食事のお供に、誰かと話に花を咲かせる時に、また、一人で自分の心と向き合う時に……。私たちが思い思いの時間を過ごす時、その傍らにはいつもお茶がある。
そんなお茶をこよなく愛し、科学者の視点で長年研究を続けてきたのが、大妻女子大学の大森正司名誉教授(食品科学)。研究生活は実に50年。人は尊敬の念を込めて「お茶博士」と呼ぶ。
お茶は、奈良時代〜平安時代に中国から伝わり、長い時をかけて人々に親しまれ、日本文化にも深く根ざしてきた。ただ、近年は生産量や消費量は緩やかに低下している。
それでも大森さんは「お茶は私たちの暮らしを豊かにしてくれます」「まだまだわからないことも多い、魅力的な飲み物なんです」と語る。
生涯をかけて研究してきたお茶との出会いや開発の取り組み、美味しいお茶の飲み方、そして「100年後のお茶の姿」についてお茶博士に聞いた。
研究生活50年、お茶との出会いは「偶然」だった
── 半世紀にわたってお茶を研究されていることから、大森先生は「お茶博士」とも呼ばれています。ただ、もともとはお茶が専門ではなかったそうですね。
入口は偶然によるものでした。というのも、学生時代は東京農大で農薬の研究をしていたのです。
私が学生だった1960年代は、国内では水俣病や阿賀野川水銀中毒(新潟水俣病)などの公害病が大きな社会問題になっていました。
そこで、有機水銀のように人体や環境に悪影響を与えるようなものではなく、毒性が低い安心安全な農薬を作ることはできないかと思ったんですね。
当時は食品メーカーとの共同研究で、作物に影響を与えずに雑草だけを枯らす「選択性除草剤」を作ったりしていました。
── そこから、なぜお茶研究の道へ?
もともと研究の道に進むことは決めていました。新宿区にある国立栄養研究所(現:国立健康栄養研究所)にいた先輩から誘われていたんですが、大学の研究室のボスの一言で大妻女子大学の講師になりました。当時は卒業後の進路を自分で選べるような環境ではなかったんです。
講師になって2年目の時に、北海道大学から新しい上司となる小幡弥太郎先生が赴任された。当時、私は30歳前後。小幡先生は65歳でした。
小幡先生は「匂い」の研究者で、とてもユニークな先生でした。春に赴任されるなり、花見に行こうとおっしゃった。ただ、もう4月は葉桜の時期。花びらが散り、雨も降る。そうすると土に落ちた花びらや葉からふわっと香りが漂う。これらを集めて「匂いを調べてみて」と言ったり……。いろいろアイデアを出してくれたんです。
── なかなかパワフルな上司ですね。
5月のある日のことでした。小幡先生がボストンバッグに生のお茶の葉を詰めて現れた。そして一言、「これで紅茶を作りなさい」と。
── ある日突然、お茶の葉を渡された……。
腹の中では「いきなりそんなこと言われても……」とは思いましたが、なにせ相手は大先生ですからね。それに、お茶の葉は生ものですから放置するわけにもいかない。「はい、わかりました」と。
すぐに助手と文献を集め、紅茶の作り方を調べました。「萎凋(いちょう:摘んだお茶の葉をしおらせること)」や「揉捻 (じゅうねん:お茶の葉を揉み込むこと)」、「発酵」という工程があることはわかりましたが、どうやるのかはわからない。
すり鉢をもってきてあれこれ試したりしているうちに、全部カビだらけになっちゃいましてね。そこに小幡先生がやってきて「お前ら、何をやってるのか!」と怒られました(笑)。
さらに調べたら静岡県島田市に国立茶業試験場(現:農研機構金谷茶業研究拠点)があることがわかりました。すぐに飛んで行って、お茶のことを教えてほしいと頼み込んだ次第。そうしたら担当の方が「昨日、小幡先生が来ましたよ」って。小幡先生は、ここでお茶の葉をもらってきていたんですね。
研究50年の始まりは、スリランカでの紅茶の実験
── 日本で親しまれていた緑茶ではなく、紅茶が研究の入り口だったのは意外です。そこからどんな研究をされたのでしょうか。
当時、小幡先生は「ダージリンやセイロンに負けない紅茶を作れないか」とよく言っていました。
小幡先生の知り合いで、茶の香りの研究をしていた山西貞先生によると「スリランカの茶畑は真っ赤に見えた」という話がありました。そこで小幡先生は、赤色酵母やベータカロテンが茶の香りに関係しているのではと思いついた。
以来、私は週に2回は静岡の研究所に通い、研究を続けました。
その後、スリランカのTRI(紅茶研究所:Tea Research Institute)の協力のもと、紅茶の本場でもベータカロテンを用いた実験をやらせてもらいました。
すると、素晴らしい香りの紅茶ができあがったんです。
しかし、紅茶というのはエステート(農園)ごとに味と香りの特徴があり、買い付けるバイヤーはテイスティングをし、茶葉の値段はオークションで付けられます。バイヤーは紅茶の良し悪しを鋭い感覚で判断します。エステートごとの香りや味の特徴も把握しているんですね。
── まるでワインのようですね。
私たちが育てた紅茶を飲んだバイヤーからは「あ、これはいい」という反応がありました。しかし、このエステートの例年の紅茶とは風味が異なるため「今年は出来が悪い」と逆の言い方をされ、安く買われてしまったんです。
畑を提供してくれたエステートからすれば踏んだり蹴ったり。私も自分が作ったもので初めて世界に出す紅茶だったから、内心ワクワクしていたんですが、日の目は見ずに終わりました。本当に残念でした。
でも、「なんかお茶って面白いな」という思いはそれ以降もずっと変わらなかったんですね。そうこうしているうちに、50年間があっという間に過ぎ去って今に至ります。
まだまだわらないことがたくさんありますが、ずっとお茶にハマっていますね。
お茶の未来を憂う中、血圧を下げる「ギャバロン茶」を開発
── 技術革新といえば、1980年代に、大森先生は新しいお茶の開発をされたそうですね。
1986年に農水省の茶業試験場で開発した「ギャバロン茶」ですね。誕生のきっかけは、お茶を長期保存する方法の研究でした。
唱歌「茶摘み」に「夏も近づく八十八夜」という歌詞がありますが、「新茶」と呼ばれる茶の新芽「一番茶」は、立春から数えて88日目(5月上旬)の頃に毎年収穫されます。
緑茶に加工するには摘んだ茶葉を蒸気で処理するのですが、一度に大量に収穫すると加工が追い付かなくなってしまう。
一方で、収穫時期をずらすとお茶の葉が固くなり、緑茶としての品質が下がってしまう。このジレンマをどうにかできないかと考えて、ヒントにしたのが食品輸送に使われていた「嫌気処理」の技術でした。
離れた場所へ野菜や果物を運ぶ際、輸送時に窒素ガスで酸化を防ぐ技術があります。これが嫌気処理で、簡単に言えば「植物に呼吸させないことで鮮度を保つ方法」です。
── なるほど。お茶にも嫌気処理を活かせないかと。
摘んだ茶葉をすぐに嫌気処理したところ、お茶の味に変化を与えず保存できることがわかりました。しかし、肝心の香りがよくなかった。まるで湿ったタオルをビニール袋で長時間放置したような、強烈に蒸れた臭いがついてしまうんです。
ただ、せっかく作ったので成分を分析してみると、アミノ酸の一種「ガンマアミノ酪酸」(GABA)が通常の茶葉と比較して10倍以上に増えていたんですね。GABAはお茶の葉に含まれる旨味成分のグルタミン酸が変化したもので、1963年に血圧を下げる効用が報告されていました。
「これはもしかして……」と思い、高血圧を起こすラットで実験したところ、このお茶を飲ませたラットの血圧が下がる効果があったんです。臨床実験でも効果はわかった。ただ、血圧を下げるメカニズムまでは解明できませんでした。
ひとまず私たちは、このGABAを大量に含むお茶を「ギャバロン茶」と命名し、学会で発表しました。健康にいいと当時人気が高まっていたウーロン茶とGABAをかけ合わせた名前です。
──「ギャバロン茶」の製法は特許をとらず、誰でも製造できるようにしたそうですね。
お茶の国内生産量が低下し、国内で緑茶の需要が下がってきたタイミングだったので、どうにかお茶業界に貢献できないかという思いもありました。
しかし、やはり強烈な臭いが原因で評判が悪かった。そこでなんとかできないかと思案して「釜炒り」という技術でお茶を煎ってみたんです。するとほどよく焙煎され、いい香りに仕上げることができました。
私自身もギャバロン茶の普及を目指して、大学内でベンチャー企業を設立したりもしましたが、お茶業界全体を活性化するまでには至っていないのが現実ではあります。
減少するお茶の生産量、私たちの「お茶文化の未来」を考える
── 1975年には10万トン以上だったお茶の国内生産量は、2020年には8万トン台に。残念ながら、日本ではお茶の生産量や消費量は減少傾向です。
高度経済成長期までは緑茶の生産量が増えていましたが、1970年代をピークに緑茶の国内生産量は次第に減少しています。
これには食生活や少子化による人口減少、ライフスタイルの変化も影響していると考えています。
お茶の生産者さんも、儲けが出ないため転作する方が増えました。茶商さんも同様で、高度経済成長期には首都圏だけで2000軒くらいあった茶商も、3〜4年前に調べたときには10分の1程度に減っていました。
日本のお茶文化には歴史と伝統がありますが、どんなに美味しいお茶でも、その良さが伝わらなければ、なかなか需要は戻りません。
昔と同じような商売に固執し、売れない売れないと愚痴ばかりこぼしていたら、ジリ貧になってしまうのは当然でしょう。業界全体で一丸となってお茶の品質や機能性をよくしようと努力しなければ、日本のお茶文化は消えてしまうかもしれない。
ただ世界に目を向けるとお茶はまだまだ成長している市場で、抹茶は世界的にも有名です。技術を磨き、お茶の品質を高め、抹茶以外の番茶なども海外に販路が広がるような動きが盛んになるといいですよね。
── 缶やペットボトルの緑茶が普及したとはいえ、急須でお茶を淹れる家庭も少なくなり、消費量は低迷しています。
飲料メーカーからペットボトルのお茶がたくさん誕生したことは、お茶というものが忘れ去られないための一助にはなると思います。
ただ、2リットルのボトルで使われる茶葉の量は数グラム程度。同じ水の量を急須で淹れるのと比べれば、使う茶葉はどうしても少ないと思います。それだけ生産性が追求されたものなんです。
一方で、最近ではお酒が飲めない人に向けて、食事に合わせたボトル入りの高級茶を用意してくれるレストランも増えています。これもお茶の文化にとっては良い取り組みだと思います。
ただ、高級品ばかりになるとお茶の利点である「手軽さ」がなくなり、需要は伸びにくいかもしれません。だから、もっと手軽に美味しくお茶を提供できるような技術が開発されたり、お茶の機能性がもっと解明されたりして、再び人々のお茶への関心が高まるといいですね。
── 飲用以外のお茶の活用法については、どうお考えですか。
最近では飲料以外のお茶の活用法も模索されています。お茶の香りを活かした入浴剤、茶香炉、ロウソクなど。茶の木や葉を用いた木材の合板も生まれています。美容液やパックなどへの活用も研究されていますね。
私はお茶を煮詰めて白髪染めに使ったこともあります。乳化剤と油分を入れるとポマードのようになるんですね。あまり評判は良くなかったですが……(笑)。
100年後、お茶は人々に愛されているか。お茶博士の願い
── 100年後、日本のお茶はどうなっているでしょうか。
できれば、人々の生活の中に根付いた存在であってほしいと思います。
緑茶や烏龍茶、紅茶など世界中には様々なお茶がありますが、全てツバキ科のチャノキの葉なんですね。そのお茶のルーツはどうやら中国南部の雲南省周辺ではないかと考えられています。
8世紀頃、中国・唐の時代のこと。「茶聖」と呼ばれた陸羽という人物が世界最古の茶の書『茶経』を記しました。これによると、伝承では今から5000年ほど前から茶の解毒作用が認知されていたそうです。
日本には奈良時代〜平安時代に伝わったとされ、お茶の栽培は、鎌倉時代に栄西禅師が中国から持ち帰ったものを、佐賀・背振山に植えたのが始まりと言われています。以来、お茶の栽培と文化は日本全国へと広まりました。
いまなお、お茶と人の暮らしは切っても切れない関係です。朝食と昼食はお茶とともにいただくことが多いですよね。食事は人の心と体の健康を形づくる原点です。
お茶がこれからも愛されるためには、お茶と合うバランスのいい食生活の大切さも併せて伝えていくことが必要だと考えています。
── 半世紀にわたってお茶を研究し、愛してきた先生です。人とお茶が上手に付き合っていくためにはどうすればいいでしょうか。
私自身、中国やインド、スリランカ、ミャンマーをはじめ世界中でお茶のルーツとなったチャノキを探しつつ、様々なお茶を飲んできましたが、まだまだわからないことがたくさんあります。
お茶に含まれるカテキン、カフェイン、アミノ酸などが人間に与える効能は、少しずつわかってきました。でも、なぜ効能があるのか、メカニズムが解明されていない部分はまだまだあります。
ざっくり言えば「体にいい」とは思われるのですが「なぜ、どうして体にいいのかはわからない」ということです。でも、そこが面白い。
私自身は、この「なぜ? どうして?」を今後も調べていきたいと思っています。疑問を持ち続けること、それがサイエンスの研究で一番大事なことだと思います。
効能に目を向けることも大切ですが、一方でお茶そのものを楽しむことも大切です。
かつてはおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に暮らすお家もたくさんあったと思いますが、核家族化がすすむと一家団欒の機会も少なくなりました。一人暮らし世帯も増え、学生さんから「家に急須がない」と聞く機会も増えました。
ただ、気のおけない誰かと一緒にお茶を楽しむ時間の価値は普遍的なものだと思います。一人でお茶を飲み、自分と向き合う時間を過ごすのもいいですよね。とても豊かな時間だと思います。
週に一度でもいいのです。スマホから目を離し、急須で淹れたお茶をゆっくりと飲んでみるのはいかがですか。きっとあなたの心に安らぎを与えてくれることでしょう。この先も日本でお茶の文化が受け継がれるといいですよね。
【大森先生直伝、美味しい緑茶の淹れ方】
・1杯目
緑茶の茶葉を15gほど急須に入れ、冷たいお水を150ccほど注いで15分ほど待ち、湯のみに注ぐ。冷蔵庫で一晩置いてから飲んでも良い。
・2杯目
1杯目の茶殻が残った急須に、50度のお湯を150cc注いで1分待ち、湯のみに注ぐ。
・3杯目
2杯目の茶殻が残った急須に熱湯を150cc注いで1分待ち、湯のみに注ぐ。
1杯目の「水出し」は、まるで和食の出汁を感じさせるような旨味と甘味が口の中に広がる。2杯目はお茶らしい爽やかな香りと渋みを感じる。3杯目では柔らかな苦味を味わえる。同じ緑茶でも三者三様、全く違う味を楽しめる。
参考:緑茶の消費量(供給ベース)の推移─全国茶生産団体連合会・全国茶主産府県農協連連絡協議会
写真:西田香織
Business Insider Japan記者。東京都新宿区生まれ。高校教員(世界史)やハフポスト日本版、BuzzFeed Japanなどを経て現職。関心領域は経済、歴史、カルチャー。VTuberから落語まで幅広く取材。古今東西の食文化にも興味。
合同会社ディライトフル代表。1976年、埼玉県秩父市出身。早稲田大学第二文学部在学中より、制作会社にて編集者、ライターのアシスタントとして雑誌などの制作に携わる。2004年よりリクルートにてフリーマガジン『R25』の創刊に携わり、編集を担当。2010年に独立し、雑誌、書籍、ウェブメディア、企業や自治体が発行する冊子、オウンドメディア等の企画、編集を手がけている。