「地球が元気になるサウナ」に人生を懸ける。The Sauna支配人の新たな野望

Yuuki Honda

ときおりパチパチと薪のはぜる音が聞こえる。

木の香りに包まれながらじっと蒸され、汗だくでログハウスから外に出る。

キンキンになった水に浸かり、葉擦れの音を聞きながら思い思いに体を伸ばし、火照った体を冷ます。

そしてまたログハウスへ。

長野県信濃町、野尻湖のほとりにある「The Sauna」は、そんな光景が見られる人気スポットだ。

本場フィンランドにならった2種類のログハウス型サウナ。

大の字に体を広げてもなお隣が気にならない広い外気浴スペース。

そして、野尻湖を見下ろす黒姫山から引いた天然水が並々と注がれた水風呂の樽。

気が向けば少し歩いて野尻湖に飛び込んだっていい。これぞアウトドアサウナという魅力が凝縮されているから、数カ月先まで予約がいっぱいなのも頷ける。平日の昼間にもかかわらず、人々が集い、駐車場には県外ナンバーも並んでいた。

混浴のサウナは意外と少ないが、こちらは水着着用なので男女一緒に楽しめるのもポイントだ。スタッフの距離感も絶妙で、いい塩梅に放っておいてくれる感じもまた心地よい。

これが巧みに作り込まれたサウナのシーンだと知ったのは、The Saunaの発起人・野田クラクションべべーさんが「あれめちゃくちゃ考えてるんですよ」と言ったときだ。

日本一周、四国お遍路、アメリカ横断ーー。東京のWeb制作会社LIGの社員として謎に満ちたキャリアを積み上げてきた彼が、悩んだ末にたどり着いたサウナという道。The Saunaの試行錯誤の軌跡と、「50年後まで忙しい」と笑うサウナで切り拓く未来の展望について語ってくれた。

お遍路を経て、会社員ラッパーがサウナ企画を立ち上げるまで

——野田さんはThe Saunaの支配人ですが、Web制作会社LIGに学生時代からインターンで入社、その後、社員になったとのこと。もともとは四国でお遍路をしていたときに、温浴施設の魅力に気づいたそうですね?

いやあ、感動しましたね。お遍路をしていて4日間風呂に入れない日が続いたあと、高知の田野町の「たのたの温泉」に立ち寄って、水風呂に入ったんですけど、すっっっごい気持ちよかったんです。

あのときは日陰のない海沿いを延々と歩いて、肌もカリカリに日焼けしてて、足も豆だらけで血がでていて。「俺なんで歩いてんだ?」って精神的にも疲弊していたのでなおさらでした。

いきなりの水風呂だったから、サウナ後のクールダウンのような感じになって。すぐ横の小川を眺めながら外気浴して、サウナにも入って……すげえ良かったなあ。

その日はめちゃくちゃ快眠でした。それから東京に戻ってきたあとも、サウナを探すようになって、ハマっていったんです。

——野田さんが働くLIGの東京オフィスがあった、上野あたりで探したり?

まさにオフィスの近くに「サウナ&カプセルホテル北欧」があるんですけど、最高です。お酒も飲めるし、仮眠室で寝られるし。当時は下北沢に住んでいたので、オフィスまで少し遠かったんです。北欧に泊まるようになって、朝からサウナ入って気持ちよく仕事してました。

——仕事前に朝からサウナは最高ですね。

僕、死ぬまでにどれだけいい睡眠をとれるかが幸せにつながるんじゃないかと思ってるんです。だから最高の睡眠のために仕事して、サウナに行って、飲み屋に行って、寝てみたいな。そんな生活にシフトし始めたのが4年前くらい。お遍路と日本一周をいったん切り上げた頃でした。

——東京に帰ってきた後はキャリアに少し悩んでいたとか。

そうなんです。会社に「やれ」って言われてラッパーやって。ただ歌は上手くないんですよ。それに売れようが売れなかろうが会社員だから給料だけはちゃんと出る。

そんな状況にモヤモヤして「これ真剣に音楽やっている人に申し訳なくない?」って。でも周りは僕を囃し立てるから、「このままじゃまずい」と悩んでいました。

ただ悩んでいるときほど、サウナは気持ちいいんですよね。

愛知や神戸にも遠征してサウナに行っていました。周りからは「そんな遠いところまで行くの? サウナめちゃくちゃ好きじゃん」って思われていて。だから会社を辞めてサウナの道に行こうと思ったら、会社がチャンスをくれたんです。

考えまくって企画書を作って、社長(吉原ゴウさん)にプレゼンしたら「おれサウナ入ったことない。知らん」って言われました。

だから社長に30万円借りて、一緒にフィンランドへ行きました。10日間滞在して、フィンランドのサウナを1日に3軒くらい回りました。

——The Saunaの立ち上げ前に、クラウドファンディングで開業資金を集めていました。

自分のこれまでの人生を振り返って、150万円だったら皆さんから集められるかなと思って。フィンランドのログハウスがすごく良かったので、撮った写真や買ってきた資料を使って、ログハウスのプロと一緒にサウナを作りました。

サウナ界の大御所に学んだ、おもてなしの哲学

——フィンランドのサウナは湖畔にあるイメージですが、野尻湖にあるThe Saunaはその点で似ていますよね。

The Saunaのハードはフィンランド式なんです。でもソフトは日本式のサービス業のホスピタリティを追求してます。僕が通うサウナも結局はホスピタリティの良さが決め手になっているので。

——大好きな日本のサウナや、運営の参考にしているサウナはありますか?

「神戸サウナ&スパ」はすごいです。どの施設も、コロナ禍で人件費削減が基本なところ、お客様が少ない夜でも、スタッフを多く配置しています。その理由を社長さんに聞くと「スタッフがいるだけで場に緊張感が出るからだ」と仰ってて。

——サウナに緊張感?

繁華街にある施設だから、お酒が入っているお客さんもいるそうなんですけど、酔うと判断力が鈍ったり、急に動けなくなってしまうこともあります。そういうときに「大丈夫ですか?」と声をかける。この一言のために人を多く配置してるんですって。ハッとさせられる話です。

岐阜にある「大垣サウナ」のママさんのホスピタリティもすごく勉強になるんです。ママさんがいるから大垣サウナに通う人がたくさんいる。押し付けがましくないように、ちょうどいい距離感を保っているんです。僕らも皆さんに負けないように試行錯誤しています。

The Saunaでは、白樺の枝葉の束「ヴェーニク」を使って身体を叩くウィスキングも体験できる。

——今日サウナを体験させてもらって細部にホスピタリティを感じました。

タオルやサンダルをちょうどいい感じにスッと置いたり。なかなか難しいんですけど、実は、めちゃくちゃ考えてるんですよ。

——水風呂の近くにある給水スペースにクリップが置かれていていいなと思いました。誰が使ったコップかわかりやすいように、目印になるんですよね。暖かい飲み物も置いてあってうれしかったです。

そのあたりは、お客様から寄せられる声を聞いて改善してきたところです。僕らはThe Saunaをより良い場所にするために、毎日ひとつ何かを変えようと決めてます。この意識を持っていると細かいところにまで目が行き届くようになる。

神戸サウナ&スパさん、湯らっくすさん、大垣サウナさん、ウェルビーさんといった大御所は、どこも素晴らしいホスピタリティを持っています。それなら僕らもやんないといけないよねって。50年後も続く場所にするために。

The Saunaは10人くらいのスタッフで運営していますが、みんなでその日の出来事を共有して、改善点を洗い出して、アイデアを出し合って、直せるところはすぐに直してます。

——ときには、大きな変更を加えることもあるんですか?

すぐにではないのですが、営業時間を徐々に朝に寄せようと考えています。今は一番早くて9時からの営業ですが、7時からにしたくて。信濃町は朝が抜群に気持ちがいいんですよ。動物や鳥の鳴き声、風で葉が揺れる音。本当にいろんな音が聞こえるし、何より朝日を浴びるとそれだけで1日のリズムが整う。

——朝入るサウナが格別なのは、野田さんの実体験でもありますね。サウナに入る時間は、今は2時間で区切っていますが、これも変わりますか?

いわゆる“整う”を味わうには2時間がちょうどいいかなと思っていますが、新しいサウナは3時間で考えています。BBQや食事も楽しめるオプションを用意して、よりゆったりと過ごせるように。自分の内側に向いたサウナの楽しみ方と、食事も交えて友人たちと話しながら過ごすサウナの楽しみ方、この2つを選べるようにしたい。The Saunaには老若男女が集うレジャー施設の要素もあるので、選択肢を増やせたらいいなと思います。

The Saunaのある宿泊施設「LAMP」の1階レストランスペースでは、看板メニュー「The LAMPバーガー」が人気

空前のサウナブームのあと、50年後も続くために

——The Saunaは2019年2月にオープンしていますが、日本のサウナブームの始まりの時期とも重なりますね。

サウナを舞台にしたドラマが2019年7月に始まったときは、いよいよブームだなと思いましたね。ドラマの放送以降は予約も増えました。

今日体験してもらった2号棟「カクシ」を建てる計画が始まったのはその頃です。コロナウイルスが広がって2カ月ぐらい暇だったので、みんなで丸太を運んだりして2号棟を作りました。めちゃくちゃ大変でしたが、そのぶん愛着は湧きましたね。

——一から企画書を書いて、フィンランドへ現地調査に出向き、クラウドファンディングを成功させて、The Saunaをオープンして、試行錯誤して軌道に乗せて。コロナ禍に見舞われながらも新しいサウナを自分たちの手で作る……とにかくすごい情熱を感じます。

サウナが好きなだけじゃ辛いでしょうね。ハングリーさがないとしんどいと思います。

The Saunaも最初は全くお客様が来なかったんですよ。やることもないからポスターとチラシを100枚ぐらい作って貼っていただけるように近くのお店にお願いして周りました。

——いわゆる飛び込み営業を?

日本一周のときもやったので、その経験が活きたんです。会社が変なスピーカーを2000個ぐらい仕入れたんですけど、それが全然売れなくて。僕が日本中で売って1200個ぐらいさばいたんです。

——すごいですね! どうやってそんなに売ったんですか?

規模が大きなところは門前払いされるので、個人店をターゲットにしました。サーフボードを買って車に乗せて、あたかもサーフィンやってますみたいな雰囲気を出してサーフショップに「うーすっ」みたいな感じで入って売り込んだり、同じノリでスケボーショップにも行ったり。

飲み会も活用しました。スピーカー販売の苦労話をした後に「実はいまも持ってて……」と切り出すと、少し相手の心を掴めるんです。まぁだいたい「現金なくて……」と断られるんですけど、「今日はクレジットカードリーダーを持ってきてます!」って切り返したり。

日本一周をしながら初対面の人との円滑なコミュニケーションや、相手の懐に飛び込む術を叩き込まれた気がします。

——あらゆる経験が、今のサウナ運営に活きているんですね。

もうあんなパワー営業はしませんけどね(笑)。まあそういう飛び込み営業とかが少しずつ客足の伸びとして表れて、ドラマのヒットやブームがあってここまでこれました。

ただこれからはブームに頼らず、淡々とやるべきことをやっていかなきゃなと。サービス業としての大事な部分は、ブームが去った50年後も変わらないと思うので、鍛え続けていければどんなときでも運営はブレないと思います。

——怒涛の日々といった感じですが、野田さん自身はどんな息抜きの時間を大切にしてますか?

それこそ風呂とサウナです。かなり入っている方だと思います。仕事に本当に集中できるのって1〜2時間じゃないですか? だから仕事や出張の合間に入って切り替えてます。

薪サウナの魅力を伝えるために「地球を元気にするサウナ」準備中

——今では全国に野田さんがプロデュースされた温浴施設があります。

はい。2021年12月にオープンした富山の「TATEYAMA SAUNA」を含めて6軒に携わらせてもらいました。

——ときにはプロデュースをお断りするケースもあるそうですが、何が決め手なのでしょうか。

作り手の情熱は不可欠です。売上をどう立てるかの戦略も重要で、そこは僕も毎日考えていますが、その前に、誰と、どこで、どんなサウナを作って、どんな体験をしてほしいのか、そこが大事です。

——今はどんなサウナを作りたいですか? 

薪を消費しすぎているので、間伐材をうまく使えないか地域の森林組合の方と相談して、もっとサステナブルな運営ができないか模索してます。そこまでした上で「薪サウナっていいんだぜ!」って言いたいんです。サウナができればできるほど森林保全に貢献できる仕組みがあれば素晴らしい。

ーー薪サウナと環境保全はつながってますね。

実際フィンランドには地球環境を考えたサウナがあって、そこはサウナの熱源で施設全体を温めたり、太陽光パネルを使ってエネルギーを賄っていたりしてます。The Saunaを作るとき、この仕組みを採用するのは難しかったけど、今は考えられるようになってきました。

——もう建設予定地は決まっているんですか?

The Saunaのすぐ近くに作る予定です。この辺りは国立公園なので越えなきゃいけないハードルが高かったり、冬は雪で工事できなかったり、大変なことも多いけど、時間をかけてでもやるべき価値のあるプロジェクトです。

完成したらひとつのモデルケースとして広めて、「地球が元気になるサウナ」を全国に作れたらいいなと思ってます。

——すごく魅力的な未来ですね。

ほかにもやりたいことがたくさんあって、最後は家も車も全部売って、キャンピングカーを買って、日本一周とお遍路の続きをしなくちゃ。そんなことを考え出すと時間が足りないな。この先20年……いや50年はずっと忙しいですね(笑)。

写真:川しまゆうこ

Author
ライター / 編集者

福岡県出身。大学を卒業後、自転車での日本一周に出発。同時にフリーランスとして活動をスタート。道中で複数の媒体に寄稿しながら約5000kmを走破。以降も執筆・編集など。撮影もたまに。

好きなサッカーチームはLiverpool FC。YNWA

Editor
編集者

お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。

Photographer
フォトグラファー

若いころは旅の写真家を目指していた。取材撮影の出会いから農業と育む人々に惹かれ、畑を借り、ゆるく自然栽培に取り組みつつ、茨城と宮崎の田んぼへ通っている。自然の生命力、ものづくり、人の暮らしを撮ることがライフワーク。