連載

徳島・阿波晩茶、世界が注目する乳酸発酵した「幻のお茶」を訪ねて

篠原 諄也

世界的にも稀少な「乳酸発酵」のお茶に注目が集まっている。「整腸作用がある」と、全国放送のテレビ番組で報じられて以降、生産が追いつかないほどの人気のお茶となった。

それが、徳島県の上勝町で古くから伝わる「阿波晩茶(あわばんちゃ)」だ。

お茶の製法は大きく2つに分けられる。緑茶のように発酵させないお茶と、紅茶や烏龍茶のように発酵させるお茶がある。発酵させるお茶の中でも、微生物によって緑茶を発酵させ、さらに熟成させる「後発酵茶」と呼ばれる独特なプロセスによって作られるお茶が、今回取材した上勝町の阿波晩茶。

もともとは農家で代々飲み継がれてきた「飲料水代わり」のお茶だったそうだ。

今や海外からも注文が多いが、上勝阿波晩茶は大量生産・大量出荷が難しい。そのため「幻のお茶」とも呼ばれている。

乳酸発酵させたお茶とは、いったいどのようにつくられているのだろう?

上勝阿波晩茶を守り、継いでいく生産者の覚悟とは?

お茶農家で上勝阿波晩茶を生産する、阪東高英さんと髙木宏茂さんを訪ねた。

農家ごとに味わいが異なる乳酸発酵茶の魅力

徳島県東部にある上勝町は、徳島阿波おどり空港から車で1時間半ほど。「樫原の棚田」や「山犬嶽の水苔」など、古来からの緑美しい景色が残る町として知られている。

標高1000〜1500m級の山々が連なり、その間を勝浦川が流れる。川沿いのわずかな平地に田畑や集落が点在している。

そんな郷土で代々受け継がれてきたお茶が上勝阿波晩茶だ。

見た目は澄んだ輝くような黄金色。ひと口すすると、爽やかな酸味が口中に広がる。やさしい舌触りで、さっぱりとした後味が素朴で心地よい。

カフェインが少ないこともあって、赤ちゃんからお年寄りまでが愛飲しているという。

阿波晩茶の大きな特徴は、生産農家によって味や風味、色合いが異なること。それほど味に違いが出る理由は、乳酸発酵の際に、土地特有の菌が影響を与えるから。これは同じ品種の葡萄で作られていても、気候風土や醸造所によって味が異なるワインのように、「テロワール」の要素が大きいと考えられている。

また製造過程においても、発酵前の茶葉の茹で時間などは、それぞれの農家が受け継いだ流儀を守っていることも、味が異なる要因になっている。

地元の直売所に並ぶ上勝阿波晩茶の一部。生産者によって味が異なるため、「〇〇農家の上勝阿波晩茶」、「〇〇さんの〜」と記載されている。

有機栽培、手作業で行われる阿波晩茶づくり

最初に訪れたのは、有機栽培にこだわる阪東食品の代表・阪東高英さん。東京ドームほどの面積がある広大な畑を案内してもらいながら、話を聞いた。

株式会社 阪東食品の代表・阪東高英さん

阪東食品の生産と出荷の大部分は、上勝町の名産である、柚、ゆこう、すだちなどの柑橘類。柑橘類の木々が並ぶ畑に、チャノキが共生するように栽培されている。

ほぼすべての工程が手作業で行われる阿波晩茶づくり。阪東さんは「かなり労力をかけている」と笑顔で漏らす。手間はかかるが、それでも地元で飲み継がれてきた阿波晩茶の生産を続けることに、強いこだわりを持っている。

ここで阪東さんは、阿波晩茶の茶摘みから製茶までの、大まかな流れを教えてくれた。

収穫期間は一般的なお茶と比べて遅く、7月後半から8月にかけて。新芽よりも成長した分厚い茶葉のほうが栄養分があって、乳酸発酵が活発になるそうだ。

茶摘みは町内の有志が集まり、手で摘んでいく。

摘まれた茶葉は数日以内に加工される。まずは、大きな釜で茶葉を茹でる工程だ。沸騰した湯の中に茶葉を入れて、しばらく煮詰めていく。茹で時間は、お茶の味に違いが生まれるひとつの要因になるが、どのように決めているのだろう。

「茹で時間は長年培った“感覚”ですね。自分が『この色だ』と思うタイミングがあるんです。先代の父と、僕が茹でるのものとでは、若干違う。だから味も少し変わってくる。そこが阿波晩茶の面白いところです。ボジョレーワインの『今年の味はどうだ』という話に似ていると思います」

茹で上がった茶葉は、茶葉に圧力を加えて揉む「揉ねん機」を使って擦る。こうして意図的に茶葉に傷をつけることで、発酵しやすい状態にするそうだ。揉ねんは、唯一機械を使う過程で、逆に言えばそのほかはすべて手作業で行われる。

いよいよ、乳酸発酵の過程になると、擦った茶葉を大きな木の樽や桶に入れる。「杵でつきながら、空気をしっかりと抜くことが重要」とのこと。

さらに蓋をして重石を載せて、隙間から茹でた煮汁を注ぎ、完全に空気を抜く。漬け込む期間は2週間から1カ月ほど。その間にだんだんと乳酸発酵が進んでいく。

最後は、阪東さんが特にこだわる天日干しだ。

漬け込んだ茶葉を丁寧に広げ、水分が完全になくなるまで、2、3日かけて干す。もし雨に濡れてしまうと、ここまで手間ひまをかけてきた茶葉がムダになってしまうため、天気を注意深くチェックするという。

天日干しが終わると、茎と葉っぱを選別して、袋詰めし、出荷する。

こうした一連の過程を数週間の間に一気にまとめて進めなければならず、他の農産物との両立は大変な労力がかかるのだという。

それでも阿波晩茶づくりを続ける理由を、阪東さんは明かしてくれた。

「阿波晩茶は、上勝町の人々が水代わりに飲んでいました。今まで飲んでくださっている地域の人たちやお客さんを大事にしていきたい。上勝の伝統産業なので、続けていきたいという思いがあります」

阪東食品には、台湾やヨーロッパなどから買い付けにくる客や、海外からの問い合わせも多い。しかし数量が限られているため、長年飲み続けている地元の客を優先し、海外には一部の客にしか販売できていないと話す。

「晩茶づくりを辞められたら、どんなにラクだろうかと思うこともあります(苦笑)。それでも毎年、飲み続けてくれる地元のお客さんがいるから、阿波晩茶づくりだけはどうしても辞められないんです」

上勝阿波晩茶が「幻のお茶」と呼ばれる背景が見えてきた。

文化としての「晩茶」を発信すること

髙木農園、代表の髙木宏茂さん。一般社団法人 上勝阿波晩茶協会の会長も務めている。

上勝阿波晩茶の伝統を継承しようと注力しているのが、髙木宏茂さんだ。一般社団法人「上勝阿波晩茶協会」の代表も務めていて、情報発信やイベント企画などを仕掛けている。

髙木さんは徳島市で生まれ育った後、上勝町に移住。阪東食品の先代(阪東高英さんの父)に阿波晩茶の生産方法をじっくりと学んだ。「お茶づくりは自分の性に合っていて、一生の仕事にしようと決心した。阪東食品さんの先代のお茶とは、味が似ている」と話す。

髙木さんは地域の在来種に加えて、埼玉県狭山市で生まれた「さやまかおり」の生産にも取り組んだ。在来種よりは酸味が強く、ちょっとした苦味もある。

「さやまかおりは、この地で初めて植えました。私もいろいろ調べましたが、乳酸発酵させるために適した品種を知っている人はいないんですよね。狭山がお茶の生産の北限といわれます。四国ですが上勝は標高が高いので、耐寒性を考えると一番気候が似ていると思いました」

さやまかおりでつくられた髙木農園の上勝阿波晩茶
在来種の茶葉でつくられた髙木農園の上勝阿波晩茶

緑茶と阿波晩茶、その大きな違い

ここで「晩茶の一番おいしい飲み方は?」とたずねてみると、髙木さんは「難しい質問ですね」と笑う。

「緑茶だと“飲み分け”する人も多いと思います。かしこまった席や、来客の際にお出しするお茶は上級煎茶や玉露などを選んで淹れる。でも晩茶の場合は、全部同じです。食前・食事中・食後も、仕事の合間も、親しい人と飲むときも、贈答品でも。全部がこれなんです」

「つまり、生活に馴染んで一体化しているのが特徴ですね。だから農産物のひとつというよりも、晩茶という文化のように感じます」

阿波晩茶を産業として確立させるために

阿波晩茶と真摯に向き合ってきた髙木さんは、2018年に「上勝阿波晩茶協会」を設立した。活動目的は、伝統技術や文化を次の世代に渡すこと。

そのために、「産業として確立させることが必要なのだ」と力を込めて話す。晩茶は、もともと農家が、家庭で飲むために、ちょっとずつ作っていたもの。近所の人にお裾分けすることはあったが、販売するようになったのは、つい最近のことなのだという。

「維持するためには、作る人がいて、売る人がいて、買って飲んでくれる人がいないといけません。上勝阿波晩茶協会では、とにかく現役で頑張っている人を守ってあげたいという思いで立ち上げました。そのために商標権を取得して、模造品や粗悪品が出回らないようにしています。保険に入ったり、阿波晩茶の魅力を伝えるためのイベントも企画したりしています」

たとえば、町内に移住した若者を中心に開催する「上勝晩茶祭り」もそのひとつだ。

「農家さんは、お客さんとほとんど話したことがないんですよね。お客さんも農家の話を聞いたことがない。そこで双方が触れ合うことができる機会を作ろうと思いました」

上勝の晩茶農家10軒が出店し、代々受け継いできた阿波晩茶の味を飲み比べてもらったところ、大盛況だったという。

同じ品種とは思えないほどの味の多様性。それこそが阿波晩茶の魅力だ。土や空気に含まれる菌などの“テロワール”の要素に加え、発酵の過程など生産者によるものなど、味の個性を楽しむことができる。

高木さんは今後、阿波晩茶をどのように継承していきたいのだろうか。

「生産者の中で私は一番若いほうだと思います。労力がかかるため、生産者が年々減っている。それでも上勝阿波晩茶を発展させていきたいという思いがあります。家庭で飲むお茶として親しまれている地元の人たちには、あまり受入れられない考え方かもしれませんが、誰かが先駆者にならなければいけないと思っています」

「茶葉の提供の仕方そのものを考え直さなければならないと思っています。たとえば、『(乳酸発酵する)桶ごとオーナーになりませんか』といった呼びかけをして、地域の外にいる人たちにも阿波晩茶づくりに参加してもらう取り組みもいいかもしれません。これまでとは違うチャレンジが必要だと思います」

「幻のお茶」を支える生産者の使命感

上勝の農家に代々受け継がれてきた、生活に根差した阿波晩茶ーー。その背景には、この土地の風土、人々の営みと文化が折り重なっていた。

2021年には上勝阿波晩茶の製造技術が国の重要無形民俗文化財に指定された。伝統的な手仕事にこだわっていることが評価されたという。

生産者たちが、手間ひまを惜しまず阿波晩茶をつくり続ける理由は、地域の人々への思いだ。「幻のお茶」は、彼らの使命感によって支えられていると言ってもいいだろう。

これからも生産者の試行錯誤は続く。阿波晩茶のある暮らしとともに。

写真:江藤海彦

取材協力:佐藤隆盛

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ライター

1990年、長崎生まれ。フリーランスのライター。本の著者をはじめとした文化人インタビュー記事など執筆。最近の趣味はネットでカピバラの動画を見ること。

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編集者

お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。

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ひとの手からものが生まれる過程と現場、ゆっくり変化する風景を静かに座って眺めていたいカメラマン。 野外で湯を沸かしてお茶をいれる ソトお茶部員 福岡育ち、学生時代は沖縄で哺乳類の生態学を専攻