無色透明のジンをグラスにやさしく注ぐと、その音が部屋中に静かに鳴り響く。
さて飲んでみようと鼻を近づけた瞬間に、従来のお酒とはまったく違うことに気づく。
「瞑想としての飲酒体験」をコンセプトに掲げる、クラフトジンの「HOLON」。
東洋と西洋のハーブとスパイスのやわらかな香りで、心と身体がととのう時間を届ける。
忙しい日常の狭間に、クラフトジンで届けたい時間とは何か。 自分と向き合う嗜好品としてのお酒の楽しみ方を探究するHOLONプロデューサーの堀江麗さんに開発の歩みを聞いた。
「飲む香水」心をととのえる香りの秘密
ジンは大麦、ライ麦、ジャガイモなどを原料とした蒸留酒をベースに、スパイス、ハーブ、薬草類などを加え、さらに蒸溜して作られるお酒。オランダで、解熱・利尿用の薬用酒「ジュニエーブル」として誕生したものが起源といわれている。薬用酒とはいえその味わいが多くの人々に好まれたため、より洗練されたドライ・ジンとして進化した。
HOLONは、国際中医学薬膳師の塚本紗代子さんの監修のもと、身体にやさしいスパイス、ハーブ、柑橘類の皮など、12種の植物が調合されている。
「飲む香水」ともいわれるジンだが、堀江さんの香りへのこだわりはひときわ強い。
ここでHOLONオリジナルのボトルを開ける。
リラックスを誘うのは、甘やかでオリエンタルなシナモンの香りに加えて、「東洋のバニラ」と言われるパンダンリーフに、バラのような香りのハマナス。そこにローズマリーと、山椒のような風味のマーガオも加わる。
いくつもの素材が調和した繊細な香りに、ふうっと全身から力が抜けて、心が安らぐ感覚が得られる。
「ジンはボタニカルの調合の自由度が高いんです。HOLONは、気持ちが上がるというより、下へと静かに下降するダウナー系の香りになっています」
ひと口すすると、抜群のおいしさ。絶妙な甘みと爽やかさが口中に広がる。
ジンとしては低アルコールの約35度。お酒特有の重さはなく、ほんのりと軽やかで、身体中に水分が染み渡るような心地だ。
HOLONにはオリジナルに加えて、季節を表現したシーズナルのシリーズもある。
最新の「春 <桜>」は、桜の葉をメインに、杏仁、ココナッツ、トンカ豆などを加えて、華やかな香りに仕上げたという。口に含むと、ほのかに香る桜餅のような香りが春の記憶を呼び起こす。
堀江さんに飲み方のおすすめを聞くと、「まずはジンのそのままの香りを存分に楽しめる定番のソーダやトニックウォーターで割ってみてほしい」とのこと。
そして、HOLONには「お茶割りもおすすめ」と続ける。
「オリジナルには、ジャスミン茶、烏龍茶、コーン茶など、明るいトーンのお茶が合います。シーズナルシリーズの春には、煎茶、緑茶など滋味のある、焙煎や発酵のプロセスのないスッキリとしたお茶が合いますね」
飲むのに理想的なシーンは、一日の終わりの睡眠に向かっていくタイミング。堀江さんは「食後やお風呂の後など、ちょっと一服したいと思うときに飲んでほしい」と話す。
「香りは五感に訴えかけるので、すごく自分に集中できるんですよね。意識が内に向いていきます。自分と向き合う時間。とても面白い飲酒体験になると思います」
飲み会と対局にある、自分と向き合う飲酒体験
「HOLON」とは、古代ギリシア語で「全体と部分の調和」を意味する言葉だそう。心と身体の調和に寄り添うクラフトジンでありたいという想いを込めた。
「社会、家族、コミュニティ、人体などもそうですね。いろんな機能が詰まっていながら、ひとつのものとして機能していることをイメージしています」
その大きな特徴は、香りや味へのこだわりはさることながら、ライフスタイルに合った飲酒体験自体をデザインしたことにある。
原点は、堀江さんが抱いた“飲み会”への違和感だった。
「私は大学時代から大人数の飲み会が苦手でした。たくさんの量を飲めないし、一気飲みする飲み会の“コール”がとても苦手で…..。だから“飲み会=コミュニケーション”の舞台から排除されているように感じていました」
そんなときに出会ったのがジンだった。
新卒入社したGoogleでマーケティングの仕事をしていた2018年の冬、堀江さんは友人たちと東京・渋谷にある「The Flying Circus」というバーに入った。店内には世界中のジンとトニックウォーターが並ぶ。堀江さんは、ここでの飲酒体験に衝撃を受けたという。
「香水を選ぶような感覚で、ジンとそれに合うトニックウォーターを選ぶんです。初めてお酒を全身で楽しめた。これほどお酒の解像度が上がった体験はありませんでした」
大人数で騒ぐ飲み会とは対極にある、いまここにいる自分と向き合い、内側へと向かっていく感覚ーー。それは瞑想やヨガの代替にもなりえると感じたそうだ。
外向的ではなく内向的、そのお酒の捉え方の大きな転換ーー。その背景には、仏教への思い入れもあるのだという。
「私は仏教がすごく好きで、大学時代はインドやネパール、ブータンなどを旅しました。どこか自分の中で、仏教をとりいれた感覚を表現したいという思いがあったんです」
「身近な人とのコミュニケーションがうまくいかず、家族やパートナーに自分の思いをストレートにぶつけてしまい、反省することもありました。また、正義感から差別的な発言に怒りの感情が抑えられなくて、アンガーマネジメントを勉強したこともあります」
仏教はそんな堀江さんの悩みに寄り添い、生き方を見つけるヒントとなったという。
「いまここを見つめることで、自分の行いと本質を見つめていく思想。それで自分も、周りの人との関係もよくなっていくという考えです。ゆくゆくは食を通じて仏教の考えを伝えることができたらいいな、と思うようになりました」
飲み会の儀式性、嗜好品としてのお酒
ジンは無色透明でありながら、産地や原材料など、目に見えない情報が散りばめられている。
「私は、クラフトジンは“メディア”だと感じます。原料に地域性が表れて、作り手の思想が強く出る。どこか自分が知らない世界の情報を、クラフトジンを通して知ることができる。そんなところが面白いと思います」
自分の内に向かう、いわば嗜好品としてのお酒に関心を寄せる堀江さんが、最近読んだ本を教えてくれた。
『楽園・味覚・理性 嗜好品の歴史』(ヴォルフガング・シヴェルブシュ著/法政大学出版局)。ヨーロッパの国々の嗜好品の歴史を、時代性、宗教、イデオロギーといった観点から読み解いていく本だ。
「なぜ飲む行為に儀式性があるのか。飲む行為は直接、身体に作用するんですよね。毒を飲ませたら死んでしまう。食べる行為よりも、速さと直接性がある。同じ盃を交わすことで『私たち安全だよね』ということを確認できる」
コミュニティで一緒に飲むことは信頼性を生むことにもつながる。現代において大人数の飲み会がその役割を果たしているのだろう。
「ただ、同時に『一緒に飲もう』という強制力も働きます。私が飲酒文化の違和感に繋がっているのはそこだったんですよね。私は外向的な儀式ではなく、内向的で内面性を確保するものとして捉えようとしていました」
本を読み解いたことで、彼女がクラフトジンを作り始めた原点に立ち戻ることができたという。
思想と世界観こそが、仲間を集める鍵
こうして堀江さんは、先述の「The Flying Circus」でのジン体験に衝撃を受け、「とにかくジンが好きだ」という強い思いで突き進んできた。
HOLONを開発する株式会社カンカク代表の松本龍祐さんとは、彼がメルカリに在籍していた頃に偶然出会い、ともにクラフトジンのプロジェクトを進めてきた。
2019年の秋、堀江さんはGoogleを退社しカンカクに参画。しかし、まもなく新型コロナウイルスの感染拡大で状況が一変する。
クラフトジン作りは一時頓挫し、堀江さんは同社のカフェ事業を担当することになった。コロナ禍による巣ごもり需要に合わせてフードデリバリーに注力することになったからだ。
しかし堀江さんは「ジンを作りたい」思いを諦めなかった。
オリジナルのジンを完成させるため、2020年12月にクラウドファンディングを実施し目標金額の約290%を達成。翌年3月にはオンラインを中心にジンの販売を開始した。
HOLONのメンバーは、蒸留家の山口歩夢さん、バーディレクターの野村空人さんをはじめとした、「新しいお酒の飲み方」の思想を共有したプロフェッショナルが集う。
『とにかくやりたいことがあります』と周りに声をかけ、仲間を集めてきた堀江さん。短期間で実現したチームビルディングのコツを聞くと、こう答えてくれた。
「スキルベースで人を選ぶのではなく、私が実現したい世界観に面白みを感じてくれそうな人を探しました。SNSの担当者を探したときも、投稿のトンマナを見て『この人だったらお願いしたい』と思った人にDMしました。世界観を共有できるかどうかが重要です」
堀江さんは、プロデューサーとしての自身をこう分析する。
「私は狭い範囲でやりたいことが、ものすごい熱量であるタイプ。でも、実際には商品設計、クリエイティブ、マーケティングなど、物事を進める上で重要なスキルが何もない。でも考えることが好きで、やりたいことを明確にするための思考と言語化は得意なんです。ビジョンやコンセプトは絶対これ! というものがあります」
ジン作りを通じて、いい循環を生み出す
「全体と部分の調和」という名のHOLON。大事にしている理念のひとつに、「環境にやさしい」商品であること。
「ジンはこれまで廃棄されていた素材を生かせる可能性を秘めています。私、とにかく食品廃棄が嫌いで……。例えば、ジンならみかんなどの果物の木や葉っぱ、花も素材として使えるし、ジンに使ったあとの素材は入浴剤などに再利用できます。素材の可能性を見つけて、あらゆる角度から光をあてられるのは、とてもロマンがあると思います」
「廃棄を減らすことが第一目的ではないんですが、結果的にそうなっている。そんないい循環を少しずつ作っていきたいと思っています。今まで活用方法がなかったものたちに、どうスポットをあてるか。いつもそんなことを考えているし、それが楽しいんですよね。私がクラフトジンを好きな理由でもあります」
HOLONは、クラフトジンというプロダクトだけではなく、ブランド自体が新たなコミュニティや文化、エコノミーなど多様な要素が混じり合って「調和」する状態を創り出そうとしていた。
コロナ禍は、まさに「自分と向き合うお酒」を愉しむ転換期なのかもしれない。
HOLONは、これからどんなジンを生み出し、これからどんな「ととのえる」時間を生むのか。「新しいお酒の愉しみ方」をアップデートする、HOLONの挑戦は続く。
写真:Eichi Tano
1990年、長崎生まれ。フリーランスのライター。本の著者をはじめとした文化人インタビュー記事など執筆。最近の趣味はネットでカピバラの動画を見ること。
お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。
1995年、徳島県生まれ。幼少期より写真を撮り続け、広告代理店勤務を経てフリーランスとして独立。撮影の対象物に捉われず、多方面で活動しながら作品を制作している。