水やりは面倒くさい。それでも人はずっと「庭」をつくってきた:美学者/庭師・山内朋樹

篠原 諄也

洋の東西を問わず、古来より人類の歴史に存在してきた「庭」。

いまだに多くの人々にとって、身近な存在でありつづけている。熟練した庭師によってつくられた庭園のみならず、自宅の庭や学校の校庭なども含めると、誰しも何かしらのかたちで「庭」とかかわってきたはずだ。

しかし、この「庭」というものは、考えてみると不思議な存在だ。

一見すると、いわゆる衣食住の範疇の外にあり、生存に不可欠ではないように思える。都市部でなければ、暮らしの中に「自然」も当たり前に存在してきたはずだ。

それにもかかわらず、なぜ私たちは、コントロールされた自然たる「庭」をつくるのか。

『DIG THE TEA』の探求する「時を溶かす体験」への示唆を与えてくれるように思えるこの問いについて、話を聞いたのは美学者・山内朋樹さん。

山内さんは、学生時代からの庭師としての経験、作庭現場のフィールドワークから得た知見をベースに、庭のかたちの論理について研究している。

フランスの庭師にして思想家のジル・クレマンの代表作『動いている庭』(みすず書房、2015年)の翻訳を手がけ、現代造園の世界に多大な影響を与えたその思索と実践の記録を日本に紹介した。Webメディア「かみのたね」では「庭のかたちが生まれるとき」を連載。京都・福知山の観音寺でフィールドワークをしながら、庭の造形や庭師の生態を考察している。

一体、庭は人間にとって、いかなる意味を持つのだろうか。京都教育大学の山内さんの研究室を訪れ、詳しく話を聞いた。

(文:篠原諄也 写真:田野英知 聞き手・編集:小池真幸)

徹底的に現場を見て、「庭の浅み」に立ち戻る

──山内さんは美学者として「庭」を研究されているそうですね。庭園の背景にある、つくり手の思想を解釈していくような研究内容でしょうか?

以前はそうした仕事が中心でした。フランスの庭師ジル・クレマンの『動いている庭』を翻訳して日本に紹介したことをきっかけに、彼の思想について書いたり話したりするようになりまして。

でも、あるとき気づいたんです。実際に庭を訪れたときに見えるもの、あるいはそこから立ち上がってくる言葉を、ほとんど紡げていないのではないかと。

そうした変化があって、たとえば連載「庭のかたちが生まれるとき」(フィルムアート社より同タイトルで2023年6月下旬刊行予定)では、庭のなかの物体の配置について徹底的に書いています。物同士の関係や、庭師たちの言葉から、「石や植物がなぜその場所に置かれたか」を考えていったんです。

──連載では、「徹底的に庭を見よ!」という言葉が掲げられていますね。

そう。それが最初に思いついた連載のテーマでした。庭を論じるにあたって、無数の“情報”を調べて庭の知見の「深み」に入り込むより前に、この目の前の物体の構成を徹底的に見ること、つまりは庭の「浅み」に立ち戻らなければならないと思ったんです。

たとえば、人は美術館で絵画を前にしたとき、チラッと見たあとすぐにキャプションを見ようとしてしまいますよね。最近だとオーディオガイドだったり。作者や年代を確認し、当時の社会状況の解説を読んで「よし!」と次の作品に移っていく。絵はほとんど見ていないのに、何かを理解した気分になる。

もちろん、それはそれで大事なことです。でも、それって本当に絵を見ていると言えるんだろうか? ということですね。

実際に絵を描くときは、いろいろなパターンがありえますが、たとえばザッとあたりをとりながら、画面全体におけるかたちの現れや明暗や掠れの不均衡に触発されながら展開したり、あるいはある色を置いてみて、その色面が及ぼす場に対する支配力に拮抗するように次の色を乗せてみたり……というように、きわめて具体的な水準で手を動かしていくわけですよね。

それがもしなんらかの図像を描くことを目的としているとしてもです。描く人は、何を描くにしても「この画面の上で起きている複雑な力の場をどうしていくか」ということに最大限の注意を払っているはずです。

庭の場合も、同じだなと感じるんです。

例を挙げるなら、江戸末期に出版された京都の名園案内『都林泉名勝図会』では龍安寺が紹介されています。そこにはこの庭が「虎の子渡し」だということが書かれている。

「虎の子渡し」の庭だとすれば、石は川の中を親虎が子虎たちを向こう岸まで運んでいく情景として見ることになる。

でも、実際に(「虎の子渡し」の)庭をつくるときは、どんな石を、どこに、どんな高さや向きや傾きで、どう他の石と関係させながら配置させ、どのように全体として庭を成立させるか……そういうことを徹底して考えざるを得ないと思うんですね。

実際庭師たちは、石を「あとちょっとだけ低く」とか、「右に寄せて」とか、「左に回転させて」とかやっているわけです。そういう現場のリアリティを記述したいと思ったんです。

──美学研究のみならず、学生時代から庭師としての仕事もされていて、思想と現場を行き来する山内さんならではの着眼点だと感じます。

庭を見ると同時に庭師として働いていて思っていたのは、一般的な庭の解説と現場でのものの見かたの乖離でした。

「事件は現場で起きているんだ!」というと(刑事ドラマシリーズの)『踊る大捜査線』みたいですが(笑)、そういう感覚がどこかにあるんだと思います。

京都教育大学では、美術理論・美術史を教えるのに加えて、実際に学生と一緒に庭をつくる「作庭実習」も担当

アートと現代思想、そして庭師のアルバイト

──そもそも、なぜ庭師として働くようになったのでしょうか?

特に深い考えがあったわけではなく、たまたまでした。

京都の大学に通っていた学生時代、日本美術の授業を受けたときに、ふと気づいたんです。せっかく京都にいるのに、あまり寺や神社に足を運べていないなと。

そうして寺社建築や障壁画や仏像を見に行くようになり、そのなかの一つの要素として、庭があった。

同時期に受講していたインスタレーションの授業では、庭をテーマとして扱っていました。そこでたまたま庭師の親方と知り合ったんです。彼は瀬戸内寂聴さんの庭もつくっているということで、「見せてください」とお願いして。そうしたら「ちょうど今日やってるから来なよ」と。

現場に着いたら、親方はすたすたと現場の指示に消えてしまった。「寂聴さんの庭を見れるぞ!」と意気込んで来たものの、門を潜ると職人たちがせわしく立ち働いているんですね。唐突に近場の職人さんに「君はなんや? 新人さんか? とにかくちょっとそっち持って」と声をかけられ、言われるままに手伝って、気がついたら日が暮れている。帰りになぜか親方から日当をいただいて「また来なよ」と(笑)。

給料も悪くなかったので、それ以降、アルバイトとして働くようになりました。

──庭師としてアルバイトしながら、それ以外の時間は、大学でアートや現代思想について学ばれていたのですよね?

はい。もともとの専攻は美術で、一回生の頃はフォービズムの画家・マティスに影響を受けたような絵を描いていましたが、最終的にはインスタレーションなどをやっていました。そのなかでインスタレーションの拡大解釈として庭師のアルバイトをはじめた。とはいえ、もともと文学や哲学が好きだったのもあって、だんだんと美術や庭の制作だけでなく理論にも関心が出てきたんです。

文学にはじまり文学者のインタビューや批評家との対談を読みはじめ、絵画部屋にあった浅田彰さんの『構造と力』を読んだりした。それでフランス現代思想と呼ばれるジャンルに興味を持って、わからないながらに浅田さんが京大で開いていた私的なゼミに参加したりもしましたね。

卒業後、庭師業を自営していましたが、理論熱が高まっていたこともあり庭師をしながら大学院に行こうと思い、アンリ・ベルクソンやジル・ドゥルーズの研究、ウンベルト・エーコの翻訳で知られる篠原資明さんのもとに進学しました。西洋美術史の研究やイタリア現代思想の翻訳で著名だった、岡田温司さんとの共同主催のようなゼミでした。

ゼミで「庭師です」と自己紹介すると「なにしに来たの?」「実家が造園業なの?」とめちゃくちゃ驚かれました。いま思えば、たしかに変な学生だったのかもしれない(笑)。

数年フランスの哲学者を追いかけていましたが、フランス留学から帰ってきたある先輩がジル・クレマンを紹介してくれまして。そこでようやく理論研究と庭師の活動が合流したんです。

被災地で見た、パンジーという「抵抗」

──初めてジル・クレマンを読んだとき、どんな感想を抱きましたか?後に翻訳をされた『動いている庭』は、植物が移動し庭のかたちが変化していくことに着目した庭園論です。

ずっと庭師をしていたので、庭の植物が動いていることは実感としてわかるんですね。

庭はどれだけ手入れをしても、次の年には苔やシダが広がっていたり、センリョウやマンリョウが違う場所から生えていたりする。風が胞子を飛ばしたり、鳥が実を食べてどこかに糞をすることで新たに生えてくるんです。だから庭師たちは、動いている植物を減らしながらまとめたり、あえて増やしたりといった手入れを毎年繰り返している。

ただ、そのことを強く意識はしていなかった。

クレマンはそれを手入れの方法論に、ひいては作庭原理にまで高めていた。ですので、「動いている庭」というコンセプトには大きな衝撃を受けました。

それから、彼の代表的なコンセプトの一つ「第三風景」にも影響を受けました。

──「第三風景」とは何でしょうか?

クレマンは人間が立ち入らない、空き地や放棄地、線路脇のような場所を「第三風景」と呼んでいるんです。都市化していく町のなかで、そういう場所にこそ植物や動物の多様性があるということで、自然保護区などと同様の場所として扱っている。

そういう場所をクレマンはポジティブに捉え直し、都市における「抵抗の場」として提起したわけです。

ただ、今の日本は少子高齢化社会で空き家や空き地が問題になっています。まさしく、どこもかしこも「第三風景」化しつつある。

さらに2011年3月には東日本大震災に伴い、福島第一原子力発電所事故が起こってしまう。人間が立ち入ることのできない「第三風景」が巨大な規模で出現してしまった。

20世紀後半に「抵抗の場」として提起されたこの概念の可能性は、もうなくなってきているように思います。

そのとき僕が注目したのが、「パンジー」だったんです。

──ベランダでプランターなどによく植えられている、あのパンジーですか?

はい。2018年の春、直前まで立ち入り禁止区域だった福島県・浪江町をフィールドワークしたことがありまして。とはいえ僕のように普段から植物に関心を持っている人間にとって、どういう状況になっているかは行く前から大体予想できてしまうんですね。いわゆる「第三風景」のような姿になっているのだろう、と。

しかし駅に降り立つと、プランターがずらっと並べられていて、パンジーが咲いていたんです。駅前も地域もほとんど無人だったのですが、再開したばかりの駅前にも、市役所やラーメン屋の前にも、パンジーが植えられ、咲いていた。

(山内さん提供画像)

これは本当に予想外で、何か象徴的な意味があるように思えました。

プランターに植えられたパンジーは水をやらないとすぐに枯れてしまいます。だから人々はパンジーを植栽して並べるだけでなく、水をやることでその土地と関わりつづけることになる。つまり、庭仕事をしている。

まだ人はほとんど帰っていなかったにもかかわらず、パンジーを介して人々は、いまここに人が住んでおり、これからここにやってくる人々をを迎えようとする意志を示していたわけです。

極限的な状況のなかでパンジーを植えることで、庭仕事を通して、かろうじて秩序だった風景をつくろうとする切実さを感じたんです。

それまでの僕にとってパンジーはよくわからない対象だったのですが、その風景を見たときに、この花の受け取り方がまったく変わってしまった。予想通りの風景を見ることになると思っていた僕にとって、本当に衝撃的な風景だったんです。

(編注:この調査の結果は、批評誌『アーギュメンツ#3』掲載の山内さんの論考「なぜ、なにもないのではなく、パンジーがあるのかー浪江町における復興の一断面」にまとめられている)

定義できない「庭」、本質は「雑多さ」にある

──人々がパンジーを植えた場所も広義の「庭」と捉えることができるかもしれませんが、そもそも庭の定義とは何なのでしょう?

難しいですねえ……定義をしてしまうと、ある種の本質に還元してしまって、庭の豊かさを捨ててしまうんじゃないかと思うんですね。

たとえば、単純化して言えば、日本庭園の特徴は「石組があること」だと言ってもいいでしょう。

西洋の庭では、石を中心にした庭でも石はたんにゴロゴロ置いてあるだけなのですが、日本では石をわざわざ埋めて、石の立ち姿や石相互の関係性を重視し、地下の岩盤が露出したように見せたりする。

でも、だからといって、日本の庭は「石組があるもの」と定義してしまうと、飛び石や延段があっても石組がなければ違うということになりますし、植栽の庭は除外することになる。逆に「植物を使ったもの」とすると、いわゆる日本庭園の実感にそぐわない。

そういう定義のしづらさがあるんですね。

──「校庭」や「園庭」のように、遊び場・活動場所といった使われ方もしますね。

そうですね。そもそも「庭」には「建物と建物の間の平らな空間」といったニュアンスがあります。田舎の家に行くと、母屋と納屋のあいだの車を停めるような場所がありますが、あれのことですね。対して「園」には果樹園や梅林のような花木が植えられた場所という意味がある。

それに加えて庭というのは、現代ではさまざまなアナロジー(類推)やメタファーとしても使われています。いまやショッピングモールやホテル、ちょっとした広場、あるいは商品の名称にすら「ガーデン」という言葉が使われたりもします。もう何でもありとも言える(笑)。

庭とは本当に広がりのある概念であって、そのゆるさというか適当さがある種の本質である気もしています。「雑多であること」が、重要なのだと思います。

──「庭」という概念は、雑多で、常に移ろいつづけてきたと。

はい。たとえば日本における庭園には、娯楽として入り込める空間と、宗教的で清浄な空間の両面があったと思います。

江戸時代によくつくられた池泉回遊式庭園では、池や島の中を歩いて渡れました。平安時代の庭もそうですが、釣殿があって釣りができたり、舟遊びをしながらお酒を飲んだりできたんですね。

また、茶の庭、露地では、大きな常緑樹が生えている間に点々と飛び石や延段があって、山奥に分け入っていくようなイメージ。いわゆる「市中の山居」というやつです。

一方、平安時代の庭は、先ほど触れた池や島のある庭よりも建物に近いところに白砂の空間をつくっていて、そこでは儀式が行われたり、神楽が舞われたりしていました。清浄で神聖な空間として、真っ白の砂が敷いてあったんです。

そこには宗教的な意味合いがあった。のちの禅宗の方丈の南庭もそうですね。そこからいわゆる枯山水も発展してきます。

「程度のコントロール」としての庭づくり

──雑多で定義に広がりがあることこそが、庭の本質なのでしょうか。

いや、というか本質のようなものを増やすことならできますよ(笑)。たとえば自然との関係で考えれば、「コントロールする」ということも重要な側面でしょう。

よく「東洋は自然に沿うのであって、西洋は自然をコントロールしている」みたいな対比がされますが、沿うこととコントロールすることは、同じことの裏表なんですよね。

それは、ものづくりの現場を見ているとわかると思います。

たとえば陶芸にしても、土の特性をつかまえて沿わなければ、うまくかたちを変形させることができない。それは裏側から言えば、土をコントロールすることと等しい。

──その意味では、一般に東洋的な庭は「自然に沿う」ものとされていますが、実は自然をコントロールしているとも言えるのだと。

日本の庭は徹底的にコントロールされていますよ。

たとえば、松の木一つとっても、庭でよく見られるうねるような幹や枝のかたちは、もともとは自然の海岸で強い潮風を受けて歪んだり折れたりすることを繰り返してできたかたちから来たものです。

それを庭のなかで再現するために、人為的な労力がかけられている。

松は放っておいたら最初はとにかくまっすぐ伸びていってしまいますから、松の芽や葉っぱを摘み、剪定し、ときには人為的にたわめることで、かたちをつくっていくわけです。

逆に、西洋のヴェルサイユ宮殿はどうでしょうか。一見ものすごく人間によるコントロールがなされているように思いますが、よく見ると「ボスケ」という四角い刈り込みのなかや水路沿い、あるいは庭の外縁には多様な植物や動物が存在している。

自然に沿っているように見えてもコントロールされているし、コントロールされているように見えても、結果として自然に沿っていたりする。見方を変えると、反転するんです。

──たしかに、「コントロール」しようとしていない野山の自然は「庭」とは言いませんね。

庭づくりは、荒れ地から極相林(植物が安定し変化しなくなった森林)に向かう植生遷移のレンジのどの断面に庭を定位させるかということが重要なんですね。要するに、遷移をどの「程度」でコントロールするかという営みなんです。

植生遷移というのは、理想的に進行するならまず岩や砂のような状況があり、次に岩に地衣類や苔や強健な草がとりつきはじめる。やがて土ができてきて、多くの草や先駆的な樹木が生えるようになる。それから多くの木が生えることになって……という積み重ねののちに、最終的に極相林になるわけです。

庭づくりで言えば、最初のジャリジャリの状態は枯山水ですね。苔が生えてくると、西芳寺の苔寺のような庭になる。それから草花の庭があって、松の木で海岸を想像させる庭もあれば、林のような庭もある……。

いずれにしても、遷移をある「程度」にとどめるために必ず手が入るんですよ。

──とはいえ自然である以上、完全にコントロールすることもできない。そういう両義性もまた、庭の本質といえるのでしょうか。

クレマンの「動いている庭」も、人間が入るための場所をつくるという意味ではコントロールしていますが、基本的には植物が種子を飛ばして、まず分布を決定するわけです。

植物の分布をよく観察しながら、そのかたちを保存するように草刈りをするということをやっている。ですので、かたちを決めたのはまずは植物であり、次にそのかたちに沿うように人間が整えるというわけです。

沿うと同時にコントロールする。放し飼いにすると同時に管理している。ここでもまた「程度」が重要なんです。

人類は「楽園」を追い求めつづけてきた

──完全にはコントロールできないにもかかわらず、古来より人類は庭をつくってきた。人間はままならない自然や社会のなかで生きるうちに、どうしても、「少しでも何かをコントロールしたい」という欲望が生まれてきてしまうのかもしれません。

歴史的に見て人類は、少なくともユーラシア大陸の一部地域では、楽園を追い求めてきたと言うことができるでしょう。

中国の古代の地理書『山海経』では、蓬莱という島が海に浮かんでいて、仙人がいて不老不死の薬があるとされた。それは東洋の庭の一つのモチーフになっていますね。あるいは西アジアは乾燥地帯だったので、庭に水や果樹をふんだんに使っています。その影響下にあるキリスト教文化圏では「エデンの園」というパラダイスのモチーフがある。

外部から隔絶された空間で、人間にとって何か良きものがある場所。そうした場所に、地域や時代によって異なる理想的自然像を代入することで、人はある種の楽園を表現してきたのだと思います。

──「理想的な自然像」を投影する場所が、楽園であり庭だったのかもしれませんね。コントロールできる場所に手を加えて庭をつくること自体は、ある種のセルフケア的なアプローチにも通じる気がします。

庭に限定せずに観葉植物や盆栽、プランターにまで話をひろげるなら、その意味では植物に関わりたい、さらには手元に置きたいという思いを持つ人は一定数いるでしょうね。

その思いはペットを飼うことにも通じている。毎日「面倒くさいな」と言いながら、水をやるわけでしょう(笑)。

植物はペットと同じでいろんなことを要求してくる。だから、ない方が楽に決まってるんです。生きるためになくてはならないというわけでもないんだから。

けれども、ときに人はなぜかそういう手間のかかる存在を手元に置いてしまう。人間というのは一人で楽に生きたい反面、なにかしら手間をかける相手を増やしたいという矛盾した一面を持っているんだと思います。

──生存にとって、一見すると必要不可欠ではない。それでも庭をつくる私たち。その意味では、お茶やお酒のような嗜好品と近いところがあるのかもしれません。

本当そうですよね。ちなみに僕はコーヒー、紅茶、お茶、タバコ、各種酒、全部大好きなんですね。というわけで嗜好品を完全制覇している(笑)。

嗜好品を批判するときに、よく「なくても生きていけるよね?」というようなことが言われますよね。「生存に必要か否か?」と。でもそれは、問い自体が間違っていると思うんです。

そもそも僕たちの文化全体が、嗜好品的じゃないですか。

体を守るのに最低限のものをまとって半裸でうろうろしているわけでもないし、動物に直接かじりついて肉をそのまま食べているわけでもない。そこにさまざまな余計なものを差し挟みつづけることで僕らは生きている。

その「余計」は過剰さでもあって、生存に不要な、ときに毒でもあるような余分を幾重にも重ねることで、僕らは服や食事を楽しんでいる。つまりは本質が見えなくなるほどに、狂ったように嗜好的雑多さを増殖させている。

庭もそうですね。人類は一見生存には無縁な「楽園」を追い求めるなかで、本質が見えなくなるほどに、嗜好的雑多さを増殖させてきたわけです。

そうやって庭をつくりつづけてきた。本質が明確に規定されていたら、庭園史は1頁で終わっていたかもしれない(笑)。

むしろ余計だと思われている嗜好的なものこそが、僕らの人生や生活の本質なんだと強く思いますね。そうでしかありえないでしょう?

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Author
ライター

1990年、長崎生まれ。フリーランスのライター。本の著者をはじめとした文化人インタビュー記事など執筆。最近の趣味はネットでカピバラの動画を見ること。

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編集、執筆など。PLANETS、designing、De-Silo、MIMIGURIをはじめ、各種媒体にて活動。

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1995年、徳島県生まれ。幼少期より写真を撮り続け、広告代理店勤務を経てフリーランスとして独立。撮影の対象物に捉われず、多方面で活動しながら作品を制作している。