自分だけの化粧水を。北海道の森でハーブチンキの「クラフトコスメ」を手がけるふたりを訪ねて

川内イオ

2022年8月、北海道・下川町のクラフトコスメメーカー「SORRY KOUBOU(ソーリー工房)」のハーブ園では、カレンデュラが鮮やかなオレンジ色の花を咲かせていた。

優れた殺菌、消炎作用を持つこの植物は、古代エジプトのクレオパトラの時代から薬用に使われてきたそうだ。

「太陽の花嫁」とも称される可憐な花に囲まれながら、山田香織さん(写真左)と小松佐知子さん(写真右)はなにやら楽し気に言葉を交わしていた。

2017年にソーリー工房を立ち上げたふたり。もともと雑草が生い茂っていた土地を開拓し、今ではジャーマンカモミール、チコリ、ハッカなどのハーブを無農薬で育てている。

そして自分たちの手でハーブを摘み、ハーブチンキを作っている。チンキとは、植物の水溶性と脂溶性の有効成分をアルコールで抽出した濃縮液のこと。

カモミールのハーブチンキ

ハーブのチンキに保湿剤のグリセリンと水を混ぜ合わせれば、防腐剤、酸化防止剤などが入っていない自分だけの化粧水になる。普段の化粧水や乳液などに数滴たらせば、ハーブの香りとそれぞれの有効成分をプラスすることもできる。

Photo by ソーリー工房

ソーリー工房のハーブチンキは知る人ぞ知るアイテムだが「全身に使えるし、ヘアオイルとしても優秀」「自然のもので、家族みんなで安心して使える」「化粧水を買うよりもお財布に優しい」と評判だ。

化粧品製造所責任技術者の資格を持つ小松さんは「国産サトウキビからとれる飲用のエタノールを使っているので、うがいやマウスウォッシュに使うこともできるんですよ」とほほ笑んだ。

生まれ育った場所も、仕事もまったく違うふたりがなぜ、北海道でクラフトコスメを作り始めたのか? ハーブチンキを通じて、化粧水に代わる新たなコスメの選択肢を届けるふたりに、これまでの歩みを聞いた。

工房近くにある小屋「cosotto,hut(こそっとハット)」で話を聞いた。ここでは不定期で「こそっと」ワークショップが開かれたり、アイテムを販売したりするために建てたという。

水やボトルは必要?「化粧水を買う」に代わる選択肢

ソーリー工房には、9種類のハーブチンキのほかに石鹸や保湿オイル、リップバーム、ハーブティーなどの商品が揃う。

Photo by ソーリー工房

オンラインショップや「cosotto,hut(こそっとハット)」でこれらを販売しつつ、ふたりは北海道の各地でイベントに出展しながら、ワークショップを通じて地道にハーブチンキの使い方を広めてきた。

ハーブチンキは植物のエキスなので、単体で使うというより、化粧水や乳液に垂らしたり、保湿剤のグリセリンと水を混ぜ合わせて化粧水にしたりして使う。

ワークショップではそれぞれのハーブチンキの有効成分を説明し、参加者がその日の気分や体調に合ったチンキを選んで、化粧水を作る。

「化粧水は9割以上が水だから、防腐処理をしなければ流通させられないんです。ちょっと手間がかかりますが、防腐剤、酸化防止剤フリーで、安心して家族みんなで使える化粧水が手作りできることを提案をしています」(小松さん)

大半のお客さんにとっては初めての体験で、楽しんでくれる人が多いという。

ハーブチンキは防腐剤、酸化防止剤フリーのため、作った化粧水は冷蔵庫に保存して2週間ほどで使い切るしかない。こまめに化粧水を手作りするのは手間がかかるが、愛用者は少しずつ増えているという。山田さんは「本当にニッチですよね」と苦笑する。

もし売り上げを伸ばすことだけを考えるなら、ソーリー工房のオリジナル化粧水を作って売ればいい。こだわりの素材を使っているから、ニーズは必ずあるだろう。

しかし、ふたりはそうしない。

「化粧水という名の水を販売することに抵抗があるんです。ボトル代も、送料もかかるし、人の力も配送のエネルギーも消費しますよね。東日本大震災を機に、そういうことが気になるようになって。化粧水を売ることでどれだけのムダやゴミが生じるんだろうと考えると、私たちはそこまでして儲けたいんだっけ? と疑問が湧いてきます」

小松佐知子さん

「それよりも、私たちはチンキで安心な化粧水が作れることを、ゆっくりでもいいから広めていきたいんです」(山田さん)

コロナ禍以前はチンキ自体を知らない人が多かったが、この1年ほどでお客さんの反応が明らかに変化し、オンラインショップからの注文も増えた。多くの人が働き方や生き方を考え直すきっかけとなったコロナ禍を通して、ふたりの想いは少しずつ伝わり始めているようだ。

自分が使える化粧品を。転機となった震災

福島県出身の山田さんと岩手県出身の小松さんは、宮城県仙台市で出会った。山田さんは専門学校生、小松さんは大学生のとき、共通の友人を介して知り合った。

卒業後、化粧品メーカーに入社した山田さんは、化粧品の販売、営業の仕事に就いた。ところがアトピー性皮膚炎が悪化して市販の化粧品が使えなくなってしまった。そこで、やむを得ず自分で石鹸や化粧水を作るようになった。

ハーブやチンキについても独学し、効果を感じたものは同じ悩みを持つ友人、知人に共有した。

その頃に、東日本大震災が起きた。

緩やかに友人関係が続いていたふたりは連絡を取り、無事を確認し合った。山田さんは原発事故があった福島、小松さんは津波の被害が大きかった大船渡の出身だったこともあり、互いに不安で落ち着かない日々を過ごした。

ふたりの距離は震災を機に学生時代よりも近くなり、「これからどう生きるか」を真剣に話した。

このとき山田さんは、胸のうちで急速に高まっていた想いを小松さんに打ち明けた。

「震災や原発事故の被害を目の当たりにしたとき、自分に必要なものを自分で作るということがとても価値があるように感じたんです。私は自分にとって必要な化粧品を作りたいと思っていましたが、専門的な知識と資格がないと作れないので、『一緒にやらない?』と彼女に言ったんです」

大学で環境物質工学を専攻していた小松さんは、仙台の企業で水や食品などの分析をしていた。その際、仕事の関係で化粧品の製造に必要な資格も取得していたのだ。

小松さんは山田さんからの誘いに頷いた。

「震災を経て、人生なにが起こるかわからないと思うようになり、今後も会社員を続けるか、やりたいことに挑戦するか考えました。それで、今しかないって思ったんですよね」

山田香織さん

ハーブが大きく育つ、豊かな自然を探して

ハーブを使った化粧品を作ろうと決めたふたりは、開業の場所探しを始めた。

いくつかの候補のなかで、訪ねたのは長野県の池田町と、北海道の北部に位置する下川町。ふたりが、ハーブや薬草の栽培で有名な池田町ではなく、ほとんど観光客が訪れることもない人口3000人ほどの静かな町、下川町に決めたのは、ふたつの理由があった。

ひとつは、町の面積の90%を森林が占める下川町が、2001年から木質バイオマスを使った再生可能エネルギーの導入を進めていたこと。

震災時に原発事故を経験したふたりは、既存の電力に頼らず、クリーンエネルギーの開発に舵を切った下川町の姿勢に感銘を受けた。

もうひとつは、北海道の大地のパワーだ。

「本州ではあり得ないくらい植物が大きく育つから、ここでやってみたら楽しいんじゃないかなって。なんでこんなに大きくなるのかわからないんですけど、ヨモギが私たちの身長ぐらいの高さになるんですよ」(山田さん)

下川町で地域おこし協力隊を募集していることを知ったふたりは、まずは現地での暮らしを知るために応募した。無事にふたりを受け入れてくれた下川町で、山田さんは「駅カフェ イチノハシ」に配属され、小松さんは町営のしいたけ工場で働くことになった。 

ハーブは北海道で越冬できるのか

2014年夏、移住。地域おこし協力隊の任期は3年で、週4日勤務だった。ふたりはそれぞれの仕事に取り組みつつ、雑草だらけの空き地を借りて耕した。

「もしハーブが育たなかったら、下川町にいる意味がないんです。だからまずはハーブの栽培ができるかどうかを確認しようということで、下川町に来てすぐにカモミールの種を蒔きました」(山田さん)

「プランターでハーブを育てたことはあったけど、畑での経験はまったくないところから始めました」(小松さん)

驚いたことに、広い土地でハーブを栽培した経験もなく、ハーブが育つかどうかわからないまま3年という任期を背負って下川町で働き始めたというのだ。

思わず「それはずいぶんと無鉄砲ですね」というと、ふたりはいたずらが見つかった子どものような笑みを浮かべた。

「ほんとですよね。あのときの行動力は自分でもびっくりでした。震災で溜まっていた感情が、爆発先を求めていたんだと思います(笑)」と山田さん。

下川町の秋は早い。8月のお盆明けには涼しくなり始め、9月はもうすっかり秋。10月になると晩秋という趣きがある。

それぞれの仕事に追われながらカモミールの様子を毎日のように見守っていたふたりは、ハーブが元気に育つとわかりホッとした。

しかしマイナス30度になり、たくさんの雪が降る厳しい冬を無事に越えられるかが気がかりだった。もし寒さに負けて枯れてしまったら、春にまた種まきから始めることになる。ソワソワしながら調べてみると、雪に埋もれてもいいハーブがあることがわかった。

Photo by ソーリー工房

「雪の中は二酸化炭素が多くて、植物が糖分を蓄えるらしいんです。糖分はエネルギーなので、すでに根を張った状態で雪解けを迎えたとき、そのエネルギーを使って葉を伸ばすんです」(山田さん)

下川町で初めて迎えた春、前年に植えたカモミールの元気な姿を見て、小松さんは「生命力にすごく感動しました」とほほ笑んだ。

植物の力を生かす国産ハーブチンキの開発

週4日の仕事は思いのほか忙しく、最初の2年は数種類のハーブを育てることで精いっぱい。そこからビジネスにどう発展させるのかを考える余裕がなかった。

しかし、そのまま3年の任期を終えてしまったら、無職になってしまう。ふたりは下川町に工房を開くことを決めて、開業資金として町の補助金を申請するなど準備を始めた。

「自分たちになにができるのか、なにをしたいのか」をあらためて考え、たどり着いたのが、ハーブチンキだった。

「植物の力が一番活きるのはチンキだと思って。それで、チンキの材料となるエタノールを探しました。国産のサトウキビ由来の飲用エタノールを作っている会社があることを知り問い合わせてみたら、私たちに必要な少量でも売ってもらえることになったんです」

「自然栽培のハーブでチンキを作れば安心して使えるものだと自信をもって言えるし、大きな会社にはできないことだと思いました」

迎えた2017年4月、地域おこし協力隊の任期を終えたと同時に会社を設立。地域おこし協力隊として住民の困りごとを聞いたり、草刈りや雪かきをしたりしていたふたりを見ていた住民の誰もが応援してくれた。

Photo by ソーリー工房
屋号は、開業資金を貯めるためにふたりがアルバイトしていたピザ屋の店主の「私を置いてそんな遠いところに行くなんて。もう、ソーリー工房でいいんじゃない?最初に謝っておくのよ」の言葉から。ふたりはそれを気に入ったそう。

起業の翌年、国道沿いのショップ「cosotto,hut(こそっとハット)」を建てたときは、下川町で木材加工事業を営む商工会の会長から、木材が寄贈された。

まるで絵本に出てきそうな佇まいの「cosotto,hut(こそっとハット)」。緑豊かな下川町の景色によく馴染んでいる

ハーブ栽培の素人だったふたりにとって、隣町の名寄町にある独立行政法人の薬用植物資源研究センター北海道研究部も頼りになる存在だ。

このセンターは北方系薬用植物の試験栽培、研究を目的に設立された施設で、「こういう植物を栽培したいんですが」と問い合わせると、専門家が丁寧に説明してくれた。さらにハーブの種を分けてくれたり、気になる植物のルーツを調べてくれたり、なにかとサポートをしてくれるそうだ。

この施設の隣りにある、国産の薬用作物、ハトムギの生産・販売・卸を手掛ける会社の人とも知り合い、ハトムギを購入させてもらうようになった。

「起業した町の近くにこういう施設や会社があるのはラッキーでした」と小松さん。

振り返ってみれば、ふたりにとって地域おこし協力隊の3年間は種まきの期間だった。その時期に地域の人たちと関係を築いたからこそ、ソーリー工房が無事に芽吹くことができたのだ。

この日、ふたりが淹れてくれたハトムギ茶。ほんのり甘くて香ばしい味わい。

「一番つらいのも畑、一番リラックスするのも畑」

野ウサギやリスが駆け回る森の町で、ハーブを育ててチンキを作っている。こう説明すると、ふたりがゆったりと手仕事をする長閑な生活を思い浮かべるかもしれない。

しかし、実際の生活はそうではない。

ハーブの種を蒔き、枯れないように育てて、収穫。それを乾燥させて粉砕し、1週間ほどエタノールに漬けこんだ後、ろ過して瓶詰め。それを店頭や、各地のイベントに持参して販売する。

Photo by ソーリー工房

オンラインショップからの注文が入れば、梱包して配送する。新たな商品も開発中で、すべて自分たちで担っているから常に多忙なふたり。ときには余裕がなくなり、ケンカすることもあるそうだ。

そんなふたりをつなぐのは、自分たちの想いが詰まったハーブチンキの化粧品だ。

ふたりは、農作業で日焼けをしたら消炎効果のあるカレンデュラのチンキを使った化粧水、乾燥する冬には保湿効果のあるマローの化粧水を愛用していると話す。

長年、アトピー性皮膚炎に悩んできた山田さんは、「もしうちの商品がなくなったら、私が一番困ります。一番やりがいを感じるのは、自分で使ってみて満足したとき。しかも作ってるのは一番信頼している友人なんですよ。もう最高ですよ」と満面の笑みで語る。

ハーブ園で過ごす時間も、かけがえのないひとときだ。農作業を「つらいことの多い肉体労働」(山田さん)、「過酷」(小松さん)と表現するように、決して楽な仕事ではない。

その苦労に報いるように、オレンジ、白、青、黄色、ピンク、紫……とハーブは色とりどりの花を咲かせる。作業の手を止めてひと息ついたとき、もう何度も見てきたその景色に目を奪われる。

「畑で素敵な写真を撮ってSNSにアップするのが楽しいですね」とまじめに語る小松さんに、「そこ?」と苦笑しながら、山田さんは愛おしそうに畑を見渡した。

「7月頃に咲く花が多くて、満開の時は本当にきれいなんです。ここは天国かな、と思うぐらい。誰にも邪魔されないで満開の花畑のなかにいるとき、幸せを感じます。一番つらいのも畑の作業なんですけど、一番リラックスするのも畑。なんとも言い表せない、鳥肌が立つぐらい幸せを感じる瞬間があるんですよ」と山田さん。

縁もゆかりもなかった北海道でゆっくりと、しっかりと根を張っているふたり。育てたハーブで化粧品を作りながら、きっとこれからも、肩を並べて一緒に歩んでゆくのだろう。

Photo: 川しまゆうこ

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Author
稀人ハンター / ライター

1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、企画、イベントなどを行う。稀人に光を当て、多彩な生き方や働き方を世に伝えることで「誰もが個性きらめく稀人になれる社会」の実現を目指す。

Editor
編集者

お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。

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フォトグラファー

若いころは旅の写真家を目指していた。取材撮影の出会いから農業と育む人々に惹かれ、畑を借り、ゆるく自然栽培に取り組みつつ、茨城と宮崎の田んぼへ通っている。自然の生命力、ものづくり、人の暮らしを撮ることがライフワーク。