春の訪れとともに迎える「新茶」の季節。青々しい爽やかな香りとともに届けられる新茶は、限られた時期だけの特別な味わいだ。
はたして、新茶はどのように育まれ、私たちのもとに届けられるのだろうか。
DIG THE TEAでは2022年、「新茶をめぐる冒険」と題して、お茶のスタートアップ「TeaRoom」代表で茶道家の岩本涼さんの案内のもと、茶の生産地をめぐり、個性豊かな新茶シーンをひもといていく。
5月中旬に訪れたのは、鹿児島県と宮崎県。
鹿児島県日置市の「前鶴製茶」と、宮崎県宮崎市の「提石茶園」を訪ねた。
鹿児島で希少な釜炒り茶を作る「前鶴製茶」
最初にやってきたのは、鹿児島県の中心部に位置する日置市。戦国時代の武将、島津義弘公がたびたび茶会を催したとされる茶文化の歴史ある地だ。
我々は、深蒸し茶の生産が盛んな鹿児島県内で、希少な「釜炒り茶」を作る前鶴製茶を訪れた。
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釜炒り茶の歴史は実は煎茶よりも古い。15世紀前後に中国から日本に伝わったといわれ、九州でも一部の地域でしか製造されていない、貴重なお茶だ。
釜炒り茶とは、そもそもどんなお茶なのだろう。
「釜炒り茶は、煎茶や玉露などと同じ緑茶の一種です。煎茶は蒸すことで茶葉の酸化を抑えますが、釜炒り茶は名前のとおり高温の釜で茶を炒ることで、酸化や発酵を防ぐんです」
こう教えてくれたのは、前鶴製茶の代表、前鶴賢士(まえづる たかし)さん。1948年(昭和23年)に創業し、前鶴さんは祖父の代から続く3代目だ。
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香ばしい香りとさわやかな味わいが釜炒り茶の魅力
「まずは飲んでみてよ」と、釜炒り茶の新茶をいただく。
茶葉を見せていただくと、煎茶とは形状が違うことがわかる。
茶葉を揉んで針状に仕上げる煎茶に対し、釜炒り茶は釜でかく拌(はん)しながら乾燥させるため、茶葉がやや丸まった形になっている。
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少し高めの温度の湯を注ぐことにより、釜香(かまか)と呼ばれる香ばしい香りがふわっと漂う。どことなくほうじ茶にも似た香りに親近感を覚える。
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水色は澄んだ黄金色。煎茶のような苦味・渋味は少なく、まろやかな味でありながらも爽やかさがあり、何杯でも飲みたくなる。
ひと口でこのお茶のファンになってしまった。
「おいしいでしょ? 創業した祖父も煎茶よりさっぱりした香ばしい釜炒り茶が気に入って、工場を立ち上げたときから釜炒り茶一筋で作り続けてきたんです」
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釜炒りの技術をもとに、商品の幅を広げる挑戦
前鶴製茶では、有機JAS認証の圃場(ほじょう、農作物を育てる場所)で「さえみどり」をはじめ6種類ほどの品種を育てている。
なかでも抗アレルギー成分であるメチル化カテキンを含む「べにふうき」は、花粉症に効果が期待されると8年ほど前にブームに。
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「当時はいろんなお茶農家がこぞって畑をべにふうきに改植しましたが、ブームが去ると元の品種に戻していきました」
「幸い、うちではべにふうきを買ってくださるお客さんがついてくださっていたので改植はせず、べにふうきを使ったさまざまなお茶を作ることにしたんです」
こうして前鶴さんは、べにふうきの紅茶作りや、釜炒り茶とハーブのブレンド茶作りに乗り出した。
釜炒り茶にオレンジピールやレモングラス、カレンデュラなどを配合した「グレイグリーン」を試飲させてもらった。
さわやかな柑橘系の後に、釜炒り茶の香ばしさが鼻に抜け、香りの層が楽しめる。「グレイグリーン」は前鶴製茶の人気商品だそうだ。
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前鶴さんは「いろんなお茶の楽しみ方を知ってほしい」と、釜炒り製法をもとに、商品の幅を広げるチャレンジを毎年続けている。
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対話しながら、お茶の美味しさを楽しんでもらう
私たちは、店舗の隣に併設された製茶工場の中を見学させてもらった。
釜炒り用の大きな機械が並ぶ。
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「釜で炒るときは火が弱すぎてもいけないし、強すぎたら焦げてしまう。その火加減で決まります。大きな工場ではありませんが、だからこそお茶のシーズンは常に釜の様子を気にしながらすべてに目を行き届かせるようにしています」
煎茶の場合、「蒸し」はある程度機械によって自動化されているが、細かな火力や炒り具合を調整しなければならない釜炒り茶は手間も労力もかかるのだ。
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工場の柱にはお子さんたちの成長の記録が記されていて、思わず微笑ましい気持ちになる。
思わず「将来はやはり後継者に?」とたずねると、前鶴さんは笑って先代の話をしてくれた。
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「先代の親父は7人兄弟で、親父以外は全員女で。もともと親父は東京の郵便局で働いていて家業を継ぐ気はなかったそうなのですが、姉や妹が次から次へと説得に訪れて、しぶしぶ後を継いだと聞いています」
「そんなこともあって僕は小さい頃からおばさんたちに『大きくなったらお茶屋を継ぐんやもんな』と刷り込まれました(笑)。まあ、この仕事が好きでやっていますが、県外にいる自分の息子には家業を継いでほしいと言ったことはないですね」
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かつて日置で釜炒り茶を作るところは3軒ほどあったが、今では前鶴製茶だけになった。
「お茶の市場全体で、釜炒り茶の占める割合は少ないですが、昔は各家庭で、軒先で摘んだ茶葉を炒って作っていたところも多かったくらい身近なお茶です。これからもお客さんとの対話を大事にしながら、気軽に飲んでいただけるお茶として楽しんでもらいたいですね」
霧島連山をのぞむ、宮崎市高岡町一里山へ
翌日は一路、車で宮崎県へ。霧島連山の雄大な自然を通り、北東へと進んでいく。
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鹿児島県と宮崎県をまたがる霧島山一帯は、日本で初めて国立公園に指定された場所でもある。
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天孫降臨神話の地として知られる霧島。霧島神宮には天孫であるニニギノミコトがご祭神として祀られている。
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宮崎県に入ると見えてきたのは、霧島火山群で最大・最深の湖「御池(みいけ)」。湖面に悠然とした高千穂峰を映す。
うっそうとした林道を車で1時間ほど走らせるとガラッと景色が変わり、美しく整えられた茶畑の景色が広がる。防霜ファンや製茶工場の建物が見えてきた。
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宮崎の有機栽培をリードしてきた「提石茶園」
やってきたのは、宮崎市の最西部に位置する高岡町一里山。町内でも茶業生産者が多い地区で、現在9軒の茶業生産者がいる。
この場所で、戦前から茶業に携わり、すべて有機栽培のお茶を作る「提石茶園」を訪れた。
「もともと一里山は森林地で、戦後の農地開拓で開かれた場所なんです」と語るのは提石和春(さげいし かずはる)さん。
1939年(昭和14年)、提石さんの祖父がこの地に入植し、開墾。翌年、10ヘクタールの畑に都城の山から採ってきたお茶の実を植えるところから提石茶園は始まったそうだ。
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提石さんが茶園を継いだのは1973(昭和48)年のこと。当時は東京の機械メーカーに勤めていたが、地元に戻り家業に入った。そこから10年以上に渡り、お茶作りは順調だったが、ある出来事が提石さんの考えを大きく変える。
「33歳のときに、自治体が実施している健康診断を受けたんです。すると血液検査の結果で有機系のリン、つまり農薬の成分が出てね。子どもの頃から防除の手伝いなどもしていたから『相当(成分が)溜まってるよ』と医師に言われたんです」
「健康を害するものを作っていたと知ってショックでしたね。そこから有機栽培をやりたいと思ったんです」
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周囲から反対されるも、チャレンジした理由
有機栽培として一からお茶を育てるーー。
実際には、土壌の浄化の問題もあり時間がかかるため、一定期間は収入が落ちてしまう。また、有機栽培がうまくいったとしても、安定した収穫量が確保できるかどうかは定かではない。
そこで提石さんは、まず野菜の有機栽培から始め、軌道に乗った2年後からお茶の有機栽培をスタートさせた。
しかし当初は、周囲から猛烈な反発があったそうだ。
「『農薬を使わんやつなんてひねくれもんだ』と頭ごなしに反対されてね。飲み会のときも孤独でしたよ」
「それでも有機栽培をしようと思ったのは、すでに実践している先輩の存在も大きかったね。鹿児島で有機のお茶を作っている西製茶の先代とはいろんな話をしたなぁ。『やってみなよ』って背中を押してもらったね」
ただ「自然に委ねる」ことの難しさ
さまざまなアドバイスを基に有機栽培のお茶作りに邁進した提石さん。始めてから4年後には、農薬を使っていた頃よりも、出来の良いお茶に育ったという。
その秘訣は何なのだろうか。
それは、「自然に委ねること」だそうだ。
「有機栽培の難しいところは『対策をしすぎること』なんです。もちろん、目につくところに虫がいたら手でむしることはしますが、うちの畑は5ヘクタールもあるから、すべては難しい。今は害虫が茶葉を食いつくし、被害が拡大しても見て見ぬふりをします」
「自然界はうまくできていて、虫にも天敵がいる。一週間も経てば、鳥や別の虫が害虫を食べてくれます」
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とはいえ、育った茶葉が虫によって食い尽くされる様子をただ見過ごすのは、生産者として辛いことだろう。
しかし、この自然に委ねる「天敵農法」は着実に結果を出し、提石さんにアドバイスを求めに訪れる生産者も多い。
今ではこの地区でも9軒ある生産者のうち7軒が有機栽培を実践するなど、提石さんから始まった勇気ある挑戦が、多くの生産者の道標となっている。
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目指すのは「誰が飲んでも美味しいお茶」 有機栽培を極めたい
今年は4月中旬から5月上旬まで新茶の摘採を行っていた提石茶園。
製茶したばかりの新茶を煎れてもらった。
今年の新茶は冬場は雨が少なく、春先に雨が多かったため、例年よりやわらかめの葉肉になっているそうだ。しかし、力強い渋みのなかにほっこりするような甘みも感じられ、思わず頬がゆるむ。
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お茶を作り続けて40年以上。これまで紆余曲折はありながらも、有機栽培のお茶作りの製法はすでに確立しているように思うが、提石さんは「まだまだ」と語る。
「一番の目標は、自然の力によって渋みと甘みの調和がとれた、誰が飲んでも美味しいお茶。一生をかけて、有機栽培を極めていきたいんです」
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今回訪れた2人の生産者は、作るお茶も製法もまったく異なるが、ただ「美味しいお茶を飲んで欲しい」という思いで挑戦を続けている。どちらも目指すところは同じだ。
それぞれのお茶を味わうたびに、鹿児島と宮崎で見た広大な茶畑と、前鶴さん、提石さんの顔を思い出し、さらに味わいが増したように感じた。
2022年の「新茶をめぐる冒険」を通じて、日本が築き上げてきたさまざまなお茶のシーンに出会った。
新茶はどのように育まれ、私たちのもとに届けられるのか。
第一線の生産者たちが手がける新茶は、どれも香り豊かで味わい深く、一杯の後ろに見えてくる「茶景」が何より美しかった。そして、私たちに豊かな「お茶の時間」を届けてくれるのは、お茶を愛する飽くなき挑戦者たちだった。
写真:江藤海彦
ローカルライター・編集者。大阪府出身、福井県在住。リクルートで広告制作を経てフリーランスへ。地域コミュニティやものづくり、移住などをテーマに、全国各地を訪れインタビューや執筆を手がけている。また、地域のプロジェクトにも数多く伴走し、その取り組みやローカルで暮らす人たちの声を発信している。著書に『販路の教科書』(EXS Inc.)
お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。
ひとの手からものが生まれる過程と現場、ゆっくり変化する風景を静かに座って眺めていたいカメラマン。 野外で湯を沸かしてお茶をいれる ソトお茶部員 福岡育ち、学生時代は沖縄で哺乳類の生態学を専攻