愛知県名古屋の中心地に、雑踏の中にひっそりと居を構える一軒の小さな日本料理店「出雲」がある。
完全会員制の店であるため、気軽に足を踏み入れることはできないが、いざ門をくぐると、そこは世界と縦横無尽に繋がっていた。

味覚に優れた各国の要人たちの舌を驚嘆させる、類い稀なる才能を持つ料理人の大谷重治さんに、料理に向かう姿勢や嗜好体験の探究など、話を聞いた。
(取材・文:江澤香織 写真:川しまゆうこ 編集:笹川ねこ)
秘密のコックピットは驚異の世界だった
「これ、いいでしょう」とニコニコしながら見せてくれたのは一枚の大きな絵画、現代アートだった。描いたのは大谷さん本人だ。

仕事の合間をぬって、数カ月かけて少しずつ完成させていったのだという。人並外れたセンスと、果てしない労力がなければ、決して描けないような大作である。
また、ふと見かけた壁に静かに掛かっている画家・熊谷守一風の小さな絵も「ああ、それ実は僕が描いたんです。“まがい守一”って呼んでるんですよ」といたずらっぽく笑う。

創作する時間は楽しいからなんの苦もない、と飄々と言って退けるが、大谷さんという人物が、果たして本当に料理人なのかもはや分からなくなってくる。
大谷さんの脳みそともいえる、コックピットのような秘密の部屋にご案内いただいた。中はそう簡易な言葉では表現できない異次元の博物館、学者とマジシャンと芸術家が同居したようなワンダーランドだった。
現代のヴンダーカンマー(驚異の部屋)といってもいいかも知れない。小さな秘密基地には、たくさんの貴重な品々で溢れ返っていた。

ぎっしり並んだ本は料理書ももちろんあるが、日本の歴史や文芸にまつわる書物から、芸術、デザインの専門書まで幅広いジャンルが並び、底知れぬスケールの深さを感じさせる。

本の合間には、そう簡単には手に入らないであろう色褪せたラベルの年代物のウイスキーやワイン、優美な骨董の器などがあるかと思えば、カラフルでユーモラスなアートやオブジェがポンと無造作に並んでいて、不意に心和む空気を醸し出している。

音楽、芸術、工芸など、多様なジャンルのアーティストと親交が深い大谷さんは、同じ価値観を持った者同士、彼らとの交流の中で授かったものも多いという。
知的好奇心と遊び心が濃厚に詰まった数寄者コレクションの数々は、ブレない芯がありながらも、バラエティに富んでおり、大谷さんの重厚な守備範囲に驚くばかりである。
料理人という枠を飛び超えた、独自の審美眼と世界観に圧倒させられる。
料理は身近な存在だったが、料理人になる気はなかった

大谷さんは名古屋出身。2歳の時に島根県出身の両親が日本料理の店を開き、子供の頃からその姿を見て育った。両親には小さな時から寿司屋をはじめ一流の店へ連れて行ってもらうことも多く、味覚は自然と鍛えられた。
「幼稚園の頃アワビが大好きで、しかも切ったやつは食べずに、水槽の前に行って、これがいい!って選んでいました。ありがたいことに上質なものに触れさせてもらえる機会は多かったし、食に関してはかなり贅沢な環境だったと思います」
しかし、料理人には全くなりたくなかった、と大谷さんはいう。
絵を描いたり、写真を撮ったり、音楽に親しんだりすることの方に興味を持っていた。バイクに乗ることも好きで、度々テントを背負っては日本一周の放浪の旅に出ていた。
飲食店で働いてはいたが、何か大きな志があったわけでもなく、なんとなく働き、お金ができたら旅に出ることの繰り返し。ただフラフラと過ごしていたという。

やがて実家の店の後を継いだ。
当時は会員制ではなく普通に営業していたが、時代とともに街の様相は変わっていった。次第に周りに飲食店は減り、客もあまり来なくなり、風俗街のようなところにぽつんと一軒、取り残されたようになってしまった。
お金はなく、体力は衰えていく。このまま料理人として働いていても希望を感じられなかった。
ある時、親の時代から馴染みだった客が友人を連れてやって来た。
その客は、当時店にあった食材を並べたガラスケースを見た途端「お兄ちゃん、これはなんだ?俺が欲しいのはこれじゃない」と一喝された。「次はちゃんと仕入れて来い」と札束を投げられ、何も食べずにその客は去っていったという。大谷さんが27歳の時だ。
本当にこのままでいいのか、自分は一体何がしたいのか。我に返る出来事だった。
その日を境に、大谷さんの仕事への姿勢は変わっていった。料理の原点へ立ち戻り、古い文献を隅々まで読み漁った。怪我をしては仕事ができないとバイクも辞めてしまった。
そして今は、「何をやっても楽しい」と生き生きとして料理に向き合う。
目の前で、即興で料理する“ファンタジスタ”
大谷さんが、目の前でさっと鴨を捌いてくれた。




まな板は全く汚れず、ものの2分とかからない素早さ。その様子はあまりに芸術的で、まるで音楽を奏でているかのようだった。




絶妙なタイミングで炙った鴨は、味の本質を引き出した、鴨本来の旨みに深く満たされていた。
目の前で、即興で、素材の美味しさを届ける——。そのスタイルと確かな腕前は、出雲を訪れた客が、大谷さんを“ファンタジスタ”と称する所以でもある。
世界の風土、歴史文化、そこに集う人々とセッションする
大谷さんのフィールドは今や日本だけではない。
彼の料理が食べたい、と世界中からお呼びがかかる。まるで物語の世界のような、想像を超えた、とある重要人物たちが集う会合で腕を振るうこともある。
イタリア、スコットランド、ネパール、グアテマラ……大谷さんはたった一人で、包丁だけを携えて、軽やかにどこの国へでも飛んでいく。

鴨を捌いた様子からも伝わるように、大谷さんの料理人としての凄さの一つは即興性だ。
その土地の気候や風土、場の空気やその日の客の様子を瞬時に細密に感じ取り、臨機応変な対応で、その場にふさわしい料理を紡ぎ出す。
扉を開けた瞬間の相手の表情から、今日の料理で自分は何をどうするべきか、即座に判断していくという。
「声の張り方、体格、歩く歩幅も人それぞれで違います。例えば床板の上を歩く足音の大きさとか、水を飲む時の肘の角度とか、それはガブガブ飲むのかゆっくり飲むかなど、その人が今どんな状態なのか観察できることは多々ある」
「僕は、彼らが安心して美味しく料理を食べ、喜んでくれたらそれでいい」
やるべきことを細やかに察したら、鋭い機転で求めに応じ、さらなる高みを超えていく。
即興で音を奏で、たちまち場を魅了する音楽家やDJのようであり、一期一会のおもてなしを最大限に心尽くす茶人のようでもある。
ただ客にへり下るのではなく、まるでセッションをするように、お互いの感性を交換し合いながら、より崇高な世界を作り上げていく。

時には世界の要人を相手に料理することもあり、重要な神事で御膳を出すこともある。様々な人種、宗教、その土地の文化を理解して尊重し、それぞれに合わせて細密に調整する。
そのために多くの文献を読み、教えを乞い、常に深い学びを怠らない。物事の源流を見つめ、しっかり紐解くこと。大谷さんが最も大切にしていることだ。
「その中でたまたま自分は今、日本料理という切り口で表現しているだけ。最終的にはそういうカテゴリーを超えて、単純に“料理”として表現できたらいいなと思っています」

「水を飲んで、その土地を理解する」料理とドリンクの関係
大谷さんは、ドリンクもオリジナルで組み立てることが多い。考え方のベースは料理と同じだ。ペアリングの場合、料理も飲み物に主従があるとは思っておらず、「どちらが主体になってもいい」という。
選び抜いた最上質な素材、体に良い、安全なものであることは大前提の上で、土地の気候風土や歴史・文化を深く読み解き、人類にとって普遍的な理論や情緒、価値を大切にしながらその日のストーリーを練り上げていく。


「その土地へ行けば、その土地の水がある。水を飲んで、その土地を理解する」と大谷さん。
水の特性、素材そのものの良質さを最大限に生かし、土地の気候風土が体の中に染み渡って行くことが感じられ、その地に抱くワクワクする思いや郷愁などをすくい上げる。
当日は、その場の雰囲気、人々の表情を細やかに観察して即座にチューニングする。
それぞれ口に入れたときの驚きや感動があり、お互いの邪魔をせず良い印象が残ること。最終的に次の日にも身体が快適であると感じられること。そう思える最上の場を作ることを大切にしている。

料理という時間芸術、「新たな嗜好体験」を生み出すために
文明の進化で最新のテクノロジーを駆使することができても、原点に戻って考える感覚は大切にしたい、と大谷さんはいう。本質という揺るぎない土台があるからこそ、表現は自在になる。
「冷蔵庫や真空パック、スチームコンベクションオーブンなど、現代は簡単に便利な機器を使うことができますが、温度、湿度、気圧など、根本を見つめて考えれば、夏でも冬の環境を作れる可能性があるし、例えば台風が近づくなど、気候による気圧の変化も考えられる」
「そういうものの原点に重心を据えた感覚は大切にしたい部分です」

そんな大谷さんはどのように時間芸術たる新たな嗜好体験を生み出しているのか。
「いまの話と繋げると、テクノロジーを使うことで、僕は太古の昔から現代までを自由に行き来できるタイムマシンを手にしたような気持ちになります」
「どんな名レシピであっても、今この時代に生きる人が作り、そこに居る人が食べている。そういう意味で時間芸術ですが、その時間の捉え方次第で、面白さも多様に違ってくるように思います」

大谷さんは、料理を通じて森羅万象と向き合い、歴史や未来に思いを馳せる。
「新たな嗜好体験というとやや格式張ったイメージに感じますが、求められた場で手に入る素材があり、自分に出来ることがあるのなら、食べる人や場を思い描きながら、自分が思い浮かんだ相応しい仕事をする。ただそれだけです」
「その結果が新たな嗜好体験だったり、日常だったり、嗜好が排除された形だったり、必要な相応しい落とし所にちゃんと落ちることを、関わった人が個々それぞれの立場で体験する行為になっていくのだろうと思います」
「それは決して100%共有できるものでは無いので、その差異が美しかったり、悲しかったり、可笑しかったり、それぞれが個々に浮かび上がる心をすくい取るだけだと思っています」
「その中に“ご馳走様”なんて言葉があれば、それは料理人冥利に尽きるなぁ、と思います」

フード・クラフト・トラベルライター。企業や自治体と地域の観光促進サポートなども行う。 著書『青森・函館めぐり クラフト・建築・おいしいもの』(ダイヤモンド・ビッグ社)、『山陰旅行 クラフト+食めぐり』『酔い子の旅のしおり 酒+つまみ+うつわめぐり』(マイナビ)等。旅先での町歩きとハシゴ酒、ものづくりの現場探訪がライフワーク。お茶、縄文、建築、発酵食品好き。
『DIG THE TEA』メディアディレクター。編集者、ことばで未来をつくるひと。元ハフポスト日本版副編集長。本づくりから、海外ニュースメディアの記者まで。企業やプロジェクトのコミュニケーション支援も。岐阜生まれ、猫好き。
若いころは旅の写真家を目指していた。取材撮影の出会いから農業と育む人々に惹かれ、畑を借り、ゆるく自然栽培に取り組みつつ、茨城と宮崎の田んぼへ通っている。自然の生命力、ものづくり、人の暮らしを撮ることがライフワーク。