日本人には昔から馴染み深い香辛料のひとつ、山椒。
その歴史は古く、縄文時代から利用されていたともいわれ、日本書紀にも山椒の記述がある。“日本最古のスパイス”と言ってもいいだろう。
和歌山県は山椒の生産量が日本一である。
山椒にはさまざまな種類があるが、「ぶどう山椒」は和歌山県が発祥地。実る様子はまるでぶどうの房のようで、他の品種に比べて実の粒が大きく、透明感のあるシトラス系の爽やかな香りが特徴。「緑のダイヤモンド」とも呼ばれる高級品だ。
紀州有田川の自然あふれる山間地でぶどう山椒を有機栽培している「かんじゃ山椒園」にて、生産者の永岡冬樹さんに話を聞いた。

(文:江澤香織、写真:川しまゆうこ、編集:川崎絵美)
日本の食文化のルーツが和歌山に
どんどん山の奥地へ進んでいくと、周りは見渡す限りのみかん畑。訪れた初冬の頃は、熟れた黄色やオレンジ色の実があちこちで鈴なりに実っていた。
和歌山県有田市はみかんの産地として有名な地域だが、山椒も実はミカン科の植物で、その葉や果実にシトラス系の香りがするのも納得だ。
かんじゃ山椒園は、有田川の支流である宮川谷川を上流に沿って上がった奥地にある。周りは緑深い山々に囲まれ、まるで絵本の中のようなほのぼのとした里山の風景が目の前に広がっている。


和歌山県は、日本の食文化を語る上で欠かせない、歴史的にも重要な地域である。
醤油やかつお節、寿司(なれ鮨)など、和食を代表する調味料・食品の発祥地であり、現在は静岡を中心に全国で栽培されている真妻わさびも、実は和歌山県の印南町(旧真妻村)に起源がある。
言わずと知れた梅のトップブランド、南高梅はみなべ町が発祥で、梅干しの生産量は和歌山が日本一。このように和歌山県には日本の食文化のルーツが数多く詰まっている。
山椒の生産量も和歌山県は日本一だ。2位以下を圧倒的に引き離し、全国の約6割を占める。
歴史は古く、平安時代の「延喜式」に「紀伊国秦椒三升」と記されており、紀伊国とは現在の和歌山県、秦椒とは山椒を表している。
山椒の品種には、兵庫県を中心に栽培される朝倉山椒、岐阜県の奥飛騨でつくられる高原山椒などがあるが、和歌山県が誇るのは、ぶどう山椒。
江戸時代末期に遠井(とい)村(現在の有田川町遠井)で、大粒の実をぶどうの房のようにつける山椒が発見され、以後、この地に根付いて栽培され続けてきた。
他の山椒にはない、肉厚な果皮と力強く爽やかな香りは、日本はもちろん、今や海外のシェフやパティシエからも注目されている。

植生が豊かな地の“突然変異”で生まれた山椒
「この辺りは昔から水がきれいで、水にちなんだ地名も多いんです」と永岡さん。
古くは弘法大師が高野山に寺院を開創する前にこの地へ来ており、候補地としていたが、神様に川を隠されてしまって仕方なく別の土地へ移った、というような逸話があるそうだ。
「ぶどう山椒は突然変異でできたといわれているのですが、私の憶測ですが、この土地には他にも突然変異といわれるものがあり、そういうDNAに変化をもたらすような、何か特別な磁場のようなものがあるのではないかと考えます。弘法大師もそこに引き寄せられたのかもしれないですね」

和歌山県の南部は珊瑚礁があるくらいの亜熱帯の海から、北部は冬は北海道並みに雪が積もる山岳地帯まで、比較的狭いエリア内での気候風土の変化に富み、植生が豊かである。
昔から人の往来も多く、この地域の面白さに価値を見出そうと気付いて動く人はきっと多かったはずだ、と永岡さんはいう。
特異な地域性から、さまざまな農産物や発酵保存食に関する古い歴史があることも納得できる。
私たちが訪ねたのは冬だったので、山椒が実る時期ではなかったのだが、葉がないことで、凛とした繊細で美しい、しなやかな枝ぶりを見ることができた。山椒の木は遠くから見るとうっすらと緑がかってほんのり光り輝いているかのように見える。

シトラス系の爽やかな香り、ぶどう山椒
「ぶどう山椒は、香りも粒の大きさも他と全く違うので、すぐに分かります。粒が大きく、どちらかというとベルガモットなどのシトラス系が強い爽やかな香り。海外の方からも評判が良く、匂いを嗅ぐと柑橘のフルーツを連想するみたいで、チョコレートやジェラートなどデザートにも使われることが多いです」
かんじゃ山椒園では、最初からずっと有機栽培をしている。もともと山椒は比較的根が浅く、繊細でデリケートな木だそうだが、農薬を使って過保護に育てると、台風などの災害時に対応力が弱いことを実感したという。
小さな苗木のときから自然の中で有機栽培をすると、木がしっかり深く根を張るようになり、土台が安定する。

「山椒は大きな木の下に育つ灌木(かんぼく)で、湿った土に少しだけ日が差し込むような状態を好みます。この辺りはもともと山椒があったところでもあり、山間地は山椒の栽培に適しています」
「山の陰になるので、日照時間が少なく、朝は10時くらいにならないと日が当たらないし、午後の3時4時には日が陰ってしまう。平地で栽培すると水撒きやら、寒冷紗で覆うやら、結構大変なんですが、ここでは自然のままで元気に育つんです」

山椒の他に、ニッキ(肉桂・日本シナモン)、赤シソ、柚子など、香りのある和のスパイス、かつては薬として重宝されたような植物が、この地域では栽培しやすいという。昼夜の寒暖差があるせいか、香りの高さに違いが出るそうだ。
実はジャパニーズスパイスの宝庫で、現在も漢方薬の原料として栽培されている植物もある。永岡さんの案内で、山の斜面に植えられたニッキの木も見せてもらった。

葉の香りを嗅ぐと、透き通るような清々しく爽やかな芳香にうっとりし、深呼吸したくなる。
「ニッキは鹿児島から宮崎、高知、和歌山などで古くから育てられていて、京都へ運ばれていたようです。八つ橋のニッキはかつてこの辺りが供給源だったともいわれます」
価格が暴落しているときに山椒栽培を始めた理由
永岡さんはこの地に生まれ、大学を卒業後は地域の町おこしをするような事業に携わっていたが、1980〜90年代当時は地方創生が大きく騒がれていた時代。多額の補助金がばら撒かれていたものの、地域の未来を考えると、本当にこのままでいいのか、悶々としていたという。

そこで家族を連れて一旦故郷を離れ、とある農業法人で働く。そこは仲間たちがお互いに研鑽し合い、自分たちの力で考え、話し合いながらさまざまな農産物を育てていくスタイルだった。
10年間は学びながら働き、その後もさまざまな仕事をして、2004年に故郷へ再び戻ってきた。山や森は荒れ果て、人が減ってどんどん過疎化していく地元のために、何かできないだろうかと思った。
「この地域では昔、山椒は薬用として高値で取引されていましたが、2004年頃は暴落していました。もう山椒も終わりだなって囁かれていた頃に、山椒栽培を始めたんです。周りからは『なぜ今頃?』ってバカにされたくらい」
「でも私たちは、歴史のある地域の大事な農産物が廃れてしまうのは辛かった。本当の魅力をきちんと伝えて届けられたら、絶対に喜ばれるはずだと思ったのです」

あまり資金はなかったが、インターネットが一般的になった時代、地方にいてもオンラインで直接販売することができる環境だった。駅のコンコースなどでも販売してみたが、山椒といえば鰻に付いてくるピリピリした粉、くらいの印象で、最初はあまり興味をもたれなかった。
しかし山椒が大好きな人も確実にいて、実際に食べてもらうといい反応を得られることがわかった。かんじゃ山椒園ではカフェをオープンして具体的な食べ方を伝えることにした。
カレーやパスタ、スイーツ、チャイなどのメニューに山椒を使って提供し、美味しさを実感してもらえるようになると、だんだんと山椒に対するイメージも変わっていったそうだ。

「儲けようというより、純粋にいいものを作ってみんなに喜んでもらいたかった。地域の生業にしたかった。自分たちができる限りのことを尽くし、手をかけてでも最高品質のものを作って届ければ、周りはきっと応援してくれる」
「かつて、“自然の法則に従うこと”と教えてくれた恩師がいました。その考えは自分たちの生き方の指針として役立っています。水が上から下へ流れるように、山椒の評判は無理なく少しずつ自然に広がっていってくれました」
もともと和歌山県人の気質には弘法大師の教えがベースにあるように思う、と永岡さん。
自分だけではなく、みんなのためにと考える、お人好しな人格者が多いという。来るものは拒まず、これは良いなと思ったら、自分だけのものにしないで、みんなのものとして広がっていく傾向がある。

県の海外輸出担当者は、ぶどう山椒が欧米のスパイス文化が豊かな地域で特に注目されていることを知ると喜び、自主的にいろんなところへ持って行っては紹介してくれたそうだ。
海外の人々にも少しずつ広まっていき、やがて、当時「世界一予約が取れないレストラン」と呼ばれていたスペインの三つ星レストラン「エル・ブジ」のシェフ、フェラン・アドリア氏にも届けることができた。
「いいものは人に伝えたくなるし、伝える人も嬉しい。自然発生的に人から人へ水が流れるように広がってくれるんです」と永岡さん。
現在は、日本からも海外からも、星付きレストランのシェフやパティシエ、バイヤー、調味料メーカーなど、さまざまな人たちに興味を持ってもらい、現地を訪れる人も増えている。
ソフトクリームからチャイまで、山椒を使ったメニューの数々
かんじゃ山椒園から車で5分程のところに「kado(かど)」という小さな古民家カフェがある。国の棚田百選に選ばれ、不思議な地形が名所となっている「あらぎ島」のすぐ近くだ。

ここではかんじゃ山椒園で育てたぶどう山椒を使ったメニューが楽しめる。
最初に食べて、目を見開いて驚いてしまったのがソフトクリーム。山椒のフルーティーな柑橘香が心地良く、澄み切ったような清らかな味わいで、大げさでなく、今まで全く食べたことのない異次元のソフトクリームだった。

ペースト状にしたフレッシュな山椒をクリームに練り込み、さらに上から挽きたての山椒の粉末を振りかけて、豊かな香りを引き出している。シンプルな素材で、できる限り添加物は排除。クリームはジェラートのようなさっぱりとした軽やかさがあり、ミルク自体にもこだわっているという。
季節を問わず、このソフトクリームを目的にわざわざ遠くからやって来る客もいるため、冬でも作ることをやめられないそうだ。
「単なるご当地ものではなく、高品質で納得できる本物を作りたい」と永岡さんはいう。
人気のジビエカツバーガーは売り切れだったが、それに使っているパンを味見させてもらった。希少な山椒の花で天然酵母を起こし、パン作りに利用しているという。ふっくらふわふわの食感で、いくらでも食べ続けていられそうな美味しいパンだった。
ドリンクも山椒を使ったものがさまざまにあり、山椒のチャイをいただく。ニッキの葉や生姜、唐辛子なども入った和のスパイスチャイは、すっきりと上品な風味で、フレッシュ感のある爽やかな味わいだから飽きがこない。

店内には、山椒のコンフィ、水煮、ドライ山椒、チャイの素、お菓子など、どれも丁寧に作られた山椒の加工商品がずらりと並んでいて、山椒好きにはたまらないラインナップだった。

山の中にポツンとある小さな店で、これだけクオリティの高い山椒商品の数々が豊富に揃っていることは驚きだった。
和歌山が誇るぶどう山椒の本当の価値を、地に足を据えてしっかり着実に伝えていく。
かんじゃ山椒園の真摯な活動は、まだまだ大きな可能性を秘めている。ジャパニーズスパイス「ぶどう山椒」は今後、ますます世界へ羽ばたいていくだろう。

フード・クラフト・トラベルライター。企業や自治体と地域の観光促進サポートなども行う。 著書『青森・函館めぐり クラフト・建築・おいしいもの』(ダイヤモンド・ビッグ社)、『山陰旅行 クラフト+食めぐり』『酔い子の旅のしおり 酒+つまみ+うつわめぐり』(マイナビ)等。旅先での町歩きとハシゴ酒、ものづくりの現場探訪がライフワーク。お茶、縄文、建築、発酵食品好き。
お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。
若いころは旅の写真家を目指していた。取材撮影の出会いから農業と育む人々に惹かれ、畑を借り、ゆるく自然栽培に取り組みつつ、茨城と宮崎の田んぼへ通っている。自然の生命力、ものづくり、人の暮らしを撮ることがライフワーク。