和歌山のみかん農家が教えてくれた 柑橘文化と最新トレンド

江澤香織

和歌山県はフルーツ王国。一年中途切れることなく、なにかしらのフルーツが実っている。その中でも冬はみかん、柑橘の最盛期だ。

県内を車で走っていると、黄色やオレンジ色の実をたわわに実らせた木々をあちこちで見かける。

日本の柑橘文化の源流を辿るため、田辺市で膨大な品種数の柑橘を育てる「紀州 原農園」と有田川町で草生栽培を行う「まつさか農園」へ。そして、柑橘を使ったドリンクを味わえる「バー オクト(Bar Oct.)」を訪ねた。

和歌山における柑橘について、それぞれに話を聞いた。

(文:江澤香織、写真:川しまゆうこ、編集:川崎絵美)

江戸で大評判になった、和歌山みかんの歴史

日本人の日常に、切っても切り離せない果物、みかん。冬でも温暖な気候に恵まれる和歌山県は、みかんの一大生産地である。

紀伊半島の大部分に位置する和歌山県は、周囲を海に囲まれ、県の面積の77%が山林。平地部が少なく、海岸線からすぐ山が迫ってくる。このような独特の地形が、適度な湿気と適度な乾燥を保ち、みかんの栽培には適しているという。

山を見回すと斜面には大抵みかんの木が植わっており、段々畑のように石垣が作られている。昔の人は有田川流域から石を少しずつ運んでは山を開拓し、急な斜面にコツコツと石垣を組んでいったそうだ。先人達の涙ぐましい努力の跡を今も見ることができる。

和歌山県のみかんの歴史は古く、室町時代にはあったようで、有田市の神社に残る書物に「蜜柑」という言葉が記されている。江戸時代には紀州藩初代藩主の徳川頼宣が奨励したことで、栽培が盛んに行われるようになった。

寛永11年(1634年)には船で江戸への出荷が始まり、紀州のみかんはおいしいと大評判になった。江戸中期の大商人、紀伊国屋文左衛門は、みかんで巨万の富を築いたといわれ、その破天荒な生き様は江戸の人情本や歌舞伎にも取り上げられるほどだった。

当時のみかんは種が多い方が子宝に恵まれ縁起が良いとされており、種のないものは武士などは絶対に口にしなかったといわれている。

地元の産直市場を覗くと、和歌山の柑橘の豊かさがよく分かる。広大なスペースに黄色や緑、オレンジ色の果実が色とりどりに山盛りでずらりと並んでいる。

柑橘コーナーは生産者の名前ごとに分類され、さまざまな品種が選び放題。ビタミンカラーの大行列に、テンションが上がらずにはいられない。

江戸時代から続く柑橘農家で多品種栽培

紀州 原農園」は、和歌山県田辺市の山間地にある。江戸文政年間より継承されている農園で、原拓生さんは七代目だ。

「紀州 原農園」の七代目、原拓生さん

戦前は金柑などを栽培しており海外に輸出もしていたという。戦後になって日本の西南暖地と呼ばれるエリア(主に四国、九州などの瀬戸内海沿岸地域)を中心に温州みかんの大増産が始まった。

田辺ではみかんと同時期に梅の栽培も始まり、温州みかんが一時期大暴落した時には、大多数の農家が梅に変わっていったという。原農園のある地域は、別の柑橘を探す農家も多く、現在は温州みかんと梅、その他柑橘の三本柱でやっている農家が多いとのこと。

「南紀白浜がリゾート地なので、観光客へのお土産やホテル、レストランなどで、年間通じて柑橘の需要があったことが大きいと思います」と原さん。

原さんは学生時代を関東で過ごしたが、卒業するとすんなりと実家の農業に従事した。

「若いときはいかに田舎を脱出するか考えていましたし、東京にいた頃はバブル絶頂期で面白い体験もさせてもらった。就職もしやすい時代でしたけど、うちの親父が楽しそうに働いていたので、農業も面白そうだなと思いました。インターネットが普及し始めた頃で、田舎にいても情報は得られると思い、帰ってきました」

どの柑橘にもそれぞれの魅力がある

「最近流行っているのはフィンガーライム。シャクシャクして面白い食感でしょ。柑橘のキャビアと呼ばれています。10年前はアメリカからの輸入しかなくて、冷凍ですごく高かった。うちは日本ではかなり早く栽培を始めました」

柑橘のキャビアと呼ばれる「フィンガーライム」

「こちらは仏手柑(ぶっしゅかん)。関西では需要が多くて、形のいいものは正月飾りや、茶席での初釜の飾りに使われますが、レストランでは香り付けに使うこともあるんですよ。元々はレモンの原種に近い品種です」

原さんはまるで研究者のように、ひとつひとつの柑橘の木の前で、実をもいではみんなに差し出し、くわしく説明してくれる。試しに仏手柑の葉の香りを嗅ぐと、驚くほどの清涼な香りにうっとりした。

ネーブル、はっさく、コブみかん、ベルガモット、スウィーティーなど、原さんの農園はとにかく柑橘の種類がとんでもなく豊富だ。広大な畑が、まるでみかん博物館のように、手入れされたあらゆる品種の木が植えられている。

70種類以上はあるらしいが、本人も正確な数は把握できていない。「売るためというよりは、品種が途絶えないように育てている木もたくさんある」と原さん。

これだけたくさんあっても手間を惜しまず、できるだけ自然に近い、環境に優しい農業を実践し、エコファーマーに認定されている。

もともとこの地域は多品種で栽培する農家が多かったが、原さんは、温州みかんを一気に全国で販売するよりも、お客さん一人一人と長く丁寧に付き合いを続けたいと思った。相手の要望に応えていたら、次第に品種が増えていった。特にレストランシェフとの繋がりが広がると、加速度的に増えたそうだ。

「こだわりの農家とこだわりの料理人を繋ぐ、という県の取り組みがあり、農家を巡るシェフツアーなども行われていました。そこで気に入っていただき、料理人からの口コミで広がっていった感じです」

「日本で仕事をするフランス人シェフからは、西洋で使っているような柑橘はないのかと問われ、作っているうちにどんどん品種が増えていきました」

料理人は全国、または世界中からもやって来るようになった。ミシェランの星付き有名店のシェフも訪ねて来る。飲食店とはしっかり信頼関係を築き、長い付き合いを続けるようにしている。

農園の近くにある廃校になった小学校を使って、仲間たちと立ち上げた交流施設「秋津野ガルテン」では、その一角にある「お菓子体験工房『バレンシア畑』」にて、柑橘を加工したデザートやジャムを販売している。

地域住民が出資して、使われなくなった小学校跡をリノベーションし、都市と農村の交流を目指したグリーンツーリズム施設「秋津野ガルテン」

お菓子やアロマオイル作り、染め物体験など、柑橘と触れ合えるさまざまなワークショップも実施している。建物2階には手作りの柑橘資料館があり、かなり膨大で詳細な(でも子どもが読んでも楽しめるような)柑橘に関する資料展示を見ることができる。

地域のみかん作りの歴史を紐解いた柑橘資料館

敷地内には農家レストランもあり、搾りたてみかんジュースは目を丸くするほどのおいしさだった。

原さんの使命は、柑橘にはたくさんの種類があることをもっと世の中に知ってもらい、それぞれの個性を楽しんでほしいということ。

「品種が多いと栽培は正直ひたすら面倒くさいんです。だからできるだけ楽しまなければ。一番好きな柑橘は?ってよく聞かれるんですけど、自分は学校の先生みたいなものなので、一番はないです」

「それぞれの子たちにそれぞれの居場所があると思っています。これは生で食べるとおいしいけれど、これはこんな料理に合うとか。癖の強い子も、その子に合わせた生きる場がある。そうしないと残らないんですよ。違うものが色々あるから魅力的で面白いんです」

原さんは愉快に冗談を交えながら、まるで我が子のように愛情を込めて柑橘ひとつひとつを語る。

原さんの話を聴きながら、色も形も香りもさまざまな畑の実を次々と味見していると、“みんなちがって、みんないい(金子みすゞ)”の言葉通り、柑橘のバラエティの豊かさが改めて面白く、それぞれに愛おしさを感じてしまう。

みかんにも人間にも心地良い、草生栽培

みかんというと一般的には「温州みかん」を指す。薄い皮を手で剥いて食べられる、日本のお茶の間でお馴染みの柑橘である。

「和歌山では温州みかんの生産が特に盛んですが、実際には温州みかんだけで100種類以上の品種があります。うちが作っているのは9品種くらい」

急斜面の畑を歩きながら、もう一軒訪ねた「まつさか農園」の三代目、松坂進也さんが説明してくれた。

「まつさか農園」の三代目、松坂進也さん

「12月頃に温州みかんの収穫が終わると、次は伊予柑やデコポンなど、中晩柑(ちゅうばんかん)と呼ばれる品種が出てきます。中晩柑とは、年明けから5月にかけて実のなる柑橘類の総称です。これも数え切れないほど種類があります」

時期をずらして次から次へといろんな品種の柑橘が登場するので、みかん農家はずっと大忙しだ。おかげで和歌山県民は長く柑橘を楽しむことが出来る。

まつさか農園では草生栽培を行なっている。畑の下に草を生やして土壌を管理する方法である。

「うちでは基本的に地面は常に緑でふさふさしています。といっても、ただ雑草を生やしっぱなしにしているのではなく、なんでも生えていれば良いというわけではありません。これはヤエムグラ。ふわふわして見た目も可愛いですよね。食べることもできます。マメ科の植物で、地面に栄養分を補給してくれます」

他には、ナギナタガヤ、ヒメイワダレソウ、クラピアなど、基本的にはみかんと相性の良い草を選んでいる。雑草ではなく、それぞれ役割を持っている。みかんと草が仲良くできているか、そして自分たちも無理な負担がなく管理可能なのかを考え抜いて生え具合を調整している。

「自然栽培は実際には草刈りがものすごく大変で、例えば夏の猛暑の中で作業をしていたら人間がくたばってしまう。人の負担も極力抑えつつ、土が元気になる方法を考えながらコントロールしています」と松坂さん。

話をしながら土を掘り起こすと、良質な微生物が循環した、ふかふかと真っ黒な土が現れた。

子どもの頃に食べたおいしさを次の世代に

松坂さんは子どもの頃から実家のおいしいみかんを食べていたが、農業には全く興味がなかったという。大学時代には広告研究会でマーケティング理論を学び、京都でITの会社に就職していた。その後、仕事を辞めてぶらぶらしていた時に祖父が倒れ、畑を手伝ってくれないかと頼まれた。

「ちょっとやったるか、くらいの軽い気持ちで。全くもって農業を舐めていました。いざやってみたら全然儲からないですし。そこからどうしたらうまく行くのか考えに考えて、大学で学んだことも役立ちました」

みかんの生産者は年々減っており、高齢化している。

「10年前の段階で平均年齢70歳だったので、もう終わりかなんていわれていたけど、今80代の人たちがまだ元気に頑張って作っている。農業従事者は減っているが、数少ない若手が畑を一手に継いで、畑をなんとか維持している。一人当たりの栽培面積がどんどん増えているんです」

みかん農園はかなり急な傾斜地なので働き手には危険であり、昨年も死者が出たそうだ。

農業に関心のある旅人が季節労働を手伝う施策などもあるが、それに頼るのは根本的な雇用問題の解決にはなっておらず、農業に従事することは難しい、と松坂さんは話す。

「でもこの急傾斜地の中には、何もしなくても植えているだけで、むちゃくちゃおいしいみかんが採れる魔法の土地があるんですよ。ただ作業効率が悪いので、そういう土地がどんどん捨てられていってしまうのは悲しい。“日本一のみかん農家”って言われるような方の畑も信じられないほどの魔法の土地なんですよね」

まつさか農園のもう一つの特徴は、果実が完熟するまで樹上に残しておく完熟栽培である。先代の頃は収穫が追いつかないという理由もあり、自然と完熟のみかんを作っていたそうだ。

その中でも特別な「樹上熟成灯みかん」は最近人気が高まっている「ゆら早生(わせ)」という品種を、限られた場所でのみ1月から1月半くらい木の上で完熟させた特別なみかんだという。

「みかんがまだ少し若い状態で収穫して、貯蔵で熟させるのが通常の出荷。そうすると酸味がまろやかになり、貯蔵ならではの良さもあります。樹上完熟だとまだ植物の生長が行われているので糖度が上がり、貯蔵で熟させるのとは違ったアミノ酸の変化も起こって味に深みが出る。旨み豊かで甘みと酸味のバランスの良いみかんになることを目指しています」

子どもの頃においしいと思っていたみかんをずっと食べ続けていたい、という思いは、松坂さんが就農した一番の大きな理由でもある。

このおいしさを次世代へ繋げたい、という一心で松坂さんは柑橘栽培を続けている。

柑橘は身近で優秀なコミュニケーションツール

JR紀伊田辺駅周辺には、細い路地に居酒屋やバーがひしめき、その数は200店を超える。駅から徒歩1分もかからないところにある「バー オクト(Bar Oct.)」は、旬のフルーツを使ったさまざまなカクテルが人気だ。

オーナーでバーテンダーの岡本格(おかもといたる)さんは、カクテルもノンアルドリンクも、料理やお菓子まで、なんでも自分で作ってしまう人で、コロナ渦でお酒がNGだった時期はアフタヌーンティーを企画し、何種類ものお菓子を自分で焼いていたそうだ。

和歌山県は年中フルーツが豊富だから、カクテル作りには困らない。

特に冬は柑橘でいくらでもカクテルのアイデアが浮かぶという。決まったメニューはなく、お客さんと飲みたいものを相談しながら即興で作り上げていく。

「2月から3月は特に柑橘のピークですね。田辺は港が近いから魚がおいしく、刺盛りが人気ですけど、このシーズンなら柑橘の刺身盛り合わせもできてしまいますよ。色んな果実を生で食べ比べても、果汁の飲み比べをしても楽しいと思います」

希少なじゃばらを使ったカクテル。「ジャバラッセン」と命名

岡本さんは原農園やまつさか農園とも交流があり、この日カゴに盛られた多種多様な柑橘の中にも同農園のものがあった。

楽しい会話を交わしながらテンポ良く作ってくれたのは、和歌山県の北山村で栽培されている希少な柑橘「じゃばら」にブルーキュラソーとウォッカを混ぜた海のようなカクテル。そして、柚子の皮にバニラ香を感じるという生産者との会話からインスピレーションを得た、ホットの柚子バニラミルクティー。

素材の良さを上手に引き出しながら、独自の感性でアレンジを加えた、この土地らしいストーリーを感じさせるドリンクだ。

最後に出してくれたのは、関西名物のレトロなミックスジュース。親しみを感じる懐かしさがありつつも、バーでなければ出せない、上品な味わいの大人のミックスジュースだった。

「和歌山県では柑橘はもらうもの。優しい人は箱でくれるし、優しくない人はコンテナでくれる(笑)。がんばって食べないとなくならない。みかんって大阪の飴ちゃんと一緒で、みんなで分けて、すぐ食べられて、優秀なコミュニケーションツールですよね」

その後訪ねた居酒屋でも、お刺身や揚げ物などあらゆる料理の脇には必ず柑橘が大きめに切って添えられていた。

偶然立ち寄ったビールの醸造所では、お土産にみかんをたくさん持たせてくれた。

和歌山ならではの豊かな柑橘文化は、日常の中に深く染み込んでいた。

まつさか農園
紀州 原農園
秋津野ガルテン
バー オクト(Bar Oct.)
和歌山県田辺市湊996 NANKAIROビル 1F
090-5055-2694

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Author
フード・クラフト・トラベルライター

フード・クラフト・トラベルライター。企業や自治体と地域の観光促進サポートなども行う。 著書『青森・函館めぐり クラフト・建築・おいしいもの』(ダイヤモンド・ビッグ社)、『山陰旅行 クラフト+食めぐり』『酔い子の旅のしおり 酒+つまみ+うつわめぐり』(マイナビ)等。旅先での町歩きとハシゴ酒、ものづくりの現場探訪がライフワーク。お茶、縄文、建築、発酵食品好き。

Editor
編集者

お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。

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フォトグラファー

若いころは旅の写真家を目指していた。取材撮影の出会いから農業と育む人々に惹かれ、畑を借り、ゆるく自然栽培に取り組みつつ、茨城と宮崎の田んぼへ通っている。自然の生命力、ものづくり、人の暮らしを撮ることがライフワーク。