春の訪れとともに迎える「新茶」の季節。青々しい爽やかな香りとともに届けられる新茶は、限られた時期だけの特別な味わいだ。
はたして、新茶はどのように育まれ、私たちのもとに届けられるのだろうか。
DIG THE TEAでは2022年、「新茶をめぐる冒険」と題して、お茶のスタートアップ「TeaRoom」代表で茶道家の岩本涼さんの案内のもと、各地の茶の生産地をめぐり、個性豊かな新茶シーンをひもといていく。
5月中旬、鹿児島県北部、霧島連山の中山間部で、四半世紀にわたり有機栽培のお茶づくりを実践する茶園を訪ねた。
霧深い気候と雄大な自然が生み出す「霧島茶」
日本で初めて国立公園に指定された鹿児島県霧島市。霧島連山の雄大な自然や全国屈指の人気を誇る温泉があり、全国茶品評会で産地賞を3年連続受賞した「霧島茶」の産地でもある。
「霧島」の名前のごとく、この場所では霧が日光をさえぎることによってカテキンの生成がおさえられ、旨み成分のテアニンなどが豊富なお茶となる。標高差による寒暖の差があるにもかかわらず、霧が霜除けとしても大きな役割を果たし、美味しく香り高いお茶となるのだ。
鹿児島空港から車で約25分。
私たちは霧島の茶農家が大切にしているという「大茶樹公園」を訪れた。公園の中央に鎮座するのは、樹齢約140年の大きなチャノキ。
日本茶の古木「大茶樹」から採れた煎茶は、“不老長寿のお茶”として珍重され、戦前まで一番茶は霧島神宮と鹿児島神宮に奉納されていたそうだ。
毎年、新茶の収穫を間近に控えた4月初旬には、茶の成育と農作業の安全を願い、茶農家など関係者による祈願祭りが行われている。
これから始まる冒険への期待に胸が高鳴る。
新茶、すべての品種を1週間で摘み取った
大茶樹公園から車でさらに南に向かうこと約20分。
今回の目的地、霧島連山の裾野で四半世紀にわたりお茶の有機栽培を続けている西製茶工場(以下、西製茶)にやってきた。
70年近い歴史を持つ西製茶は、茶葉買取業者として創業したが、そこから自社直営茶園の拡張を続け、今では鹿児島でもトップクラスの有機栽培の茶葉生産量を誇る。
そんな西製茶を率いる、代表の西利実(にし・としみ)さんは三代目。創業者の祖父の時代から市場を通さず県内外の茶問屋との直接商売を続けてきたことから、日本各地にとどまらず、海外にも顧客を持ち、県内でも大規模な茶園として販路を広げてきた。
まずは、今年の新茶の出来栄えについてうかがった。
「今年は摘採の時期に悪天候が続き、難しい年でしたが、全体的に優しい味になっていると思います。強い味ではないけれど、その分渋みが少ないのでゴクゴク飲みやすい爽やかな味わいのお茶になりましたね」
加えて気温の高い日が続いたことから、すべての品種が一斉に育ち、摘採がほぼ同じタイミングで訪れたという。
「例年だと、品種はサエミドリから始まり、アサノカ、アサツユ、ヤブキタ、オクユタカ、オクミドリ……と順番に摘採していくのですが、今年は1週間ですべて摘み取りました。少しでも摘むタイミングが遅くなれば旨みや香りが落ちてしまう。『全部加工するからとにかく持ってきて!』と農家さんにお願いして、連日24時間フル稼働でした」と西さんは豪快に笑う。
お茶の有機栽培の先進地
鹿児島県はお茶の産出額全国第2位の産地として知られているが、なかでも霧島は有機栽培の先進地として知られている。
西製茶では、ほかの生産者に先駆けて1994年に有機栽培をスタートした。
「その頃、私は神奈川のとあるメーカーでお茶の営業をしていました。当時はまだ有機JAS法などが整備されていなくて、今ではありえないくらいの農薬を使っていたんです」
「あるとき、メーカーでちょっと変わった商品を出したいと有機のお茶を作ることになり、『キミの実家で作れないか?』と白羽の矢が立ちました」
「“農薬を使わない”という足枷を負っても、自分の栽培技術で品質の良いお茶づくりに挑戦したい」とあくまで実験のようなかたちでスタートした有機栽培。それから西さんは、先代の父と二人三脚で有機栽培と向き合い、着実に技術を向上させ、茶園を拡大させていく。
1998年にはJONA(Japan Organic & Natural Foods Association)を、2000年JAS法施行のタイミングで有機JAS認証を取得。
さらに2005年には輸出用に使用されるようになり、西製茶のオーガニック茶は国内外で認知が広まっていった。
60ヘクタールの大規模茶畑を、有機栽培で育てる
西製茶が管理する茶畑は200箇所以上にのぼる。
西さんは毎朝3時間かけて60ヘクタールにものぼる広大な茶畑を回り、土の状態や気温、葉色、匂い、手触りなどをチェックし、あらゆる変化を感じ取っている。
「天候一つとっても、晴れが多いときと曇天が多いときとでそれぞれ問題があります。雨が少ない年はダニが発生しますし、雨が多い年は炭疽病(たんそびょう)などのカビの病気が出てしまう。気温が乱高下するときは霜に要注意です。霜が降りると茶葉が全てダメになってしまいます。2週間後やひと月後の気候の予測を立てて、対策を練ることの繰り返しなんですよ」
西さんのお茶づくりは、父親である先代の影響を大きく受けている。
研究肌だった先代は、有機栽培を始めるにあたり、独学と実践で培った理論を掛け合わせ、 細部に至るまで徹底して突き詰めていたそうだ。
「お茶で儲けたものも、すべてをお茶に注ぎ込んでいましたね。次は畑を拡張しよう、工場を作ろうと、毎年何かしら新しい取り組みを始めるので、暮らしはちっともよくならなかったです(笑)。自分たちで必要な機械を作り、ブルドーザーやユンボに乗って畑や山を切り拓く。そんな父親の背中を見てきました」
一般の茶工場の5倍、西製茶の工場
西製茶の工場を見せてもらうと、その規模の大きさに驚く。
煎茶、かぶせ茶、釜炒り茶とさまざまなお茶を作っているが、今回はその一部である碾茶工場を見学させてもらった。
お茶は摘んだ直後から酸化が始まるため、加工はスピードが命。西製茶は機械の台数を多く導入しており、一般的な製茶工場に比べて5倍以上の処理能力があるとのこと。
そのため自社で管理する茶畑だけでなく、近隣の農家の茶葉も鮮度の良いうちに加工することができる。
病気に強い有機栽培、要は「土着菌」
広大な敷地内を車で移動して「コンポスト(堆肥)」も見せてもらった。このコンポストは西製茶の先代がつくったもので、現在も継がれている。
西さんによると、このコンポストこそが西製茶の有機栽培を支えているという。
「それまでの有機栽培は、肥料や農薬を使わないことで木自体が弱り、病気や虫がつきにくくなるという考え方が一般的でした。しかし、先代は樹液濃度を上げて養分の多い状態を保てば、病気や虫に強い畑ができるはずだと」
「美味しいものをつくるためには肥料もたくさんやらんといかんし、管理もしっかりしないといかんと言って、それを実践し続けていたんです」
「有機栽培は微生物栽培だ」と西さんは言う。
「コンポストの堆肥を茶畑に与えると、微生物がエサを得て、土が一気に発酵し、土に白く膜が張るんです。私は『土の麹化』と呼んでいます」
「例えば、摘採後は葉っぱや枝などの残渣が大量に土の上に落ちるんですが、半年も経てば分解され、跡形も無くなってしまうんですよ。やっぱり一番強いのは、この土地の、土の中にもともと生息している『土着菌』だなと実感しますね」
研究と実践、自然とともに「変化」を続けていく
最後に、西さんにお茶の時間をどのように楽しんでもらいたいか聞いてみた。
「私は好きに楽しんでもらいたいと思っています。リーフで飲んでもらいたいとか、何度のお湯で淹れてほしいとか、そんなこだわりはまったくありませんね。私たちが大事にしているのは、お客様に評価されるものをつくること。そのために変化を続けていかなければと思っています」
長年費やしてきた研究と実践による英知を活かしつつ、その日の状態によって新しい手入れ方法にも挑戦する西さん。
大らかさと自然への敬意によって生み出される西製茶のお茶を飲んで、ぜひ霧島の雄大な景色に想いを馳せてもらいたい。
「新茶をめぐる冒険」は続く。
写真:江藤海彦
ローカルライター・編集者。大阪府出身、福井県在住。リクルートで広告制作を経てフリーランスへ。地域コミュニティやものづくり、移住などをテーマに、全国各地を訪れインタビューや執筆を手がけている。また、地域のプロジェクトにも数多く伴走し、その取り組みやローカルで暮らす人たちの声を発信している。著書に『販路の教科書』(EXS Inc.)
お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。
ひとの手からものが生まれる過程と現場、ゆっくり変化する風景を静かに座って眺めていたいカメラマン。 野外で湯を沸かしてお茶をいれる ソトお茶部員 福岡育ち、学生時代は沖縄で哺乳類の生態学を専攻