クラフトビール好きのあいだで知られる「京都・一乗寺ブリュワリー」。
フルーティでスパイシー、香りの良さに定評があり、世界5大ビール審査会のインターナショナルビアカップやアジアビアカップでの受賞歴を誇る。
2020年にオープンした「Ace Hotel Kyoto」のルーフトップバーでは、一乗寺ブリュワリーの「レッドエール」が“生ビール”として唯一提供されていて、コロナ禍の現在はルームサービスでも注文が相次ぐ人気ぶりだ。
「一乗寺ブリュワリー」のオーナーは、精神科医の高木俊介さん。現在、京都で重度の精神疾患の患者のみを地域のチームで在宅支援し診療しながら、一乗寺ブリュワリーの経営に奮闘している。
「いったいなぜ、精神科医が畑違いのクラフトビール作りを?」
ビールは「人と人をつなぐ嗜好品」と話す高木さんは、「精神科医だからこそ」京都発のクラフトビールにたどり着いたという。一流のクラフトビール作りに情熱を注ぐ。そこには、社会の変化と精神疾患の患者を見つめてきた高木さんならではの深い理由があったーー。
煮詰まった空気が切り替わる。嗜好品の「効能」
——精神科医の立場から、お茶やお菓子、ビールなどの嗜好品には、どんな作用があると考えますか?
お茶やコーヒー、タバコ、お菓子、ビール。嗜好品にはコミュニケーションを生む力があります。
私が院長を務める「たかぎクリニック」でも、休憩場所に嗜好品のお菓子を置いています。お菓子があると、スタッフ同士に会話が生まれるし、話しやすい。実際、そういう職場は多いでしょう?
みなさん、意識せずとも「嗜好品がコミュニケーションを円滑にする」という効能をわかっているのだと思います。
精神医療の現場では、こんなシーンがあります。
患者とその家族、医師による話し合いで、家族はどうしても治療を受けてもらいたいけれど、患者さん本人は治療を嫌がっている。お互いの主張が平行線で、話が煮詰まったときに、医師が「ちょっと、お茶にしましょうか」と声をかけるんです。
スタッフにお茶を持ってきてもらって、みんなで一服します。すると患者さんの気がゆるんで「わかりました。先生の薬なら飲みます」と。重大な場合は入院する・しないといった話し合いでも同様です。お茶によって、膠着した空気がふと切り替わるシーンを何度も見かけてきました。
永六輔さんが人との距離を縮める天才だった理由
——人と人の間に存在する嗜好品は、人間関係の緩衝材にもなると。
私がかつて働いてきた大学病院では、医師を筆頭に、看護師、スタッフといったヒエラルキーがあり、医師は絶対的な存在なわけです。さらには医師の中でもヒエラルキーがあり、会議では立場が上の医師の意見に従うことになる。
でも昔は、会議が終わったあとに喫煙室に行くと、心の鎧を脱いで、「会議ではああ言ったけど、本当はね……」と本音で話せたものでした。そのときに介在していたのが、嗜好品のタバコです。
1980年代の終わり、僕は京都大学医学部附属病院で研修医をしていました。時代は変わりましたが、当時は喫煙しながら患者の話をじっくり聞く、先輩の医師がいました。
タバコを吸っているときは、医師も自然と呼吸が深く、ゆったりとした雰囲気になり、患者は話がしやすい。それにタバコを取り出すときの動作が、いい間(ま)をつくってくれます。患者が愛煙家の場合、お互いにタバコを吸いながら話すなんてことも。
もっとも、90年代に入ってからは病院でタバコを吸うなんて習慣は、見られなくなりましたけれど。
2016年に亡くなったタレントの永六輔さんは、“もらいタバコ”の名人だったそうです。誰かがタバコを喫していたら「ちょっとタバコを恵んでよ」と永さんは声をかけた。とはいえ、本当にタバコが欲しかったわけじゃなくて、実は箱で持っていたそう。
タバコを1本もらう——そこから始まる会話で、永さんは相手との距離を縮めていたわけです。
「食事を恵んでよ」だったら話は変わってくるし、卑しさを感じさせてしまうかもしれない。だから嗜好品はちょうどいい。人間関係を橋渡ししたり、取りもったり、思考の向きをちょっと変えたり。そんな効果・効能があるのだと思うんです。
私が手がけるビールは、飲める人が限られてしまいますが、人との関係をいい方向に変える効果が大きい嗜好品のひとつだととらえています。
「心の不調」を許してもらえた80年代
——精神科にかかる患者数は増え続けています。精神疾患を有する総患者数の推移は、2002年の約223万人から、2017年には約389万人に。15年間で1.7倍も増加しているそうですね(厚生労働省の「患者調査」2017年より)。
1980年代の医学書には、「うつ病は40代の男性に多い」「仕事熱心な人がかかる病気」と書かれていました。実際、患者はそんな方たちばかりでした。
同じ頃に「窓際族」という俗語が流行りました。余裕のある組織には、負担の大きい仕事をしない人でも置いておける部署があったわけです。窓際でゆっくりと仕事をして、しばらくしたら、またバリバリ働けるようになる。
—— 効率化を追い求める現代では、聞かなくなった話ですね。リストラや希望退職のニュースはよく聞きますが。
医学部生だったとき、急に顔を見せなくなった僕の麻雀仲間のことを思い出します。「あいつ、最近見かけないけどどうしたの?」と別の友人に聞くと、「ああ、彼女にフラれたんだよ」「へぇ」、それだけです。
そしてその仲間は数カ月後にぶらりとやってきて、また麻雀を始めました。当時はうつ病の病名もつかなかったし、しばらく家にこもって休んでいても、許してもらえる社会がありました。
赤塚不二夫さんの漫画『おそ松くん』や『天才バカボン』を読んだことはありますか? 僕はあの漫画が大好きなんです。出てくるキャラたちって、いわば発達障害ですよね。
精神医学の視点で見ると、おでんしか食べないチビ太は、きっと自閉スペクトラムと多動症(ADHD)。おそ松くんの6つ子たちは、誰もじっとしていられないから彼らも多動症でしょう。朝から晩まで掃除ばかりしているレレレのおじさんは本当は学のあるアスペルガー症候群なのかもしれない。
もちろん誇張表現はあるにせよ、ああいうギャグ漫画がヒットするということは、あの頃は社会全体がそういう人たちを「ああ、こういう人たちっているよね」「おもしろいね」って笑って受け止める雰囲気があったんです。
精神科の患者を増やしている「正体」
——精神科医として社会を見ると、許容しない社会へと変化している実感がありますか?
発達障害だったり、心の不調を感じたりした人の居場所がどんどん減っている。今の時代は、社会に余裕がなくなっているんですね。心の不調に、「うつ病」と病名がつけられてしまう。病名がついたほうが上手に立ち回れる人もいるけれど、そんな人ばかりでもない。
一度うつ病であるというアイデンティティをもったら、その先は「うつ病が再発する可能性がある」と自覚して生きていくことになります。その結果、他者とのつながりが希薄になって、社会から排除されてしまう人もいるかもしれない。
——90年代以降の日本には、どんな変化がありましたか?
90年代に入ると、ちょっと休むだけでよくなるんじゃないかな、と思える人がたくさん病院にやってきました。「精神科の医師の診断書がないと追試が受けられないから、書いてくれ」なんて、学生から頼まれたこともあります。追試なんて、大学が何度だって受けさせてやればいいのに。
医師が診断するよりも前に、社会が「不適合だ」と判断して、その対象になった人が医師のところにやってくる。
産業医なり心療内科医なり精神科医が「この人は正常です。むしろこういった方々を排除しようとする、あなたの会社や大学のほうがおかしいんじゃないですか?」と思ったとしても、実際はそういうわけにはいかない。病気の範囲は広がっていくばかりです。精神科の患者を増やすのは社会なんじゃないかと、僕は思っています。
そうした社会背景の中で、僕は社会がレッテルを貼るだけの「患者」たちを「治療」することに疑問を抱いた。いま僕が診る患者を、重症の精神疾患の訪問医療に絞った経緯はそこにあります。
——今の社会では、心の不調を抱える人たちが居場所を奪われている。
そんな社会情勢の中でも生きていけている人間が、心の不調を感じた人の居場所を作っていかなければならないと思うんです。それに対するひとつの答えが、障害者雇用です。
福祉にある程度の補助金がついている現代でも、国の財政状態が悪ければ補助金の額は減っていくでしょう。その結果、格差社会が進んでしまう。そうなったときに、志のある有能な人間が自立した産業を立ち上げて、障害のある人でも働けて、収入を得る場をつくらないといけない。
——障害のある人の就労を考えるようになったのは、何かきっかけがあったのでしょうか。
2008年頃に、統合失調症の人の在宅支援をしていましたが、「精神病院に入らないといけないと思われていたような人でも、他者と一緒ならいろんな仕事ができるんだな」と実感しました。
たとえばポスティングの仕事はできるし、「あそこのビルにもポスティングしたらいいんじゃない?」と自発的に提案もしてくれる。そんな姿を見て、彼らの能力を生かせるような場所を作りたいと思ったんです。
例えば、アルコール依存症の治療では、アルコールを摂取したら吐き気がするような薬を処方しても、そう簡単には治りません。断酒会のような社会的な場で、仲間との人間関係を取り戻していくことが、改善に繋がります。
人間関係を築くことは、依存先を増やすことでもあります。これは、DIG THE TEAの別の記事で、哲学者の國分功一郎さんが「依存症とは、依存先が極端に少ないこと」と触れていますね。これは脳性麻痺という障害をもちながら小児科医で、現在は東京大学先端科学技術研究センターで当事者研究をされている熊谷晋一郎さんの言葉でもあります。「依存先を増やそう、それが自立だ」と。
ーー実際には、依存症の治療には薬を処方しますよね?
実は、精神科において「この病気を治すのに、この薬が効く」というのは存在しないんです。例えばすごく不安が強い人の場合、その不安に心が巻き込まれてしまっていつも通りの思考が働かないときに、薬で不安をやわらげているのに過ぎません。
幻聴だって、薬で幻聴が聞こえなくなることはない。ただ、薬によって不安な気持ちがやわらいで、「今聞こえているのははただの幻聴で、現実は違うのかもしれない」と、本人が吟味する余裕ができている状態になるんです。
つまり、「薬で症状を抑える」治療をするのではなく、その人が病気をもっていても地域で生きていけるようになるのが理想。このとき、人間関係がその人を支える一番の基礎になります。
だからこそ僕は、重症で病院に通えない人の在宅医療を医師だけがやるのではなく、地域の人間関係づくりも含めて、スタッフや周辺の人を巻き込んで実現したい。それが障害のある人が働ける場所づくりであり、僕にとっての実践が「一乗寺ブリュワリー」なのです。
障害者も関わることのできる産業とは何か
——障害のある人が働ける場所として、なぜビール作りを選んだのでしょう?
2013年4月に障害者総合支援法が施行されてから、障害者を雇用していい商品を作る福祉の企業が増えました。ただ、僕が障害者雇用のできる場を作ろうと思い立ったのは2008年。当時は助成金に頼ることもできなかった。そこで、自立した産業としてふさわしいものはないか模索しました。
ドジョウの養殖に、パンづくり……。いろいろ探しているときに、たまたま、とある3年ものの黒ビールに出会ったんです。僕はそれまで(下面発酵で醸造される)ラガービールしか知らなかった。それに、ビールは時間が経つとまずくなるイメージがあったから、熟成させておいしい(上面発酵という昔ながらの製法で造られる)エールビールになるなんて、驚いたんです。
ビールには多様な種類があり、消費者も多く、世界中で作られています。さらに1994年の酒税法改正でビールの最低製造数量基準が引き下げられ、日本各地に小規模なビール醸造会社ができて、技術を研鑽した作り手が育っている。また、日本酒のように1年かかるのではなく、1カ月程度で作れる周期の短さも強みだと思いました。
もちろん、先ほど述べたように嗜好品は人間関係づくりにおいて機能しますし、都市圏には小規模ブリュワリーも増えているから、埋没しない個性が強みになる。なによりおいしい。「ビール、いいな」と。
もちろん、ビールなら瓶詰めや配達の仕事もあるから、障害者も関われるだろうと想像したのも大きな理由のひとつです。
——まずはおいしいビールを作り、事業を育ててから、障害者雇用をしようと考えたんですね。
僕らよりも先に障害者雇用を実現しているブリュワリーはあります。たとえば、京都の「西陣麦酒」を手がけるNPO法人HEROESは、自閉症支援のひとつとして児童精神科医の門眞一郎さんが立ち上げました。
岡山の「吉備土手下麦酒醸造所」と、そこから独立して障害者施設でビールを作っている「真備竹林麦酒」もそうです。吉備土手下麦酒の代表の永原敬さんは、24時間鍵をかけないことで有名な全開放病棟の精神科病院「まきび病院」の職員でした。永原さんに会ったときは「同じことを考えている人がいるんだ!」とうれしかった。
彼らには先を越されてしまったけれど、この競争が激しいビール業界で生き残るために、まずはおいしい一流のビールを作って、経営を確立しなければならないと思っています。目的が障害者雇用だけだったら、それがゴールになってしまうけれど、一流のビールを作りたいと強く思っています。
現時点では、一乗寺ブリュワリーではまだ障害者雇用ができていませんが、それが大きな目標です。ただ、本気で産業として続けていくためには、しっかりとした経営基盤をつくらないといけないというのが、僕の考えです。
「玩物喪志(がんぶつそうし=珍奇な物に心を奪われて大切な志を失うこと)」。ビールのおもしろさに心を奪われて、最初の「障害者雇用」という大切な志を失ってはいないか?これは常に自問自答しています。
ビールが人と人をつなぐ。「酔生夢死」でありたい
——精神科医として働きながら、障害者雇用と経営を両輪で成功させるのは、大きな挑戦ですね。
今はまだ雇用できていないけれど、障害のある人に原料を作ってもらっています。ホップを作っているのは、宮城県石巻市にある引きこもりの人や障害者といった就労が難しい人たちと、他の従業員がともに働くイシノマキ・ファームです。
ビール用の二条大麦を作ってくれているのは、農副連携事業を手がける群馬の社会福祉法人ゆずりは会 菜の花です。最初、菜の花から麦が届いたときに、「今まで購入していたものよりは不揃いだな」というのは素人目にもわかりました。
うちの醸造担当の林くんと横田くんに「この麦で作れる?」と聞いたら、「いや、高木さん。僕たちはこの原料を使って、一乗寺ブリュワリーのビールを作りたいんです。こういった材料をおいしいビールにするのが、僕たちのやりがいです」と言ってくれた。この返答を聞いたときに、いい仲間に恵まれたなと心が震えました。
——なぜ、高木さんはそこまで、ビール作りをがんばれるのですか?
よくそう聞かれるのだけれど、僕自身はそんなにがんばっているつもりはないんです。だってビールはおいしいし、おもしろいもの! 好きなことしかやってない。
医者だけをしていたら出会えなかった、いろんな人や企業と繋がり、対話するのが楽しい。なにしろ、ビールは人と人とのご縁をつないでくれるから。
「酔生夢死(すいせいむし)」、これはウォン・カーウァイ監督の映画『楽園の瑕(きず)』のなかに出てくるお酒の名前で、僕の好きな言葉。毎日、自分たちのビールを飲んで酔いながら好きなことを言って、自由に生きて、夢のように人生を終えるのが理想です。
一流のビール作りで、障害者を雇用することを目指して。これからも「酔生夢死」の気持ちでいたいですね。
写真:川しまゆうこ
編集:川崎絵美、笹川ねこ
取材協力:tain Inc. 山倉あゆみ
Editor / Writer。横浜出身、京都在住のフリー編集者。フリーマガジン『ハンケイ500m』『おっちゃんとおばちゃん』副編集長。「大人のインターンシップ」や食関係の情報発信など、キャリア教育、食に関心が高い。趣味は紙切り。
お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。
『DIG THE TEA』メディアディレクター。編集者、ことばで未来をつくるひと。元ハフポスト日本版副編集長。本づくりから、海外ニュースメディアの記者まで。企業やプロジェクトのコミュニケーション支援も。岐阜生まれ、猫好き。
若いころは旅の写真家を目指していた。取材撮影の出会いから農業と育む人々に惹かれ、畑を借り、ゆるく自然栽培に取り組みつつ、茨城と宮崎の田んぼへ通っている。自然の生命力、ものづくり、人の暮らしを撮ることがライフワーク。