もし世界中で「湯治」ができたら? “持ち運べる温泉”でルフロが思い描く、ヘルスケアの未来形

Yuuki Honda

視界が薄っすらと白い、雲の中のような一室に入ってまもなく、室内を満たすミストが身体のなかへ染み込んでくる感覚。同時に、ふつふつと湧き出るように大量の汗が全身を流れ始める。

いくつかのスペースで仕切られたその室内は40度ほど。サウナよりも低温とあって快適だ。そこに敷かれているのは、温泉の成分を含む小さな薬石。石と石がぶつかる音も心地いい。温かい薬石をお腹の上に載せてみると、体の中心がポカポカと温まり、いつの間にか脱力に身を任せていた。

切りのいいところで外へ出て、水分を摂り、しばし休憩。そしてまたミストの海へ溶け込んでいく──。

(写真:Le Furo提供)平らな岩に寝転ぶ岩盤浴とは異なり、たっぷり敷かれた温かい薬石が身体の曲線に沿い、体のすみずみまでじわっと温まる。砂に埋もれて温まる砂むし温泉にも近い体験。

2021年6月にオープンした小田原のホテル「江之浦リトリート凛門(りもん)」で体験できるのが、株式会社Le Furo(ルフロ)が手がけたクラフト温泉の湯治。サウナとも岩盤浴とも違う、蒸気が淀みなく体内へ流れ込んでくるような、不思議な心地よさがあった。

ルフロは、温泉の新たな形として「クラフト温泉」を開発・提供している。クラフト温泉は、鉱石からミネラルの抽出と濾過を数千回繰り返し、温泉の成分を濃縮した液体。濃縮液(クラフト温泉)に温水を加えることで、温泉を再現できるというわけだ。

これによって、“温泉を持ち運ぶ”という革新が起こる。これまで現地に出向かなければ浸かることができなかった温泉を、どこでも体験できるようになるのだ。

クラフト温泉を世界へ──。

「日本の湯治」を「世界のTOJI」として広めるべく奔走しているのが、Le Furoの代表取締役、三田直樹さん。大学卒業後、アメリカ留学を経て、大手総合商社で石油トレーディングに携わり、後に海外経済メディア、証券会社とグローバルビジネスを渡り歩いてきた。

三田さんが目指す、温泉資源大国としての日本の姿と、湯治を活用した新たなウェルビーイングの未来とは。

秋田県・玉川温泉での湯治体験

──三田さんがクラフト温泉を開発したきっかけは、なにかあるのでしょうか?

10年前、秋田県の玉川温泉で体験した湯治が、かなり強烈でした。3日間滞在して温泉に入ったんですが、2日目に鼻血が出て、全身に斑点ができたんです。驚いて湯治場に常駐している医師に診てもらったら「代謝による身体反応」だと言われました。本来持っている代謝の力を取り戻せたことで、溜まっていた老廃物を身体の外に押し出したのだと。

──三田さんの原体験から、ルフロは生まれたんですね。

ルフロが提供する、クラフト温泉での湯治(体験)には、“人間が本来持つ機能をもとに戻す”というコンセプトがあります。便利になっている現代において、内臓のエンジンがかかっていない人は多いのだと思います。

体験していただいたので実感されたと思いますが、凛門の湯治場の室内温度は40度前後と高くないのに、かなり汗が出ますよね。それは人間が本来持っている身体の機能がはたらき、自ら体温を上げた結果だと考えています。高濃度なミネラルを含むクラフト温泉が、身体の中に働きかけます。

ミネラルの重要性を訴えた、ある科学者との出会い

──玉川温泉での体験を経て、クラフト温泉を開発するまでにはどんなことがあったんでしょうか。

玉川温泉に行った後に、温泉が持つ効能の源である成分、いわゆる泉質と呼ばれるものを知って、これを調べていくうちに面白くなってきまして。全ての温泉地を調査したわけではありませんが、基本的に温泉の99.9%は水です(海水系の温泉の場合はナトリウムを含むため約99%)。残りの0.1%の成分はミネラルで構成されていて、いかに温泉成分が微量で作用するかがわかります。

全国から集めた温泉成分を含有する薬石

──必須ミネラルと呼ばれるカルシウムやカリウムは有名ですね。

そうしたミネラルが人間の体に対してどんな役割を果たしているのか、すべてが明確にはわかっているわけではないんです。人体の大部分は酸素や炭素でできていて、ミネラルは全体の5%ほど。ミネラルのなかでもごく少数のものを微量元素と呼ぶんですが、人体に含まれるミネラルのうちの0.1%未満が微量元素です。

微量元素はあまりに微量すぎて最近まで解析が難しかったんです。アメリカでもまだ30種類ぐらいしか解析できていません。日本ではそのうち16種類、カルシウムなどを必須ミネラルと定めて摂取を奨めています。

ただ、今までいらないと思われていたアルミニウムが必要だったり、生まれたときから人体にある銅が代謝の過程で必要なものだったりするなど、いろいろなことが少しずつわかってきています。

──ごく微量のミネラルの作用が絶大なんですね。

はい。ミネラルについてはまだ解明されていないことも多いですが、僕自身はあるとき、ノーベル化学賞の受賞者でミネラルの重要性を訴えたライナス・ポーリング(1901-1994)という科学者の存在を知って、「ミネラルが豊富な温泉は、石油と同じく貴重な天然資源なのではないか」と閃いたんです。

──石油と同じ。

実際に成分を解析すると、温泉と石油は含有物がものすごく近いんです。ただ石油と大きく違う点は、まだ価値化されていないことです。日本では“源泉かけ流し”なんてよく目にしますが、価値をわかっていたら、かけ流しなんてもったいないことはしないはずです。そんな温泉に価値を与えることが、これから僕が成すべきことだと思いました。

──三田さんは、商社時代に石油を扱っていた経験からそう閃いたんですね。日本は水資源が豊かな温泉大国だからこそ、埋もれている温泉資源の価値に気づいていない、と。

そういうことです。地球上の温泉資源の多くは日本に集中していると言われています。温泉に資源的価値があることを証明できれば、日本は一気に資源大国になるんです。

──クラフト温泉は、人間の身体に直接作用するヘルスケアのための資源だと。

人体のエネルギーのもとになる糖質を働かせるためには、ミネラルが必要不可欠です。だから僕は、化石燃料が機械の動力源だとすれば、生物における動力源として必要なものはミネラルだと思うんです。これを温泉や湯治だけでなく、食品、飲料など多彩なチャネルで届けられるようにしたいですね。

そもそも僕は今後、世界の趨勢がさらなる工業化に向かうとは考えていなくて。

──温泉を資源として届けるためにはどうすれば?

条件が2つあると思っています。ひとつは利用価値があること。金もレアメタルも石油も人間が価値を見出して、加工したり工業用製品に使用したりエネルギーとして利用している。先ほどお伝えしたように、ミネラルは生物の動力源として必要なものです。

もうひとつが輸送手段があることです。石油はタンカーがあるし、金属は手で持てるから運びやすい。でも温泉は地産地消ですよね。温泉水をタンクで運ぶ場合もありますが再現性がない。温泉は99.9%が水だから、そのまま輸送するにはめちゃくちゃ効率が悪いんです。

──潜在的な価値があっても、輸送できなければ利用価値が生まれないわけですね。

利用価値が生まれて劇的に環境が変わった代表例が天然ガスですね。天然ガスって昔はパイプを繋いだ陸続きのところにしか運ぶことができなかったんですよ。いまの温泉と同じで効率が悪かったんです。でもあるとき「天然ガスをマイナス162度まで冷やすと液体になる」と気づいた科学者がいて。ガスの比重を600分の1まで圧縮したLNG(液化天然ガス)が開発されたことで、一気に資源的価値が上がったんです。

僕は温泉もこれと同じことができると思い、ルフロで開発したのが、温泉の成分を凝縮したクラフト温泉なんです。

「ヘルスケアの資源」としての温泉

──三田さんは今後の世界を「さらなる工業化に向かうとは思えない」と言いましたが、どのように変わると思いますか? 化石燃料の時代は終わる?

いまは化石燃料の時代ですが、ロシアのウクライナへの武力侵攻が始まり、ヨーロッパを中心にロシアの化石燃料を使えない可能性が出てきて、化石燃料への依存度もあらためてわかりました。でも確実に流れが変わり始めていて、クリーンエネルギーも台頭してきました。

産業革命を牽引していた石炭が100年ほどで下火になった前例を考えれば、エネルギーは100年スパンで変遷する可能性があると考えられます。この100年を、「黎明期」「成長期」「全盛期」と分類すると、化石燃料の時代がはじまって100年がもうすぐ経ちますから、全盛期の終わりに差し掛かっていると思うんです。

──化石燃料の資源には限りがありますね。

だから僕は、これからの世界はさらなる工業化を目指すのではなく、生物の機能を上げる方向へ向かって行くんじゃないかと予測しているんです。人の身体を直接的に改善する。そこに温泉が果たす役割は大きいと思っていて、それがまさに湯治=TOJIなんです。

日本の湯治を、世界の「TOJI」に。ヘルスケアの未来形

──クラフト温泉の壮大な構想がよく分かりました。ここ小田原に、クラフト温泉の湯治場を作った理由は?

ホテルのオーナーである瀬戸ひふ美さんが江之浦という地に惚れ込んで、都心から150kmほどの江之浦にこのホテルが作られました。ホテル名にもある「リトリート」という言葉は、欧米では「生活圏内から100〜150kmぐらいの範囲にある場所に滞在してリフレッシュする」ことを意味するんです。日本のリトリートとは?と考えたときにその答えが湯治だと思いました。

温泉の成分を極限まで増強するクラフト温泉があれば、温泉地に縛られることなく、純粋な風土や風景を大切にして湯治場をつくることができるんです。

──オープンから1年経ちますが、ホテルの反響は?

予約がかなり先まで埋まっているようなので手応えを感じています。というのも、滞在された方の多くがチェックアウトのときに次の予約をされていくんです。定期的に湯に浸かっていただくのが湯治のあり方なので、当たり前といえば当たり前なんですが、チェックアウトするときに次の予約が入るホテルなんてなかなかないですよね。クラフト温泉による湯治を、全国各地のホテルのサービスに組み入れていただけるだけの手応えはありますね。

──忙しい日々を過ごしていると思いますが、三田さん自身にとっても湯治はリラックスする時間なのでしょうか。 

ええ、まさに。人をリラックスさせることを仕事にしているわけですから、僕自身がリラックスできていないとダメですし。昨年はコロナで苦労しましたが、国内外いろんな温泉地を訪れました。

──各地の温泉をめぐって、どんなことを感じましたか?

国によってサービスの形は違うんですが、僕はそこにうまく湯治(TOJI)を組み込んで行けたらいいなと思いました。例えば、いまYOGAとSAUNAは世界のヘルスケアのビッグワードですよね。

──世界中で使われている言葉です。

でもヨガなんて30年前は、ちょっと怪しいイメージが付き物だった。マドンナが90年代にヨガを取り入れ、それを公表した瞬間に世界的なトレンドになったと記憶しています。サウナも最近のマーケティングの成果ですよね。 

僕は湯治もこの2つに劣らないポテンシャルがあると感じていて、湯治で「ミネラルを摂る」というテーマは世界に通用すると確信しています。「日本の湯治」が「世界のTOJI」になるはずです。

江之浦リトリート凛門のランチは、小田原の風土で育った食材をふんだんに使った箱膳を中心に、先附の茶碗蒸しや、釜焚き御飯、デザートなどがコースで楽しめる。

温泉の革新を夢見る「日本のロックフェラー」

──今後の展望としては、温泉に含まれるミネラルの解析とともに、世界に「TOJI」を広めていくことでしょうか。

今後、ミネラルの重要性が解明されるにつれて、温泉が注目されていくと僕は考えています。そしてその温泉大国である日本は、世界のパイオニアになれるポテンシャルが十分にあります。石油のもとになる原油も100年前までは、いまの温泉と同じ状況でした。

──いまとなっては信じられませんが、歴史の事実ですね。

原油はめちゃくちゃ臭い、ドロドロとした黒い謎の半液体だったわけですからね。これを自動車メーカーが内燃機関の燃料として、ガソリンを採用した途端にパラダイムシフトが起きて、急に原油が資源になったんです。それにいち早く気づいたアメリカのジョン・ロックフェラーは、原油が出る土地を買い占めていき、資産家となりました。

──三田さんは温泉で「日本のロックフェラー」になるのかもしれませんね。

僕は温泉の権利を買い占めてはいませんが(笑)、世界に通用するその価値を見出した男として、知る人ぞ知る存在になれたらうれしいですね。

三田直樹(みた・なおき)

株式会社Le Furo 代表取締役。

慶應義塾大学、カリフォルニア大学卒業後、大手総合商社で石油トレーディング業務に携わる。その後ブルームバーグへ転じ、商品市場の記者として商社や石油元売への取材を行う。 2006年よりバークレイズキャピタル証券入社、2010年JPモルガン 証券へ移籍。一貫して石油などの国際商品市場におけるリスク管理およびトレーディング業務に従事。2013年にLe Furoを創業。

写真:Eichi Tano

Author
ライター / 編集者

福岡県出身。大学を卒業後、自転車での日本一周に出発。同時にフリーランスとして活動をスタート。道中で複数の媒体に寄稿しながら約5000kmを走破。以降も執筆・編集など。撮影もたまに。

好きなサッカーチームはLiverpool FC。YNWA

Editor
編集者

お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。

Photographer
写真家

1995年、徳島県生まれ。幼少期より写真を撮り続け、広告代理店勤務を経てフリーランスとして独立。撮影の対象物に捉われず、多方面で活動しながら作品を制作している。