「料理だけに執着することが美学ではなく、多様で新しいものを取り入れるためには余白が必要です。ティーペアリングの普及のために、新規事業にも力を入れたい」と前を向く。
そのため、2階は店舗と切り分け、実験できるラボにして、新たなアイデアを日々試している。1Fの雰囲気とは異なり、ワークショップなども開催できるサロンのような空間にしたという。
開発そして蓄積したティーペアリングのノウハウを、他の飲食店でも役立て欲しいという願いのもと、その技術を習得できる講座を2021年8月に開校した。
フレンチとティーペアリングの探求の末に、新たな始まりの場所を見つけた西村さん。今どんな未来を描いているのだろう。
「もう自分を高めたり、この店を有名にすることには興味がないんです。花を咲かせて果実を実らせることを急ぐのではなく、根をもっと太く長く伸ばしていくことのほうに尽力したい」
「世界中の人に日本茶の魅力を知ってもらうために、ティーペアリングをカルチャーとして根付かせる。日本茶の生産者への恩返しになれるように」
京都から世界へ。ティーペアリングの魅力を伝える伝道師に会った。
新たな「お茶の時間」を探求するDIG THE TEAとのコラボレーションも楽しみだ。
(写真:川しまゆうこ)
お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。
『DIG THE TEA』メディアディレクター。編集者、ことばで未来をつくるひと。元ハフポスト日本版副編集長。本づくりから、海外ニュースメディアの記者まで。企業やプロジェクトのコミュニケーション支援も。岐阜生まれ、猫好き。
若いころは旅の写真家を目指していた。取材撮影の出会いから農業と育む人々に惹かれ、畑を借り、ゆるく自然栽培に取り組みつつ、茨城と宮崎の田んぼへ通っている。自然の生命力、ものづくり、人の暮らしを撮ることがライフワーク。