連載

まるで“畑のフォアグラ”、至極の抹茶が生まれるまで:新茶をめぐる冒険:京都宇治編

石原藍

春の訪れとともに迎える「新茶」の季節。冬の寒さを乗り越えた、生き生きとした新緑の力強さ。青々しい爽やかな香りとともに届けられる新茶は、限られた時期だけの特別な味わいだ。

DIG THE TEAでは2022年、「新茶をめぐる冒険」と題して、お茶のスタートアップ「TeaRoom」代表で茶道家の岩本涼さんの案内のもと、各地の茶の生産地をめぐり、個性豊かな新茶シーンをひもといていく。

今回は日本のお茶文化を確立した京都府・宇治市を5月中旬に訪れ、最高級の抹茶が生まれる碾茶(てんちゃ)栽培の裏側に迫った。

新茶をめぐる冒険・静岡編:摘みたての“新茶”が私たちに届くまで

800年以上の歴史を持つ碾茶の産地、宇治へ

日本を代表するお茶産地の一つ、「宇治」。

その歴史は13世紀初めの鎌倉時代に始まり、800年以上にわたり日本の茶文化を支えている。

宇治市では、煎茶や玉露などさまざまなお茶が栽培されてきたが、近年は茶農家のほとんどが抹茶の原料となる「碾茶(てんちゃ)」を栽培している。

碾茶とは、緑茶の一種で抹茶にするためのお茶のこと。抹茶は、直射日光を遮って育てた碾茶を、煎茶のように揉まずに碾茶炉で蒸して乾燥させ、茶臼などで粉末状にしたもののことだ。

まちを流れる宇治川によって気流が発生し、春先の収穫前に霜が降りにくくなる。この条件も宇治がお茶の産地と言われる理由の一つだ

5月14日、JR京都駅から車で南に向かうこと約30分。我々は宇治市白川地区の高台にある碾茶・抹茶ブランド「辻喜(つじき)」の茶畑にやってきた。

茶畑といえば、かまぼこ型に刈られたお茶の木々がストライプ状に山の斜面に広がっているイメージを持つが、ここでは畑の多くに黒い布が被せられている。

この景色こそ、まさに宇治市の碾茶栽培の象徴するシーンだ。

木の種類は同じチャノキだが、碾茶は一般的な煎茶とは栽培方法が異なる。宇治市の碾茶は、一定期間遮光して光合成を抑制する「覆下(おおいした)栽培」が特徴で、これにより渋み成分であるカテキンの生成を抑え、旨み成分であるテアニンをたっぷり含んだ茶葉が育つのだ。

「ぜひ茶葉をさわってみてください」と我々を覆いの中に招き入れたのは、辻喜五代目の辻喜代治(つじ・きよはる)さん。内閣総理大臣賞などの受賞経験を持つ「茶の芸術家」と言われる人物だ。

薄暗く少しひんやりする覆いの中に入ると、艶々とした濃い緑色の茶葉が現れる。

少ない日光で光合成しようとするため、茶葉自体が葉緑素を増やして濃い緑色となるそうだ。日光を遮られているにもかかわらず、すべての茶葉から溢れんばかりの生命力を感じる。

覆っているのは「寒冷紗(かんれいしゃ)」という布。上部だけでなく側面にも張り巡らせる

茶葉をさわってみると、あまりの柔らかさに驚く。

葉っぱの縁がやや内側に丸まっているのは、旨み成分のテアニンが行き渡っている証

「葉っぱの中に手を入れてサーっとなでると茶葉がまとわりつくんですよ。そのまとわりつき具合を見て、摘採の時期を決めるんです。この畑はそろそろですね」

辻さんと同じように手の甲で茶葉をなでてみると、まるで柔らかなオーガンジーのようにしっとりとした肌触りが心地よい。この畑はいよいよ取材の翌日摘採するそうだ。

なお、宇治市ではお茶の収穫量ではなく品質が重視されており、他の産地とは異なり、摘採に機械を使わず、手摘みにこだわっているのだそう。

極限まで栄養を与える“畑のフォアグラ”づくり

農林水産大臣賞をはじめ、全国の茶品評会で軒並み受賞するなど、最高品質の碾茶をつくる「辻喜」。

創業は明治時代で100年以上の歴史を持つが、碾茶を栽培するようになったのは、辻さんの代からだ。先代までは玉露の農家だったが、18歳から2年ほど茶問屋でアルバイトをした辻さんは、玉露よりも碾茶に今後の需要と可能性を感じ、思い切って碾茶農家へ転身したのだ。

碾茶栽培は、一言でいうと「フォアグラを作るようなものだ」と辻さんは言う。

お茶は良質な肥料と最適な土壌環境により、養分をグングン吸収する。通常であれば、その養分は光合成によって成長に使われるのだが、碾茶栽培では遮光することで成長が抑制され、その分、茶葉内で栄養分の濃度が高まり旨みとなっていく。

「こたつで動かずポテチを食べてぜい肉をつけさせているようなイメージですね。うちではほかの農家に比べ約2倍の量の肥料を与え、茶葉を、肉でいうところの“霜降り状態”にさせていくんです」

辻喜で使う肥料は昔から伝わる菜種油がメインの有機肥料。土壌の酸性度が高まり、肥料もちが良くなる

植物は全く太陽の光が当たらない環境では光合成ができずに枯れてしまうが、極限まで遮光し肥料を与える栽培方法で、まさにお茶の木が枯れる寸前のギリギリの状態まで攻める辻さん独自の方法だ。

実際に、就農して間もない22歳のときには、10ヘクタールの茶畑をすべて枯らしてしまったこともあったという。

「お茶の木は5年ほどかけて大きくなるので、枯れた後しばらくは何も収穫できませんでした。でもそのおかげで肥料や遮光の上限がわかったんです。手痛い失敗の経験でしたが、お金では買えない貴重な財産になりました」

365日自然と対話する、茶の芸術家

左が「TeaRoom」代表で茶道家の岩本涼さん

「毎日2回、必ず茶畑に訪れ、葉の様子を確認する」という辻さん。

朝、葉の裏側にある「気孔」が開くことによって養分を吸収し、午後になると閉じるため、朝と夕方で葉の見た目も変わるそうだ。

葉の状態を見て、栄養分の入り具合や継ぎ足しが必要な肥料を判断する。今では茶葉の中の成分も栽培によってコントロールできるようになってきたという。これこそ、辻さんが「茶の芸術家」と言われる所以(ゆえん)だ。

「就農33年目ですが、ここ5年でやっと栽培方法が確立できたかなと思っています」と辻さんは話す。

「でも、気候の条件はその年によってまったく異なるので、毎年やることは変わりますね。天候をもとに使う肥料を考え、出てくる新芽を想像しながら栽培を組み立てていく。毎年1回、新茶の季節にその答え合わせをするようなものです」

秋の紅葉の様子からその年の気候を見極め、新茶の栽培の参考にするそう

「先代まで続けてきた玉露と私が始めた碾茶は、栽培方法こそほぼ同じです。しかし、碾茶は(お茶として)抽出するのではなく抹茶にすることで茶葉の栄養分をすべて身体のなかに取り込むことができます。茶葉がどのように育ってきたか、飲むことでそのテロワールを感じてほしいですね」

テロワールとは、ワインやお茶など畑の土壌、地勢、気候、人的要因などにより総合的に形成されるもののこと。抹茶ならば辻喜の碾茶を丸ごと味わうことができる。

「自然からの恵みを最大限活かせるよう、数パーセント手をかけてお手伝いするだけ」と微笑む辻さん。茶畑の隅から隅まで愛おしそうに眺める姿が印象的だった。

若きお茶の担い手と巡る手摘みの現場

辻さんの茶畑をあとにし、宇治の市街地へ。

茶問屋「碧翆園(へきすいえん)」の8代目、堀井久輝さんとともに市内の茶畑を巡った。

碧翆園は創業1867(慶應3)年。「けっして天狗になってはならぬ」という社訓のもと「天狗の宇治茶」の登録商標で、宇治茶の製造、販売をしている。宇治市内の農家からも直接仕入れているという。

堀井さんは、茶問屋の若き代表としてカフェとのコラボや海外へのお茶文化の発信など、精力的に活動している人物だ。

碧翆園の堀井さん

「宇治は山間部だけではなく市街地にも茶畑が点在しているんです」という堀井さん。見ると、先ほどまでは気づかなかったが、街のいたるところに覆いがされている畑が目に入ってくる。

寒冷紗ではなく葦と稲わらを被せる「ほんず栽培」を行っている茶畑も

車を降りて細い路地を歩き進めると、民家が並ぶ通り沿いにも茶畑が現れた。

茶畑のすぐ隣には線路があり、電車も通る

この茶畑ではまさに摘採が行われている最中だった。女性たちがそれぞれ持ち場につき、新芽を丁寧に摘み取っている。

「宇治市の碾茶が『品質が高い』と言われる理由の一つに手摘みがあります。機械よりも切断面が少ないため酸化が進行せず、新鮮な状態を保つことができます」と堀井さん。

「また、手で摘むことにより新芽だけを摘むことができるので、機械で一気に摘採するのに比べ、古葉や茎などの混入が格段に少なくなるのも大きな違いですね」

茶摘みの朝は早く、作業は朝5時半から夕方の5時半までの12時間。5月前半の数週間、「摘み子」と呼ばれる茶摘みの担い手が集まり、作業を進めていく。

摘み子のなかには、50年以上のキャリアの人も。作業の様子を見せてもらうと、慣れた手つきで茶葉を摘んでいき、あっという間にカゴが一杯になった。

1人ずつ名札のついた袋に摘んだ茶葉を入れ、重さを計る。最盛期には1日で1人15kg以上摘むことも
ベテランの摘み子の手を見せてもらうと、葉を摘む親指と人差し指は長年の作業で皮膚が硬くなっていた

「覆いの下で生産される手摘みの碾茶は、高級な宇治茶の象徴でもあります。 それを支えている摘み子は、ご近所や親戚、産地周辺でのチラシ配布などで確保していますが、高齢化により、摘み子の確保が年々難しくなっているのも事実です。手摘み茶の生産を継承していく仕組みづくりも大切ですね」と堀井さんは話す。

摘み子の方に話を聞くと、「顔馴染みが多いので、毎年この時期に顔を合わせると同窓会のような気分になる」という人もいた。

集中しながらも、和やかに会話をしながら作業を進める茶畑には、穏やかな時間が流れていた。

元気はつらつな男性の摘み子の姿も

いつ飲んでも美味しい、味を決めるブレンドの妙

丁寧に手摘みされた茶葉が碾茶となり、最終的に抹茶になるまでには、ここからもう少し時間がかかる。

まずは酸化を止めるために蒸気で茶葉を蒸した後、煎茶のように「揉む」のではなく、蒸した茶葉を風で吹き上げながら冷却し、葉の重なりをほぐす「散茶」という工程に進む。その後、約10メートルの碾茶炉を通り、熱を入れて乾燥させると「荒茶」ができあがる。

茶葉を蒸して乾燥させた碾茶の「荒茶」

この荒茶を加工するのは茶問屋の仕事だ。茶問屋での「精選」という工程を経て、茎や葉脈を取り除いた仕上げ茶は、「茶師」によってブレンドされ、抹茶の原料となる碾茶の味が決められていく。

「その年の気候によって碾茶の味は変わります。そのため、一つひとつの碾茶の特性を見極め、茶問屋などの茶師がいろんな生産者のお茶をブレンドする『合組(ごうぐみ)』を行い、一年中いつ購入しても同じ品質・味になるようにしています」と岩本さん。

「合組によってその茶問屋ならではの味わいが決まるので、まさに腕の見せどころなんです」とその奥深さを教えてくれた。

茶師によって合組された碾茶は、茶臼などで粉砕することで抹茶になるが、宇治市では「石臼挽き」の製法にこだわって作られているという。

「石臼挽き」で作られる抹茶の色と香り

今回は、撮影はできなかったが、ある茶問屋で抹茶が作られる現場を見学させてもらうことができた。

何十台もの石臼が規則的に回転する部屋に入ると、フワッと芳醇な甘い香りが広がる。碾茶が織りなす、鮮やかな緑色にも目を奪われた。

石臼を挽く速度も決まっているそうだ。早くしすぎると石臼が熱を持ち、抹茶の風味や飲んだ時の口当たりが変わってしまうという。

石臼で挽いた抹茶は、わずか数ミクロン(1ミクロンは1000分の1ミリ)という細かさ。品質によって最高級ランクから製菓などの加工用までに分けられ、全国に送られていく。

いつ飲んでも美味しい、味を決めるブレンドの妙

「辻利兵衛本店 宇治本店茶寮」の抹茶ソフト

最後は、宇治の抹茶ソフトで締めくくり。茶寮でテイクアウトした抹茶ソフトは、ほのかな苦味の中にもまろやかな甘みが広がる濃厚な味わいだった。

抹茶は今や、茶道のシーンにとどまらず、国内外のお茶愛好家のなかでも絶大な人気を誇る。コーヒーの代わりに抹茶を愛飲する人や、カフェのメニューで「グリーンティーラテ」を見かけたり、さまざまな抹茶味のお菓子が登場したりするほか、海外でも抹茶(MATCHA)の認知が広がるばかりだ。

その裏側には、碾茶の生産者や摘み子、茶問屋、茶師……さまざまな人たちが産地や文化を支え、その価値を最大限に高めるための試行錯誤を続けていることを実感した。

茶畑、手摘み作業、工場。最高級の抹茶が生まれる現場をめぐり、碾茶をとことん堪能した私たち。脈々と受け継がれてきた宇治市の歴史と文化を感じる抹茶の冒険となった。

私たちの「新茶をめぐる冒険」は続く。

新茶をめぐる冒険・静岡編:摘みたての“新茶”が私たちに届くまで

写真:江藤海彦

Author
ローカルライター・編集者

ローカルライター・編集者。大阪府出身、福井県在住。リクルートで広告制作を経てフリーランスへ。地域コミュニティやものづくり、移住などをテーマに、全国各地を訪れインタビューや執筆を手がけている。また、地域のプロジェクトにも数多く伴走し、その取り組みやローカルで暮らす人たちの声を発信している。著書に『販路の教科書』(EXS Inc.)

Editor
編集者

『DIG THE TEA』メディアディレクター。編集者、ことばで未来をつくるひと。元ハフポスト日本版副編集長。本づくりから、海外ニュースメディアの記者まで。企業やプロジェクトのコミュニケーション支援も。岐阜生まれ、猫好き。

Photographer
カメラマン

ひとの手からものが生まれる過程と現場、ゆっくり変化する風景を静かに座って眺めていたいカメラマン。 野外で湯を沸かしてお茶をいれる ソトお茶部員 福岡育ち、学生時代は沖縄で哺乳類の生態学を専攻