お茶には、一煎め、二煎め、三煎め…と湯を注ぎ足すことで、ともに味わう人との濃密な時間が育まれていく、不思議なパワーがある。

少しずつ身体が温まり、心がほぐれ、少しずつ会話が増えていく。そんな“心身がじんわりと溶けていく”ような体験型の茶寮があると聞き、東京の浅草鳥越で「菓子屋ここのつ」を主宰する溝口実穂さんをたずねた。

「ここに来てくださる方の季節になれることが、この場所の存在意義だと考えているので、私が作るものがその方の『糧』になれば嬉しいです」 

そう語る溝口さんが手がける、糧菓(りょうか)に会いたくてーー。

薄暗い茶寮で、湯の音に耳を傾け、茶葉の香りを吸う

下町では見慣れた古民家。一歩足を踏み入れると、そこには薄暗く静かな空間が広がっている。

ここが茶寮であるかどうかは、ろうそくの光と、少しずつ暗がりに慣れていく目で、ゆっくりと捉えていった。

ここ「菓子屋ここのつ」の茶寮では、2時間のコースで、料理的要素と菓子的要素が合わさった“糧菓”5皿と、それぞれの対になるお茶が供される。

WebサイトInstagramだけで告知される糧菓のコースは、朝8時に予約が開始されるやいなやすぐに定員が埋まる人気ぶりだ。ひとりで愉しむお客さんも多いという。

そんな「ここのつ茶寮」の舞台は、溝口さんが茶杯に注ぐ湯の音に耳を傾け、湯気ととも立ち上る茶葉の香りを存分に吸い込むことでスタートする。

この日、溝口さんが茶さじとして使用していたのは、沖縄の散歩道で出会った名もなき枝。か細くも、手と茶葉を繋ぐようにしなり、道具のひとつとして馴染んでいた。

溝口さんは、沖縄で出会った枝を、東京への飛行機の中でも、折れないように手で持ち帰ったと笑う。

一つ目のお茶は、日本の最南端のお茶園と言われ、沖縄県名護市で60年以上続く「金川製茶」が、無農薬で作る紅茶専用品種「べにふうき」。

台湾に近い沖縄では、本州よりも新茶の時期が早く、台湾茶のような香りと甘みが強く感じられ、渋みがまったくないと溝口さんはいう。

「ウンカという虫が嚙むことで茶葉の発酵を促し、甘い香りと華やかな味わいが生まれます。日本の紅茶だと三煎くらいで力が尽きていくのですが、沖縄は太陽や土の力が強いのか、台湾や中国のお茶のように煎が長いのも特徴です」

薄明かりの中でも見てとれる、使い込まれた茶器の渋みは、「月日の重なりと捉えている」と話す溝口さん。

「今使っている茶器のほとんどが、陶作家の安藤雅信さんのもの。この片口は一滴もこぼれることがなく、本当に考えられた作りなんです」

「以前は、古いものが大好きで、茶杯も中国や日本の骨董を使っていたのですが、使い始めはお茶で煮るなど、なんとか古い香りを飛ばしてお茶に慣らすまでが大変でした。安藤さんの作る茶杯は、お茶が美味しく淹れられるよう研究された釉薬や土を使用しているので、始めからすっと馴染んで、迷わず手に取ってしまいます」

食べた人の「糧」になる存在・茶寮でありたい

小さな頃からお菓子作りに親しみ、中学時代には八角先輩の名前に憧れたと笑みをこぼす溝口さん。

後に料理も学んだ彼女が茶寮でふるまうのは、和菓子でも洋菓子でもない、四季と素材に向き合う唯一無二の「糧菓」。

実は、この名前の名付け親も、安藤さんだと明かす。

「物心がついたときから、小豆を炊いていたこともあり、自分の中で小豆を使ったお菓子を作るのはとても自然な流れでしたが、一般的には練り切りや大福だけが『和菓子』だと認識されているとは思ってもみませんでした」

「当初『和菓子のコース』として始めたところ、『練り切り菓子のようなものが5皿も出てくるなんて甘くてしつこいのでは?』という意見を耳にして、初めて『和菓子』の捉え方の違いに気づき、その頃から、私が作るものを『和菓子』と言いづらく感じるようになって……」

そもそも「和菓子」は、明治時代に日本へ西洋菓子が持ち込まれたときに区別するために生まれた言葉。それまでは、いわば日本のお菓子はすべて「和菓子」だったとも言える。

「安藤さんと初めて会ったときに、私の作ったお菓子を食べてもらったのですが、『これって、もはや和菓子じゃないよね』とおっしゃったことで、やっぱり……と図星をつかれた感覚があったのです」

「でもそこで、安藤さんは『別にがっかりすることではなく、新しい名前をつければいいんじゃない?』と、“糧菓”と名付けてくださった。和菓子の枠にとらわれることなく、料理とお菓子の境がなくなって、すっと腑に落ちました」

甘くなくてもいいし、何を使ってもいい。そんな糧菓の自由さは、溝口さんの手技に拍車をかけた。

「自分が心地よいものを作っているので、大きさまで考えたことはなかったのですが、『糧』は一定の大きさを意味することもあり、私のつくる糧菓はある程度同じ大きさに収まっているようです。安藤さんからも『ある程度同じ大きさだよね』と言われ、自覚しました」

本日の糧菓は、熟成した白花豆を、レモングラスで炊いたもの。

「白小豆は年々、温暖化の影響などで作りづらくなってきているそうで、生産者さんから相談されたことがありました。その方の敷地内には「室(ムロ)」があるので、素人ながら、『早めに穫っておいて、室で熟成してみたらどうですか?』と思いつきでお伝えしてみたところ、早速試してくださって、それがとても美味しくなっていたんです」

その白花豆をレモングラスで炊き、台湾から仕入れた蓮根のデンプンで包み、周りをプルンッとモチモチの食感に。蓮根餅を浮かべるスープは、カルダモンの葉をベースに、レモンマートル、シナモン、生姜、黒胡椒、島とうがらしと、ひとかけらの完熟梅で、シロップのようなとろみを構成している。

ふっくらと炊かれた白花豆はみずみずしさが生きていて、ピリッとした島とうがらしの余韻まで楽しめる一皿だ。

天衣無縫の発想から生まれた糧菓は、自然の恵みを五感で味わうひとときを生む。

「『糧』は、『米』偏に『量』ると書いて、『かて』とも読みます。『ここのつ』を始めた頃から来てくださっている方々は、毎月ここに来ることで季節を味わってくださっていて。その方の季節になれることが、この場所の存在意義だと考えているので、私が作るものがその方の『糧』になればうれしいです」

二煎目、三煎目、四煎目の変化を味わう

二煎目が注ぎ分けられると、「べにふうき」の味はグッと濃くなり、蜜のような甘みが溶け出していた。

「力が弱いお茶でも蒸らせば力は出てくるのですが、こういった力の強いお茶ですと、煎の流れで愉しめますし、茶葉に負担がかからないので、面白いですよね」と溝口さん。

三煎目は、少し温度をあげて。トロりとした舌触りが生まれ、私たちも気づけば少し饒舌になっているのを感じる。溝口さんの茶寮から生まれる、お茶の時間だ。

「もともとたくさん話すタイプではないのですが、この茶寮があるおかげで、糧菓を通してお話することができますし、永遠と話していられそうな気すらします。大好きな写真と同じかもしれません。何かフィルターがあることで自分を出すことができるんだと思います」

「お茶だけで合わせるのも好きですが、お菓子を作っている人間なので、さまざまな組み合わせを愉しみたい」

そうつぶやいた溝口さん。なんと四煎目は、今年作った自家製の梅シロップと合わせることに。

酸っぱい完熟梅を漬けたという梅シロップは、ほんのりピンク色で、コクのある甘みと果実味が層を成す深い味わい。紅茶とトロッと混ざり合う時間は、その場にいる者の心を溶かしていくようだった。

うつくしい四煎目を飲み干したとき、溝口さんにとっての「心を溶かす時間」を尋ねた。

「食の世界に身を置いていますが、昔から、食べることが好きで作っているわけではないんです。どちらかというと、自分が作ったもので人が喜んでくれたり、家族円満になったり、とにかくみんなが笑ってくれたり幸せそうな姿を見ることが、自分にとっての『心が溶ける時間』です」

「ですから、皆さんを私がもてなしているようで、むしろ自分が癒してもらっています。月の大半は茶寮を開催していますが、何もしていないと逆に疲れるというか、私自身の“心の糧”にもなっているのだと感じます」

2つめのお茶は、石垣島の野菜農家さんが作った、ホーリーバジル(オオヤトゥルシー)と呼ばれるハーブ。

色はごく薄いが、記憶力や免疫機能が高まったり、ストレスをやわらげたりと、さまざまな効能が期待できると言われ、体の隅々にじんわり流れていくのが感じられた。

茶寮は、“時間芸術”を愉しんでもらう場所

ろうそくの灯りは、時の終わりを告げようとしていた。

小さな炎に揺られながら、口福に酔いしれた2時間。

最後に、お茶と糧菓によってもたらされる茶寮という名の体験型の舞台を、溝口さんは『時間芸術』という言葉で説いてくれた。

「東京はとくに、毎日忙しく働いていらっしゃる方が多いですし、働かないとやっていけない近頃。最初に茶寮へ入ってきたときの香りや、薄暗さに目が慣れてきたときの感覚など、普段は味わうことのできない非日常を五感で味わってもらいたいと考えています」

「それは、皆さんが食べ進まないと始まらないもの。この2時間は、皆さんありきで作られる芸術だからこそ、お茶と糧菓でつくる『時間芸術』という呼び方をしています」

写真:西田香織

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  • 著者:
    藤井 存希
    editor/writer 大学時代に受けた食品官能検査で“旨み”に敏感な舌をもつことがわかり、国内・国外問わず食べ歩いて25年。出版社時代はファッション誌のグルメ担当、情報誌の編集部を経て2013年独立。現在、食をテーマに雑誌やWEBマガジンにて連載・執筆中。
  • 編集:
    笹川ねこ
濁流のように去りゆくこの時間を、心が溶けるひとときに。