連載

全員が“感動”するコンサートは創れるのか。アバターが生み出す究極の嗜好体験:KMD・南澤孝太

森旭彦

嗜好品を、最先端の科学はいかに分析し、創造することができるのか。

認知科学、脳科学、心理学など一線で活躍するサイエンスの研究者が読み解く、連載「嗜好を科学する」をお届けする。

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前編「鳥のように空を飛び、自分のオーラを見る。身体拡張の現在地」では、バーチャル上の「もうひとつの身体」の可能性について、鳥のアバターが克服する高所の恐怖や、自分のオーラを客観視する瞑想などを例に探求した。

では、物理的なアバターが実際に、どのように社会における関係性や、私たちの人生の価値を拡張していくのか。

後編も慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(KMD)で身体の拡張を探求する南澤孝太教授に聞く。

嗜好品

栄養分として直接必要ではないが、ひとの味覚。触覚、嗅覚、視覚などに快感を与える食料。飲料の総称。

茶、コーヒー、たばこ、酒、漬物、清涼飲料、氷などがこれで、有機酸、カフェイン、タンニン酸、コカイン、アルコール、苦味物質、揮発油成分を含むものが多い。広い意味では菓子類も含む。

ブリタニカ国際大百科事典

(取材・文:森旭彦 写真:西田香織 編集:笹川ねこ)

外出困難な人がリモートで働く「分身ロボットカフェ」

――前編で紹介したVR上のアバターだけではなく、現実にある物理的なアバターを使った研究もされていますよね。

これまでは主にVR上での体験についてお話をしてきましたが、現在行っているサイバネティック・ビーイング・プロジェクト(Cybernetic being Project)では、ロボットを自分の身体として扱う、物理的なアバターに関する研究も進めています。

このプロジェクトでは、サイバネティック・アバターを活用することで、障碍を含む社会課題を考慮して、多様な人々の「ウェルビーイング」を実現することを目指しています。

私たちは、ロボットやVRによって実現される、生身の身体を拡張した能力を持つもうひとつの身体のことを「サイバネティック・アバター」(Cybernetic Avatar)と定義し、それによって生まれる人々の新たな身体観や日々の営みのあり方を「サイバネティック・ビーイング」(Cybernetic being)と呼び、テクノロジー、人の脳や心理、社会制度や倫理観など様々な側面から研究をしています。

「サイバネティック・ビーイング」に向けた具体的な研究事例でいえば、分身ロボット「OriHime」を開発するオリィ研究所を主宰し「分身ロボットカフェ DAWN 2021」を運営している吉藤健太朗さんとの共同研究を進めています。

ーー東京・日本橋にあるカフェですね。どのように運営されているのでしょうか。

たとえば、分身ロボットカフェで働くパイロットには、全身の筋肉が動かなくなってしまう指定難病SMA(脊髄性筋萎縮症)によって、身体が動かせない方もいます。そうした方は、目の動きによる「視線入力」で OriHime を操作しています。

たとえ自身の肉体が動かせなくても、アバターロボットを通じて社会との接点を保ち、働くことすらできてしまう、というのがこのプロジェクトが提供している大きな社会的価値なのですが、それでもやはり1人でできる行動には限界もあり、例えば「料理をする」といったことはなかなか難しい。

そういったときに、別のOriHimeパイロットが1つのロボットに同時にログインし、お互いに助け合いながら二人三脚でミッションを達成する。そんな新たな日常に向けて、日々実験しています。

ーー同じOriHimeを、2人で同時に操作して接客する。

このように分身ロボットカフェでは、様々な必要に応じて、アバターを通じてそれぞれのパイロットの技能が自然と発揮され、融合していくような事例が観測されています。

これらの知見を活かしながら、どのようにして人々の技能を融合すれば、人の多様性を活かしてひとりの能力を超えられるのかを研究しています。

――サイバネティック・アバター(能力拡張アバター)の特徴は?  いわゆるVRアバターとはどのように違うのでしょうか。

その人が本来有する能力を超えた能力を発揮しながら、周囲の人々とインタラクションできることが最大の特徴です。

たとえば、我々が分身ロボットカフェと共同で実施した「複数アバター分身実験」*4 では、1人のOriHimeパイロットが最大5台のOriHimeロボットを同時に操作します。

それによって、お客さんと話をしながら、別の場所で手を振ってお客さんを誘導したり、注文をとりながら、別のロボットで商品を運んでくる、といったことができるようになります。

提供画像

このとき、遠隔で操作しているパイロットは、複数のOriHimeの映像を見ながらそれぞれを切り替えて操作しているだけなのですが、客の側からは1人のパイロットが複数の身体にいわば「分身」して、複数のOriHimeに同時に接客してもらっているように感じられます。

このように、人が自分の身体だけではできないような、デジタルを介したアバターだからこそ生まれるインタラクション、そこから生まれる関係性がサイバネティック・アバターの大きな特徴です。

全員が感動するコンサート体験は創れるのか

――プロジェクトでは、他にどんな研究を進めていますか?

サイバネティック・ビーイング・プロジェクトの特徴的な研究に「経験共有」があります。

コンサートに行って感激したときに、「ゾクッ」とした経験はありますか? 

――感激したときなどの、ゾクッとする感覚ですよね?

はい。いわゆる鳥肌ですね。鳥肌のことを英語で「Frisson(フリソン)」と言うのですが、これを集団内で伝搬させることで、経験を共有しようという研究を進めています。

KMDの修士課程の学生が主導した研究「Frisson Waves(フリソンウェーブス)」*5 では、彼女が開発した「フリソン誘発ネックバンド」を使って、ひとを意図的に「ゾクッ」とさせることができます。

ひとはどうすればゾクッとするか。実は単純で、冷やせばいいのです。

フリソン誘発ネックバンドには、冷たさを感じさせることで皮膚を刺激するモジュールが搭載されています。このネックバンドを観客につけてもらい、コンサートなどの盛り上がるポイントでフリソンを誘発すると、観客が一斉に「ゾクッ」とします。

単純に皮膚が冷やされたことによって鳥肌が起きるだけ、なのですが、コンサートというコンテクスト(状況)の中でこれが起こることで、観客は自分が感動した、鳥肌が立ったと一種の錯覚を感じ、これによって感動を増強・共有することができるという理屈です。

この研究の先には、オンライン上で深い感動を与えるコンテンツの開発などがあります。

ディスプレイ上で再生されるライブ映像を見て鳥肌が立つ経験はなかなかできません。やはりライブは「生」だという考えが一般的です。

しかし、「Frisson Waves」を応用すれば、もしかすると、より生々しいライブ体験が、ディスプレイでも可能になるかもしれません。

それ以外にもプロフェッショナルの超絶技巧を、ロボットを介して共有するなどの研究も進めています。

研究室の様子

「環世界」という究極の嗜好体験へ

――今後、サイバネティック・ビーイング・プロジェクトで研究されていることが社会実装されていくと、ひとはどんな体験をするようになるのでしょうか?

たとえアバターや経験共有によって生み出された経験でも、私たちはそれらを自分の中でひとつの人生に統合して生きていくでしょう。

そのうえで、サイバネティック・アバターによって、これまでのひとの身体観では不可能だった多様な可能性を取り込み、私たちの認知が変わっていくことで、一人ひとりの人が生きる「人生」そのものが広がっていくのではないかと考えています。

認知が変わっていく、というと驚いてしまうところもありますが、私たちの歴史を振り返ってみると、認知の変革の歴史だと言えます。

最近だと、地図を事前に調べていなくても、スマートフォンさえあれば、訪れたことのない街で、会ったことのない人と待ち合わせをすることができます。これはそれ以前の人類にはなかった認知ですよね。

――認知が変わりゆく中で、どのような新しい嗜好体験が生まれていくと考えられますか?

嗜好をどう定義するか、というのも難しい議論ですが、おそらく、生存における必需品ではないことは確かですよね。

要は、自分の幅を拡げていくために存在しているものなのだと思います。

そう考えると、嗜好体験というものは、自分の認知の広がりをつくる体験です。

それによって、自分が知らなかったような価値観を取り込むことができる。私たちもこうした新しいテクノロジーを創っていくなかで新たな価値観と出会い、そして人間そのものの捉え方が変化していくことを感じています。

そうした認知の広がりの究極形のひとつが、新たな「環世界」の獲得なのだと思います。

ーー「環世界」とは何でしょうか。

環世界はドイツの理論生物学者ユクスキュルが提唱した考え方です。これまでの私たちは、環境というもの、世界というものは客観的に独立してそこにあるものだと考えてきました。

しかし環世界は、環境というものはそこに関わる主体がつくりだすものだと考えます。

つまり、ハチが見る世界と、人間が見る世界は、同じ世界を共有していても異なるということです。

デジタルテクノロジーを通じて技能の融合や経験の共有が実現する、いわば身体的経験のデジタルトランスフォーメーション(DX)が起こる世界では、私たちはこれまで持っていた肉体に立脚する環世界とは異なる、新たな身体観を前提とした環世界でものを見て、創造するようになるでしょう。

VRやアバターなどのデジタルテクノロジーは、環世界という認知の広がり、その究極の嗜好体験に、一歩一歩近づく方法といえるではないでしょうか。

※4 https://dl.acm.org/doi/abs/10.1145/3544548.3581124
  https://www.youtube.com/watch?v=e5qZNkiMYOg

※5 https://dl.acm.org/doi/abs/10.1145/3550324

https://digthetea.com/cms/2023/06/kouta_minamizawa_pt1/

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Author
サイエンスライター

テクノロジー・サイエンスと人間性に関係する社会評論がテーマ。WIRED日本版、美術手帖などに執筆。ロンドン芸術大学大学院、メディア・コミュニケーション修士課程修了。

Editor
編集者

『DIG THE TEA』メディアディレクター。編集者、ことばで未来をつくるひと。元ハフポスト日本版副編集長。本づくりから、海外ニュースメディアの記者まで。企業やプロジェクトのコミュニケーション支援も。岐阜生まれ、猫好き。

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