Seihoがヒットを生むより「失敗」を求める理由 “将来の自分”を救う作品が生まれるまで

村上隆則

「音楽や芸術には、国も文化も異なる人たちが『共感』で繋がれる面白さがある」

「作品づくりは、まだ世の中にぼんやりと存在している『あるある』を探している感じ」

人々を熱狂させるライブからSNS、音楽配信サービス。そして、東京2020パラリンピック開会式からUniqlo and Mame Kurogouchiコラボの楽曲提供に至るまで、縦横無尽に垣根を超え、表現の幅を広げるトラックメイカー・アーティスト・プロデューサー、Seiho。

東京・渋谷のおでん屋、日本橋の和菓子屋もプロデュースする彼を、もはやひとつの肩書で括ることは難しい。Seihoは、自らの創作活動の源泉をどう捉えているのか。その歩みを紐解きながら、彼の思考を因数分解するーー。

瞬く間に世界に広がった、夜明け前に完成した一曲

2021年、Seihoは東京2020パラリンピック開会式の楽曲を手がけた。

ひたすら自らの道を突き進んだ20代を終え、30代となった現在、環境も変わったことで、これまでと違った視点も得られたという。

「20代の頃は『新しい、カッコいいものを作ろう』というだけで仲間と集まれたし、だからこそ出来たものもあったんです。でも、30代になるとみんなそれぞれの方向性に進むから、自分一人で考えなければならなくなった。結果、自分は一人のほうがいいもの作れると気づいたんです」

そう語るSeiho自身が20代の転機となった作品と考えているのが、クラブアンセムとなった「I Feel Rave」だ。

仲間と夜通し遊んだあと、一人で過ごした明け方までの数時間で完成したこの曲は、音楽共有サービス、SoundCloudを通じて、瞬く間に世界に広がった。

「今聴くと荒い。仲間も『なんや変な曲』って言ってた(笑)。自分でも確信はないまま気軽にSound Cloudにアップしたんですけど、遊び終わってスマホを見たら曲が超バズってて」

曲がバズる——というのはTikTokやYouTubeが最盛期を迎えた現在ではよく聞く表現だが、同曲がリリースされたのは2012年のことだ。当時、地元・大阪でアップロードされたこの曲によって、Seihoの名は世界に轟いた。そのとき得た手応えは確かなものだった。

Seihoは、「あの一曲で変わった」と当時をふり返る。

「ロックもポップもヒップホップもクラブ系もライブハウスも日本も世界も、いろんな小宇宙がジャンルを超えて繋がった感覚があった」

「これが、さっき言った『あるある』を見つけたというのに近いかもしれない」

時間をかけて作品と向き合う理由

Seihoは1987年、大阪府にあるジャズが流れる寿司屋の息子として生まれた。家族の影響もあり、幼少期より当たり前のように音楽に触れて育ったという。

小学2年生の頃にギターを始め、ほどなくしてPCを用いた音楽制作に没頭。高校生になると、インターネットを通じて同世代のトラックメイカーと出会い、交流しながら制作を続けた。

20歳で自主制作EPをリリースし、その後インディーレーベル、Day Tripper Recordsを立ち上げ、初のフルアルバム「MERCURY」をリリース(現在は廃盤)。2013年「I Feel Rave」を含む「ABSTRAKTSEX」を発表。2016年には「Collapse」で世界デビューを果たす。

2021年、日本を代表するHIP HOP、R&BアーティストたちとコラボレーションしたAmazon Originalミニアルバム「CAMP」をリリース。

独自の世界観を武器に、軽やかに音楽シーンを駆け上がっていった。

Amazon Music

これまでの作品について「意外と少ないんですよ。(シングルより長くアルバムより短い)EPはたびたび出してるし、ライブも多いんですけど、フルアルバムは実は3枚くらい」と、Seihoは話す。

寡作の理由は、作品への向き合い方にある。

ひとつの作品を作り始める前に、各地を旅し、資料を集め、細部までコンセプトを練り上げるのだ。必然と1作にかける時間は長くなる。

「コンセプトが決まるまで、制作にとりかからないようにしてるんですよ。『いいな』と思うものを見つけてすぐ作ると、めちゃくちゃ影響を受けたまま出来上がってしまうから」

「スタジオの廊下に人がいるだけでも、もうダメなくらい。存在にも影響を受けちゃうんですよ。『ちょっと笑かしたろ』みたいなサービス精神が出てしまって(笑)。でも本当に作りたいのはわかりやすいウケじゃないから——あ、もちろん、ウケてはほしいねんけど。伝わります?」

Seihoの作品に共通するシリアスな世界観は、確かに「わかりやすいウケ」ではない。

だが、世界デビュー作としてリリースされた「Collapse」(2016)の静謐な世界観が多くのリスナーから高く評価されたように、そこにはSeihoならではの世界への解釈がある。

「人間ってどうしても、どこかのアイデアを引っ張ってきて、自分の都合のいいように解釈して出しちゃうじゃないですか。でも、本当の世界はそんなに都合良く出来ていなくて、もっと複雑なんですよね。その複雑さを“複雑なもの”として捉えた上で、シンプルに出したい」

ただ、そのシンプルさにも彼なりの解釈があり、「一筆書きの良さみたいなもん」と表現する。

一筆書きでOKを出すには1枚じゃダメ。100枚、1000枚と書くわけです。一発で納得いくものは出来ないから、数が大事

「悩んでいるときは『いいなあ』とは思っているけどまだ何かが足りない状態。本当にいいのが出来てるときは、作っている最中から『これこれこれ!』みたいな感じで勢いよく立ち上がってますから(笑)。明らかにわかるんですよ」

意味のないような時間こそが、クリエイティブな“お膳立て”

 

Seihoは、「20代の頃に比べれば、技術は上がったし、短時間でも作れるようになった」とも話す。

「年齢を重ねるごとに作る時間は短くなったけど、逆に作り始めるまでの“お膳立て”の時間が長くなるんですよね(笑)」

「例えば、今日の夜が締め切りだとすると、まずは熱海に行く。そして温泉入って、ぼーっとして。帰りの電車の中で音楽聴いてぼーっと過ごす。そして帰ってきて一気に作る。そのほうが効率もいいし、満足のいく作品になる」

意味のないように思える“お膳立て”があってこそ、いい作品が生まれるというSeiho。

「僕にとっては、お茶やお菓子の時間、移動の時間、温泉やサウナがそれですね」

国内外問わずアーティストのプロデュースやリミックスを手がけ、ライブ出演に飛び回り多忙なSeihoだが、それでも時間をかけて作品を作ることを選ぶ。

多作のアーティストも多い現在のシーンで、その姿勢を貫く理由をたずねた。

「『作品』と『商品』は違うんですよね。僕にとっては、作品が大事。作品は絶対に将来の自分を助けてくれるんです。だから、子どもを産むのと同じように、作品を残す以上、その責任がある」

「今ウケて数字が取れるものって、パッと作れるんですよ。でも現状の世界にフィットしているだけやから、将来それがヒットすることは、もうないんですよね。ウケた理由は分かっているけど、ウケた理由しか分からないからあまり意味がない」

「それよりも『失敗』を大量に残していくほうが、将来の傾向が見える」と彼は語る。

「だから『失敗』の細かいデータを集めるために小さなリリースを出しています。自分の『作品』は『世界にどう影響を与えるか』を考える必要があるから」

世界中でゼロ→イチが生まれ、ヒットにつながる

自らの作品作りが世界を捉える行為である以上、妥協ができるはずもない。Seihoの頭の中は、世界と自分の作品が相互に作用し合っている状態が自然なのだろう。

ただ、こうした考えに行き着くまでには、2つのきっかけがあった。

ひとつは音楽評論家の故・阿木譲氏との出会い。もうひとつは、アメリカ・ロサンゼルス屈指のパーティ「Low End Theory」に日本人として初めてステージに上がった経験だ。

「大学を卒業する前に、大阪のnu thingsというクラブに通っていて、そこで阿木さんと出会ったんです。彼に『新しい音楽以外は聴くな』と言われました。なぜかというと、『音楽というのは新聞なんや』と」

常に更新されている音楽がどうなっているかというのを見なあかん。チャートを通じて、世界のどこでどんな最先端の音楽が鳴っているのかというのを、まず調べる。その時にやっと、世界で何が起こっているかがわかる。新聞やニュースは、事件が発生した時に事件を押さえに行くけど。音楽は、事件が発生する前に発見されるから面白い

音楽は新聞」ーー。阿木氏の言葉は、Seihoの胸に深く刻まれた。

音楽は、世界中でさまざまな人によって作られ、インターネット上で日々リリースされている。クリエイターたちが無意識にそこに込めるのは、世界の「いま」だ。

Seihoは、それを聴き込むことで次の時代の音楽を探る。

「ムーブメントは誰かのヒットをきっかけに発見されることが多いけど、実は同じタイミングで似たようなことが世界中で起きてるんですよ。ヒット作がゼロ→イチだと思われることが多いけど、実は多くの人がゼロイチへのトライアンドエラーをやっているからヒットが生まれるんですよね」

「音楽を作っていて面白いなと思うのは、ヒットするとか流行るのは、いわば“ビーカーから水が溢れた状態”なんですよ。バシャーンと溢れた時に『ヒットした』と言われますが、溢れる手前まで水を溜めた奴らが結構いるんです」

「実際、ヒットを生んだ人が突出して優れていたかというと、必ずしもそうではない。それなら、ここまで水を溜めてくれた人たちに、溢れさせた人は還元していかなければ、次のビーカーが生まれず死んでいくわけです。こういう見方は、阿木さんの影響やと思います」

海外のライブ出演で得た新たな価値観

「Collapse」をロサンゼルスのLeaving Recordsよりリリースし、ロサンゼルスのLow End Theoryに出演したときの経験も、彼がこうした思いを強くした一因だ。

Seihoが出演した際、フライヤーに並ぶその日の出演者たちの名前はFlying LotusやThunder Catなど、世界的に知られたアーティストたち。

しかし、トップライナー(最上段にある名前)はその日、初出演のSeihoだった。

「ボスのDaddy Kevが、『なんでお前の名前が一番上にあるかわかるか?』と聞いてきて、『わからん、こんなすごいメンツの上に自分の名前があるのは怖い』と言ったんですよ。そしたら、Kevがこう言ったんです」

今夜たくさんの人がここに来る。ほとんどの人は中には入れず、外で待つことになるだろう。でも大事なのは、Seihoがトップライナーであるということだ。会場でお前の演奏を見る人はもちろん、会場に入れず外で待つ人、諦めて帰っていく人々は、必ずSeihoの名前を調べて、ストーリーミングでお前の曲を聴くだろう。俺にとってはそれがすごく大事なことなんだ

「それを聞いてめちゃくちゃ感動したんです。これって『有名なアーティストが上に載る』という既存の経済的な論理をハックして、自分たちの思想を伝えていくことでもある。これをきっかけに自分のマインドも少しずつ変わっていった」

「誰も交換できない世界を実現したい」

現在、Seihoは一人のクリエイター、アーティストにとどまらず、プロデューサーとしての活動を強く志向するようになった。

東京・渋谷のおでん店「そのとうり」や、日本橋の和菓子店「かんたんなゆめ 別邸」をプロデュースし、人が集う場作りにも取り組んでいる。

「店も自分にとっては作品のひとつ。音楽はシンプルで自己完結している。でも、店のように経済性があって、複数のパラメーター(変数)が動く中で、人やカルチャーが成長していくことに今はすごく興味があるんです」

「そういう意味で、プロデュースとクリエイションはセットになってる。人からは『チグハグなことをしている』と思われがちやけど、自分の中ではちゃんと繋がっている」

「僕は『誰も交換されない社会にしたい』というのが、ベースにあります。アーティストやクリエイターって、その人にしか作れなさそうなものを作っているから、わかりやすく交換できないと思われる存在やけど、あらゆる人がそうだし、そうなって欲しい」

「おでん屋も和菓子屋も、今やってくれている二人がいなくなったらもう違う店ですから。目指すところはそこなんですよね」

「失敗こそ価値」Seihoの次なる進化とは

さまざまな活動を通じてシーンに存在感を放つSeiho。最後に、あらためて彼にとって音楽とはどのような存在なのか。質問をぶつけたところ、意外な答えが返ってきた。

「これまで一度も、音楽が自分にとっての『何か』だったことはないんですよね」

「もちろん好きだし、それが9割くらいはある。でも生きるために音楽をやっているわけでもないし、音楽をやるために生きているわけでもない。実現したいことを成すための手段のひとつ」

こともなげに「音楽は手段」と言い放つその姿は頼もしい。「失敗こそ価値がある」と話してくれたSeihoは、今後どんな失敗を重ね、どのように進化を遂げていくのだろう。

「そういえば、おでん屋、そろそろ閉めようと思ってて。このまま渋谷でやってても普通に成功しちゃうから。ちゃんと失敗をしないと。次はどこか海外でおでん屋をやろうかな」

写真:西田香織

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ライター / 編集者

1986生まれ。岡山県出身。IT企業で働くかたわら、編集者・ライターとしても活動。社会、IT、カルチャーなど幅広く執筆。

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お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。

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