ハイレゾ音源が聴けるバーから、大人のための野外フェスまで。Spincoasterが目指す音楽で「ととのう」未来

村上隆則

アナログレコード、CD、カセットテープ、MD、ストリーミング……。

時代とともに、音楽を聴く手段は変わってきた。新たな手段が生まれた理由には、小型化や扱いやすさ、保存性もあるが、音源そのものの変化という意味では、CDに収録されている音源よりも高音質で、人間の可聴域を越えたレンジまで再現した「ハイレゾ音源」の登場が記憶に新しい。

東京・代々木の「Spincoaster Music Bar」は、そんな「音源の違い」を耳で、そして身体全体で感じられるミュージックバーだ。音楽クリエイターや、ディープな音楽リスナーが夜な夜な集まる場所として知られる。

ハイレゾ音源とアナログレコード、どちらも楽しめる店内は、オーディオや吸音材にこだわり、音楽スタジオレベルの音響が体験できる空間となっている。

ハイレゾ音源の再生に使用するのは、プロミュージシャンのスタジオモニター用に作られた、卵型のモニタースピーカーKOON。レコード音源の再生に使用するのは、原音忠実再生がコンセプトのmusikelectronic geithain RL904。音源を聴くことに最適化されたシステムがそろう。

試しにアコースティック編成で演奏されたアーティストのハイレゾ音源を再生したところ、目の前でバンドが演奏しているかのような、立体感のあるサウンドが心地よく響いた。

こだわりの空間を作りだしたのは、オーナーの林潤さん。

林さんは、大手レコード会社の退職後に株式会社Spincoasterを立ち上げ、“音楽を通じたコミュニケーションのための場”としてこの店をオープンした。

音楽に関するメディア運営やアプリ開発、イベント主催——。同社が手がける事業はバーの経営のみならず多岐に渡る。林さんが音楽の道を歩むことになった原体験や「音楽を楽しむ場」づくりの情熱、そして彼が見据える音楽ビジネスの未来について聞いた。

音楽クリエイターが集う、現代の「音楽を楽しむ場」

「もともとデジタルメディアの『Spincoaster(スピンコースター)』があったんです。アメリカの『Pitchfork(ピッチフォーク)』(インディ・ミュージックを紹介することで評価され、人気となった音楽レビューサイト)や、レコード屋で店員が個人的にプッシュするポップのWeb版みたいなものを作りたくて、会社員時代に個人で始めました」

「しばらくして、手応えもあったので起業してやっていこうと。バーを作ったのはその後、音楽を楽しむための場づくりをしたいと思ったのがきっかけです」

林さんは1986年東京生まれ。同世代よりも一足早く自分専用のパソコンを手に入れた。リアルでは友人らとCDの貸し借りを通じて、オンライン上では世代を超えて音楽を通じた交流を楽しんでいたという。

「音楽を楽しむ場」を作ろうと思った理由にも、こうした原体験の影響が強くあった。

「これは自分の考えですが、音楽はそれそのものを楽しむだけでなく、誰かと一緒に聴いたり、紹介したりすることも大きな楽しみだと思うんです」

音楽とともに楽しむことをコンセプトにしたオリジナルのクラフトビールも手がける。廃業した銭湯をリノベーションした大阪の醸造所「上方麦酒」の協力のもと、林さんが味にこだわり作ったもの。

林さんは「話がうまいわけでもなかったけれど、音楽に詳しいだけで周りとコミュニケーションできた」という自身の学生時代を振り返る。

「『あのアーティストの新曲聴いた?』みたいな会話って、どこのクラスでもあったじゃないですか。あるいは、クラスメイトにCDを貸して、返してもらうときに感想を聞いて、そこから仲良くなることもあった。どんな時代になっても音楽を通じたコミュニケーションは求められると思っています」

会員のためのレコード棚と新鮮な曲へのこだわり

Spincoaster Music Barには「レコードキープ」というシステムがある。

会員は店内のレコード棚の一部を借りて、そこに自らのレコードを置いておくことができる。来店時には店内のオーディオでお気に入りの音楽を仲間と一緒に聴けるというわけだ。中にはレアなレコードを置いている会員もおり、まさに林さんの思想を体現する場になっている。

「自分自身、音楽を通じて楽しい経験をしてきました。そういう楽しさを他の人にも味わってもらうにはどうしたらいいか考えた末に、このミュージックバーという形を選びました」

林さんは、Spotifyでもいち早く独自のプレイリスト「Monday Spin」の配信を始めた。2016年、Spotifyが日本でもサービス開始すると聞き、すぐに問い合わせてアポを取ったという。  

「『Monday Spin』は新曲を紹介することにこだわっていて、『3週間以内に公開された楽曲であること』をルールにしています」

Spincoaster Music Barの店内に飾られている音源の多くが新曲のレコードやCDだ。ミュージックバーといえば70〜80年代の名曲中心にかかることが多いが、この店は違う。

選曲のセンスを生かして、“プレイリスター”としても活躍する林さん。カフェなどで流れるBGMの選曲もしている。林さんは、「空間に合わせるのは大前提」と前置きをしたうえで、それでも「定番曲よりは新鮮な曲、クリエイティビティを刺激する曲を紹介したい」と語る。

インディ・ミュージックを紹介するレビューサイトのPitchforkに憧れ、常に最新のクリエイターの近くにいた、林さんだからこそのこだわりが伝わってくる。

大人のための野外フェスで「ととのう」体験を設計

「Spincoasterの企業理念は、『音楽を通じて人生を豊かに』というものなんです。これはすごく考え抜いて決めたもので、当然、僕らが手がけるあらゆる事業はこの理念に基づいています。人生を豊かにするには、人と人のコミュニケーションがうまくいったほうがいい。だから、音楽を通じてその状態をどう作るか。バーもフェスもメディアもアプリも、全部そのためにある」

林さんがそう語るように、野外フェスもまた「音楽を楽しむ場」のひとつだ。

2021年には、「心と体がととのう」をテーマにした音楽フェス「MIND TRAVEL」を新潟・ロッテアライリゾートで開催。新型コロナの感染拡大が奇跡的に落ち着いた同年10月、音楽ファンたちは満たされたひとときを楽しんだ。

コロナ禍ということもあり、開催にあたっての準備は難航した。フェスの準備期間はおよそ2カ月と短かったが、ワクチン接種証明や現地での抗原検査など、できる限りの感染対策を実施し、自治体と連携して無事に開催に至った。

「もともと音楽フェスはやりたいと思っていて、場所を探していました。スノーボードが好きなこともあり『ロッテアライリゾート』というゲレンデのあるリゾート施設を見つけたんです。実際に行ってみるとロケーションだけでなく、温泉も建築も素晴らしい。交通の便もよかったので、ここでやりたいなと」

林さんは新しい野外フェスのかたちを実現するために、フェスのコンセプトに「ととのう」を掲げた。「ととのう」は林さんが近年注目しているキーワードでもある。

「ととのう」の意味は「めざす状態に全体がまとまる」ことだが、近年、サウナ人気の高まりとともによく使われる「ととのう」は、心身ともにリラックスし多幸感がある状態でありつつも、頭が冴えている状態を指す。

学生時代にアルバイト経験があるほどの「サウナ好き」だという林さんは、こうした要素を野外フェスに取り入れて「音楽×ととのう」の融合を目指した。

「MIND TRAVELでは、音楽を楽しみながら心と身体がほぐれて、自分の心と向き合えるような体験を提供したいと思っています。ライブステージがあるスペースだけでなく、テントサウナや焚き火、CBDなどを楽しみながら、家族や仲間たちとリラックスできたらいいなと。著名な建築家・藤森照信さんが手がけたギャラリーにもチルアウト・エリアを展開して、非日常的な安らぎを得られるような空間づくりをしました」

MIND TRAVELは大規模なフェスではないが、来場者の満足度が高かった。その理由を林さんは「やはり『快適』なフェスだったから」と振り返る。

「野外フェスって、ステージ毎の移動が大変だったり、お店やトイレに長蛇の列ができていたりと、意外と過酷なんですよね。コロナ禍の後を考えてみても、中規模で快適、きちんとコントロールされているフェスは、今後もニーズがあると思っています」

Spincoasterは、来場者の利便性を考慮し、入場登録やシャトルバス、温泉の予約までできる音楽フェス向けアプリを開発し、フェスの参加者に提供した。大規模な野外フェスに足繁く通ってきた音楽ファンたちが、ゆったり楽しめるイベントのニーズは高かった。

Spincoasterが手がけた音楽フェス向けアプリ「FESPLI」。タイムテーブル、Myタイムテーブル、アーティスト情報、視聴、会場マップ、飲食店情報など、来場者が知りたい情報をまとめて管理できる。現在いくつかの国内の音楽フェスにも導入されている。

積極的にデジタル技術を活用する背景には、林さんのITベンチャーや大手レコード会社での経験がある。

「学生時代は友人が起業したITベンチャーに勤めていて、その後、新卒のタイミングから大手レコード会社にいきました。IT業界から音楽業界へ移ったことで、自分なりに日本の音楽業界のデジタル技術の活用について思うところがいくつか出てきました」

「その一例ですが、その頃から海外フェスなどにも足繁く通っており、海外での音楽フェスではアプリ導入がスタンダードになっている中、日本の音楽フェスではアプリ導入しているところが限りなく少なかった。参加者の立場として、アプリがないことへの不便さを感じ、だったら自分たちで作ろうと始めたのが、フェス向けアプリの『FESPLI』です」

音楽を起点に生まれるコンテンツビジネスの未来

デジタル領域におけるコンテンツビジネスの進化は、音楽を起点に始まることが多いと言われる。著作権の問題はあったといえ、ユーザー同士で音楽ファイルのやりとりをできるようにしたNapsterが誕生したのは1999年のこと。

2001年にはAppleからiPodが登場し、多くのユーザーが大量の音楽を持ち運ぶようになり、2003年にはiTunesを通じて音源をダウンロード購入することができるようになった。2008年にはSpotifyが生まれ、あっという間にサブスクリプションモデルやストリーミング配信が浸透した。

そして今、Web3やNFT(Non-fungible Token=非代替可能なトークン(暗号資産)といった新たな概念が、音楽にどのように関与していくのかが注目され始めている。

林さんは、音楽文化の持続と発展には新しい技術との融合が鍵になると、近未来の音楽シーンを見通す。

「昨今、世間を賑わせているいわゆる『NFTアート』のような、『高く売れるから購入する』というのは音楽にはあまり合わない気がしています。それよりも、音楽ビジネスにおけるNFTやトークンは、その代替不可能性に紐付く権利……たとえば株でいう優待券や配当のようなものを証明するものとして価値がある技術になり得ると考えます」

「たとえば、制作前に、原盤権や音楽出版権などの権利の一部を一般に販売することで作品作りの資金を調達できるようになれば、新たなクリエイターの出現につながるかもしれません。また、現在よりも細かく音楽使用料を分配できれば、これまでこぼれ落ちてしまっていた制作関係者に利益を還元することができ、業界の持続可能性も高まります。現在、Spincoasterではそういったサービスの開発を新たに進めています」

オリジナルのクラフトビールのほかCBDオイルも手がける。ビールのラベルには、「Enrich life through music(音楽を通じて人生を豊かに)」の印字。

「音楽を通じて人生を豊かに」新しい体験を

新たな音楽、新たな技術、新たなビジネス——自身もクリエイティビティを発揮し続ける林さんだが、休日はどのように過ごしているのだろうか。彼にとってのポジティブな逃避の時間をたずねると「旅行やバイクツーリング」という答えが返ってきた。

「疾走感のある体験が好きですね。旅先で音楽を聴きながらバイクに乗って、流れる景色を見ていると、まるで別世界にいるような感じがする。ケミカル・ブラザーズの『Star Guitar』のMVみたいに、音楽と景色を照らし合わせながら楽しむのが好きですね」

最後に、林さん自身の現在の音楽への向き合い方について聞いた。少しうつむいて考えたあと、林さんはこう話した。

「自分にとっての音楽は、リラックスさせてくれたり、やる気を出したり、悲しいときに寄り添ってくれたりと、そのときの自分が必要としている状態にチューニングしてくれるものなんですね。その精度を上げるために、『楽曲』『オーディオ環境』『場所』の心地良い組み合わせを自分なりに見つけるようにしています。自分がいろんなサウナに足を運んでいるのも、リラックスする状態にチューニングしに行っている。そう考えると、音楽もサウナも『ととのう』ために向き合っていると言えるのかもしれません」

》2022年のキックオフパーティーとなる『MIND TRAVEL -PRE PARTY-』 が3月12日に開催決定。詳しくはこちら

写真:江藤海彦

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ライター / 編集者

1986生まれ。岡山県出身。IT企業で働くかたわら、編集者・ライターとしても活動。社会、IT、カルチャーなど幅広く執筆。

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お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。

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カメラマン

ひとの手からものが生まれる過程と現場、ゆっくり変化する風景を静かに座って眺めていたいカメラマン。 野外で湯を沸かしてお茶をいれる ソトお茶部員 福岡育ち、学生時代は沖縄で哺乳類の生態学を専攻