「ドメーヌ・タカヒコ」日本で最も入手困難なワイン、未来への挑戦「トレンドや賞は気にしない」

川内イオ

「幻」と評されるワインがある。

北海道の西部、積丹半島の東の付け根に位置する余市町のワイナリー、「ドメーヌ・タカヒコ」のワインだ。

フランスのブルゴーニュ地方を代表するブドウの品種ピノ・ノワールを、ここ余市で化学農薬、化学肥料を使わずに育ててワインを造る。赤ワインを中心に、年間の生産量は2万本。

売りに出すと、あっという間に完売して、蒸発するように市場から消える。

百貨店の催事で数本仕入れると目当ての客で行列ができてしまうため、ドメーヌ・タカヒコのワインだけ事前申し込みの抽選制になり、13倍の倍率を記録したという逸話もある。

「日本で最も入手困難」と言われるワイン、だから幻なのだ。

その味は、世界も認める。

「世界のベストレストラン50」で4度の世界一に輝いたデンマークのレストラン「noma」で2020年、日本のワインとして初めてワインリストに掲載された。

ドメーヌ・タカヒコは今、国内外で最も注目を集めるワイナリーと言っていいだろう。

2010年、余市町の登地区にある小高い丘の上にこのワイナリーを開いたのが、曽我貴彦さんだ。

彼は世界的にも珍しいという余市の気候、そこで培われた土壌の個性を最大限に引き出し、ワインという嗜好品を通じて「誰もマネできない世界」に到達するために、日々、思考と試行を繰り返している。

大地の恵みから唯一無二のワインを造りあげる曽我さんの、醸造の哲学を紐解く。キーワードは「土」と「うま味」だ。

(取材・文:川内イオ、企画・編集:川崎絵美、写真:川しまゆうこ)

北海道のブドウに惚れ込んで

曽我さんは1972年、長野県小布施町にある「小布施ワイナリー」の次男として生まれた。父親の勧めで東京農業大学醸造学科へ進学し、大学の教授から声を掛けられて研究室に勤めた。

ドメーヌ・タカヒコの曽我貴彦さん

その頃、彼の運命を変える出会いが訪れた。

栃木県を代表するワイナリー、「ココ・ファーム・ワイナリー」で醸造長をしていたアメリカ人の醸造家、ブルース・ガットラヴさんとの出会いだ。

当時の日本では、「バルクワイン(びん詰めされていないワイン)」を輸入し、それを日本で瓶詰めして「国産ワイン」として販売していたが、それに意を唱えたのがブルースさんだった。

「いつか『おかしい』と言われる時代が来る。10年かけて日本で栽培したブドウ100%に切り替えたい」と話していた。そんなブルースさんから「一緒にやろう」と誘われた曽我さんは、3年5カ月勤めた大学を辞めて、栃木へ向かった。1998年のことだ。

「当時、フランスよりはワイン生産の歴史が浅い生産国の『ニューワールド』に憧れを持っていたから、大学にいたときはいずれ海外に行きたいという夢もあったんですよ。でも、ブルースがいるから、駅前留学みたいに学べるかなって(笑)」

国産ブドウ100%にするためには、ブドウの仕入れ先を探さなくてはいけない。長野、山梨などブドウの名産地に足を伸ばすなかで、試しに購入してみたのが北海道のブドウだった。

「北海道のブドウを正直なめてて、ぜんぜん期待していなかったんです。でも食べても、ワインにしても、すごくレベルが高くて。僕たちはこれまでなにを見てたんだっていうぐらいに衝撃的でした」

北海道のポテンシャルに気づいたブルースさんと曽我さんは、北海道産のブドウを買い取るようになった。

さらに2002年、北海道の岩見沢市でワイナリー「ナカザワヴィンヤード」を開いた中澤一行さんと契約し、ピノ・ノワールを含む数種類のブドウを育ててもらうことにした。

そのどれも質が高く、ふたりは北海道に惚れ込む。

ココ・ファームで10年かけて国産ブドウ100%を達成した2009年、ブルースさんは「10Rワイナリー」を設立して岩見沢へ。曽我さんも余市町に移住して、翌年ドメーヌ・タカヒコを開いたのだ。

ワイン用ブドウ、北海道一の産地

曽我さんには、「繊細さのなかに複雑さを持つブルゴーニュワインになるようなピノ・ノワールを作りたい」という想いがあった。その栽培地として、余市町はほかの町にはないメリットがある。

ポイントは次のふたつ。

ひとつは、生産者の集まる歴史ある「産地」であることだ。余市町はリンゴ、ブドウ、梨、桃などの生産で北海道屈指の規模を誇る。

ワイン用のブドウも1984年から栽培が本格化すると、道内シェアは生産量で約5割、栽培面積でも約3割を占める規模になった。

「産地になるには理由があるんです。昔の人たちが果樹を植えて、うまくいく。 うまくいくから、ほかの人も果樹を植える。そうして果樹が拡がっていく過程でみんなが努力をして、経験を積みながら産地が形成されます」

「長野や山梨では、大企業がワイン用ブドウの栽培技術を生産者に伝えてきましたが、余市では自分たちで勉強しながら、自分たちの感性で作っている。だから、世界的に見たらちょっと不思議な作り方をしてる。そういう知恵の集積である産地は宝物なんです」

余市町でワイン用ブドウがそれだけ生産されていることを、知らない人も多い。

それもそのはず、曽我さんが移住したとき、余市町にはワイナリーが1軒しかなく、あとはほかの果物と同じように、生産者が“売り物”としてワイン用のブドウを作っていたのだ。

余市で栽培されているワイン用ブドウの約95%は、本州のワイナリーに販売されているのである。

パウダースノーの恩恵

曽我さんが余市町を選んだもうひとつの理由は、「気候」だ。

ピノ・ノワールの故郷は、フランスのブルゴーニュ地方。曽我さんによると、ブルゴーニュは年間を通して冷涼で、その割に冬の寒さは厳しくないという特徴がある。

北海道にも函館など気候が似た地域があるが、彼が着目したのは雪の質だ。

冬の日本海側や東北で降るような重くて湿った雪は、水分を多く含む。一方で、余市町からニセコ周辺はサラサラと軽いパウダースノーが特徴だ。このパウダースノーが、ピノ・ノワールの樹を守るという。

「湿った雪は、3月頃に溶け始めます。北海道はその時期にもマイナス20度の寒波が来るんだけど、ブドウの樹が水を吸った状態で凍っちゃうんですよ。これは最悪の事態です」

「でも、パウダースノーはなかなか溶けず、4月上旬まで残っています。そうすると、雪で作ったかまくらの中が暖かいように、寒波からブドウの樹を守ってくれる。春が来るまで、パウダースノーに埋もれていることが大切なんです」

「雪に樹を守らせる」という発想こそ、まさに余市町の生産者が長年の経験から編み出した知恵で、曽我さんによると「アンビリバボーな世界」なのだ。

世界中のワインが「豚骨ラーメン」に

気候に関して、もうひとつ重要なのは「雨」。一般的に、ワイン用ブドウの栽培において雨はマイナス要素として捉えられている。

質の高いワインを造るために必要なブドウの糖度は20度以上とされるが、雨が降って水分が多い土壌ではブドウの糖度が上がらないのだ。糖度が高くなければ、美味しいワインは造れない。

ココ・ファームで働いていたとき、曽我さんは世界的に有名なブドウ栽培コンサルタント、リチャード・スマート氏に「日本でグレートなワインを造りたいなら雨を止めろ」と言われたという。それほど、水分コントロールが重視されているのである。

ブドウの樹が吸収する水分を最低限にすれば、糖度の高いブドウを作ることができる。そのために、フランスでも、ニューワールドでも、広々とした乾燥地帯で点滴灌水(てんてきかんすい)するようになった。

点滴灌水とは、テクノロジーを利用して、枯れない程度の水を定期的に根元に送る方法だ。この方法を採用すれば、雨という不確実な要素に悩まされることもなく、粒が小さく、糖度が高い、均一なブドウができる。

そのうえ、栽培しているのはなにもない広大な乾燥地帯なので、機械でブドウを収穫できる。手摘みする必要もないから、コストカットになる。そのブドウを使えば、安くておいしいワインができるので、世界のワイナリーで広く採用されている。

曽我さんはこの潮流が、「味の濃さ」という意味でワインの画一化を生んだと分析する。

「点滴灌水したワインは、力強さがすごいんですよ。味が濃い。それはわかりやすい味なんだけど、飽きやすい。言ってみれば、豚骨ラーメンみたいなワインが世界中に蔓延したんです」

お出汁のようなうま味を育む「土」

こうして味の濃いワインが氾濫するなかで、ユニークな動きを見せているのが、日本だ。

曽我さんによると、化学肥料や農薬などを使用せず、できるだけ自然な製法で造られたナチュラルワインが、世界で一番流行っているのは日本だという。

それは、日本にナチュラリストが多いわけではなく「日本人の味覚がナチュラルワインを求めている」というのが、彼の見立てだ。

「濃いワインは、僕たち日本人の食生活にはあまり馴染まないんですよ。たまに飲むのは非常に魅力的だけど、そうは言っても豚骨ラーメンばかり食べたくないでしょう? それに、日本人にはナチュラルワインを飲んだときに感じられるような、繊細さに魅力を感じる文化があるんです」

その繊細さとはなにか? 

曽我さんは「お出汁(だし)のようなうま味」だという。

この「うま味」こそ、ドメーヌ・タカヒコのワイン造りの核心だ。

うま味をもたらす代表的な成分としてアミノ酸の一種のグルタミン酸や、核酸の一種のイノシン酸、グアニル酸が挙げられる。この成分と、曽我さんのいううま味は、また別物だ。

曽我さんは、ナチュラルワインにうま味をもたらすのは、「土」だと考えている。そして、いい土を作るために必要なのが、雨だ。この条件が、春から夏にかけては適度に雨が降る余市の気候と風土にぴたりとハマった。

ちなみに、土と雨が必要ない点滴潅水は、有機栽培に向いている。乾燥しきった砂漠のようなところに、虫はいない。そこで有機肥料の液肥を水と一緒にあげれば、無農薬、有機栽培のブドウができあがる。

でも、植物工場のような場所で造られたナチュラルワインには、曽我さんが求めるうま味がない。

「テロワールという言葉がありますよね。簡単にいうと、産地の気候風土を表現するということです。僕はそこに食文化、歴史、人の営み、土の味とかいろいろ入ると思うんだけど、点滴潅水ってテロワールを破壊しちゃうんですよ」

「土瓶蒸しみたいなワイン」との出会い

曽我さんがテロワールに通じるうま味を追求するようになったきっかけは、ココ・ファーム時代に飲んだ一本のワインだ。

実は彼も若い頃、カリフォルニアでブドウに強い水分ストレスをかけて造られた味の濃いワインを飲んで、「美味しい」と感じていた。海外で同じようなワインを造ってみたいという想いもあった。

そうしなかったのは、単純に「好きな日本で暮らしたい」と思ったから。そう決めたなら、雨が多く、乾燥地帯もない日本の風土に合ったワインを造らなければいけない。

そのヒントになったのが、雨が多く冷涼なフランスのジュラ地方で、ブドウ栽培から醸造、瓶詰めまでを行う自然派ワインの巨匠、ピエール・オヴェルノワが造ったナチュラルワインだった。

真ん中の2本が、ピエール・オヴェルノワのワインボトル

「土瓶蒸しみたいなうま味があるワインなんです。力強いのではない、繊細でお出汁みたい。自分が本当に飲みたいものはなにか、日本で造りたいものはなにかって考えると、この方向性だと思ったんです」

「しかもブルースによると、そのピエール・オヴェルノワのワインが、世界でも評価され始めていると。僕はこのうま味を理解しながら飲めるんだから、その究極を目指せば、何かしらゴールが見つかるんじゃないかと思ったんですよね」

多様性が生み出す「不均一の美」

こうして2010年から始まったドメーヌ・タカヒコのワイン造りは、決して順風満帆ではなかった。近隣の生産者に「有機栽培なんて無理だ」と言われた通り、いきなり崖っぷちに立たされた。

2012年、2013年と2年連続で灰色かび病(植物が灰色のかびに覆われる病害)に襲われたのだ。特に2013年はほぼすべてのブドウが被害を受けた。

しかし、知り合いの醸造家から、フランスでは灰色かび病のブドウで「ブラン・ド・ノワール(黒ぶどうで造るスパークリングワイン)」を造ると聞いて試してみたところ、想像以上に美味しいワインができた。これで窮地を乗り切った。

曽我さんは、病気のリスクも受け入れて続ける有機栽培の目的について「いい土をつくること」と断言する。いい土の源は、土のなかの細菌だ。

近年、盛んに健康を保つための重要な指標として語られる「腸内フローラ」と同じく、人為的にコントロールできない細菌の多様性とバランスを重視している。

そのうえで、雨が降ることによって必然的に生まれる「不均一」なブドウをそのまま受け入れる。不均一なブドウは、点滴潅水のブドウと対照的だが、そこに複雑味、言い換えれば味の深みが生まれると捉えている。

醸造方法にも、こだわる。ドメーヌ・タカヒコは、今では珍しい伝統的な手法である、ブドウを房ごと仕込む全房発酵だ。その際、通常は排除される未熟の実も一緒に発酵させている。

「未熟のブドウはさすがに、よろしくはない。でも敢えて未熟なものを入れる。言ってみれば、不均一の美です。不均一の美は、場所によって違う、地層によって違う。テロワールって、実はそういうところにあると思うんですよね」

不均一の美から生まれたピノ・ノワールは、ブルゴーニュのものとは似ても似つかない、世界のどのワインとも異なる味に仕上がった。

「実家に帰省したときの匂いがするとか、田舎のお寺にお参りに行ったときの香りがするとか、いろいろ言われますね。僕がよく言うのは、山の麓の神社の石畳を歩いてるときのような気持ちのいい香り」

「味は繊細で幅があって、いいお出汁を飲んだときのような余韻の長いうま味を感じると思います。こういうワインは多分、世界にあまりないタイプだと思うんですよね。日本だから作れる世界観があるし、そこに面白さがある」

このワインが、「幻」と呼ばれるまで、そう時間はかからなかった。

どういう未来が幸せか?

曽我さんは、試行錯誤の末に築き上げた唯一無二のワイン造りについて、彼を慕って集まってくる研修生たちに惜しみなく伝える。それは、余市町の未来を見据えてのことだ。

「ワイン事業は次の世代に繋げていかなきゃいけない。ただ、無理やり自分の子どもたちに押し付けることはしたくないんです。子どもたちが自ら“継ぎたい”と思える環境にしていきたい」と話す。

北海道は土地が広いため、商機があれば大規模化の話が出てくるが、ワインが人気で売れるからといってひとつの生産者が栽培面積を広めても、少子高齢化の現象は止まらない。それよりも、小規模なワイナリーがたくさんできたほうが、町が活気づく。これが曽我さんの考え方だ。

「どういう未来が幸せか、ということ。僕がひとりで大規模化するのと、この町に100軒のワイナリーができるのと、どっちが面白いのか。100軒できたほうが絶対に賑やかになるし、ワインの産地として栄えるはずです」

余市、美味しいワインを「簡単に」造れる町

100軒のワイナリーを作るために、100人の弟子を育てる必要はない。曽我が目をつけているのは、ワイン用ブドウを栽培している生産者だ。

もちろん、生産者はブドウ作りで忙しい。でも余市町はワイン特区であるため、通常なら年間最低6000リットル生産する設備がないと取得できない酒類製造免許が、2000リットルで取れる。2000リットルなら、ブドウ栽培と並行してワインを仕込める規模だという。

曽我さんは生産者がワイン造りに参入するハードルを下げるために、知恵を絞っている。

例えば、研修生たちが独立するときは、2000万円以内ですべてまかなうようにすすめている。それでうまくいくところを見せれば、それほど大きな投資は必要ないと分かるだろう。

ドメーヌ・タカヒコでは、ブドウの保管容器もプラスチック製品を使用している。ステンレスの高価な容器じゃなくても問題ないことをアピールするためだ。

毎年、全収穫量の1割ほどは病気にやられて腐ってしまうが、それも捨てない。腐ったものを集めてタンクに入れ、そのまま全房発酵させて、「貴腐ワイン」を造る。灰色かび病に侵されたときの経験をそのまま活かしたものだ。

これがドメーヌ・タカヒコの中でもっとも希少で、フレンチのシェフや、ワイン愛好家たちにとって垂涎ものの「ナナツモリ ブランド・ノ・ワール」となるのだ。

左のグラスが「ナナツモリ ピノ・ノワール」、右のグラスが「ナナツモリ ブラン・ド・ノワール」

「1キロ200円でブドウを売るんじゃなくて、自分たちでワインを造れば1万円になるかもしれない。しかもそれは難しいことじゃない、家で味噌を作るよりもずっと簡単だよ、と示したいんです」

「北海道は土地が安いし、環境も恵まれてる。みんなで小さく始めて、その土地、その人らしさを感じるワインを造って、利益を少しずつ出していける世界を作ったら、この町の未来は明るいと思うんですよ」

自分のワイン造りだけじゃなく、研修生や町の未来まで気にかけている彼に、「どんなときが、心が溶けるひととき?」と尋ねたら苦笑した。

「ワインのことを考えるのが楽しいんですよね」

最近は、研修生たちが独立したとき何を造るかを考えるために、気になるワインを開けてはああだこうだと話しながら皆で飲んでいるそうだ。

今いる研修生のなかには、余市に移住してきた新進気鋭の若手ソムリエや、地元のワイン用ブドウの生産者の息子もいる。きっとここ余市から「誰もマネできない世界」が拡がっていくのだろう。

日本のテロワールが、世界を驚かせる日も近い

曽我さんは「余市には、余市でしか造れないワインがある」と確信している。それは日本のほかの地域も同様だ。

「日本人は、他人がマネできない世界を創るのがすごく上手だと思うんですよね」

ドメーヌ・タカヒコのワインは、ひと口飲むだけでうま味が口いっぱいに広がり、フレッシュなブドウの果汁が内臓に染み渡っていくような余韻が残る。まるで「体が喜んでいる」ような不思議な体験だ。

忘れられない唯一無二の味。だが、なかなか手に入らない。

世界の愛好家が、喉から手が出るほど入手したい、貴重なワインであることも頷ける。

「伝統あるワインコンクールでは、いまだに濃いクラッシックな味が評価されますが、賞なんか気にせず、そろそろ僕たち日本人が『こういうワイン造れるか? できるものならやってみろ』って世界に示す時がきたんじゃないかな」

豊富な雨によって育まれた土が、その土地ならではのテロワールを表現してくれる。お出汁のようなうま味を感じる繊細な味覚をもった日本人だからこそ、醸せるワイン。それはきっと、世界を驚かせるはずだ。

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Author
稀人ハンター / ライター

1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、企画、イベントなどを行う。稀人に光を当て、多彩な生き方や働き方を世に伝えることで「誰もが個性きらめく稀人になれる社会」の実現を目指す。

Editor
編集者

お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。

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フォトグラファー

若いころは旅の写真家を目指していた。取材撮影の出会いから農業と育む人々に惹かれ、畑を借り、ゆるく自然栽培に取り組みつつ、茨城と宮崎の田んぼへ通っている。自然の生命力、ものづくり、人の暮らしを撮ることがライフワーク。