コーヒー、お茶、お酒、たばこ、シーシャ……日々の暮らしの中で、ささやかな癒しや口福を与えてくれる存在を、私たちは「嗜好品(しこうひん)」と呼んでいる。
その歴史は古く、人類は紀元前3000年には、すでにビールを嗜んでいたという。
長年、嗜好品文化研究会の代表理事を務めた嗜好品研究家の高田公理さん(武庫川女子大・名誉教授)は、「嗜好品」をこう定義する。
「栄養摂取を目的とせず、香味や刺激を楽しむ飲食物。健康に積極的な効果はありません。でも、ないと寂しい——」
人はなぜ、そんな「嗜好品」に惹かれ続けてきたのか。その歴史を紐解きつつ、心の疲れが溜まりがちな現代人だからこそ楽しめる嗜好体験のヒントを高田先生に聞いた。
栄養にはならない。でも、ないと寂しい。それが「嗜好品」
――高田先生と嗜好品との「出会い」はいつ頃でしたか。
嗜好品との出会いは、たしか小学生だった1950年代のコーヒー体験でした。当時中学生の兄に連れていってもらった喫茶店が原体験ですね。
時代的には朝鮮戦争(1950-53)があった頃。まだまだ戦後間もない時期でした。
とっても濃いコーヒーに生クリームを入れて飲んだんです。「あぁ……こんな美味いもんがあるんや……」と思ったことを、今でも覚えています。
夏目漱石の門下で戦前に活躍した物理学者の寺田寅彦は『コーヒー哲学序説』の中にこんなことを書いています。
「すべてのエキゾチックなものに憧憬をもっていた子供心に、この南洋的西洋的な香気は未知の極楽郷から遠洋を渡って来た一種の薫風のように感ぜられたものである」
さすがに僕は子どもでしたから、ここまでは感じなかったですけど(笑)。でも、大人になってあるとき、このエッセイに出会って「あぁ…あのときのことだ」って。
大学卒業後は自分で酒場を開いたり。いろいろな国へも旅行しました。そこで出会った土地ならではの嗜好品も体験したり……。僕にとっては、人生が嗜好品みたいなものですね。
――先生の体験のように、初めてコーヒーやお酒などに触れた瞬間は、人の記憶に深く刻まれている。一般にこうした「嗜好品」と呼ばれるものには、なにか定義はあるのでしょうか。
広辞苑で「嗜好品」とひくと「栄養摂取を目的とせず、香味や刺激を得るための飲食物」と一言で説明していますね。
漢字で書くと「嗜(たしな)んで、好むもの」。ただ、中国語での「嗜好」は少し違って、「好き嫌い」という意味になります。
考えられる嗜好品の定義は5つぐらいです。
まずは「栄養にならない」こと。そして「薬にもならない」こと。栄養摂取を目的とせず、生命維持のために積極的な効果がないことが特徴です。
それでも「ないと寂しい」。そして「楽しむもの」「人との社交を円滑にする」点も大切なポイントです。
実は他の国では「嗜好品」にあたる言葉はあまり見ないように思います。
英語の「favorite(お気に入り)」とは違いますし、「luxury(贅沢品)」でもない。かといって「taste(好み、味覚)」というわけでもない。
ドイツ語の辞書にある「Genuss-Mittel(楽しみの手段)」という言葉が唯一近いものだと思います。
明治期の文豪・森鴎外は、かなり早い時期に自らの著作で「嗜好品」という言葉を用いていました。
――森鴎外はもともと医者で、学生時代には軍医としてドイツに留学もしています。ドイツ語にも堪能だった。
「嗜好品」という言葉は、そんな鴎外が生み出した独特な日本語……かもしれません。
1912(大正元)年に鴎外が発表した短編小説『藤棚』の中には、こんなくだりがあります。
「薬は勿論の事、人生に必要な嗜好品に毒になることのある物は幾らもある。世間の恐怖はどうかするとその毒になることのある物を、根本から無くしてしまはうとして、必要な物までを遠ざけやうとする。要求が過大になる。出來ない相談になる」(森鴎外『藤棚』より)
――嗜好品をなくすことは「出来ない相談」と。
鴎外が『藤棚』を記した1910年代は、日清戦争、日露戦争を経験し、第一次世界大戦の前にあたります。これは日本で資本主義経済が一気に発展し、急速な近代化や都市化が進んだ時代と重なります。
世の中が大きく変わり、社会制度も生まれ変わった。会社や役所ができるなど、新しい組織も誕生した。人々はそこに組み込まれ、人間関係も変化したことでしょう。
新しい時代の訪れとともに、当時の人々はこれまで経験したことがない“緊張”を強いられるようになった。そんな時代に鴎外は「嗜好品」という言葉を作っているんですね。
こうした“緊張”を解きほぐしたのが、お酒やたばこ、紅茶、コーヒーなどの嗜好品だったのでしょう。ゆえに鴎外は、これらをなくすことは「出来ない相談」と記したと思うんです。
外に目を向けると、アメリカでは10年ほど後に「禁酒法」(1920年)が作られ、お酒の販売が違法になりました。しかしお酒を飲むこと自体は違法ではなかった。
すると、闇市場でお酒の消費量が増えるようになりました。マフィアの資金源になったりと弊害も大きく、やがて禁酒法は廃止になるわけです。
まさしく、鴎外の言うところの「出来ない相談」になった。『藤棚』での一節は、アメリカの禁酒法の未来を予言していた……ということになるかもしれませんね。
この世に「嗜好品」は、数限りなくある
――先生は「嗜好品」にどんな効果があると考えますか。
広辞苑では嗜好品の代表的なものとして「酒・茶・コーヒー・たばこ」を挙げていますが、今の時代にはありとあらゆるものが嗜好品になりつつあります。
嗜好品の定義として「楽しむもの」「人との社交を円滑にする」を挙げましたが、現代のようにストレスフルな社会では、むしろ嗜好品は必需品ではないか、と思います。
香味や刺激を楽しむ飲食物であれば、全て「嗜好品」と捉えて良いと思いますね。
――嗜好品は数限りなくある、と。
極端なことを言うと、私たちの主食であるお米もそうです。
お米と一言でいっても「お寿司には『あきたこまち』がいい」とか「おにぎりにはササニシキがぴったり」とか、それぞれ好みがあったりしますよね。
お米というのは、まずもってエネルギー源だったわけです。ところが、秋田県で八郎潟の干拓が終わった頃(1977年)から米の生産量・消費量がどんどん減っていった。
今ではダイエットをする中で「炭水化物を摂り過ぎるな」とお米を食べることを避ける風潮もあったりしませんか。カロリーはないほうがいいんですよね。
お米を「うまい!」と感じる人も増えて、銘柄を気にしたり、お店によっては「当店は国産米を100%使用しています」といった表示があったり。
そう考えてみると、主食の米もまた嗜好品の一端になりつつあるのかもしれません。
もっといえば、お水もそうですね。「ミネラルウォーター」という嗜好品の枠に入ってきているように思います。
――では、歴史を遡って、人類にとって「最古の嗜好品」とはどんなものでしょうか。
うーん……なかなか難しいですよねぇ。実証的なデータがないので。ただ、「口に入れるもの」が大事だったと思います。
塩や蜂蜜などが嗜好品の始まりや原点のようなものかもしれません。
古いものでは、お酒もそうです。例えばビールは、紀元前8000~4000年頃のメソポタミアにまで遡るとされます。
エジプトでは紀元前3000年頃には広く飲まれていたようです。麦芽パンを水に溶かし、発酵させて作っていたようですね。
もちろん地域によっても異なってくるでしょう。(中央アフリカの狩猟採集民の)ピグミーと(カナダ極北部に住む)イヌイットでは、塩や油脂の入手のしやすさが違います。
いずれも特定の地域にあったり、希少性の高かったりしたものが、嗜好品になっていったのだと思います。
例えば、たばこはもともと中央アメリカで特異的に生育していたナス科の植物でした。それが1492年、コロンブスがアメリカ大陸に到達し、ヨーロッパに伝わった。
伝わった頃のヨーロッパは小氷期で気温が低く、ペストをはじめいろいろな病気が蔓延していた。すると「タバコは万病の薬だ」と受け入れられていきました。
「嗜好品」は世界を動かし、新たな時代を生んだ
――もともと「嗜好品」は、特定の地域で嗜まれていたものなんですね。
例えば、コーヒーは北緯20度〜南緯20度の間の高地でしか栽培できません。もとはエチオピアのアビシニア高原に生えていた植物でした。それがイスラーム世界に入り、17世紀ぐらいにヨーロッパに伝わった。
お茶も東南アジアのインドシナ半島の付け根〜中国の雲南の辺りの照葉樹林帯が原産と言われていますね。それが17世紀の初めに日本からヨーロッパに伝わり、やがて世界的な嗜好品に変わっていった。
砂糖もそうです。「ビート(甜菜、砂糖大根)」を原料とするものが普及するまで、砂糖のすべては「砂糖きび」から作られていた。原産地はニューギニア周辺とされていますが、イスラーム世界の人々がこれを各地に広げ、十字軍の遠征などを通じてヨーロッパに伝わりました。
中世ヨーロッパでは、砂糖はとても貴重なもので、薬屋さんで売られていたぐらいです。高カロリーだったので「これを飲むと元気が出る」と薬効が謳われていたんですね。
コーヒーや紅茶が17世紀頃にヨーロッパで広まると、砂糖の需要も高まりました。欧米各国は砂糖を求めて植民地の獲得に乗り出し、砂糖の貿易は莫大な富を生んだ。19世紀には世界経済の主役になりました。
そんな砂糖も、今では健康志向で控える方も増えている。「ノンカロリー」の甘味料なども開発され、これも新たな嗜好品になっていますね。
――時代が進み、世界経済とともに、嗜好品の幅はどんどん広がっていった。
そこから「次の文化」が生まれる場合もありますよね。17世紀頃のイギリスでは、コーヒーを飲みながら社交を深める「コーヒーハウス」が流行しました。
商人たちはここでコーヒーやチョコレートをお供に新聞などを読み、互いに商売の情報を交換した。
イギリスにある世界的な保険市場「ロイズ」もコーヒーハウスが起源です。新聞の発展もコーヒーハウスなしには語れません。資本主義社会の萌芽にはコーヒーハウスの存在があった。
人々は嗜好品をハブにして集まり、同じ時間を過ごしながら、新しい時代を形作っていったんですね。
「嗜む」ことは、成熟した社会の楽しみ方
――現在は、情報過多かつコロナ禍の時代です。ストレスに苛まれながらも、お茶やコーヒーを喫したり、たばこをくゆらせながら誰かと一緒に過ごす時間は減ってきているように思います。
今まで当たり前に過ごしていた時間はどんなに貴重な時間だったか——。そう思うことも増えました。
ただ、世の中が落ち着けばオンラインで出会った人たちが「今度はオフラインで会おうよ」と直接顔を会わせる機会も生まれることでしょう。
それが結果として、新たな「嗜好」の起爆剤になる可能性もあると思います。
――今は「成長」にも限界が見えてきた時代です。昔のように、経済成長の中で長時間の仕事と向き合う一種のダンディズムと重ねてお酒やたばこを捉える向きも減ってきました。
「成長」することばかりに捕らわれず、「成熟」したいまの時代の中で、嗜好品と共に生きていく。そういう空気感が、今後は大事になってくるのかなとも思います。
アルコール度数の低いお酒やノンアルコール飲料の種類も増えていますよね。タバコも紙巻きだけではなく、最近では若い人を中心にシーシャを楽しむ人たちが増えています。
従来とは違うスタイルでストレスを解消するための「嗜好品」が、また生まれてくるかもしれません。
今は一人ひとりが「嗜好」を自由に選べる時代です。そういうものでリラックスして、ちょっといい気分になる。作家の村上春樹は「小確幸(しょうかっこう)」という言葉を使っていますね。
――「小確幸」ですか。
小さいけれども、確かなハピネス。それに嗜好品は貢献してくれます。一人ひとりが手の届く範囲の幸せを掴み、噛み締めていくには、やっぱり嗜好品というのはとても大事になってくると思うんです。
「嗜好品」の「嗜」は、「老」人の「口」に「旨」と書きますが、この「老」は「成熟」という意味だと考えれば納得できます。
成熟した社会の楽しみ方として「嗜む」という行為があるのだろうと。
かつてみんなが砂糖を欲しがって、19世紀にはそれが世界経済を動かした。でも、その果てに、健康に気を遣って糖質を忌避する人も出てきました。今は時代の曲がり角であるような気がしています。
「ハレ」でも「ケ」でもない——「スキ」の世界
――SNSなどでいつも誰かと繋がり、まとまった休みが取りにくい現代。心の疲れが溜まりがちな人も多いですが、成熟した社会だからこそ楽しめる嗜好体験もあると。
民俗学者の柳田国男は、年中行事や儀式の場を「ハレ」、日常生活の場を「ケ」という言葉で定義しました。
ハレもケもどちらも外や公の場で他人と交わるものですが、その間に私は「スキ」という領域があってもいいんのではないかと思っています。
公の場からヒョイッと外れた領域に「スキ」の世界があると思うのです。
茶の湯の世界で風流を意味する「数寄」や、カタカナの「スキ」、「好き嫌い」の「好き」や「隙」でもいい。公的な場面からヒョイッと外れた時間です。
それを「ポジティブな逃避」という言葉に言い換えても良いと思います。外の世界と切り離したところで「小確幸」を楽しみ、自分なりに時間を溶かす体験ができるんじゃないかな。
――なるほど。「スキ」の時間ですか。
文化人類学者の梅棹忠夫は、人類史を「農業の始まり」「工業の始まり」「情報産業社会の到来」とそれぞれの期間で捉えました。
例えば、農業が始まった瞬間、それまでの一番基幹的な仕事だったのが食物採集(狩猟採集)でした。それが農業が始まると、狩猟や魚釣りが遊びになりました。
次に工業社会がやってくると、今度は農業の真似事としての園芸が生まれた。
そして情報産業社会がやってくる。今度は工業の真似事としての「ものづくり」が遊びになる。これをシンボライズしているのが「東急ハンズ」ですよね。
先ほど僕は「あらゆるものが嗜好品になる時代」と言いましたが、現代はあらゆる「営み」が「遊び」としての側面を帯びる時代と考えられるかもしれません。
そこで「ハレ」や「ケ」でもない、「スキ」の領域を設定できれば、私たちの暮らしの場面にも多少余裕が出てくるかなと思います。
なので、これからは疲れた時にはヒョイッと舞台を下りて、自分だけの「スキ」の時間を過ごしてみてください。その時間には大いに「嗜好品」を楽しんで。
それがあなたの人生の「嗜み」となり「小確幸」を生み出してくれることでしょう。
写真:川しまゆうこ
Business Insider Japan記者。東京都新宿区生まれ。高校教員(世界史)やハフポスト日本版、BuzzFeed Japanなどを経て現職。関心領域は経済、歴史、カルチャー。VTuberから落語まで幅広く取材。古今東西の食文化にも興味。
『DIG THE TEA』メディアディレクター。編集者、ことばで未来をつくるひと。元ハフポスト日本版副編集長。本づくりから、海外ニュースメディアの記者まで。企業やプロジェクトのコミュニケーション支援も。岐阜生まれ、猫好き。
若いころは旅の写真家を目指していた。取材撮影の出会いから農業と育む人々に惹かれ、畑を借り、ゆるく自然栽培に取り組みつつ、茨城と宮崎の田んぼへ通っている。自然の生命力、ものづくり、人の暮らしを撮ることがライフワーク。