連載

日本初のノンアルコールジン「NEMA」が生んだ新たな飲料体験。カクテルの技法を極めたバーテンダーの探究

江澤香織

横浜は、日本におけるバー発祥の地といわれる。その地に根を下ろし、「Cocktail Bar Nemanja(カクテルバーネマニャ)」を営むバーテンダーの北條智之さんが、2018年に唯一無二のノンアルコールジン「NEMA」を開発した。

実際に飲んでみると、ノンアルコール飲料とは思えない奥行きのある豊かな味わいは想像以上だった。

アルコールを知り尽くしたバーテンダーの北條さんが、なぜノンアル飲料の開発に携わるようになったのか。NEMAのカクテルを楽しみながら話を聞いた。

(文:江澤香織、写真:西田香織、編集:川崎絵美)

自然素材を探究した、豊かな味わいのノンアルコールジン

ひと口飲んで、その自然な奥深い味わいに驚かざるを得なかった。目の前に出された3つの飲み物は、全てノンアルコールジン「NEMA」を使ったカクテル。

言われなければ、ノンアルコールだと判らないかもしれない。いや、アルコールかどうかなどはもはやどうでもよく、ただひたすら飲み心地の良い、香り高く美味しいカクテルだった。

アルコールの“代わりに”飲むのではなく、「これが美味しいから飲みたい」「しっかり味わいたい」と思わせるカクテルなのだ。

NEMAは4種類の定番品と、シーズンやイベントなどでつくられる限定品が数多くある。

定番4種のうちスタンダードタイプは、2種のバラをベースにジンに欠かせないボタニカルのひとつであるジュニパーベリー、その他ラベンダーやスパイス、八ヶ岳山麓の源流の湧き水を原料につくられている。

薬草系リキュールのアブサンタイプはニガヨモギやフェンネルなど9種類のボタニカル、オールドトムタイプはニッキから抽出した蒸留水で甘さを創出。ウイスキータイプはピーテッドモルト、ホワイトオーク、カカオ、ワイルドカルダモンなどを使用してスモーキーな木の香りを感じさせる。

どれも素材ひとつひとつをそれぞれ丁寧に蒸留し、配合を細かく調整してブレンドしてつくられたものだ。

NEMAは素材にも妥協がない。「無香料」「無添加」「保存料ゼロ」の自然素材のみでつくられている。

キーボタニカルである2種類のバラのうち、ひとつはオーバーナイトセンセーションというスペースシャトルで宇宙に運ばれ香りの実験にも採用された品種が使われている。強く甘い香りが特徴的なバラだ。

もうひとつはゴルムハマディ。紀元前に古代ペルシア人がこのバラでローズウォーターを作ったと言われており、人類初の蒸留に使われたバラとされる。

全て長野県富士見町にある八ヶ岳山麓に農園を持つ「アサオカローズ」が製造したもので、ここでは大変難しいといわれる農薬不使用のバラを生産している。

3種のノンアルコールカクテル

「お酒が飲めない人、事情があって飲まない人にも、美味しいドリンクを味わえる、いい時間を届けたい」と北條さんは語る。

そんな北條さんが目の前でつくってくれた3つのノンアルコールカクテルについて。

「ネマ・トニック」はジントニックをジンではなくNEMAでつくる。大きなワイングラスを使ってハーブのもたらす清々しい香りを封じ込め、柿の葉やイソギクをテラリウムのように彩りよく飾り、秋の風情を感じさせる。

「ソーバー・ハイボール」はウイスキータイプのNEMAでつくったハイボールで、まさかノンアルだとは思えない豊かで奥深い味わい、上品でスモーキーなピート香に驚いた。

横浜発祥のクラシックなカクテル「ミリオンダラー」のノンアル版「スリーダラービル」は、存在しない3ドル札でノンアルを表現した粋なネーミング。

オールドトムタイプを使用し、ニッキの程よい甘みとジンジャーの辛み、ザクロの果汁と砂糖からなるノンアルのグレナデンシロップのベリー感によってしっかりとした飲み応えがあり、ネマニャでも人気のカクテルのひとつだという。

カクテルへの飽くなき探究心が新しい扉を開く

北條さんがバーテンダーを目指したきっかけは高校生の時。

スーパーのコーヒー売り場でアルバイトをしていたが、隣が酒売り場だった。人手が足りず、お酒を買いに来たお客さんの対応を手伝っているうちに次第に詳しくなり、北條さんの説明のおかげで、お酒の売上も伸びたという。

もっと知りたくなってカクテルの本を買って読み漁っていたら、すっかりハマってしまったそうだ。

「当時、自分は絵が得意で、美術のコンテストでグランプリを取ったんです。それである美術大学に進学できる特典もあったのですが、学校の勉強はあまり好きじゃなくて気が進まなかった。お酒と出合い、カクテルは絵の具と一緒だと気付きました。大人の飲み物で美術の表現ができる。背伸びもしたい年頃ですし、バーテンダーという職業に大きな魅力を感じたんです」

「勉強は好きじゃなかった」という北條さんだが、お酒やドリンク、それにまつわる知識はまるで学者や研究者のように詳しい。

カクテルの話をするときも、原材料やつくり方だけでなく、その歴史的背景やどんな人物が携わっていたかなど、深遠なる専門的な世界をスラスラと明確に詳細に説明してくれた。

バーの脇にあるベランダでは、ドリンクの素材になる多様な植物を栽培しているほどだ。

「昔から、興味のあることにはとことんハマりやすい性格かもしれません。幼少時は怪獣が大好きで、ほかのことはサッパリなのに、怪獣の名前だけは全部覚えていましたから(笑)」

北條さんは1990年代当時、大全盛だったフレアバーテンダーの技術を極め、数々の賞を受賞。審査員として世界中を巡っていたこともある。現在は(社)全日本フレアバーテンダーズ協会で、名誉会長を経て名誉相談役を務めるなど、バー業界のために多方面で活動している。

また「横浜ジン蒸留所」でつくられるクラフトジンを監修するなど、バー発祥の街、横浜を盛り上げる立役者の1人となっている。

北條さんが監修する横浜ベイブルーイングのリキュール “エッピンガー” シリーズ

「自分はお酒が好きな方ですが、カクテルの世界全体に興味があったので、ノンアルでももちろん美味しいものを提供したいという思いがありました。30年ほどバーテンダーをしていますが、モクテル(ノンアルコールカクテル)というジャンルが話題になり始めたのが20年くらい前でしょうか」

「これはもうしっかり向き合わなければと思いました。仕事で海外へ行く機会も多かったので、現地でモクテルに出合うことも多く、見つけたら注文して、どんな味でどんな配合なのかをメモし、世界中の情報を蓄積していました」

北條さんはカクテルの専門書を何冊も出版している。2004年より出した本にはモクテルのページを設け始め、第2弾、第3弾とシリーズで出版していた。そして2009年ごろの出版を目指した第4弾はモクテル専門で500種類ほど載せる本になる予定だったそうだ。

しかし時期尚早だったのか、モクテル専門書は企画段階で終わってしまった。北條さんはそのとき1000種類以上のモクテルレシピを既に収集していたという。

日本の芳香蒸留水の研究に没頭し、NEMAの誕生へ

ノンアルコールジンを手掛けることになったきっかけは、10年前の日本アロマセラピー学会との出会いだった。「健康」をテーマにした学会で、北條さんはお酒の入っていないミクソロジードリンクを発表した。

「当時、神奈川県では未病や健康寿命などのプロジェクトに力を入れていて、そことリンクできるような取り組みを模索していたところ、たまたま近所で知り合った医師にこのセミナーの依頼をいただき、学会に参加しました」

「ドリンクを摂取して脳波などのデータを取り、使われる素材の薬効効果を研究発表するような場でした。その時に素材のひとつのアイデアとして、ノンアルコールジンを発表したんです」

兼ねてより、アルコール、ノンアルコールに関わらず、美味しいドリンクを提供したいという思いを強く持っていた北條さん。これは本格的に商品にしてみたら面白いかもしれない、と思ったそう。

北條さんが考えたような方法でつくるノンアルコールのジンは、当時はまだ日本には存在していなかった。

「ノンアルコールジンは、芳香蒸留水(フローラルウォーター、ハーブウォーターなど)をブレンドしてつくります。かつて芳香蒸留水でカクテルを作ったことはありましたが、アロマのことは何も知らなかったので、それほど興味がありませんでした。学会をきっかけに、どんなものなのか調べ始めたら、次第に本腰を入れるようになりました」

アブサンの原料となる「ニガヨモギ」はバーの小さなベランダでも育てている

調べてみると、日本では江戸時代に日本古来のノイバラやキクを使って、主に化粧水のための芳香蒸留水が造られていたことがわかった。

北條さんは江戸時代の陶製の蒸留器である「蘭引」を手に入れ、実際に蒸留をしてみた。NEMAのラベルに描かれているのも、この蒸留器のイラストである。

江戸時代の陶製の蒸留器「蘭引」
NEMAのスタンダードとアブサンのラベルに描かれる「蘭引」。ラベルデザインは北條さん自身が手がける

芳香蒸留水の研究はここから本格的に始まった。

ゼロからのスタートで、コツコツと地道にボタニカル素材ひとつひとつの蒸留水を様々な方法でつくっては検証し、それを繰り返して膨大なデータをつくり上げていった北條さん。あらゆる可能性を考え、何度も配合を変えて試行錯誤し、4年かけて300種類ほどの蒸留水を完成させたという。

「素材は自然のものですから、フレッシュとドライでも全く違うし、同じ産地であっても季節やその年の気候で毎回変わってしまう。この経験から『これを何グラム入れたら絶対にこれができる』という考えはなくなりましたね」

「素材の特徴を隅々まで把握し、狙った方向に細かく調整するのは、結局今まで積み上げてきた経験が大事です」

京都、仁和寺の庭の桜で芳香蒸留水をつくったこともある。

桜が咲く春のわずかな期間、閉館後に特別にレジャーシートを敷かせてもらい、舞い落ちる花びらを集めたという。

京都、仁和寺の御室桜の花びらを蒸留してつくられたフローラルウォーター

日本には扱うのは難しいが興味深い素材がたくさんある、と北條さんは話す。

「例えば桜ひとつとっても、品種の違い、若い樹か古木か、香りを抽出する温度の違いなど、さまざまな条件でテストするのですが、同一品種を同条件で採取して蒸留したとしても、昨年の結果と今年の結果が異なっていたりします」

北条さんは、自身で研究を続ける中で、技術だけではなく植物や花など自然がもたらす素材と向き合う難しさを感じていた。

そんなとき、自社でバラを無農薬栽培し、八ヶ岳の天然水でローズウォーターをつくっている、前述のアサオカローズに出会った。

北條さんも実際にバラの蒸留を現地で体験し、そのクオリティの高さを確信。商品化へ大きく歩を進めることができた。そして2018年、ようやく世の中に日本初のノンアルコールジン「NEMA」を届けることができた。

アルコールもノンアルも、バーの多様な楽しみを広げていく

酒席で無理に酒を飲まされたり、付き合いで飲まざるを得なかったり、という状況は近年ではだいぶ減ってきたように思う。

ソバーキュリアス(Sober Curious=飲まないことに興味を持つ。お酒をあえて飲まない、少ししか飲まないなど、心身の健康を考えて自身で飲酒を選択し、その行動をポジティブに捉えたライフスタイル)という言葉も世間一般にだいぶ知られるようになってきた。

料理においてもガストロノミーの世界では、ノンアルコールのペアリングコースを出すレストランも増えており、シェフやソムリエ、バーテンダーなどの努力によって、アルコールだけでなく美味しいノンアルドリンクは次々と開発されている。

北條さんもNEMAの需要が年々高まっていることを感じているという。

「NEMAが完成した最初の頃は、ジンの代用というイメージで、あまりいい印象は持たれませんでした。しかしすぐ後にコロナ禍がやってきて、飲食業界はノンアル営業が必要不可欠になった。最初は仕方なく使っていただいていたのかもしれませんが、使ってみたら意外といいねって、その良さに気付いてくださったんです」

「バー以外だと、いまは外資系ホテルやラグジュアリーホテルなどでご利用いただいていることが多いです。ちょっと珍しい、おしゃれな飲み物として、アフタヌーンティーのフリーフロー(時間制の飲み放題)に加えていただくこともあります」

NEMAは比較的使い勝手がよく、常温で保管が可能であり、開栓してからも劣化の心配が少ない。香料などを使うより、自然のボタニカルを蒸留した方が品質も良く、保存性も高いそうだ。

北條さんは、現在は定番シリーズのレシピ開発などに力を入れ、もっと多様なシーンでのNEMAの展開を模索している。

北條さんに、バー業界の今後の展望などについても訊ねてみた。

「僕の中では一周して原点回帰、オーセンティックなスタイルに注目しています。流行りものは自分もひと通り探求しましたが、例えばフレアバーテンディングは運動神経が良くないと難しいですし、ミクソロジーもクリエイティブな感性が重要。これらは誰でもできるというわけではないので、業界全体を盛り上げにくい部分もあると思います。ただ、オーセンティックなスタイルだと、みんなが取り入れて盛り上げていける気風がある」

「今後は、オーセンティックなバーが大きな流れになっていくんじゃないかと感じています。そのために、より良いカクテルをつくるベースのスキルアップや、これまでにない新しさ、オリジナリティを感じてもらえるリキュールなど、素材づくりにも力を入れているところです」

取材の終わり、北條さんが自作の温かなハーブティーを淹れてくれた。

ミントやバラ、エルダーフラワー、カモミール、ラベンダーなどが入った、穏やかなフローラル香と優しい柔らかな味わい。自身の体調管理のためにつくっているとのことだが、北條さんの壮大な探究心のかけらが垣間見えた。

「嗜好は日常の中で必要なことであり、その世界をもっと広げたら、想像を超える思いがけないところへも辿り着けるんじゃないか」そう、北條さんはいう。

嗜好の探求、その楽しみは、まだまだ先が見えないほど果てしなく深い。

Non-Alcoholic Gin NEMA 0.00%

Cocktail Bar Nemanja 

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Author
フード・クラフト・トラベルライター

フード・クラフト・トラベルライター。企業や自治体と地域の観光促進サポートなども行う。 著書『青森・函館めぐり クラフト・建築・おいしいもの』(ダイヤモンド・ビッグ社)、『山陰旅行 クラフト+食めぐり』『酔い子の旅のしおり 酒+つまみ+うつわめぐり』(マイナビ)等。旅先での町歩きとハシゴ酒、ものづくりの現場探訪がライフワーク。お茶、縄文、建築、発酵食品好き。

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編集者

お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。

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