北欧スウェーデンで親しまれているコーヒー文化「フィーカ」。もしかしたら聞いたことがある人もいるかもしれない。
一般的にフィーカとは、友人や同僚、家族など誰かとともにコーヒーとシナモンロールなどの甘いお菓子を食べて過ごす習慣のことだが、「実はフィーカにルールはないんです」と、彼女はくったくのない笑顔を見せた。
ルールのないフィーカ。それはどんなひとときなんだろう。
「彼女」ことスウェーデン出身のヤンニ・オルソンさんは、日本を拠点にコラムニスト、モデルとして活動中。また、母国で幼い頃から慣れ親しんできたアウトドアやフィーカに関する発信もしている。
初夏のある日、ヤンニさんが日頃から楽しむ「アウトドア・フィーカ」の時間をともに過ごしながら、自然のなかでフィーカの本質についてじっくりと語り合った。
心をほぐし、人との距離を近づけるフィーカ
ヤンニさんと訪れたのは、静岡県の森の中にある小さなキャンプ場。
「テントはここに立てていいかな」
涼みやすそうな木の下に大きなリュックを下ろしたヤンニさん。無駄のない動きでてきぱきとテントを張りはじめた。
それが終わると、テントの手前にトナカイの毛皮を敷き、今度はアウトドア・フィーカの準備を進めていく。
これから、焚き火でコーヒーを淹れてくれるという。
アウトドア・フィーカでいつも使う基本のギアは、スウェーデンのブランド「レンメル」(レンメルロゴ入り、トランギア製)のもの。普段は直火が多いが、訪れたキャンプ場の規定に合わせて、この日は小さな焚き火台を用意した。
少し荒く挽いたコーヒー豆を入れたヘラジカの皮袋、持ち手の上部にトナカイの角があしらわれた白樺材のククサ(白樺のコブをくり抜いたハンドメイドのマグカップ)を取り出した。
慣れた手つきで、火起こしをスタート。
ヤンニさんは、焚き火台に乾燥した木片を乗せ、火起こし用の着火剤にナイフを滑らせた。
できた火種の上に薪を手慣れた様子で組み上げると、あっという間に焚き付けが完了し、安定した炎がゆらゆらと上がる。この上に水を入れたケトルを置いて沸騰させる。
ケトルの外側は真っ黒で、普段から使い込まれている様子がうかがえる。
しばらくしてケトルの水が沸騰したら、少し粗めに挽いたコーヒー豆の粉をざざっと豪快に入れて、もう一度沸騰させる。
コポコポと注ぎ口から湯がこぼれるくらい再び沸騰したら、火から下ろす。
コーヒー豆の粉がケトルの底に沈むまで5分ほど待つ。
本場スウェーデンの焚き火コーヒーは、このあとククサやカップに注げば出来上がりだが、ヤンニさんのおすすめはさらに2、3回沸騰させる方法。より深みのある味になるそうだ。
ヤンニさんは、ケトルのまま淹れたてのコーヒーを、大地の上に置いたククサへと注ぐ。
コーヒーをひと口。「はあ、おいしい」とため息が漏れるヤンニさん。
私たちも目の前の焚き火を囲みながら、2回沸騰させたものをいただく。フィルターも使わずに煮出したコーヒーは初めてだ。
正直なところ、煮出すことで強い苦味が出たり、粉っぽさが残ったりするのではないかと思っていたが、予想に反してスムーズな口当たりだ。あっさりとしていて飲みやすい。
そして、フィーカに欠かせないのが、甘いお菓子。
「甘いものと一緒に食べるから、コーヒーに砂糖はあまり使わないかな」とヤンニさん。
ヤンニさんが用意してくれたスウェーデンのオーツクッキーは自然な甘さで、コーヒーとの相性も抜群だ。
スウェーデンでは、焚き火で淹れたコーヒーに塩を入れることもあると聞き、試してみる。苦味がまろやかになり、さらに味わい深い。
アウトドアで汗をかき多少の塩分を欲しているからなのか、身体に沁みわたるようだ。
初夏の日差しは力強く、焚き火に近づくと暑さで汗がにじむが、ときおり吹く風が自然からのご褒美のようで気持ちいい。
フィーカを楽しみながら、木漏れ日の光や、虫や鳥のさえずり、焚き火の音、そしてコーヒーの温度や香りを、心静かに五感で味わう自分がいた。
ヤンニさんとまだ出会ったばかりなのに、木陰で一緒に過ごすおしゃべりの時間が心地よく流れていく。
スウェーデン流「フィーカ」の楽しみかた
ヤンニさんに、あらためてフィーカとは何か、たずねてみた。
「これがフィーカ。生まれてから今まで当たり前にあるものだから、フィーカが何かを説明するのが難しいんですよね。ひとつだけハッキリ言えるのは、フィーカの楽しみは、そこで生まれる人と人とのコミュニケーションだということ」
今回は野外でのアウドドア・フィーカを体験しているが、フィーカは家でもカフェでもどこでも自由に楽しめる。スウェーデンでは、学校や職場でフィーカの時間や専用のスペースを設けているところも少なくないという。
もともと親しい人たちとフィーカを楽しむのはもちろんだが、新たに出会った人と仲を深める目的でフィーカの時間を過ごすことも多い。
「友達になりたい人だけでなく、気になる相手をフィーカに誘うこともよくありますね。最初から食事やデートに誘うのはハードルが高いけれど、フィーカなら気軽に誘えるから」
ヤンニさんも学生の頃は、新しい友達ができたらよくフィーカに誘っていたそう。
つまりフィーカは、私たちにとっての“お茶の時間”といえるだろう。
決まったルールはない。フィーカのスタイル
フィーカの語源は、スウェーデン語でコーヒーを意味する「kaffi」がひっくり返って「fika」になった。
そもそもフィーカの文化は、1930年代に生まれた「カフェレープ」が始まりだといわれている。
これは、外へ働きに出ることが少なかった当時の女性たちが、家事の合間に家で集まり、お茶を飲みながら世間話をしていた習慣のこと。その後、女性の社会進出が進むにつれて、男女関係なくいつでも気軽に楽しめるフィーカへと様式が変わり、広まっていった。
フィーカは、基本的にはコーヒーと甘いものをセットで楽しむものだが、甘くないパンにサーモンやチーズを載せたオープンサンドイッチと組み合わせることもある。
飲み物も紅茶やレモネードなど、必ずしもコーヒーでなくてもいい。クリスマスシーズンのフィーカは、ホットワインとジンジャークッキーの組み合わせが定番だという。
慣習的に好まれる組み合わせはあるものの、飲みたいもの食べたいものを、自分で自由に組み合わせるのがフィーカのスタイルだ。
時間も自由だ。さくっと15分で終わるときもあれば、話に夢中になり気づけば2時間経っていた、なんてことも。
「つまり、フィーカの形に決まったルールはないんです」
そう微笑むと、ヤンニさんはククサに入ったコーヒーをおいしそうにもうひと口飲んだ。
心を癒やす、セラピーのような「ひとりフィーカ」
豊かな人間関係を育むためのコミュニケーションツールとして、スウェーデンの暮らしに溶け込み、親しまれているフィーカ。
その一方で、ヤンニさんが「救われた」と話すのが「ひとりフィーカ」だ。
30代に入るちょっと前、勉学や仕事のために日本とスウェーデンを行き来していたヤンニさんは、心も体も疲れきった状態のいわゆる「燃え尽き症候群」になってしまった。
また、命にかかわるほど重度のピーナッツアレルギーによる食へのストレスから、パニック障害も併発。食事をするのもままならなくなっていた。
どんな悩みでも吹き飛ばしてしまいそうな、彼女の快活な笑顔からは想像できない過去だ。
「その頃の私は、無理をして同時にいろんなことをやろうとしすぎていました。その結果、体も心もパンクしてしまった。それで1年間スウェーデンの実家に帰って休むことにしたんです」と振り返る。
実家に戻ったからといって、すぐに症状がよくなるわけでない。
何もしたくない気持ちも大きかったが、できるだけ外に出るように心がけた。
幼いころから慣れ親しんできた故郷のあふれるような自然。その中に、ひとり身を投じ、とにかくゆるやかで静かな時間を過ごしたいと思った。
「朝起きて、朝ごはんを食べたら、ハーブティーを入れた魔法瓶と母が作ったシナモンロールなど甘いものをリュックに詰めて出かけました」
「行き先は、3つあるお気に入りの湖の中からその日行きたい場所を選択。5キロから10キロの道のりを徒歩や自転車で向かい、辿り着いたら、自然豊かな環境でゆったり2時間ほどひとりフィーカをしていました」
自然に囲まれて心ゆくまでフィーカの時間を過ごす。ヤンニさんは、そんな毎日を繰り返した。
だんだん心も体も軽くなり、失われていた力が徐々に戻ってくる感覚があったという。驚いたのは、3カ月程度で、パニック障害の症状が落ち着いてしまったことだ。
「自分で選んだ安心できる食べ物を、自分のペースで食べられる」
「重度の食物アレルギーで食べることが怖くなり、誰かとの食事がプレッシャーだった私にとって、それはとても大切なことでした。自然のなかでひとりで過ごすフィーカの時間が、セラピーになったんです」
「誰でも生きていれば、必ずどこかで壁にぶつかります。私にとってフィーカは、それを乗り越えるための助けの1つになったんです」
日々を忙しく生きている現代人には、何もしないでぼんやり過ごす、ひとりフィーカのような時間が必要なのかもしれない。
さあ、コーヒーを魔法瓶に入れて公園へ
アウトドア関連の仕事で各地を飛び回り、忙しい日々を過ごしているヤンニさん。
疲れがたまったとき、心と体をほぐすためにアウトドア・フィーカを楽しんでいる。
気軽に始められるのは、コーヒーと甘いものを持って近くの公園や河川敷に出かけるスタイルだ。
遠くの山やキャンプ場など、慣れないうちからアウトドアのハードルを上げる必要はない。無理なく自分に合った楽しみ方を見つければいい。
「アウトドア、キャンプというと手間やお金がかかるイメージを持つ人が多いですよね。でもそれは、あれこれ道具がなきゃいけないと思い込みすぎているから。魔法瓶を持って近場の公園でフィーカをするだけでも充分です。私も最初は、魔法瓶ひとつから始めましたよ」
ちなみに、ヤンニさんがアウトドアのギアを選ぶ基準は、機能的かつコンパクトであること。そして革や木などナチュラルな素材で作られているのも大事なポイントだ。
「必要なギアは、自転車で移動するときは自転車のバッグに、登山やハイキングをするときはバックパックにすべて収めています。その中の95%が絶対に必要なもの。残りの5%が特別必要なものではないけれど、気分が上がるものにしています。私にとっては、フィーカの道具がまさにそれですね」
自分をリセットするため
もう一度、コーヒーを飲んで耳を澄ます。
風が流れて、ざわざわと枝葉が音を奏でる。
近くで鳥がピイーッと鳴いている。どの木にいるのだろうか。
気づけば、自分の体の力がほどよく抜けていたーー。
最後に、アウトドア・フィーカの魅力をヤンニさんに聞いた。
すると「リセットできること」とひと言。そのあとにこう続けた。
「私の場合は、東京のように人も情報もあふれたところにいると、いろんな考えが浮かんで頭がうるさくなってしまうんです。でもアウトドア・フィーカを通じてひとときでも自然の中で頭と心をオフにすると、本当の自分やその場に一緒にいる人だけに意識を向けられます」
「いつもいる社会から一度自分を切り離すことで、俯瞰して物事を見られるようになり、悩み事があっても実は大したことないんじゃないかって思えるんです」
「何より、私は自然の中にいると無邪気にはしゃぐ子どものようになっちゃいます。みんなもそうでしょ?」と、ヤンニさんはいたずらっぽく笑う。
ヤンニさんの「健やかさ」の一部は、フィーカによって育まれた。
誰かと一緒でも、ひとりでもいい。家でも、外でもいい。
フィーカで大切なのは、そこで自分がどんな時間を過ごすかだ。いつもの暮らしのひとコマにフィーカを取り入れる。それが、自分自身を大切にして人生を彩るヒントになるのかもしれない。
写真:江藤海彦
撮影協力:ANOTHAPLACE
東京都在住。Webメディア『MYLOHAS』、『greenz.jp』、雑誌『ソトコト』などの編集部を経て2019年に独立。持続可能なものづくり、まちづくり、働き方をテーマに雑誌、Webメディア、書籍をはじめとする媒体や企業サイトなどで編集と執筆を行う。また「ともに生きる、道具と日用品」をコンセプトにしたオンラインショップ『いちじつ』のディレクター兼バイヤーを務める。
お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。
ひとの手からものが生まれる過程と現場、ゆっくり変化する風景を静かに座って眺めていたいカメラマン。 野外で湯を沸かしてお茶をいれる ソトお茶部員 福岡育ち、学生時代は沖縄で哺乳類の生態学を専攻