「人類は植物なしに生きていけない」科学と歴史、最新技術から、これからの嗜好品を考える:植物学者・田中修

鷲尾諒太郎

食卓にのぼるお米、部屋を飾る一輪の花、街に憩いの場をもたらす木立……。

私たちの生活には植物が欠かせない。そしてタバコやコーヒー、お茶や紅茶、あるいはビールやワインなど、さまざまな嗜好品も植物を原料としている。

私たちと「嗜好品」の関係を見つめ直すためには、私たちと植物の関係についてしっかり考えることが不可欠なのではないか——そんな考えから話を聞いたのは、日本における植物学研究の第一人者である植物学者・田中修さんだ。

「『嗜好品の原材料になる』ということは、植物が人間に提供する価値のほんの一部でしかない」

京都府立植物園でインタビューした田中さんはそう語る。

人間と植物の関係について聞くことで浮かんできたのは、「いま、私たちは嗜好品に対して何を求めているのか」という問いだ。

あなたはなぜコーヒーを飲み、ワインを嗜んでいるのか?

日常における「嗜好的な」行動を振り返りながら読んでもらいたい。

(聞き手・文:鷲尾諒太郎 写真:小財美香子 編集:小池真幸)

『万葉集』も植物だらけ? 古来からある人間と植物の深いかかわり

——食料や飲料、薬として、あるいは観賞の対象として、私たちは植物と親しんでいますが、そもそも人類にとって植物とはどのような存在なのでしょうか?

間違いなく言えるのは、「植物がなければ人類は生きていけない」ということですね。

植物が人間社会の中で果たしている役割はさまざまです。まず1つ目は「食料」としての役割。古来から人間は、空腹を満たすためにさまざまな植物を食べてきました。

そして食料が飽和状態になっている社会においては、ただお腹を満たすだけではなく「おいしさ」も求められるようになり、さらに「健康」を維持する機能も求められるようになった。植物は人間の健康も支えているわけですね。これが2つ目の役割です。

3つ目は「環境の維持」。そもそも植物なしの環境なんてものはあり得ないですし、植物は二酸化炭素の濃度を調整する役割も担っています。

4つ目の役割は「エネルギー」ですね。私たちは化石燃料である石炭や石油に大きく依存していますが、これは元を辿れば植物からできている。また、かつては薪や柴(小さな雑木や枝)、枯れ葉などをエネルギーとして活用していました。

「暮らし」を支える、あるいは豊かにする役割もあります。自宅の庭に植物を植えたり、自室に花を飾ったりすることで日々の暮らしに彩りをもたらそうとする人もいますし、通勤・通学路の傍らに咲く野花に心を癒やされたといった経験がある人も少なくないはず。「暮らしに彩りをもたらすこと」が植物の5つ目の役割です。

そして6つ目は「文化」です。人間の文化は植物なしには成立しないと言ってもいいでしょう。日本においては『万葉集』や『古今和歌集』を見ると、さまざまな植物を詠んだ歌が収められています。華道や茶道も植物抜きには語れない文化ですよね。

このように、植物と人間のつながりはとても深く、多岐にわたります。植物は食料やエネルギーとして人間の身体やその活動を支え、また、心に癒やしや豊かさを提供しているのです。

——6つの役割を挙げてもらいましたが、まず生存的な欲求を満たし、その後「暮らしを豊かにする」ものとして、あるいは「文化」に植物を取り入れていったのでしょうか?

いえ、私たちは咲いている花を見たときから、食料やエネルギーといった直接的なものではない、植物の存在意義を見出していたのだろうと思っています。

——植物が咲かせるきれいな花をみることで、人間は植物の新たな存在意義を見出したと。

人間がいつから文化的な活動に植物を取り入れているかは定かではありませんが、先ほど言及したように『万葉集』にはたくさんの植物が登場します。この歌集には約4,500首の歌が収められており、そのうちおよそ1,500首に何らかの植物が詠まれていて、約160種の植物が登場しているのです。

中世には茶道や華道が確立されていたのですが、お茶そのものが日本に伝えられたのは9世紀頃とされていますし、華道が確立される前からきれいな花を切り取り、切り花としてその美しさを愛でることがあったはず。

だからこそ、綺麗な花を咲かせる被子植物は大切にされてきています。

もし、人間がイネやムギなど、食料としての植物しか相手にしていなかったら、環境の変化に対応できずに滅んでしまった植物もたくさんあるはずです。

自らの力のみで生きながらえている植物もたくさんありますが、同時に人間に管理、栽培されることで種を存続させている植物も少なくありません。

植物にとって、人間との「共存共生」は、一つの重要な生存戦略なんです。

もちろん、植物自身が「共存共生をしよう」と考え、そのために生態を変化させているのではありません。ただ、人間がその美しさや香り、あるいは味などに価値を見出し、種をつないでいるものもあるのです。

——お酒やタバコなどの従来の嗜好品は、必ずしも私たち人間が「生きる」ために不可欠なものではありません。私たちは、さまざまな嗜好品の原料になっている植物たちに「身体活動を維持するための栄養になる」以外の価値を見出し、共に生きてきたのでしょうか。

そうとも言えるかもしれません。

いずれにせよ「嗜好品の原料となること」も、人間が植物に見出した一つの価値であることは間違いありませんが、それは植物が持つ価値のほんの一部にすぎないと思いますね。

植物が味や香りを持つ理由

——そもそもなぜ植物は多様な味や香りを備えているのでしょうか? 品種改良などによって味や香りをより人間好みに変えることも、人間と植物の一つの「共存共生」のあり方だと思います。ベースとなる植物本来の味や香りがあるからこその品種「改良」だと思うのですが。

一言で言えば、自らの身を守るためです。

暑さや寒さといった気候、あるいは食害をもたらす病害虫など、植物はあらゆるものから身を守らなければなりません。

そのためにさまざまな成分を生み出し、それがその植物の味や香りを決定しているけれども、「何から身を守らければならないか」は、どこで生きているかによって異なりますよね。

——味や香りによって、植物は身を守っている。

たとえば、クリの渋皮にはその名の通り強い渋みがあって、その渋みはポリフェノールの一種であるタンニン由来のものです。では、なぜクリがタンニンを生成するようになったのかと言えば、クリが自生していた環境に渋さを苦手とする昆虫や動物が多かったからでしょう。

もちろん、クリは「身を守るためにタンニンをつくろう」と考えたわけではありません。進化の過程でたまたま生み出されたタンニンが身を守ることにつながり、タンニンを持った個体が生き残ったから「クリは渋みによって身を守っている」と考えられるようになったのです。

クリに関して言えば、イガと呼ばれる皮やその内側にある鬼皮など、味だけではなくさまざまな方法で身を守っているけれど、それらもすべて環境に適応する過程で生まれたものだと考えられます。

味や香りが多様になるのは、それぞれの植物が生きてきた環境がさまざまだから、と言えるでしょう。

——自生していた環境の差異によって、身を守るために生成する成分が変化する。だからこそ、植物ごとの味や香りがあるわけですね。

それから「辛み」も植物が身を守るための要素の一つですが、一口に「辛み」と言ってもさまざまな成分があります。トウガラシであればカプサイシンですし、サンショウの辛みの元になっているのはサンショオールという成分です。

また、香りも植物が身を守るための重要な要素の一つ。

植物が葉や幹から発散している揮発性物質を「フィトンチッド」と言いますが、これは身を守るために発されています。たとえば、「樟脳(しょうのう)」って知っていますか?

——ショウノウ?

これはクスノキが発するフィトンチッドなのですが、この成分は衣類の防虫剤として活用されています。でも、クスノキ並木の下を歩いていても防虫剤独特のあの香りは感じられません。

その理由は、この香りは傷つけられたときに放出されるものだから。

ちょうどこの植物園にはクスノキ並木があるので、このあと行ってみましょう。葉っぱが落ちていると思うのでそれを拾ってグシャグシャっとこすり合わせてみると、あの独特の香りがします。

つまり、葉っぱに傷をつけると樟脳という香りが放出されるのです。要は虫が葉っぱをかじったときに、それ以上かじられないように放出されるものなんです。

もちろん、そうした成分を持っているのはクスノキだけではありません。植物はさまざまな成分をつくることで、自らの身を守っているのです。

——その一方で「甘さ」など、身を守ることにはつながりそうにない味を持っている植物もいますよね。

それもまた「生きるため」に役立っています。

先ほどお話をしたように、植物には大きく分けて「自力で生きているもの」と「人間と共存共生することによって生きているもの」が存在します。

「甘さ」や「いい香り」など人間が好むような要素は後者、つまり「人間と共存共生すること」にとって大きなアドバンテージになります。

言い換えれば、「甘さ」や「いい香り」といった素養を持っている植物は、人間にそれらをさらに引き出してもらうことで生きている。

さまざまな成分を生成することで身を守ったり、人間との共生関係を築いたりしている植物は「天然の化学者である」と言ってもいいでしょうね。

二番茶、三番茶はなぜ渋い? 虫たちから身を守るために

——私たちは「天然の学者」たる植物が偶然生み出した成分を、味覚や嗅覚を通して楽しませてもらっているですね。

そうです。植物がいつどのような成分を生み出すのか、言い換えれば植物の生態を知ることによって、私たちは植物からの恵みを享受しているのです。

たとえばお茶。5月上旬に採れるお茶は新茶と言われ、特に甘みが強いとされていますよね。

なぜ新茶が甘いのかと言えば、テアニンというアミノ酸の一種が豊富に含まれているからですが、5月上旬に摘まれるチャの木の新芽に豊富なテアニンが含まれている理由は、その生態を考えると見えてきます。

チャの木は常緑樹なので、緑の葉っぱのまま冬を越すのですが、緑の葉っぱのままで過ごすためには凍ったらあかんのです。では、凍らないためにどのような努力をしているのかといえば、たくさんのアミノ酸やビタミンを生成して、葉っぱの中の水分に溶け込ませています。

水に砂糖などの不揮発性の物質を溶かすと凝固点が0度よりも低くなる現象を「凝固点降下」といいますが、チャの木はこの現象を利用して葉っぱを凍らせずに冬を越しています。

つまり、新茶の「甘さ」はチャの木が冬を越すための努力の結晶なんです。

だから、5月にチャの木の葉を採ってそのまま食べれば甘みがあるはずなんですよ。かと言って「じゃあ、冬の葉っぱは甘いんじゃないか」と、冬にチャの木の葉を採って食べたらあきません。

たしかに冬の葉っぱに甘みがあるかもしれませんが、ただ甘いだけだと新たな芽を出す前にすべて食べられてしまう可能性がある。だから、捕食者の体に害をなす成分が含まれているはずなので、生の葉っぱを大量に食べると、戻したり下痢をしたりしてしまうかもしれません。

——「甘い」だけでなく、害をなす成分も生成して、冬を生き延びているんですね。緑茶では二番茶、三番茶は、一般的に新茶に比べて渋みが強いとされていますが、テアニンが徐々に失われてしまうということなのでしょうか?

というよりも、渋みの元になる成分が増えるんです。

徐々に暖かくなってくると虫が活動を始めます。そうすると、甘いままでいては全部食べられてしまう。虫たちから身を守るために生成するのがカテキンです。これがお茶の渋みの元になるので、気温が高くなってから栽培される二番茶、三番茶は新茶と比べると渋みが強くなる。

また、カテキンは抗酸化物質なので、葉っぱを紫外線から守る役割も果たしています。緑茶が健康にいいとされているのは、この抗酸化作用があるからなんですね。

新茶と二番茶、三番茶の間に品質の優劣があるわけではありません。

あくまでも「早めに採れたお茶は甘く、後になって採れたお茶は渋みが強い」というだけに過ぎません。ただ、このように原料となる植物の生態を知ると、その楽しみ方も変わりますよね。

私たちは科学が発達する前から、植物の力を借りてきました。「経験から得られた知恵や教えを、科学の力によって解明してきた」と言ってもいいかもしれません。

科学は「植物の力」を再現できるのか?

——科学が発達した現代では、さまざまな物質を人工的に生成することも可能になりました。私たちは科学によって、植物が持つさまざまな力を再現することができるのでしょうか?

それはどうでしょうか。カテキンの例を続けると、一口にカテキンといってもその種類はさまざまで、ちょっと分子構造を変えるだけで種類が変わります。

「このお茶に含まれるカテキンの種類と組成」を特定できたとしても、それらの物質を同じ割合で、正確かつ大量に生成できる技術は現段階では難しいと思うんです。

それに、お茶の効果はひとつの物質のものではなく、他の物質との相互作用によって生み出されていることもあります。

だから、仮に植物からある物質を抽出して大量に生成できたとしても、その植物由来の食べ物や飲み物と同じ効果を再現できるかどうかはわかりません。

——いくら科学が発達したとしても、植物が持つ力を再現することは難しいのですね。

それに関して言うと、今は植物の味わい方が「機能」に寄りすぎていると思います。ちなみに、嗜好品ってどのように定義されていますか?

——広辞苑には、「栄養摂取を目的とせず、香味や刺激を得るための飲食物」とあります。

いま、この定義で、植物を嗜好品として味わっている人ってどれくらいおられるのでしょうね。

たとえば、お茶を常飲している人も「健康にいいから」という理由で飲んでいる人が多いんじゃないですか。

他にも、国立がん研究センターが2015年にコーヒーを常飲することで心疾患、脳血管疾患、呼吸器疾患による死亡の危険度に有意な低下が見られたという研究結果を発表しました。

また、コーヒーに多く含まれるクロロゲン酸がダイエットや肌質の改善につながるという研究結果が発表されたことで、それまでコーヒーを飲まなかった方がコーヒーを飲むようになったということも聞きます。

——お茶やコーヒーなどの嗜好品も、現代では「機能性」が重視されて消費されていると。

お酒で言えば「フレンチ・パラドックス」が有名です。これは「フランス人は他のヨーロッパ諸国の人々よりも動物性脂肪を好み、摂取量も多いにもかかわらず、動脈硬化の患者や心臓病での死亡者が少ない」ということを表す言葉ですが、そのパラドックスを生み出しているのが赤ワインに含まれるポリフェノールだとされています。

このことが日本で紹介されたとき、赤ワインブームが起きましたよね。

このことからも、“嗜好品”をほんまに「栄養摂取を目的とせず、香味や刺激を得るための飲食物」として楽しんでいる人って、そんなに多くないように思えます。

嗜好品のことを考えるなら、この現状を踏まえなあかんと思います。

最新の技術から考える、嗜好品との向き合い方

——これからの植物由来の嗜好品を考える上で、どのようなことに注目すべきだと思いますか?

今後は加工技術の重要性がより増していくのではないかと思います。

お茶や紅茶、コーヒーもビールもワインもどのような加工を施すかによって味や香りは大きく変わりますよね。それは加工技術によって、植物の持つ味や香りをいかようにも人の嗜好に合わせることができるということ。

そして、植物に関する技術は日々進化していて、少し前には想像すらできなかったことができるようになるかもしれない。

——どんな未来が想像できるでしょうか?

加工技術と直接つながらないかもしれませんが、たとえば、名古屋大学の研究チームが、ナス科タバコ属植物が遠縁の多様な植物との接ぎ木が可能であることを発見し、2020年8月に論文を発表しました。

接ぎ木は古くから活用されている農業技術ですが、同じ科に属する植物同士でしか接ぎ木はできないとされていました。しかし、タバコ属の植物がどのような科の植物とでも接ぎ木が可能であることがわかったのです。

——どういうことですか?

つまり、科が異なるAとBという植物の接ぎ木も、タバコ属の植物を間に挟むことによって可能になるかもしれないということです。

たとえば、台木(接ぎ木する植物のうち、根っこの方にある植物のこと)をマメ科の植物にすることで、ほとんど窒素肥料を使わずに植物の栽培ができるようになるかもしれないのです。

——窒素肥料がなくても栽培できるようになる。

マメ科の植物は、根粒菌という土壌細菌の一種と共生しているんです。

この細菌は、根に形成される根粒に棲みつき、空気中の窒素をアンモニアに変換する働き(窒素固定)をし、それを宿主に供給することで、マメ科植物の生長に大きく貢献します。

極端に言えば、根粒菌と共生しているマメ科植物は、ほとんど窒素肥料なしに生きられるんですね。

たとえばマメ科植物を台木にして、タバコ属植物を挟んでトマトと接ぎ木すれば、窒素肥料を使わずにトマトを栽培できるようになるかもしれません。これはあくまでも可能性の話ですけどね。

——マメ科の植物の特性によって、環境に負荷のかからない栽培方法が研究されていると。嗜好品の原料となる植物の栽培法にも変化があるかもしれませんね。

そうですね。さまざまな技術によって「植物のどのような力を引き出すのか」。

それがこれからの嗜好品を考える上では重要だと思いますね。

(撮影協力:京都府立植物園)

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ライター

1990年、富山県生まれ。ライター/編集者 ←LocoPartners←リクルート。早稲田大学文化構想学部卒。『designing』『遅いインターネット』などで執筆。『q&d』編集パートナー。バスケとコーヒーが好きで、立ち飲み屋とスナックと与太話とクダを巻く人に目がありません。

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編集、執筆など。PLANETS、designing、De-Silo、MIMIGURIをはじめ、各種媒体にて活動。

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