音楽と体がひとつになる経験や、音楽が時を溶かす体験をしたことはないだろうか。それは、感覚的なことのように思えて、実は科学的に実証された音楽の力だ。

「人が五感を知覚するのはそれぞれの脳のパーツに分かれますが、音楽を聴いたときはひとつのパーツに限らず、頭頂葉・前頭葉・側頭葉・小脳などさまざまな部分がアクティベート(活性化)される状態になるんです」

こう話すのは、エレクトロニックミュージックプロデューサー・DJの鶴田さくらさん。アメリカ・ボストンの名門、バークリー音楽院の音楽療法科とElectronic Production & Design科をそれぞれ首席で卒業し、アメリカで活動。帰国後は、作曲やDJなどのライブパフォーマンスで国境や業界を超えて活躍するアーティストだ。

自然音のテクスチャや民族楽器の音を織り重ね、繊細でダークな音楽をつくり出したり、パッドを使ったPUSHパフォーマンスでポップな楽曲を演奏したりと、その幅広い表現力に注目が集まっている。

目には見えない音楽の力を科学的に追求し、心に響く音楽を生み出すライフワークには、かつて「音楽療法士」として活動した貴重な経験が生かされていたーー。

7年間のアメリカ生活を終え、2017年に帰国した鶴田さん。現在は拠点を東京へ移し、作曲・ライブパフォーマンス・DJ活動を展開している(写真:鶴田さくらさん提供)

祖父の認知症をきっかけに音楽療法の道へ

幼少期よりピアノを習い、高校の頃にはすでにエレクトロミュージックが好きだったという鶴田さん。音楽に関わる仕事を視野に入れ、選択肢が広がるアメリカのバークリー音楽院への入学を決意した。

さまざまな専攻を調べている時に、音楽の持つ特性を活用するプログラムを通してリハビリテーションを行う「音楽療法」に出会ったと話す。

「ちょうどその頃、祖父が認知症になってしまいコミュニケーションの難しさを感じていました。それでも祖父は、音楽を聴いている時だけは“昔のおじいちゃん”らしさを取り戻せていたんです。音楽が与えるパワーと音楽療法への興味がリンクしたタイミングでした」

「音楽療法士」は、日本ではまだあまり聞き慣れないが、アメリカでは音楽療法にも保険が適用される。

「がん治療の緩和ケアの現場に音楽療法士が付き沿うことも多く、音楽療法を受けることで入院期間が短くなることもあります」

過去の記憶とリンクする。臨床で実感した音楽の力

鶴田さんは、7年間のアメリカ生活でバークリー音楽院を2回卒業しているが、最初に専攻した音楽療法科での興味深い授業について教えてくれた。

「バークリーの面白い部分は、体験型の教育を受けられるところで、最初の学期から臨床活動がスタートするんです」

1学期はデイケア、2学期は0歳児からの幼少期向け、3学期は高齢者向け、4学期は精神科、 そして5学期目は自分で選択した現場で臨床の活動をする。毎学期、異なるオーディエンスに合わせた授業と臨床活動がセットになっている。

「実際にそれぞれの施設へうかがうのですが、参加型の臨床活動だったことが大きなポイントでした。こちらが一方的に音楽を提供するのではなく、さまざまな楽器を演奏してもらったり、歌ってもらったりと、一緒にアクティビティに参加してもらいます」

「すると、普段は思うように話せない方でも、曲が流れると突然、流暢に話し出すんです。そんな場面を何度も見てきました。音楽が過去の記憶とリンクして、当時のことを思い出し、表情がパッと明るくなるんです。音楽が体内のどこかしらのパーツを刺激しているのを実感しました」

「音楽×テクノロジー」の可能性

音楽療法科を卒業後、鶴田さんは病院やリハビリ施設などでインターンをする中で、現在の活動に繋がるきっかけとも言うべき、“ミュージック・テクノロジー”の可能性を実感する経験をした。

「バイク事故によって脳の半分、右脳を切除する手術をした男性の患者さんがいたんです。右脳を失ったことで、本来の右脳の機能を左脳が補い始めていくのを、3カ月に渡って間近で見てきたのですが、ある日、すごい反応をしてくれたことがあったんです」

その日、鶴田さんは音楽制作やパフォーマンスに使うラップトップやコントローラーのパッドなどの機材を臨床の場に持ち込んだのだという。

「ラップトップを出して『これを押したら音が出ますよ』と伝えたら、患者さんが自ら音を鳴らしてくれました。それまで声を発することはほとんどなかったのに、ラップトップの音に聴き入って目を輝かせ、一生懸命に口を開けて話そうとしてくれたんです。たまたま部屋にいたスピーチセラピストが『こんな反応は見たことがない! 』と驚いていました」

「音楽とテクノロジーの両方のパワーが重なった瞬間でした。彼にとってパッドを触る動作そのものが、とても大変なことなんですが、何度もトライしようとする姿を見て突き動かされるものがありました」

鶴田さんは、「彼のために、どんなテクノロジーを組み合わせればいいのだろう」と考え、スイッチ型や鍵盤タイプなどのツールもいくつか試した。

「これまでの音楽療法では、生楽器を用いたアクティビティがほとんどで、当時ラップトップを使うのは比較的タブーとされていた風潮もあったんです。ですが実験的にやってみたところ、目に見える結果が生まれた。ミュージック・テクノロジーの素晴らしさに気づきました」

バークリー音楽院の音楽療法科でこの経験した鶴田さんは、今度は「ミュージック・テクノロジーをDIGってみるしかない!」と、Electronic Production & Design科への再入学を決意。

「ピアノでは“ドレミファソラシド”で構成される音楽が、テクノロジーなど機械が持ち込まれた途端に、ドレミ…の世界じゃなくなるんですよね」

「音のサイン波やスクエア波など、音の細胞レベルで音楽と触れ合うことができるだけでなく、脳波を電子音に変換するバイオフィードバック・ミュージックもありますし、音や音の周波数をモーフィング(変化させる)して音自体を新しく作れるんです」

テクノロジーを探求することで表現の幅が一気に広がった。「音楽というより、音に興味を持ったというのが正しいかもしれません」と鶴田さんは微笑む。

現在の機材は、ミディコントローラーなどデジタルなものが大半。「もともと鍵盤を弾いていた人間なので、手が覚えているものを自然に弾いてしまわないように、鍵盤タイプのものには頼らないように意識しています」と鶴田さん。

日常の音から、今のコンディションを知る

鶴田さんの“音への興味”は、果てることがない。意外にも毎日の出来事や移動中など、日常からインスピレーションを受けることが多いという。

「例えば、渋谷ではたくさんの工事の音が聴こえますが、毎日工事が進み景色が変わっていくにつれ、日々の聴こえる音も違ってくるので、意識して聴いてみます。自分のコンディションが悪かったらストレスでしかない音も、コンディションがよければ感受性が高まり、また違った印象の音に感じます」

音の感じ方には自分の体調も深く関わっているからこそ、鶴田さんは、健康的な食事や適度な運動など健康管理を心がけているという。

「さまざまな刺激や外的要素を、細やかに受け止められる状態を保っておきたいんです。音を聴くことで『私は今こういう状態なんだ』という気づきもあります。自分で音楽を作っている時間も、コンディションやステータスを見直すバロメーターのように感じます。日々感じたことを結晶化させた作品を、今後も作っていきたいと思っています」

そんな鶴田さん自身にとって、心を溶かす時間とは一体どんな瞬間なのだろうか。

「一番“時が溶けている”と感じるのは、音楽に没頭している時や制作の時間ですね。食べるのも忘れてしまうほど。私自身も、音楽が心に作用すると思っていますし、そういった心に作用する音楽だけを作り続けていたいと思っています」

2021年、レコードバッグのプロモーション動画を通じて、アウトドアブランド「THE NORTH FACE」とコラボレーションした。鶴田さんは、本プロジェクトでフィールドレコーディングした自然の音を使って、自然の豊かさやパワフルさを表現している。

空間における音の役割

音楽療法士として、認知症や脳機能障害により失われた“豊かな時間”を取り戻すために、音楽を作り探求してきた鶴田さん。自分ではない“誰か”のために作った経験が、今もクリエイティブの源泉になっているようだ。

その根底には、祖父の認知症をきっかけに、「音楽の力で何かできることはないか」と思った原体験がある。アーティストでありながら、鶴田さんは「これからも、音楽の力で社会に貢献できることを模索していきたい」と力強く語る。

(写真:鶴田さくらさん提供)

さらに今後は、日本で「音楽を体験する環境をアップデートしていきたい」とも話す。

「日本では、体験型のアートとしての音楽やマルチメディア作品はまだ深掘りされていないように感じます。ジャンルを越えたコラボレーションにも興味があります。例えば音と香りのように“形のないもの同士”の組み合わせによる空間づくりも面白そう。さらにDIGって、面白い体験ができる環境を作っていきたいです」

音楽療法士としての経験と、ミュージック・テクノロジーを駆使した表現によって、鶴田さんの真骨頂とも言える、心・音・テクノロジーが渾然と溶け込んだ新たな空間が、今まさに生み出されようとしている。

鶴田さくら公式HP

写真:Kuma

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  • 著者:
    藤井 存希
    editor/writer 大学時代に受けた食品官能検査で“旨み”に敏感な舌をもつことがわかり、国内・国外問わず食べ歩いて25年。出版社時代はファッション誌のグルメ担当、情報誌の編集部を経て2013年独立。現在、食をテーマに雑誌やWEBマガジンにて連載・執筆中。
  • 編集:
    川崎 絵美
濁流のように去りゆくこの時間を、心が溶けるひとときに。