連載

1杯10円のコーヒーを奢り、奢られる。嗜好品が生む、タンザニアの“対等”な人間関係:文化人類学者・小川さやか

DIG THE TEA 編集部

嗜好品には、体をつくる栄養があるわけではない。

生命維持に必要不可欠ではないのにもかかわらず、全世界で嗜好品はたしなまれている。

嗜好品は、人間らしく生きるために、なくてはならないものなのかもしれない。

嗜好品や嗜好体験を考えることは、人間が生きるためには何が必要か、ひいては「人間という生き物とは何か」に迫ることでもある。

現代における私たちの嗜好品や嗜好体験を探究するために、文化人類学や歴史学者など様々な一線の研究者に話を聞く、新連載「生きることと嗜好」。

今回は、立命館大学で研究を重ねる文化人類学者の小川さやかさんを訪ねた——

(取材:鈴木陸夫 写真:入交佐妃 編集協力:笹川ねこ 編集:呉玲奈)

小川さんの専門はアフリカ地域研究。大学院生だった2001年からタンザニアのムワンザ市で参与観察を実施し、マチンガと呼ばれる零細商人の商習慣や商実践、社会関係の築き方などを明らかにしてきた。

参与観察とは、現地に長期滞在し、その社会の一員として生活しながら対象を観察したり聞き取りしたりする調査手法のことだ。

聞き取り調査をしたフィールドのひとつに、「キジウェニ」と呼ばれる街角コーヒー談義の場がある。老若男女、貴賎の区別なく多様な人が集まり、コーヒーを片手にさまざまな話題に花を咲かせるキジウェニは「フォーマルな調査では決して漏れてこない本音を、時として聞くことができる、フィールドワークに最適の場所」なのだと小川さんは明かす。

研究者にとっての“お宝”のような情報がキジウェニに溢れるのには、そこで飲み交わされるコーヒーの働きがどうやら関係しているようだ。

今回は、日本から遠く離れたアフリカのコーヒー談義を舞台に、人と人を対等につなぎ、コミュニケーションを円滑にする嗜好品の機能について考える。

1年半、古着の行商をした「参与観察」

——小川さんは単身、タンザニアや香港に飛び込んで研究を重ねています。見知らぬ外国の土地に一人で飛び込む姿勢に、失礼ながらも感心してしまいました。

これは参与観察と呼ばれる、文化人類学の一般的な研究手法であって、私だけが特別というわけではありません。参与観察とは、研究対象となる社会に長期間滞在し、その社会の一員として生活することで、対象社会を直接観察する手法を言います。

私は大学院生だった2001年にタンザニアで路上商売の調査を始めましたが、その際も現地社会に入り込み、1年半ほど古着の行商をしていました。

——小川さん自ら行商をしていたとは驚きです。けれども、ご自身の存在が影響して、研究の対象が変質してしまう懸念はないのでしょうか?

当然あります。実際、私自身も現地社会に小さくない影響を与えてしまいました。

タンザニアでは、衣類を持って売り歩くのはもともと男性の仕事だったので、私が始めた当初はすごく珍しがられました。しかし私の存在がきっかけで、それ以降、女性の行商人が増えていったのです。

こうした懸念から、昔は「文化人類学者も黒子になるべきだ」と言われていました。けれども黒子に徹しているだけではどうしても得られない情報もあります。近年は、自分がいたことで現地社会に起きたと思われる変化も含めて、研究論文に記述するケースが増えています。

思い込みを壊して、価値観を広げてくれる文化人類学

——そもそも、なぜタンザニアを研究対象にしたのかを教えてもらえますか。

たいした理由はないんです。信州大学の学生のときに文化人類学の面白さと出会い、大学院へ進んだらぜひやりたいとは思っていましたが、「どこで」「何を」やるかまでは決めていませんでした。

学部生のときはワンダーフォーゲル部に入り、「キスリング(大型の登山用ザック)さえ背負ったら世界中どこにでもいける!」という考えに取り憑かれて、よくいる学生のように、バックパッカーとして世界各国へ旅をしていました。

調査地域にアフリカを選んだのも、その流れで「どうせ行くのであれば遠いところがいいな」と。タンザニアも偶然です。大学院は京都大学の​​アジア・アフリカ地域研究研究科に進んだのですが、そこで出会った指導教員がたまたまタンザニアで農村経済の研究をしていたんです。

フィールドワークは、準備がいろいろと大変です。国にもよりますが、調査許可証を取得しなければならなかったり、地元の大学に研究員として受け入れてもらう必要があったり。でも、指導教員と同じ国であればすでにフィールドワークの実績があり、手続きに欠かせない人脈があるので話が進みやすいのです。

——タンザニアが研究しやすかったのですね。文化人類学が面白いと思ったのはなぜなのでしょう?

「そもそもなぜ文化人類学?」というのも、私の場合は身近な問題を真正面から考えると息が詰まるタイプなんです。身近なところで突き詰めるより「別の国や文化と比較してみると、そうじゃないやり方もいろいろあるよね」という事例を見つけるほうがワクワクするんです。

たとえば日本の家族は、核家族化が進んでそれに伴う問題は深刻ですけど、世界を見渡せば一夫多妻や通い婚といった、「別の方法」もいろいろとある。

たまたま私がこの社会システムや社会規範と相性が悪いだけで、もうちょっと相性がいいものも世界にはきっとある。そこで見つけ出したもので、そこから自分の「こうじゃなきゃダメだ」という思い込みを壊して、価値観を広げていく。そういう文化人類学の思考法が向いていると思ったんです。

私の専門は、文化人類学のなかでも、贈与、交換、所有、貨幣といった経済を扱う経済人類学という分野です。「私たちが考えている経済の原理とはまったく違う原理で動いている経済があったら面白いな」という感覚が、研究を進める原動力のひとつです。

だって「お金がない社会」って見てみたくないですか!?

……あ、でも今日は嗜好品の話をするんでしたよね。

贈与で広がるおしゃべりの輪

——現地の人に溶け込み、価値ある情報を引き出すのに、何かコツはありますか?

それこそ嗜好品が役に立っています。フィールドワークに行く際には現地の人に喜んでもらえるようなアイテムをスーツケースいっぱいに詰めていきます。タバコもその一つ。折に触れて1本差し出すことで心を開いてもらえるんじゃないかと考えて、常に携行していますね。

ちなみに、私がタバコを嗜むようになったのは、まさにタンザニアでの調査がきっかけでした。というのも、彼らは1本のタバコを一人で吸うのではなく、“回しタバコ”をするんですよ。だから、あげたはずのタバコも私のところにも回ってきちゃう。回ってきたら、それは吸う以外にないじゃないですか。そうやって付き合いで吸っているうちに、喫煙の習慣がつきました。

——日本では“もらいタバコ”はあっても、1本を回して吸う“回しタバコ”は、一般的ではないかもしれません。

タンザニアはそういう気軽な贈与に満ちた社会です。

例えば、路上を歩いていて突然大きな声で「ピガ・ミスターリ(タンザニア語で「タバコを線数本分、吸わせてくれ」)」と言う人がいる。そうすると、近くを歩いていた見知らぬ人が本当にひと吸いさせてくれることが起こるんです。

タバコだけではありません。私のフィールドワークのほとんどは「キジウェニ」と呼ばれる溜まり場で、そこも気軽な贈与が行われる場でした。

——キジウェニとは、一体どんな場所なのでしょうか?

路地裏や商店の軒先などのちょっとしたスペースに自然と人が溜まる。するとそこにコーヒー売りがやってきて、集まった人たちはそのコーヒーを飲みながら、延々とおしゃべりをする。その溜まり場がキジウェニです。タンザニアの町には、そういう場所がいたるところにあります。

そこで飲むコーヒーは、炭の上にやかんを乗せて粉を煮込んで淹れる簡単なもので、すごく苦いんです。コップは中国茶を飲むときに使われるような、小さなおちょこ。1杯では足りないから、一人10杯くらいは飲む。日本円にすると1杯10円くらいの感覚なので、10杯飲んでも100円です。

面白いのは、買った10杯をいきなり自分で飲むわけではないところ。その場に10人いたら、まず10人に1杯ずつ奢るんですよ。

次に誰かが来たら、今度は別の誰かがその場にいる全員に1杯ずつ奢る。新しい人がくるたびに、コーヒー売りに「さっき渡した100円が20円余っているはずだから、こいつにも1杯やってくれ」と誰かが言う。そんな展開になるんです。

輪に入っておしゃべりしているあいだに、奢られた側も楽しくなって、次のコーヒーのお金を出す。そうやって知らない人同士が小さな、気軽な贈与でつながって、おしゃべりの輪がどんどん広がっていくんです。

街角談義でしか聞けない“本音”

——キジウェニではどんな会話が交わされているのですか?

本当にいろいろです。サッカーの勝敗の話もするし、どこそこのかわいいお姉ちゃんの話も、恋愛相談もする。かと思えば、急に政治談義が始まったりもします。

集まる人は、職業も性別も年齢もバラバラ。だから話題も幅広いし、面白いんですよ。

私にもお気に入りのキジウェニがいくつかありました。その日の商売を終えるとお気に入りのキジウェニへ行き、おしゃべりの輪に加わるのが当時の習慣でした。

私みたいなよそものが行くと、最初は「お前はカンフーできるか」「アジア人は蛇を食べるって聞いたけど本当か」といったステレオタイプな質問ばかりされるんです。

でも、しばらく通っていると、メンバーはいつも少しずつ違うけれど、顔を知ってもらえるようになる。そうしているうちに「キジウェニでインタビューしたらいいのでは?」と思うようになったんです。

もちろん私が研究者であることは伝えていましたが、彼らとしては別に聞き取りされているという感じはなく、いつもの調子でディスカッションしているんです。それがよかった。

——キジウェニでは、どんなことをインタビューしたのでしょうか?

たとえば「最近電子マネーの利用が増えてるけど、電子マネーってどうよ?」といった質問をポンと投げ込むと、「携帯口座の普及は小銭を回し合う関係を広げ、助け合いを外に広げるいいことだった」という意見が出たかと思えば、「いやいや、手渡しするお金の重みは電子マネーのボタン操作ではわからないよ」と声も上がって、侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論が始まる。

最終的には「人間にとってお金とは何か」みたいな深い話にまで辿り着く。

彼らの本音の話が聞ける。深夜11時くらいまでになることもあるほど、話が盛り上がるんです。

キジウェニでの調査とは別に、フォーマルな聞き取り調査をしたこともあります。

たとえば、タンザニアでは祭りのように頻繁に暴動が起きるので「どうして暴動に参加したのか?」といった質問をしました。

でも、こちら側がかしこまって聞くと「政府の暴力的な取り締まりに憤っているのだ」「露天は確かに違法だが、税金を払うだけの稼ぎを得ていない市民が、どうやって公設市場に店を構えられるというのだ」といった通り一遍の模範解答しか返ってこない。

それがキジウェニのような場で同じ質問をすると「俺たち政府と戦っても絶対勝てないじゃん?だから暴動はガス抜きなんだよ。適当に暴動して、警察に捕まる前に逃げてスッキリするんだ」といった本音があふれてくることがあるんです。

誰もが「コーヒー1杯の人たち」になるフラットな人間関係

——フォーマルな調査では辿り着けない本音を、キジウェニの場で聞けるのは、嗜好品であるコーヒーの存在が影響を与えていると思いますか?

そう思います。先ほども触れたように、まずコーヒーを奢り・奢られることで初めてその輪の中に入れるわけですから。

自分の友人と連れ立っていくバーだと知り合いとしか話しませんよね。そうではなく、たまたまそこに居合わせた老若男女、さまざまな人が一つの会話の輪を作るのがキジウェニなんです。

ヨーロッパにおけるカフェのような感じで、誰に対しても開いている。キジウェニに入るとみんな関係性がフラットであるべきだという前提があります。

日本と比べれば、タンザニアの人間関係はフラットではあります。でもやっぱり、タンザニアにも職場では「ボスは偉い」、社会では「医者は偉い」といった人間関係の上下関係はある。

でもキジウェニという場であれば、仮にどこかの偉いドクターが飲みに来ていたとしても、「なんでドクターは金を持ってる奴の診察を優先するんだ!」といった、本音で話せるのです。

おそらくはみんなで共食・共有していることに意味があるのでしょう。みんなで同じものをシェアすることで、対等性を確認している。キジウェニなら、その場に入ってきた人たちは年齢や身分に関わらず、とりあえず「コーヒー1杯の人たち」になるんです。

人間関係を対等にしてくれるという意味では、タバコという嗜好品も同じですね。1人で1本吸っていても誰かと仲良くはならないけれど、いわゆる「うんこ座り」をして1本のタバコをみんなで回し吸いをすると、仲間感が出てくるものじゃないですか。

後編:「借りたものは、すぐ返さなくていい」 “贈与”は人と人をつなぐツールだった に続く

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編集者 / ライター

Editor / Writer。横浜出身、京都在住のフリー編集者。フリーマガジン『ハンケイ500m』『おっちゃんとおばちゃん』副編集長。「大人のインターンシップ」や食関係の情報発信など、キャリア教育、食に関心が高い。趣味は紙切り。

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『DIG THE TEA』メディアディレクター。編集者、ことばで未来をつくるひと。元ハフポスト日本版副編集長。本づくりから、海外ニュースメディアの記者まで。企業やプロジェクトのコミュニケーション支援も。岐阜生まれ、猫好き。

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