ゲームやアニメ、漫画をはじめ、国境を越えて人気を博している日本発の文化は少なくない。日本茶や日本酒といった食の嗜好品もその一つだろう。
いま世界で評価される日本文化には、いかなる条件や共通点があるのだろうか?
この問いについて、ヒントを与えてくれるキーワードが「新ジャポニズム」だ。
19世紀後半、日本の美術や工芸がヨーロッパで高く評価され、西洋芸術に大きな影響を与えた潮流「ジャポニズム」。昨今はその再来として、世界の人々から日本のカルチャーに熱い視線が注がれる「新ジャポニズム」の潮流が起こっていると見る向きがある。
日本のポップカルチャー研究家であるマット・アルトさんは、著書『新ジャポニズム産業史 1945-2020』(日経BP,2021)の中で、海外の人々の好みや現実までをも変えてしまう力を持った日本製のプロダクトやコンテンツを「ファンタジー・デリバリー・デバイス」と定義。その構成要素の一つとして「Inessential (必需品ではないこと)」、すなわち「嗜好品であること」を挙げる。
本記事ではマットさんにインタビューし、「新ジャポニズム」のありようを紐解いていく。アメリカを中心とした日本文化受容史、そしてアニメ・漫画から抹茶まで、日本発の文化や嗜好品が海を越えて愛されている理由とは?
(聞き手・執筆:鷲尾諒太郎 撮影:田野英知 編集:小池真幸)
ティファニーも影響を受けた? 19世紀の欧米における「ジャポニズム」
——そもそも「新ジャポニズム」とはどのような概念なのでしょうか。
「新ジャポニズム」を語るには、その原点である「ジャポニズム」について説明しておかなければなりません。
1853年、黒船が来航したことをきっかけに日本の鎖国は終わりを告げ、日本製の生活品や美術品がヨーロッパやアメリカへと輸出されるようになりました。
特に注目されていたのは浮世絵ですね。ヨーロッパやアメリカの人々は浮世絵の独特な構成や色彩に魅了され、美術やプロダクトのデザインなど、さまざまな分野に浮世絵的な表現を取り入れると共に、浮世絵以外の日本文化への憧憬を抱くようになった。
こうしてさまざまな分野で広がった「日本趣味」、わかりやすく言えば「日本ブーム」のことを「ジャポニズム」といいます。その影響は大きく、たとえば世界のトップブランドの一つであるティファニーは、ジャポニズムを起点に躍進を遂げたブランドだと言われています。

——え、あのティファニーですか。
はい。ティファニーは1837年、ニューヨークで生まれた会社ですが、当初はただの雑貨屋さんでした。
しかし、創業者が日本製のさまざまな工芸品や葛飾北斎の浮世絵を目にし、衝撃を受けたことをきっかけに「日本のものよりも日本的なものをつくろう」と、ジャポニズムを取り入れたカトラリーや食器類をつくった。そうして高級路線を打ち出したことによって、ブランドとしての地位を確立したとも言われています。
つまり、日本の影響がティファニーのブランド形成に寄与したのです。
——19世紀末に欧米で巻き起こった「日本趣味」ブームが、「元祖ジャポニズム」だということですね。
ただ、19世紀末に生まれたジャポニズムは、20世紀中頃には衰退してしまいます。理由は第二次世界大戦です。日本と敵対するようになったアメリカを中心とした連合国陣営は、徹底的にジャポニズムを排除しました。
しかし、戦後20年もしないうちに、アメリカではまた日本ブームが起こります。まず、1950年代にアメリカの物質主義の生活を拒否した「ビートニク」と呼ばれる若者たちが、極東の哲学から影響を受けました。1960年代に入りベトナム戦争が激化すると、今度は「ヒッピー」という若者が反戦、平等などを掲げました。
ビートニクやヒッピーは、仏教思想、特に「禅」に関心を寄せ、自らの哲学に禅の思想を取り入れることで、資本主義社会に抵抗するための新たな行動様式を確立しようとしました。また、テレビを通じて日本の学生運動を見て、そのスタイルを模倣したとも言われています。具体例として、全学連などがデモ中に腕を組んで蛇のように動いた「ジグザグデモ」を、「ジャパニーズ・スネーク・ダンス」と呼んで取り入れました。それが多分、戦後最初の日本ポップカルチャーブームです。
21世紀、ゲームやアニメが生んだ「新ジャポニズム」
——しかし、そのブームもまた下火になったのでしょうか。
そうですね。日本は1968年にアメリカに次ぐ経済大国にのし上がります。グローバルなマーケットでの存在感を増す中で、1970年代後半から1980年代にかけて日米間に激しい貿易摩擦が生じ、アメリカでは反日感情が高まりました。
ただ、それは大人たちの間での話であって、この頃に生まれたアメリカの子どもたちが持つ日本に対する感情はまったく別のものでした。
私自身、1973年に生まれたわけですが、物心が付いたころには反日感情どころか、日本に対する憧れを抱いていました。その憧れを生み出していたのは日本製のおもちゃであり、ゲームです。
中でも決定的な役割を果たしたのは、アメリカでは1985年に「Nintendo Entertainment System」として発売されたファミリーコンピュータ、つまりファミコンです。

私が生まれた当時、すでにアメリカでも日本製の製品は珍しいものではありませんでした。我が家にも日本製の腕時計やカメラ、あるいはビデオデッキがあったことを覚えています。しかし、ファミコンはそれらとは一線を画す存在だったんです。
たとえば、日本製のビデオデッキがあったとしても、再生するビデオはアメリカのテレビを録画したものだったり、ハリウッドの映画だったりするわけですよね。
でも、ファミコンで遊ぶには、日本製のソフトが必要です。そして、日本製のゲームソフトには、日本人の世界観やセンスが詰め込まれている。つまり、私たちはファミコンを通じて日本という国に触れることになったわけです。
そして、時を同じくしてサンリオの「ハローキティ」や、パズルのような変形ロボット玩具である「トランスフォーマー」、ゴジラなどの特撮もの、90年代に入ってからは、『スーパー戦隊シリーズ』をベースとした『パワーレンジャー』や、『ドラゴンボールZ』などのアニメ作品もアメリカでも放送されるようになり、日本のコンテンツが一気に流入してきた。そうして、若年層を中心に日本ブームが巻き起こったわけです。
——そうした動きを「新ジャポニズム」として捉えているということですね。
その通りです。70年代や80年代のアメリカで若者に「世界で一番クールな場所はどこか」と聞けば、ほとんどの人がアメリカないしはアメリカの都市を挙げていたと思います。
しかし、90年代に入ってから、多くの若者がゲームなどのコンテンツを通じて日本文化や日本の価値観に触れ、影響されたことによって、この世代にとっての最もクールな場所は日本に変わっていったわけです。

「既知」と「未知」のブレンドが、ムーブメントを巻き起こす
——なぜそれほどまでに、日本のコンテンツがアメリカの若者の心を捉えたのでしょうか。
いくつかの要因があると思いますが、最も重要なのは「既知」と「未知」が、ほどよくブレンドされていたことだと考えています。
人は常に新しいもの、すなわち「未知」を求めると言われることもありますが、実はそうではありません。人は完全に未知のものを前にすると、それをどのように受容すればいいかがわからず、ただ戸惑ってしまう。とはいえ、完全に「知っている」ものに対しては興味を持ちにくいですよね。
だから、ブームになるほど、多くの人に受け入れてもらうためには「既知」と「未知」をうまく組み合わせる必要があり、日本製の製品はその組み合わせが極めて優れていたのではないかと思っています。表面的にはアメリカの商品に似てますが、どこか違う世界観から生まれたので、目新しさがあります。
たとえば、「たまごっち」。日本では1996年に発売され大ブームを巻き起こした「たまごっち」は、アメリカでも1997年に発売されて大人気を博しました。
ボタンと液晶画面がある「たまごっち」は、一見すると小型の電卓みたいですよね。そういった意味では、アメリカ人にとっても既知の要素がある。だけど、液晶を覗いてみるとキャラクターがいて、それを育てるシステムになっている。そのシステム自体は、まったく未知のものだったわけです。
カラオケにも同じことが言えます。カラオケの構成要素であるマイクやテープデッキ、スピーカーなどは、アメリカ人にとっても馴染みがあるものでしたが、それらを組み合わせて、「ボーカル部分を削除した音源を流し、アーティストの代わりに自分が歌う」という体験は未知のものでした。だからこそ、日本で生まれたカラオケは、世界的に人気の娯楽となったと考えられます。

——多くの人にとって「お馴染みのもの」を組み合わせることで、まったく新しい体験を提供していたことが、日本製の製品やコンテンツの強さだった。
日本製のゲームやアニメ・漫画が人気になった理由も同じだと思っています。ゲームやアニメの場合、「未知」の要素になっているのは、作品に込められた「価値観」です。
テレビゲームが大流行したのは、先ほども触れたようにファミコンがきっかけですが、それ以前にもテレビゲーム自体がなかったわけではありません。実はアメリカがビデオゲームを発明しました。それに、90年代以前からアメリカにもアニメ・漫画文化は根付いていました。1930年代から、カートゥンとアメコミが流行っていたからです。
ただ、日本産のゲームやアニメ・漫画には、既存のそれらとは異なる価値観が込められており、ストーリーもアメリカ人にとっては完全に新しいものだった。
たとえば『機動戦士ガンダム(以下、ガンダム)』シリーズ。90年代後半に、アメリカでケーブルテレビを通して『新機動戦記ガンダムW』が視聴できるようになり、それをきっかけに元祖のファーストガンダムが放映されました。当初は一般的な人気を獲得するには至りませんでしたが、現在に至って徐々に認知度が高まり、人気作品の一つとなっています。
——アメリカの人々にとって、『ガンダム』のどのような要素が「未知」だったのでしょうか。
『ガンダム』の「新しさ」の一つは、そのヒーロー像です。シリーズ初期の主人公、アムロ・レイはとても高い能力を持っているのに、戦いたがりません。アメリカのアニメおよび漫画の主人公たちは基本的にとても“マッチョ”で、好戦的な人物として描かれることがほとんどです。
だからアムロのような“戦いたがらない”主人公像はとても新鮮だった。『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズの主人公・碇シンジも、この系譜に連なる「新しい」主人公ですね。
また、ストーリー自体もアメリカ人にとってはとても新鮮なものでした。というのも、従来のアメリカ産のアニメや漫画は基本的に「正義」である主人公とその陣営が、「悪」を倒す物語です。
一方、『ガンダム』シリーズの原点である『機動戦士ガンダム』では、最終的には主人公であるアムロ属する連邦軍の勝利で終わるものの、敵国であるジオン公国も「悪」として描かれているわけではありませんでした。
『ガンダム』はあくまでも一例ですが、日本産のコンテンツにはアメリカのそれらにはないストーリーがあった。その背後には日本独自の価値観があり、それをゲームやアニメ・漫画という既知のフォーマットを通して世界に届けたことが、新ジャポニズムを生み出すことになったわけです。
「ファンタジー・デリバリー・デバイス」の3条件
——コンテンツの背景にある日本独自の価値観が、アメリカをはじめとする海外の人々にも影響を与えたわけですね。
これまで紹介してきたカラオケや『たまごっち』などのプロダクト、そして日本産のゲームやアニメ・漫画は、日常生活に浸透する中で、日本だけでなくアメリカの田舎町でも人々の好みを変え、夢を変え、ついには現実まで変える力を持っていました。
私は、そのような力を持ったものを総称して「ファンタジー・デリバリー・デバイス」(夢を届けてくれる機器)と呼んでいます。
そして、さまざまなプロダクトが「ファンタジー・デリバリー・デバイス」になるための条件は3つあると考えているんです。
その条件とは、「Inessential (必需品ではない)」「Inescapable (避けることができない)」「Influential (日本に対する考え方を変えてしまうほどの影響力がある )」の3つです。

——3つの条件を満たさないと、ファンタジー・デリバリー・デバイスとは言えない?
そう考えています。たとえば、自動車。1970年代から、日本車は世界を席巻するようになりましたが、特にアメリカのような広大な土地を持つ国において、自動車は必需品なのでファンタジー・デリバリー・デバイスには該当しません。
あるいは、先ほど触れたビデオデッキは生活必需品とまではいえず、さまざまな映像作品を楽しむためには「避けられないもの」ではありますが、基本的にはハリウッド映画を観ていたこともあり、「『日本観』を変える」ほどの力は持っていなかったという意味において、ファンタジー・デリバリー・デバイスではないと思っています。
——車や家電は、生活必需品としての役割が大きいですね。ファンタジー・デリバリー・デバイスとは「逃れがたいほどの魅力を持ち、日本に対する考え方を変えてしまうもので、必需品ではないもの」だと。「必需品ではない」ということは、「嗜好品である」とも捉えられると思うのですが、なぜ嗜好品であることが重要なのでしょうか。
消費者が自ら選択しているからです。もちろん、さまざまな生活必需品にもバリエーションがあり、その選択には個人の嗜好が反映されますが、状況によっては「好きではないもの」だとしても買わなければなりません。
アメリカでも郊外に住む人は、経済的に余裕がなくても自動車を買わなければならない。また、お腹が空けばカップヌードルなどコストの低いインスタント食品を買わなければならない場合もあるでしょう。そのとき選択の基準になるのは価格か生きるためのサバイバルであって、個人の好みではありません。
でも、ゲームやアニメ、漫画といったコンテンツは生存そのもののために必要なものではありませんよね。だから、その選択に反映されるのは、基本的に個人の好みのみ。
自らが積極的に選んだものだからこそ、人はそれに熱中し、そこからさまざまな影響を受ける。これが、「不必要なもの」がファンタジー・デリバリー・デバイスになる理由です。
——とりわけ日本発のファンタジー・デリバリー・デバイスが、アメリカなどの国で大きな影響力を持つようになったのはなぜなのでしょうか。
混沌とした社会を生き抜くための力をくれるから、だと思っています。
先ほど触れたように、ジャポニズムを巻き起こした浮世絵なども、ファンタジー・デリバリー・デバイスだと捉えられます。当時の日本は幕末期にあり、国内情勢は混沌としていました。
また、新ジャポニズムが巻き起こった現代に目を移しても、バブル崩壊、資本主義経済の行き詰まり、少子高齢化など、日本は世界に先んじてさまざまな課題に直面しているため、課題先進国とも言われています。そして、現在のアメリカも、先の見えない暗い時代に突入しました。
興味深いのは、結果的にファンタジー・デリバリー・デバイスとなった浮世絵やゲームやアニメ、漫画などは、基本的には日本人が日本人のために生み出したものです。海外の消費者は二次的な存在でした。
しかし、これこそが海外において日本商品に対する人気の最大の要素だと思います。自国の商品に似てはいても、どこか「新しく」、「本物」なのです。
また、世界中の先進国で人々は高齢化し、経済は不況を迎え、若者は絶望するなど、色々な面で日本社会に似てきています。日本のクリエーターが日本人を癒すために開発したものが、同じようなストレスを感じるようになった世界の消費者にも自然に受け入れられてきているのです。
日本人は混沌とした時代を生き抜く活力をさまざまな嗜好品に求め、やがて海を渡った嗜好品は、同じくさまざま課題に直面し、先の見えない時代を生きる諸外国の人々にも生きる力を提供することになった、と。
不安が募れば募るほど、人はほっと一息つく時間を求めます。もちろん混迷の時代に真正面から向き合うことも大事ですが、暮らしの中にちょっとした遊び心を取り入れることも必要ですよね。

——日本産の嗜好品が、“ほっと一息つくための道具”として優れていたからこそ、国を超えて多くの人に受け入れられた。
どの国にも激動の時代は存在しますし、日本だけがさまざまな混乱を経験したわけではありませんが、日本の人々はそんな混乱のさなかにありながら、そんな時間さえも楽しみながら生きるための「道具」づくりのノウハウを構築してきたのではないかと思います。
たとえば、江戸時代の人々は小袖と呼ばれる着物を普段着にしていましたが、さまざま柄を生み出したり、染め方にこだわってみたりと、必需品である着物に、嗜好的な要素を取り入れて楽しんでいたわけですよね。羽織もそうです。幕府は贅沢を禁止しましたので派手な模様は規制されたけれど、個人的な表現として内側にこっそり色々なデザインを入れました。
そういった意味では、日本には必需品と嗜好品の境目を曖昧にして楽しむ文化が根付いているとも言えますし、それが文化的な魅力になっているのかもしれません。
「ファンタジー」から「リアル」へ──次なる新ジャポニズムを担うもの
——嗜好品の話になりましたが、マットさんがいま注目している日本発の嗜好品があれば教えてください。
パッと思いつくのは、アメリカにおける抹茶をはじめとした日本茶ブームですね。ですが、これは今に始まったブームではないのです。1906年に、岡倉天心が英語で書いた『The Book of Tea (茶の本)』が米国でベストセラーになっています。その後、日本茶の受け入れられ方に少しづつ変化が起きていったことがおもしろいと思っています。
アメリカでも日本茶が親しまれるようになったのは、10年ほど前のことだと思いますが、きっかけとしては抹茶フレーバーのチョコレートで、その後は健康志向の高まりへと移行していきました。とはいえ、ブームが始まった当初は抹茶などにも砂糖を入れ、甘くしたうえで飲まれていました。アメリカ人は「苦いお茶」に馴染みがないんですよね。
しかし、最近はZ世代を中心に、抹茶を日本人と同じように、つまり「苦いお茶」として楽しむ人が増えています。その背景にあるのは、「本物志向」です。「本当の日本文化が知りたい」「本物の抹茶を味わいたい」と思っている人が増加し、甘い抹茶を卒業する人が増えている。SNSを通じて「本物を楽しんでいること」をアピールしている人も目立ちますね。
ただ、抹茶の粉末自体がきれいな緑色をしているため、「映え」を意識した楽しみ方をしている人もいて、たとえばSNSインフルエンサーなどはステーキに抹茶の粉末を振りかける、といった使い方も流行しつつあるんです。

——日本ではなかなか見られない抹茶の使い方ですね。
生成AIの登場により、あらゆるものが簡単に生成できるようになり、特にインターネット上の画像や映像が「本物であるか否か」、つまり「実在するものを捉えたものか、AIが生成したものか」を見抜くのは難しくなりました。そういったこともあり、「本物」を求める傾向が高まっているように感じています。
現在の若者たちにとって何よりも重要なのは「使い方」ではなく、「本物を使っている」こと。
だからこそ、抹茶の本場である日本の人々が親しんでいる「本物」を、そのまま——その「使い方」はさておき——取り入れようとする人が増えているのではないでしょうか。
——日本の生活に根付いているものを、そのまま楽しもうとする人が増えているのですね。
食の領域にフォーカスすれば、これまでの新ジャポニズムを牽引してきたのは、お寿司やすき焼きなど、日本を代表する食べ物ではあれど、日本人にとっても少し特別感のあるものでした。
しかし「本物志向」、つまりはよりリアルな日本文化を楽しもうとする傾向が強まっていることから、今後は日本人にとってももっと身近なメニューが流行するのではないかと思っています。
たとえば、焼きそばやお好み焼きなどですかね。パンが三角の形をした日本独特のスタイルで作られるたまごサンドも結構人気です。日常的に食べられるものでありつつ、コンビニや給食やお祭りの際の定番メニューであることを踏まえると「日本らしさのある食べ物」として受容され、流行る可能性はあると思っています。
付け加えるなら、次の流行をつくるのも、やはりアニメや漫画などのコンテンツであることは間違いないでしょう。
現代を舞台にしたアニメや漫画が、日本のリアルな生活を伝える役割を担っています。ですから、今後世界的なヒットを飛ばすアニメや漫画で大きくフィーチャーされる食べ物や飲み物があれば、それが次なるムーブメントを巻き起こす可能性は高いと思っています。
逆輸入される「バー文化」 日本の嗜好品がもつ「物語」とは
——今後はより「リアル」で身近なものが、新たなファンタジー・デリバリー・デバイスとして、世界の人々の好みや生活、あるいは日本観を変えていくかもしれないと。
「影響を与える」という文脈で言えば、カクテル文化を巡る日米の関係がおもしろいと思っています。
カクテル文化をつくりあげたのはアメリカです。第一次世界大戦のころに世界中に普及し、第二次世界大戦のころにはヨーロッパでもカクテルが親しまれるようになりました。
日本にカクテルが伝わったのは明治時代だとされており、一般的な認知を獲得したのは大正時代に入ってからだと言われていますね。以降、日本にもカクテル文化が根付き、現在もさまざまな場所で、多種多様なカクテルが楽しまれています。
一方、本場・アメリカに目を向けてみると、現在もカクテルを楽しむ文化はありますが、一説には現在のカクテル文化は日本から逆輸入したものだと言われているんです。

というのも、アメリカでは1920年から33年にかけて禁酒法が施行され、アルコール飲料の製造、販売、輸送が禁止されました。このことによって、アメリカのカクテル文化は一度途絶えてしまい、以降この文化は完全に復活することはなく、カクテルは下火のままだったと言われています。
アメリカにおけるカクテル文化の兆しが見えたのは2000年ごろ。その背景には、脈々と続いていた日本のバー文化の影響があったと言われているんです。
この説が正しいとすれば、大正時代に広がったカクテル文化を途絶えさせず、さまざまなアレンジや新作を加えつつも、当時のレシピや製法も守ってきた日本のバーは、アメリカから見れば“タイムカプセル”だったわけですね。
カクテルつながりで言えば、現在アメリカではジンやウォッカなどのスピリッツの代わりとして、日本酒や焼酎をつかったカクテルが飲まれ始めていて、これも新しいブームになる可能性があると思っています。
——日本発のコンテンツだけでなく、伝統的な嗜好品も「ファンタジー・デリバリー・デバイス」の条件を揃えたとき、海外に広がる可能性がありそうですね。
日本の嗜好品には、伝統や歴史、つまりは「物語」がある。
「本物」の美味しさはもちろんのこと、嗜好品の裏にある物語の存在が海外での人気に一役買っているのだと思います。今後の嗜好品づくりを担う方々にも、「未知」と「既知」をブレンドしながら、ストーリー性を意識したモノづくりを続けてもらいたいですね。
(撮影協力:BREWBOOKS)
1990年、富山県生まれ。ライター/編集者 ←LocoPartners←リクルート。早稲田大学文化構想学部卒。『designing』『遅いインターネット』などで執筆。『q&d』編集パートナー。バスケとコーヒーが好きで、立ち飲み屋とスナックと与太話とクダを巻く人に目がありません。
編集、執筆など。PLANETS、designing、De-Silo、MIMIGURIをはじめ、各種媒体にて活動。
1995年、徳島県生まれ。幼少期より写真を撮り続け、広告代理店勤務を経てフリーランスとして独立。撮影の対象物に捉われず、多方面で活動しながら作品を制作している。
