未来のことは「ナルホイヤ」である。探検家・角幡唯介、極北の地で辿り着いた“今を生きる”方法

吉原 徹

チベット奥地のツアンポー峡谷未踏査部での単独行。

太陽の昇らない“極夜”の世界における80日間もの探検。

これらの経験をまとめた著作『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)や『極夜行』(文藝春秋)は、開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞など、数々の賞を受賞。

ノンフィクション作家として、探検家として、角幡唯介さんは、常に注目を集めてきた。

ここ数年は、1年の半分ほどをグリーンランド最北の村・シオラパルクに滞在。そこを拠点に、狩りをしながらルートを決めずに犬ぞりで旅をするスタイルを実践している。そんな旅の中では、「計画にからめとられてしまうと、最適解は得られない」と話す。

不確かな未来ではなく、今、目の前にある現実に組み込まれて生きること。

角幡さんが語った、これまでの探検の歩みと、先の読めない自然と対峙する日々のなかで辿り着いた、今を生きるイヌイットの「ナルホイヤ」的世界観とは――。

探検部入部の動機は“キャリアアップ”

1976年に北海道芦別市に生まれた角幡さんが、探検の世界に足を踏み入れたのは1996年のこと。早稲田大学の構内で探検部の勧誘ビラを見たことがきっかけだったという。

「子どもの頃から周りの人と同じことをすることが大嫌いで、考古学者のような“背広を着ない”生き方に漠然とした憧れがあったんです」

「大学2年生の春に構内で見かけた探検部のビラには、『コンゴで恐竜を探索』とか『アマゾンで遺跡を発掘』なんてことが書かれていて、とても面白そうだった。なにより“背広じゃない世界”への入り口があるような気がしました」

「ここで何かを成し遂げて、将来につなげたい……。わりと切実な思いで探検部への入部を決めました。自分が目指す“背広を着ない”職業への“キャリアアップ”に近い感覚で(笑)」

こうして探検部に入った角幡さんは、各地への遠征を重ねていく。

無人島でサバイバルしたり、ミャンマーで幻の日本人村を探したり……。しかし、将来につながりそうな手応えはなかなか得られなかった。

「入部したのはいいけれど、自分がやりたい探検は簡単には見つからない。『仕方ないから、とりあえず地道に山でも登ってみるか』と登山を始めたら、これが面白かった。自分の肉体を使って全力で山頂を目指す。そんな単純な構図が清々しくて」

「とくに厳冬期の北海道で経験した1カ月近くの長期山行は、充実していて楽しかったです。厳しい環境のなかを、汗水垂らしながら頑張って移動する。現在にも通ずる旅の方向性は、このときに決まったのかもしれませんね」

ただ、角幡さんは当時から「正統的な登山を突き詰めようとは思わなかった」と話す。

「もともと僕は性格がひねくれているので、『それは山岳部がやることだ』と。山は山でもヒマラヤの未知の峡谷やパタゴニアの氷床など世界各地の辺境の山を探検した登山家、エリック・シプトンがやっていたことに憧れました」

「他人とは違うことをやりたいというのが、登山に対しても出ていたんでしょうね。王道の登山から、ちょっとずれたことを目指さなければいけないという意識が、その頃からありました」

探検部での活動を経て、「探検で何かを成し遂げたい」という考えがより強くなっていた角幡さんは、就職はしないと決め、大学卒業後もアルバイトをしながら、国内外でさまざまな探検を続けてゆく。

そして02〜03年には、当時「人跡未踏」と言われたチベット奥地のツアンポー峡谷を単独で踏査。帰国後は朝日新聞社で記者として勤務するも08年に退社し、再びツアンポー峡谷の未踏査部を探検した。

その記録を記した『空白の五マイル』は瞬く間に話題となり、開高健ノンフィクション賞(2010年)や大宅壮一ノンフィクション賞(2011年)、梅棹忠夫・山と探検文学賞(2011年)などの文学賞を総なめにする。

“キャリアアップ”を目指して探検部に入部してから約15年。この時に、角幡さんはようやく、ノンフィクション作家・探検家として「なんとかやっていけるだろう」という手応えを持てたという。

角幡さんの代表作。左から『空白の5マイル チベット、世界最大のツァンポー峡谷に挑む』(集英社文庫)、『裸の大地 第一部 狩りと漂白』(集英社)、『極夜行』(文藝春秋)

死に近づくことで“生”がより輝く。探検家を動かすもの

数々の探検家を退けてきた“地理的な空白地帯”であるツアンポー峡谷を踏破した『空白の五マイル』の旅に続いて、角幡さんが選んだ大きな探検のテーマが“極夜”だった。

“極夜”とは、太陽が1日中沈まない“白夜”の対義語で、太陽が1日中昇ることのない現象のこと。冬季の北極圏や南極圏にのみ現れる漆黒の世界だ。

写真提供:角幡唯介

ツアンポー峡谷で、滑落や遭難など死を身近に意識する「かなりギリギリの旅」をした角幡さんが、“極夜”という、これまでほぼ扱われてこなかったテーマを選んだのには、理由があった。

「“極夜”をテーマにしたのは、ひと言でいえば“さらに恐ろしい世界”に行きたかったからです」

「ツアンポーの旅では、自らの生に死を取り込むような感覚というのかな。死までの距離が明確にわかることで、自分にとっての“生の最北端”に触れるような経験ができた。極夜の世界でなら、その先にまで到達できるかもしれないと思いました」

「学生時代から極地探検の本をよく読んでいたのですが、100年前の極地探検って、隊員が次々と凍傷になったり、餓死したりと、なかなかに苛酷。とくに極夜については『どういう環境なんだろう?』という単純な好奇心もあった。そんな“恐ろしい世界”を経験することで、ツアンポーで到達した以上の“生の瞬間”に出合えるかもしれないと」

登山においても探検においても、前よりも困難で危険な場所を目指すということは、前よりも死に近づくということにほかならない。

しかし、それは死ぬために行くのではないと角幡さんは言う。

「生き尽くすために行くんですよね。死が近いからこそ、生が輝く。探検家でも登山家でも芸術家でも、一度でも生に死を取り込んだ人は、生と死の境界線にどうしようもなく惹かれてしまう。それは自然なことなのだと思います」

探検家としての到達点を表現する「極夜行」

冬の北極圏に広がる“極夜”の世界を単独で旅することを決めた角幡さんは、2012年から極夜探検の準備を始める。

2012年には、北緯69度07分にあるカナダ・ケンブリッジベイを中心に偵察行を実施。2014年にはより長く暗い“極夜”を求めて北緯77度47分のグリーンランド・シオラパルクを拠点にすることを決める。

そして、2015年の春と夏には極夜探検に必要な物資を事前にルートに運ぶ旅へ出た。

実は、この旅で角幡さんにとって「これまでで一番怖かった」できごとが起きた。

「物資を運ぶためにカヤックで海を進んでいるときに、セイウチに襲われたんです」

「地元のイヌイットからも『セイウチはヤバい』と聞いていたけれど、あいつらは船をひっくり返そうとするんです。実際には遊んでいるのか食べようとしているのかわからないけど、イヌイットの世界では長い牙で人間の体を突き刺してから一気に脂肪を吸うという話も伝えられていて……」

「冷たい海から1トン近くあるセイウチが突然ぬぼっと現れて、ウォーと吠えながら追いかけてくる。正直、生きた心地がしなかったですね。シロクマよりも狼よりも、自分にとってはセイウチが怖い」

約4年もの準備期間を経た、2016年12月。角幡さんはグリーンランド犬のウヤミリックとともにシオラパルク村を出発。数十キロの荷物を載せたそりを自ら引きながら、80日間にわたって極夜を旅した。

その記録は『極夜行』に詳しく綴られているが、マイナス40度にも達する寒さのなかでブリザードに襲われたり、デポ(事前に食料や燃料をルート上にストックしておくこと)していた物資をシロクマに荒らされたり、食糧が尽きかけたり……。

角幡さんはさまざまな目の前の困難に対処しながら、真っ暗な雪の大地を進んでゆく。

太陽の昇ることのない極夜とは、どんな世界だったのだろうか。

「簡単にいえば、普通の夜が一日中続いている状況です。つまり、視界がまったくないわけではない。月が出ればかなり見えますし、星あかりでも目が慣れればぼんやりとは見えます。ただ、何度も通っている場所とはいえ、GPSを持っていっていないし地形も見えないので、すぐに自分の正しい位置がわからなくなってしまう。これがつらかった」

「極夜探検の最中は『シオラパルク村に帰れば助かる』というのが心の拠り所になるけれど、自分の位置を完全に見失ってしまうと、それが絶たれてしまう。光は未来へとつながる希望なのだと強く感じましたね

明かりや気温、交通網など、なにもかもが整備された都市生活のシステムとは真逆にあるような“極夜”の世界。

そこには、きっと想像を絶するようなストレスがあるはずだ。しかし角幡さんは「ストレスを感じる余裕はなかったなぁ」と笑う。

「地図をみながら『自分は今どこにいるんだろう』と考えたり、吹雪に対処したり、疲れと寒さのなかでそりを引いたり。目の前の一つひとつの行動に必死だったんですよね」

「極夜探検を作品化したいという意識も強くあったので『今、自分が体験しているこの世界はなんなんだろう』ということも常に考えていた。だから、最初の40日間は、恐怖や憂鬱をまったく感じませんでした」

「まあでも、旅の後半でジャコウウシを探しに行って獲れなかったあたりからは『なんかもう嫌だなぁ。帰りたいなあ』と思うようになったけど(笑)」

こうして角幡さんは80日間におよんだ極夜探検を終え、『極夜行』を発表する。そのあとがきで角幡さんは、同作についてこう振り返った。

ツアンポ―探検について書いた『空白の五マイル』がある種の青春期であったのならば、この『極夜行』という本は不惑を迎え、人生のおおむね固まった男が、自分が選んだ生き方の最高到達点を模索した作品といえるかもしれない」

厳しい探検の日々を支えるアイテム

写真提供:角幡唯介

探検の日々、角幡さんは一体どんな時間を大切にして、心身をリフレッシュしているのだろうか。

すると、角幡さんは思いがけないアイテムを挙げた。

「旅先でテント生活に入ると、なぜか無性にチョコレートが食べたくなるんです」

「普段はまったく食べないし、むしろ嫌いなんですけどね。あのチョコレートならではの甘さを欲するんです。だから毎回大量に板チョコを持っていきます」

厳しい環境で五感をフルに使って歩みを進めた一日の終わり、閉ざされたテント空間で甘いものを食べることは、「今日はもう休んでいい」と脳や身体に伝えるような作用があるのもしれない。

日本では、子どもたちと過ごす時間を大切にしている。「第2子が生まれたばかりで、家で仕事をしていて疲れてくると、赤ちゃんを見て癒されています(笑)」

今を生きる「ナルホイヤ」的世界観とは

『極夜行』の旅を終えた今、角幡さんは日本とグリーンランドのシオラパルク村を行き来する二拠点生活を送っている。

テーマは“極夜”ではなく“漂泊”。

狩りを前提に旅をする“漂泊”では、行き先やその日の行動は天候や獲物次第。それは、目的地までの最適なルートを計画する旅とは、異なる大地の歩き方だ。

角幡さんは、予測に基づいた計画に縛られるのではなく、目の前で起きていることに向き合うことが“漂泊”において大切だという。

「イヌイットたちは『わからない』を意味する『ナルホイヤ』という言葉を、本当によく使うんです。明日の天気を尋ねても、午後の予定を尋ねても、かなり強い口調で『ナルホイヤ』と返ってくる」

「単に『わからない』というニュアンスではなく、彼らの生きるうえでのモラルとして、未来のことは『ナルホイヤ』である、と。計画を事前に立ててはダメだという発想なんです」

ナルホイヤとは、一体どんな感覚なのだろうか。

「この感覚は“漂泊”をしているとある程度理解できるんです。明日どこに獲物がいるかなんて誰にもわからない。その段階で未来を計画してしまうと、計画に絡め取られてしまって正しい判断ができなくなってしまう」

「僕らの考えだと、物事を計画的に進めることが効率の良さだと思ってしまうけれど、さまざまな要素が絡み合う自然の混沌のなかでは、そのときそのときの条件によってしか最適解は得られない。だから、“今目の前”にあることをしっかりと見ることが大切なんです」

現地でそりなどの道具を作る際も、設計図通りに作るのではなく、まず木の硬さや性質を見極めてからどんな形にするのかを決めなければダメだとアドバイスされるという。

「“今目の前”にあるものは常に変化するから、同じ場所に何度行っても面白い。その土地が、無限の価値を持つように感じられるし、その土地と自分自身が深く繋がることができていると実感できます」

写真提供:角幡唯介

天気、地形、獲物、光、風。その瞬間の土地の条件を読み解きながら進む“漂泊”の旅には、土地と深く結びつくような喜びがある。

「釣りをする人や山菜を取る人ならわかると思いますが、自分にとってそんな土地があることは、とても豊かなことなのだと思います」

探検家から極地旅行家へ。自然と調和して生きる

犬ぞりを駆って雪の大地を進み、獲物を狩りながら、旅を続ける。目的地やスケジュールを設定することなく、自然と向き合いながら北極圏を彷徨う自由な旅。

「自分のなかでは43歳までが“生の膨張期”であり、その時期には死に近づくことで前進したいという思いが強かった。でも“生の減退期”に入った今感じているのは、土地に深く入りこんで、その環境で生きていきたいということ。そのためのアプローチが“漂泊”です」

角幡さんは、「ただ、43歳以前も以後も、自然と自分が調和する結節点を追い求めているという意味では、同じなのかもしれない」と口にした。

「何度もグリーンランドに足を運んでいると、地形の特徴はもちろんジャコウウシやウサギがいる場所もわかるようになる。今はもう自分が通っている土地に関しては、もし食料が尽きても獲物を狩りながら生きて帰ってくる自信があります」

「そうした経験や自信を深めて、いつの日か100年前のエスキモーのように自由でスケールの大きな旅がしたい」

チベットの地理的な空白地帯を目指した青春期から、探検家としてのひとつの到達点に達した極夜行を経て、より自由でスケールの大きな漂泊の旅へ。

角幡唯介さんは、他の誰にも真似できない人生を歩み続けている。

写真:高橋郁子

取材協力:惣 common

Author
編集者 / ライター

1977年生まれ。2002年よりフリーランスの編集者・ライターとして雑誌、機内誌、webサイト、広告などの分野で活動。得意とする分野は国内外の旅で、これまでに70ほどの国と地域を取材。著書に『夢がかなう世界の旅』(ぴあ)などがある。

Editor
合同会社ディライトフル代表

合同会社ディライトフル代表。1976年、埼玉県秩父市出身。早稲田大学第二文学部在学中より、制作会社にて編集者、ライターのアシスタントとして雑誌などの制作に携わる。2004年よりリクルートにてフリーマガジン『R25』の創刊に携わり、編集を担当。2010年に独立し、雑誌、書籍、ウェブメディア、企業や自治体が発行する冊子、オウンドメディア等の企画、編集を手がけている。

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