連載

スマホの向こう側ではなく、目の前のものに誘われる——哲学者・谷川嘉浩と考える「欲望」の見つけ方

新連載「『飲まない』大人の暮らし方

飲み物、ことアルコール飲料は紀元前より「嗜好品」として人々に親しまれてきた。日本においては約2,000年前、稲作の定着と共に本格的な酒造が開始されたとされており、現在も嗜好品の一つとして確固たる地位を築いているように見受けられる。

しかし、徐々にその立ち位置は変化しているのではないだろうか。「あえて飲まない」ソバーキュリアスなライフスタイルが普及し、「酒=大人のたしなみ」という構図は少しずつ崩れつつある。現代を生きる私たちにとって、「酒」とはどのような意味を持つのか。また、ソバーキュリアスなライフスタイルの発現の背景には、時代のどのような変化が隠されているのだろうか。

この連載「『飲まない』大人の暮らし方」では、評論家・宇野常寛がさまざまな知見を持つ識者たちとの対話を通して、多角的に嗜好品としての酒の現在地や、「飲まない」大人のライフスタイルについて考えていく。

第1回にお迎えするのは、哲学者の谷川嘉浩氏。同氏は著書『スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険(以下、『スマホ時代の哲学』)』(2022,ディスカヴァー・トゥエンティワン)にて、スマートフォンが生み出した「常時接続の世界」において、私たちはわかりやすい刺激によって自らを取り巻く不安や退屈、あるいはさみしさを埋め合わせていることを指摘した。

「常時接続の世界」の世界で、酒をはじめとする嗜好品はどのような役割を果たしているのだろうか。「スマホ時代」における嗜好品のあり方や、それらとの付き合い方を中心に話を伺った。

(文:長谷川リョー 写真:田中愛実 編集:鷲尾諒太郎)

メンバーシップを確認するための飲み会から、一人離れて

宇野:谷川さんはお酒を飲みますか?

谷川:アルコールはけっこう好きですね。コロナの影響もあり、ここ数年は家で本を読んだり、映画を観たりしながら一人で飲むことが多い気がします。宇野さんは?

宇野:僕はまったく飲まないんですよ。昔は付き合いで飲むこともあったのですが、10年くらい前に、いわゆる飲みニケーションですごく嫌な思いをすることがあって、それ以来、基本的にはまったくお酒を飲まなくなりました。

思想や批評の業界は、口ではきれいなことを言っていても実態としてはものすごくホモソーシャルな「飲み会」文化が残っていて、ボスの敵を取り巻きが中傷してご機嫌を取るような陰湿な行為が当たり前のように行われている。そのもようをインターネットで配信して、読者にいじめの快楽を提供して課金させているような人もいるくらいです。

谷川:お酒を通じてつながろうとしている感じが苦手?

宇野:僕の世代の少し上、つまり団塊ジュニア世代くらいまでは、典型的な昭和の飲みニケーション文化が根強く残っています。この文化はいわゆるJTC(Japanese Traditional Company=日本の伝統的な大企業のこと。転じて、日本企業のあしき風習や文化を指す)と深く結びついていて、飲み会がメンバーシップ確認の儀式として機能しているわけですよね。

谷川:私は1990年生まれだということもあってか、「お酒を飲むこと=メンバーシップの確認」という感覚はあまりないかもしれません。

宇野:20〜30代の若い世代の人たちは、自然に昭和的な飲みニケーションから距離を取れていますよね。食事の席でアルコールが供されても、あくまでも料理の一部として受容し、コミュニケーションとは切り離している人も多いのかもしれません。

それに、この世代は世界的にお酒を飲まないライフスタイルを選ぶ人がどんどん増えていると言われていますよね。濃淡の差はあれど日本も例外じゃないんだと思います。

谷川:飲食物の楽しみ方という意味では、視覚的にそれらを楽しんでいる若者が多い気がします。たとえば、ホイップクリームが乗ったフラペチーノ。もちろん味を楽しんでいる人もいるでしょうが、それを「見て」楽しんでいる人が多いのではないかと。つまり、「情報」を飲み食いしているわけですね。

当然、そういった楽しみ方が主流になった背景にはスマホやSNSがあって、飲食を楽しむことと流行のコンテンツを追いかけることが同義になってしまっている。一方、視覚ではなく味覚を突き詰めていくと、どうしても『美味しんぼ』の登場人物たちのように、うんちくを語り出してしまう。このどちらにも寄りすぎない飲食の楽しみ方がある気がするんですよね。

宇野:飲食を純粋に楽しむためのいちばんの解は、「一人で食べること」だと思います。僕は永遠のダイエッターなので、カロリーコントロールのためにしっかり食べるのは一日一食、ランチだけのことが多いです。だからこそ、その一食に命をかけている(笑)。

このとき誰かと食べるのではなく、一人で食事をとっていると今の自分の心と身体が自然と本当に食べたいものに向かっていく。そこには自意識も演劇性も発生する余地がなく、ただひたすら「食べるという行為」の快楽に集中しているわけです。

なので、『美味しんぼ』の例を引き継ぐなら、主人公の山岡士郎は海原雄山や栗田ゆう子がいなければ、つまり「誰かと食べていなければ」、あんなにうんちくを語ることはなかったと思うんですよ。一人で食べること自体が、僕は純粋に食べることに向き合う入り口だと思っています。

「欠乏」と「不快」によって欲望を開発する

谷川:なるほど。でも「一人で食べる」という意味で言えば、最近ではすっかり定着しましたが、少し前に学食で壁を向いて一人で食事をしている大学生が増えていることが話題になりましたよね。「便所飯」なんかもそうです。もちろん、一人で食事をとるのは大学生だけではないでしょうが、いずれにせよすべての「一人で食べる人」が宇野さんのように「純粋な食の快楽」に向き合っているとは思えません。むしろ、孤独であることを恥じているように見えるんですよ。

宇野:それは欲望の問題で、僕の場合は個人的な経験が作用していると思います。高校生の頃、寮生活をしていたので食べたいものが全然食べられなかった。三食すべて食堂で業者の作ったご飯を食べるしか選択肢がなくて、それがもうこの世のものとは思えないくらいまずかった。出てくるおかずが四品あったとしたら、かろうじて人間が口に入れて気分を害さないものが一品あるくらい。たぶん決められた予算の中で必要な栄養を摂れるように工夫した結果なのでしょうが、その結果として、完全に味が度外視されていたんですよ。

だから、クリスマス会でモスバーガーとハーゲンダッツが出たときは、あまりの美味しさに涙が出ました(笑)。こうした思春期の欠乏の記憶があるからこそ、食べる快楽を最大化したい欲求があるんだと思う。

谷川:建築家の光嶋裕介さんが『ここちよさの建築』(2023,NHK出版)という著書のなかで「ときどき不快なものに接するからこそ、心地いいものへの感度が上がって、欲望の向く先を知れる」といった趣旨のことを書かれていました。自分の好みをはっきりさせ、欲望を開発するためには、好き嫌いを問わず雑多なものに触れなくてはいけないのかもしれませんね。欠乏を体験することを含めて。

宇野:ときに「食べること」は他のものを寄せ付けない求心力を発揮するはずなんです。昔、僕の事務所の近くにラーメン二郎があって、いつも飢えた男子学生たちが列をなしていたのですが、その目には数十分後にありつくラーメンしか映っていないように見えました。

ラーメン二郎に並ぶ飢えた学生たちは、一切の恥も外聞も、モテたいといった自意識もすべて一時的に脳からアンインストールされて、ラーメンの塩と脂で満たされることだけを渇望しているわけです。

しかもラーメンは麺が伸びてしまうこともあって、おしゃべりすることもなく、みんながっついて10分ほどで食べ終えるじゃないですか。たとえ列に並んでいたときにどれだけ高尚な議論をしていたとしても、目の前にラーメンが置かれた瞬間に全力でそれに集中するわけですよね。ラーメンを食べている間、インスタ映えやセルフブランディングといった考えは脇に置かれる。ここに僕は一つの純粋性を感じるんです。

谷川:食べ終わった後に、ラーメンを語り出す人がいませんか?

宇野:もちろんラヲタと呼ばれる人たちは語るだろうし、僕はその手の人が苦手なのだけど、ラーメンを「食べているとき」だけはそこに集中しているはずなんです。少なくとも、ラーメンに向き合っているその瞬間だけは、「いかに語るか」なんてことは考えていなかったはずなんですよ。

SNSは、目の前にあるものに「誘惑される力」を奪った?

谷川:一人で楽しむことが、「食べること」の純粋性を回復させるということですね。自著『スマホ時代の哲学』では、タイトルに含まれている通り「孤独」の重要性を強調しました。その中で心配していたのが、孤独の美学が簡単にナルシシズムに傾いてしまうこと。上の世代の著述家たちの論をみていると「孤独を味わっている俺」を饒舌に語っている様子が散見されます。他方、ナルシシズム自体が絶対的に悪いとは言えません。自分の欲望を開拓する上で、ナルシシズムが想像力の発露として機能することもあるからです。

宇野:一定の自己愛がないと人間は社会活動ができないので、ナルシシズムを有していること自体を否定することはできないと思います。人を貶めるときにナルシシズムを突くのは一番簡単な方法ではあるけれど、それを言い出すと自分にも必ず跳ね返ってくる。

問題はむしろ、ナルシシズムから生起する想像力が抑え込まれ、社会や場の生成力が落ちてしまうこと。なので、大事なのはナルシシズムを解体して再編成を強いる強烈な物事がそこに存在しているのかどうか。

漫画などベースにした二次創作は、「どうしても読みたいのだけれど、原作では絶対に描かれない物語」が起点につくられることがあります。たとえば、蠍座のミロと水瓶座のカミュ(『聖闘士星矢』)や湘北高校の小暮くんと三井くん(『SLAM DUNK』)のように、劇中ではヘテロの男性として描かれる登場人物AとBの関係を恋愛として解釈するボーイズラブ的な二次創作です。

このとき、二次創作物の作り手のモチベーションになっているのは、「どうしてもその展開が読みたいけれど、どうしても公式からは供給されない。だから自分がつくるしかない」という「欠乏から生じる欲望」であって、それはナルシシズムとは別の次元から発生していると思うんです。

「サブカルはファッション、オタクはパッション」という言葉がありますが、つまり、オタク文化の強さは良くも悪くも根源的な自己愛すらも一時的に解体してしまうタイプの欲望によって支えられているのではないかと。

谷川:そのような欲望のベースになるのは、目の前にあるものに「誘われる力」なのかもしれません。SNSのネタにするわけでもなく、うんちくを語るきっかけにするわけでもなく、食事を食事として楽しむように。

目の前のものを情報として受け取ることに慣れていると、目の前のものに「誘惑される力」を、自分で開発するチャンスがなくなってしまう気がします。誘惑って、実は共犯関係なので、対象に魅力があれば自動的に誘惑が生じるわけではない。こちらが一定の感度や感性を持っていなければ、魅力に気づくこともできません。

目の前にあるものに誘惑される力があれば、日々当たり前に生きている日常の光景もガラッと変わり、それによって自身も変わっていく。アルコールにしても食事にしても、あるいは人間関係にしても、目の前のものに誘われ、そのものの魅力に没頭することが求められているのかもしれません。誘惑される力って、SNSのアテンションエコノミーで「私を見て」って自分の魅力をアピールするのと真逆の方向ですが、今私たちが試されているのは「誘惑される力」の方なんだと思います。

暮らしの「最適化の失敗」が、変身のきっかけになる

宇野:すごく重要な指摘だと思います。人間は恒常性を求めて生きているので、基本的には現状を維持しようとする、言い換えれば、「いまの暮らし」にさまざまな行為を最適化しようとする生き物だと思います。人間が根底から変わるのは、そんな暮らしを最適化するための試みが失敗したときだと思うんです。

たとえば、起床後の頭をスッキリさせようと濃いコーヒーを飲んでみたら、身体に合わずに目が冴え過ぎてしまうかもしれない。けれど、こうした「事故」が人を変えるのではないかと。人間は「変わろう」と思って変わるものではない。むしろ「変わらないための試み」が失敗したときに、一番変化が起こる。だから、僕は暮らしを最適化するための行為を肯定したい。

個人的な例を挙げるとすれば、すでに触れたように僕は永遠のダイエッターなので、基本的にカフェラテは飲みません。でもあるとき、ソイラテならカロリーも抑えられるしいいかなと思って、思わず注文してしまったんですよね。するとそのおいしさにハマってしまい、いつの間にかソイラテだけではなく、豆乳を積極的に飲むようになった。

ダイエットに行動を最適化するのであれば、本来はブラックコーヒーだけを飲み続けるべきですよね。でも、ソイラテを注文したこと——ダイエットという目的に照らし合わせれば、「失敗」——をきっかけに、習慣や嗜好が変化したと言えるのではないかと。

谷川:なるほど。ダイエットの最適化に失敗し、思わずソイラテを注文してしまうという「事故」が、宇野さんを変えることになったわけですね。

最近『見ることは信じることではない:啓蒙主義の驚くべき感覚世界』(2019,白水社)という、18世紀のフランスの啓蒙主義に関する本を読みました。啓蒙主義者たちは理性と合理性をベースに行動していた印象がありますが、実際にはそうではなかったそうです。

当時の啓蒙主義者たちはコーヒーやアルコールなどの嗜好品を、肉体改造のために摂取していたといいます。彼らなりの医学的な知識に基づき、コーヒーやアルコールによって身体や感覚を変化させるための理論を組み立てていたそうです。たとえば「アルコールは感覚を鈍らせるが、想像力を高める」とか「コーヒーを飲むことで、理性が育まれる」とか。

しかもこうした嗜好品を常飲することで、性格や人格まで変わると啓蒙主義者たちは考えていた。つまり、自分なりに飲食の習慣を変えることで、認識や行動、ひいては人格に変化をもたらそうとしていたんですね。

私たちは食事の習慣を変えることを軽く捉えているけど、かつてはそれを大袈裟に楽しんでいる人たちもいた。これは、現代人から見て刺激的な話だなと思います。

宇野:ただ、それは意図的な話ですよね。習慣は暮らしの恒常性を保つためにチューニングするものですが、実はそのチューニングの偶発的な失敗にこそ、人間を本質的に変える鍵があると思うんです。

フェティッシュを駆動させ、モチベーションを相対化する

宇野:僕は観光旅行があまり好きではないのですが、その理由は、見ようと思っていたものを見て「予想以上の刺激が得られたかどうか」をジャッジしているだけのように感じてしまうから。

旅行は日常から外れたハレの場ですよね。ハレの場で受ける刺激はどのようなものであれ、あまり人間を変えないのではないかと思います。そうではなく、人間を変えるのは日常の、ケの場の些細な、しかし持続的な変化なのではないでしょうか。たとえば、ふらりと入った店で気に入った器を一つ買ってみる。すると、いつもの朝ご飯に変化が生まれる。そんな些細な変化をケの場や時間に持ち込むことが重要なのではないでしょうか。

谷川:私は以前、観光系の学会に入っていたのですが、そのときに考えていたことがあります。それは、同じ観光地を繰り返し訪れてみることで、予期したものとは違うものを受け取れるチャンスが生まれるのではないかということ。

通常、イメージ通りのものを受け取る観光、イメージ確認的な観光は批判されがちなのですが、反復するうちにズレていくこともあるんじゃないかと思ったんです。店で食事をとるにせよ、観光地を訪れるにせよ、一度きりでは予定調和の情報摂取で終わってしまいやすい。

でも、繰り返し同じ場所を訪れることで予期せぬ「事故」が起こり、目の前の出来事やものにチャンスが広がることに期待したい。繰り返しトライすることで、世間の人が話題にしている情報をなぞるのではない消費のあり方が見えてくる気がします。さきほどあった二次創作の話も、物語を語り直しているという意味で、こうした反復の一例と言えるかもしれません。

宇野:なるほど。「反復すること」が自身の欲望を開発するきっかけ、つまりは「事故」を引き起こし得る。

谷川:もう一つ、連想したことがあります。いま「衝動」をテーマに新しい本を書いていて、自分の意思さえも脇に置いて何かに夢中になる内発的な動機、つまりは「非合理なモチベーション」について考えているんです。アメリカの作家、ダニエル・ピンクの『モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか』(2010,講談社)などで論じられているように、特にビジネス領域での「モチベーション」は、生産性を上げるためのものとしてしか扱われていません。しかし、衝動のようなモチベーションには非合理的な側面が含まれているはずで、そこを語り落としている。非合理なモチベーションを呼び起こすことが、「目の前のものに誘われる感性」を取り戻すことにつながるのではないかと思っているんです。

宇野:「合理的なモチベーション」に対して、僕たちはフェティッシュ(ある対象、あるいはその断片を偏愛する態度)で対抗するしかないのだと思います。一般的なモチベーションは理性から生じるものだと思うのですが、フェティッシュは動物的な快楽やコンプレックス、あるいはこだわりや抑圧が絡み合って生まれる厄介なものです。

そんな非合理的で非生産的なフェティッシュを駆動させ、モチベーションを相対化していくことが大事なのではないでしょうか。そのきっかけになるのが、快楽原則に近い衣食住における「失敗」だと思うんです。衣食住を最適化するための試みが失敗したとき、僕たちは自覚していなかった欲望の対象を知ることになるのではないかと。

谷川:「失敗」の裏にあるのは「実験」ですよね。自分自身の嗜好や非合理的なモチベーションを発見するための実験をするためには、孤独になる、一人になる必要があると思います。私は以前『鶴見俊輔の言葉と倫理:想像力、大衆文化、プラグマティズム』(2022,人文書院)という本を書いたのですが、この中で鶴見さんが「独学」について考えるきっかけになったという、こんなエピソードを紹介しています。

あるとき、鶴見さんは友人たちと「独学とは何か」について議論していたそうです。その中に京都の町工場で働いている人がおり、その人がぽろっと自分の独学の定義を漏らした。いわく、「終業後、帰り道にあるカフェに寄り、本を読むわけでもなく、一人で一杯のコーヒーを飲んで帰ることが自分にとっての独学だ」と。

このエピソードが教えてくれるのは「孤独に自分と向き合うことが、何よりもの学びになる」ということだと思います。『スマホの哲学』に書いたことにも通じますが、他者のペースや紋切り型の楽しみ方に合わせるのではなく、まずは自分なりの欲望や快楽に忠実にあるべきなのだと思います。それは非合理な衝動であって構わない。お酒やコーヒーなどの嗜好品は、文化としての分厚さがあり選択肢も多いので、一人で楽しみながら、誰のものでもない「自分だけの欲望」を発見する第一歩としては最適かもしれませんね。

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