同居人のちょっとした言葉やしぐさが、気に障る。他人との距離や声の大きさが気になって仕方がない…..。

親しい友人と楽しく食事することすらままならないコロナ禍を経験して、「息が詰まる生活」を実感した人は多いだろう。もし「自分はもう慣れたよ」と平気な顔をしている人がいたら、気にかけてあげたほうがいいかもしれない。

極地建築家・村上祐資(ゆうすけ)さんによると、人は「気になるフェーズが過ぎると、自衛手段として鈍感化する」そうだ。その先に待っているのは、“なにかしら”の予兆に気づけなくなる状態。小さなことならいいが、取り返しのつかないほど精神的にダメージを受けてしまう可能性もある。

終わりの見えないストレスフルな日々の中で、ちゃんと「休息する」ためには、どうしたらいいのだろう? この話を聞くなら、彼ほどの適任者はいない。

Photo:Yusuke Murakami

村上さんは、南極観測隊員として昭和基地に15カ月間滞在、火星居住実験「Mars160」では模擬火星基地にのべ160日滞在するなど、これまで約1000日間、閉鎖空間で過ごした経験がある。

端的にいえば、人間にとって最もストレスフルな状況での生活を知る男だーー。

文化も習慣も違う仲間と、閉鎖隔離空間で160日間の“ステイホーム”

村上さんは建築家として「暮らしに本当に必要なもの」を知るため、余分なものがそぎ落とされる極地に足を運んできた。そんな人は、世界でも珍しい。なかでも、2016年にアメリカの砂漠で80日間、2017年に北極圏デボン島で80日間、計160日間にわたって行われた火星実験生活「The Mars 160 Mission」は、ユニークなプログラムだ。

航空宇宙技術者のロバート・ズブリン氏が設立した「火星協会(The Mars Society)」が主催した「Mars160」は、人類が火星に到達してから初期の80日間の生活で起きる問題点を洗い出すことがミッション。

Photo:Yusuke Murakami

副隊長として参加した村上さんは、アメリカ、ロシア、カナダ、フランス、インド、オーストラリアの男性3人、女性3人と、直径8メートルほどの筒状の2階建ての実験スペースで、共同生活を送った。個室は、就寝時に横たわる程度のスペースしかなく、シャワーを浴びられるのは週に一度。しかも設定は火星空間だから、生活は基本的に全員が“ステイホーム”だ。

文化も習慣もまったく異なる7人が、狭くて不自由な空間で160日を過ごすことを想像してみてほしい。アメリカやロシアでも同様の実験が行われたが、その多くが人間関係の壊滅的な悪化により、失敗に終わった。なかでも「成功した」と評価されているのが、「Mars160」。副隊長を務めた村上さんが、「日本で一番火星に近い男」と呼ばれるゆえんでもある。 

もっとも怖いのは、平時の「鈍感化」

南極でも火星実験生活でも、映画のような事件や事故はめったに起きない。万が一発生したときは、「有事」としてクルーが団結して解決にあたる。

村上さんがもっとも恐れるのは、平時のコンフリクト(相反する意見や態度が衝突することで生じる集団の緊張状態)だという。

「例えば、7人のクルーがいて、ひとりだけが問題だと思っていることがあるとします。でも周りの人は気づいていなかったり、問題点を理解できなかったりすると、ひとりが過敏になって浮いてしまう。自分はうまくいっていると思っている人が、実は誰かに負担をかけていることもあります」

家庭でも、職場でもありそうな認識のギャップ。なるべく早く捉えることが必要だが、問題になるのが先述した「鈍感化」だ。

普段の生活は、小さな刺激に満ち溢れている。人はほかの人や物にぶつからないように気をつけながら、スマホを片手に移動している。その間、脳はとんでもない量の情報処理を同時に行っているわけだ。

一方、「Mars160」のような閉鎖隔離空間は刺激が極端に少ない。すると情報処理能力を持て余した脳が、普段なら気にならない物音や人の些細な言動に過敏に反応するようになってしまう。それがストレスとなり、揉めごとの種となる。だがいちいち態度に表して揉めるのは避けたい。だから感情の波を無理やり抑えることで「自衛手段としての鈍感化」が始まる。

その鈍感化を加速させるのが、閉鎖隔離空間だ。

「同じクルー、同じ部屋、同じ時間の流れが続くと、どんどん鈍感になります。例えばクルーの姿が見えなくなっても、気づかない可能性も出てくる。同じ生活リズムだと、いなくてもそこにいる気がしてくるんです。感情が鈍磨すると、クルーの体調の変化にも、誰かの怒りが爆発する予兆にも気づかなくなってしまいます」

そこまで極限的な状況に陥らなくとも、長いステイホームにおける感情の過敏化、その後の鈍感化は、誰に起きてもおかしくないメカニズムだ。

村上さんが設計を手がけ2021年8月に誕生した「DAN DAN DOME」。効率重視の「FAST & LIGHT」なテントでは削ぎ落とされてしまう「SLOW(ゆっくり) & STABLE(しっかり) & NEIGHBOR(むきあう)」という要素を拾い集めて開発した、捨てられるダンボール製テント。災害時の避難所や、アウトドア、商業施設、アーティストとのコラボレーションなど、使い方やシーンは無限の可能性が広がる。

「6割、7割の力でできること」が自分の能力

誰かひとりでも感情の爆発が起きてしまうと、その場ですぐに対応しなければいけないため、できる対処は限られてしまう。手のつけられない状態になる前に火消しをするには、なるべく早くチーム内の不満や苦痛の種を見つけ出し、ガス抜きすることが大切だ。

村上さんは「人間は一人ひとり違うから意見の相違は当たり前。問題が起きたほうが健全だと思う。適切なケンカはむしろあるくらいのほうがいい」という。

しかし、度を越したケンカはご法度で、その加減は難しい。自分も過敏、鈍感になる環境に身を置きながらチームに目を配るのは簡単なことではない。村上さんは、どのように対応したのか?

「みんな最初に頑張りすぎて、後半に無理が出てくるのがお決まりのパターンです。だから僕は初日から普段のペースを守るようにしています。あいつマイペースだなって思われるぐらいがちょうどいいですね。120%の力でできることは能力とは言いません。6割、7割の力でできることが自分の能力なので、それをキープします

パジャマ姿が「オフモード」の記号 

余力を残して自分を一定に保つためには、オフの過ごし方が重要だ。

閉鎖隔離空間では、生活と業務の場所が同じであるため、時間の区切りが作りづらい。その日、自分がすべき仕事がようやく片付いたタイミングで「村上、これをやってくれないか」と話しかけられることもある。

相手はこちらの仕事が片付いたことを知らないので仕方がないのだが、ついイラっとしてしまうこともある。ボタンの掛け違いが続くと、導火線に火がついてしまう。

そこで村上さんが編み出したのは「めちゃめちゃオフモード」を出す技術。

「なにかを頼まれてから断ると角が立つし、ほかの人が仕事をしているのにオフだと宣言するのも気を遣います。だからオフであることが自然に周囲に伝わるテクニックが重要。もっとも簡単なのは服装です

「初日から寝る前にパジャマを着るようにして、休日はパジャマを着てうろうろする。それが潜在意識に刷り込まれると、『村上がパジャマを着ているときはオフなのだ』と周囲が認識するようになります」

国際色豊かなメンバーでも、パジャマを着ている人に仕事を頼むことはめったにない。パジャマというシンプルながら世界共通の非言語コミュニケーションがもたらす効果は抜群だ。誰にも気兼ねなく休む時間があるからこそ、リスクの芽を早いうちに摘むことができるのだ。

「扱いづらいカメラ」で日々を記録する 

一眼レフのカメラとレンズも、村上さんの数少ない荷物のなかに必ず含まれるという。

オンの時間に撮る記録としての写真、オフの時間に撮る写真。常にカメラを手元に置いてどちらも撮っているようにしている。あえて「じゃじゃ馬なカメラ」を持参し、撮るためにカメラに自分を合わせる。ズームレンズは使わず、アップの写真は自分が被写体に歩み寄る。

村上さんは、「記念撮影が好きなわけではなく、撮った写真はほとんど見ない」というが、なぜ撮るのか?

「常にカメラを持っていることで、もし極地でなにかが起きたときでも、当事者とは違う客観的な視点を持っていられるんです。例えば、クマが出てきたとして、戦う・逃げる以外の“うかがう”視点を持てるか。それに、極地では効率やスピードが優先されるからこそ、ちょっと扱いづらいものがそばにあることが自分にとって大切なんです」 

極地生活に欠かせない「日本語の曖昧さ」

オフタイムに村上さんは持参した本を読む。ミッションでは荷物の量も限られるため、多くて5冊程度。じっくりと吟味して選ぶが、毎回「これじゃなかった」と後悔しながら同じ一冊を何度も読む。

その一冊は、どんな本かたずねると、村上さんは少しテレたように笑った。

「星野道夫さんの本を一冊持っていくと、ハズレはないですね。また星野さんに頼っちゃったみたいな。星野さんの文章は読み手にゆだねている余白が多いんです。読み飛ばしもできるし、時間をかけてじっくり読むこともできる。だから何度読んでも、そのときの心境によって、受け取り方や読むスピードが変わる」

国際ミッションのとき、本を読みながらじっくりと日本語の世界に浸るのは、村上さんにとって大切な時間だ。チームで共通言語として使用する英語は、主語が明確で日常にグレーゾーンがなくなるからだ。

一方で、英語を使うことで「鈍感になる」と村上さんはいう。他人の役割と距離が生まれ、必要以上に関心を持たなくなるからだ。そうなると、多大なストレスを感じているメンバーがいても、気づかずに見過ごしてしまうかもしれない。英語で過ごしていると、責任の所在が明確な世界に慣れてしまう。

だからこそ村上さんは日本語の本を読み、他者に気を遣い場の空気を読んで、曖昧なことを想像する文化を再確認するのだ。

極地における「食糧」「食事」「食卓」の違い

本やカメラが村上さんの内面を豊かにするものだとしたら、クルーと過ごす食事とお茶の時間はどんな位置づけなのだろうか? 

村上さんは、味も楽しみもない単なる栄養補給を「食糧」、時間と空間の豊かさが出る個人的な行為を「食事」、時間と空間の豊かさに加えて集団の要素が入ると「食卓」と言い表す。

「極地遠征隊は、それぞれやらなければならないことが多いので、手軽に栄養補給できるもので済ませがち。だからこそ、仕事の手を止めてみんな同じ時間でご飯を食べる暗黙の了解があります。食卓を囲んで会話をすることは時間と空間の彩りになるだけじゃなく、異文化との接点でもあるし、相手を理解するための重要な時間ですね」

Photo:Yusuke Murakami

食糧で栄養補給をすれば効率は上がるが、クルーで会話する時間が1日に3度失われることになる。それが160日になれば、480回。時間にすれば膨大だ。日本の南極基地でも、火星実験生活でも、食事の時間はみんなで席に着き、一緒に食べる。

極力無駄なことは排除する極地の生活で「食卓」を囲む時間が確保されているのは、それだけ価値があるということだ。

極地における「お茶の時間」の力

そして、極地におけるお茶の時間は「食糧と食事の間、そして食事と食卓の間をカバーしてくれるひととき」だ。

ひとりで行動する冒険家も食糧だけでは限界があって、お茶を飲むことで一息つくことができる。チームであっても、忙しくて個別に食事をとった場合、お茶の時間に集えば食卓の補完になる。

「なによりお茶のすごいところは、『お茶しませんか?』と誘ったとき、その行為に『ノー』と言われる可能性が限りなく低いことです。『あなたとは嫌だ』、『今は難しい』はあるかもしれませんが、お茶を飲む行為を拒否する人はいないでしょう。僕の経験では、極地に行けば行くほど、『ノー』がでない提案って難しいんです(笑)」

極地は、命の危険にさらされる可能性が高い。そのため、極地で活動する人たちには、体力的にも頭脳的にも優れた能力を持つ人たちが多く集まってくる。

全員がパワフルなのだが、村上さんいわく「みんな優秀なアクセルを持って集まるけど、ブレーキがない」。そのメンバーを束ねる役割を担ったとき、お茶の時間は、ときに大きな意味を持つ。

「極地では、それぞれのメンバーが『頑張る』ことを考えがちですが、メンバーを頑張らせる方法はいくらでもある。でも、止めることや待たせることが難しい。なにもしなくていいという指示を出しても、行動的なメンバーにとって何よりつらい時間になります」

「そんなとき、お茶の時間は自然なブレーキにもなるし、ハンドルを効かせることもできます。一見無駄な時間だからこそ、普段は表に出ないメンバーの素顔やチームの個性が見えたりするし、なにかしらの予兆を感じることもある。だから、僕にとって『お茶しない?』はキラーフレーズですね」

ストレスフルな日々を生き抜くために

極地における村上さんの1000日間は、一般人の想像が及ばない体験の連続に違いない。しかし、「他者とともに生きる」という人の暮らしを突き詰めたその濃密な時間は、制限を余儀なくされた社会を生きる僕らにもヒントを与えてくれそうだ。

村上さんによると、任期の半分を終えて折り返すと、メンバーたちの力も抜け、気が楽になっているのがよくわかるそうだ。コロナ禍においても、終わりの見えないことがストレスの一因なのかもしれない。

・うまくいっているように感じるときこそ、負担を感じている人がいないか思いを馳せる。
・敏感になったり、鈍感になったりする、自らの変化を意識する。
・頑張りすぎず、余力を残す。
・「オフタイム」を充実させるアイテムを持つ。
・なるべく、食糧ではなく食事をとり食卓を囲む。
・お茶の時間は、チームのブレーキにもハンドルにもなる。

ここにあげたポイントを意識したら、少しは「息が詰まる生活」が過ごしやすくなるかもしれない。でも、完璧を求めてはいけない。

閉鎖空間のエキスパートとして「休息」の極意を体得している村上さんに、「ステイホームの生活で家族とケンカしたりしないんですか?」とたずねたら、「いやいや、それなりに怒られますよ」と笑っていた。

極地生活を経た村上さんも、やっぱり普通の人なのだとわかって安心した。

写真:江藤海彦

Share
Share
  • 著者:
    川内イオ
    1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、企画、イベントなどを行う。稀人に光を当て、多彩な生き方や働き方を世に伝えることで「誰もが個性きらめく稀人になれる社会」の実現を目指す。
  • 編集:
    川崎 絵美
濁流のように去りゆくこの時間を、心が溶けるひとときに。