興味はあるのに、どこか敷居が高いと思えてしまう「香り」の世界。
うまく取り入れることができたら、自分の暮らしがもう少し豊かになるのではないか。そんな静かな期待をもって訪れたのは、家の香り(ホームフレグランス)の調香体験ができる「kako-家香-」だ。こちらでワークショップを体験するとともに、kako-家香-を立ち上げた茂田正和さんに、kako-家香-で調香体験を提供するねらいや、香りを暮らしに取り入れることが何をもたらしてくれるのかを聞いた。
訪れたのは、センシティブスキンケアライフスタイルブランド「OSAJI」が、2021年夏にオープンさせた「kako-家香-」。ホームフレグランス調香専門店だ。
店舗のある東京・蔵前は、かつては職人が集まる街として栄えた。蔵前という地名は、江戸時代に幕府の米蔵があったことに由来する。下町の雰囲気を残しつつも、現在は感度の高い人たちが集うカフェや雑貨店が続々と出店し、新しい街の表情を見せはじめている。
香りを立体的に捉えて、アート作品のように楽しむ調香体験
「kako-家香-」では、オリジナルの12種類のブレンドエッセンシャルオイルが、揮発速度の違いにより「トップノート」「トップミドルノート」「ミドルベースノート」「ベースノート」の4つのカテゴリーに分けられている。そこから各1種類を選んで組み合わせることで、自分だけのルームフレグランススプレーやエッセンシャルオイルを作ることができるのだ。
「OSAJI」のディレクターで「kako-家香」を立ち上げた茂田正和さんの香りの提案が興味深い。
「アート作品のように、香りを立体的に捉えて楽しむ体験をしてほしい。それが、ルームフレグランス調香体験のワークショップをはじめた理由のひとつです」
「家紋のような存在なんだけれど、変化をしながら代々受け継いでいくような香りがあるといいなと思いました。誰もが本能的にそういう香りを求めているんじゃないかという気がしたんです」
「アート作品のように」香りを楽しむとは、いったいどういう体験なのだろうか。
目の前にずらりと並んだエッセンシャルオイルを、ムエット(試香紙)に染み込ませて、深呼吸とともに香りを身体に取り入れる。そうすると、いまの自分にとってしっくりくる香りがどれなのかが自然とわかる。
そうやって自分が心地いいと感じる香りを4種類選んで組み合わせを決めた後に、実際にオイルをガラス容器の中に同量ずつ垂らしてブレンドしていく。
エッセンシャルオイルをドロップする順番や、たった1滴の量の差でも、香りが大きく変化する。自分の感性が、家の香りに反映される。確かに……これは立体的なアート体験である。
なるべく心を無にして調香していると、高揚感を感じながらも精神が安定してくるような感覚になった。
12種類のエッセンシャルオイルのブレンドが秀逸で完成度が高いだけに、それらの重なりがどのような変化をもたらすのかを考えながら調香していくプロセスは、クリエイティブで、普段は眠っている想像力や好奇心が掻き立てられる。
茂田さんは、「香りを楽しむときに、身体や心へのホリスティックな効果があるとか、あまり考える必要はないと思います」と語りかける。
「食べ物もそうですけど、身体が必要としているものを美味しいと感じる。香りも、いい香りと感じられる自分の感覚にどれだけ素直になれるかが大事。もちろん、私たちは商品開発で効果について考えますが、使う人はそこまで考えなくていいのではないでしょうか」
ここで調香した香りは、シリアルナンバーがつけられ、リピート注文することができる。ただし、一度作ったらそれで終わりではない。
年齢や体調の変化に応じて「自分が求める香りは、常に同じではない。変わっていくのが自然」という「kako-家香-」のコンセプトのもと、ライフステージや体調、気分の変化に合わせて気軽に調香し直すことができるのも魅力だろう。
欧米は周りの人、日本は自分のための香りを求める
そもそも、欧米では、香水をつけるときに“他の人”に向けて香らせるが、日本の香りの楽しみ方はそうではないと茂田さんは語る。
そのことも、ルームフレグランスに着目したひとつの理由なのだとか。
「海外の人と日本人の香りの楽しみ方は違うんです。海外の人は、ほかの人に向けて香らせる。体臭を含めた自分の体から発せられる香りを、フェロモン、魅力と捉えていて、いい香りとして捉えるために香水を取り入れて、ほかの人に向けて香らせるんです」
「一方で、日本人は自分に香らせる文化なんです。たとえば、着物の帯に忍ばせておく香袋とかね。自分の帯元から自分の鼻に香りが上がってくる。自分の気持ちのリラックスのために香らせるという捉え方なんです」
日本では、自分のメンタルを落ち着けるために、香りを取り入れてきたことがよくわかる。
日本人の場合は常に香らせたいわけではないのだ。その日によって、香ってほしいときと、香りを切りたいときがあり、家の香り(ルームフレグランス)ならそれが表現できると茂田さんは考えた。
調香の仕方によって、香りを軽くすることも重くすることもできる。
「ここで作ったルームスプレーは、家で使うだけでなく、白い衣類以外になら上着など洋服にもつけられます。もし外で香りを切りたくなったら服を脱げばいい」
この話を聞いた後、完成したルームフレグランスを香ってみて安心した。自分が調香したのは、誰のためでもない、自分が心地よくなるための香りだった。
なお、トップ、トップミドル、ミドルベース、ベースという4つの香りが合わさったときに起きる変化を体験をすると、「百貨店の香水売場でも、香りの感じ方が変わる」と茂田さんは語る。
「この香りを作った人は、どんなことを考えて作ったのかと想像したりしながら香りを楽しめるようになる。そういう捉え方をしている人は少ないと思います。自分で調香体験をしてみることで、もっとアーティスティックに香りを捉えることができる。あたらしい豊かな時間が生まれると思います」
嗅覚がリセットされる朝こそ、香りを楽しむ時間に
茂田さんは、この1〜2年でとても早起きになったそうだ。それまでは10、11時だった起床時間が5時に変わった。いまは自律神経を整えるために、朝の時間を大切にしているという。
「最初の緊急事態宣言が出た2020年3月頃、すごく不謹慎なことをいいますが、劇的な日常の変化になんだかワクワクしてしまって、早く起きるようになっちゃったんです」
「朝は5時に起きて、30分ほどまどろんで、まず掃除をする。掃除機は好きじゃなくて、ハタキをかけてワイパーをかけて、時間があれば水拭き。寒くても窓は全開。終わってお香を1本焚いて、コーヒーを飲むというのが僕の毎朝のルーティン。こんな暮らしをしていたら、朝の嗅覚が違うことに気がついたんです」
夜になると香りの感覚が濁り、純粋に香りを捉えられないと感じた茂田さんは、嗅覚や味覚がリセットされる朝のひとときに、調香の仕事をするようになったのだとか。
その経験から、敏感に香りを感じられる朝の時間に、フレグランスを楽しむことを薦めているそうだ。そうすれば、心地よく一日をスタートさせることができるという。
「一連のルーティンを終えた後、8時くらいまでに前日届いていたメールをチェックして、判断して返信したりすると、その日やらなければいけないデスクワークが終わるんです。6時から8時くらいが一番頭が冴えているから仕事も速い」
「そうすると、街が動き出す頃には、出かけて人と会って話すことに時間が使えます。僕はとにかく人が好きなので、人と話す時間がなくなったら自分のポジションがわからなくなってしまう。人と会う時間が僕にとって、いちばんのチルな時間です」
疲れたときには日光を浴び、森の空気を吸うことで心が整う
もともとOSAJIは、茂田さんが母親の肌荒れを治したいという思いから始めたブランドだ。茂田さんが20代前半のころ、交通事故にあったショックで全身に湿疹ができ、化粧品が使えなくなってしまった母親のために化粧品を作り始めた。
「母は化粧品が好きだったので、交通事故や湿疹ができたショックよりも、化粧品が使えなくなってしまったことがショックだったようです。ある日、『カズは料理が得意だから化粧品も作れるんじゃない?』となんの根拠もなく言った母の言葉を間に受けて、自宅のキッチンで化粧品作りを始めました。それがOSAJIのルーツなんです」
コロナ禍のステイホーム生活が長引いたことで、肌が敏感になったという相談が茂田さんのもとに多く寄せられるようになった。
「家にいる時間が増えて日光を浴びなくなったことにより自律神経が乱れる人が増えた。それが、敏感肌の人が増えたことと関連しているのではないかと思います」
「僕も実はメンタルがそれほど強い人間ではありません。でも、群馬の自宅にいるときには、ちょっと体調が悪くなったなと思うと、車で少し走って森の中を歩き、深呼吸して森の芳香成分を吸うんです。そうすると心が落ち着きます。群馬の自宅は朝から太陽の光が家中に差し込むような作りになっていて。毎朝早起きして太陽の光を浴びていることも、自律神経を整えることに役立っていると思います」
超敏感肌の人にとっては、香りが刺激になってしまうことがあるため、これまでOSAJIでは香りの研究をしていなかったが、自身の体験から香りの重要な役割には気づいていたのだそう。
敏感肌の人の場合は、スキンケアに香りが入っているものは使えないが、一方で、香りをホリスティックな考え方で取り入れたいという要望もあった。
ルームフレグランスであれば、香りの作用を自然に取り入れることができる。現在のような先の見えない不安を抱える時代だからこそ、香りが心を整えてくれることに期待する人も多いのだろう。そういった背景もあってか、「kako-家香」のワークショップは、週末はほぼ予約で埋まっており、地方から訪れる人も多いという。
ポジティブな逃避の時間は料理。でも楽しいことは「腹八分目」
群馬の本社と東京の店舗を行き来しながら、忙しい日々を送る茂田さんが大切にしている“ポジティブな逃避の時間”について聞いてみた。
「ストレス解消は友人や家族のために料理を作ること。化粧品を作る発想も、誰かのために。僕は対象の誰かがいて、その人のために作るというのがすべてなんです」
「料理も、その人が食べたいものをいちばん大事に考えて、レシピは見ずに、すごくオーセンティックなものを作ります。地方出張で立ち寄ったグロッサリーコーナーで見つけたお醤油やみりん、お酒などを使って。人工調味料は使わず、オリーブオイル、塩、調味料系は値段じゃなく、いいものを選んで」
「何かを作るときは、必ず誰かのため。だからアーティストにはなれない」。そう語る茂田さんだが、「楽しいことはいつも腹八分目」と言って笑う。
「人と会ってもだらだら長時間呑まないようにしています。6時から呑み始めたら、9時くらいにはもう楽しい話は出尽くしている。それを過ぎてまだ居ると、次に会うときに新鮮な楽しさがなくなる、という感覚が僕の中にある。ちょっとつれない人だねと思われるかもしれないけれど、絶対その方が次もまた楽しいって思えるんです」
五感を大切にして、実際に人と会う中で感じられる繊細さや体験を大事にする。そして、目の前の大切な人のために何かを創る。
「OSAJI」や「kako-家香」は、そんな茂田さんだからこそ生み出せたのだろう。
ルームフレグランスの調香は、人と人の触れ合いが薄くなりバランスを失った世の中で、人間らしい時間を取り戻すためのひとつの提案なのかもしれない。
写真:西田香織
編集:相馬由子、笹川ねこ
ライター、ビューティープランナー。ルミネtheよしもとにて、吉本新喜劇の女優として活動する傍ら、小学館『美的』で美容ライターとしてデビュー。長男出産後に、ベビーマッサージ講師の資格も取得。TVショッピングQVCでは、化粧品会社アルマードのPRとしてゲスト出演中。特技は中国語(HSK5級)。
合同会社ディライトフル代表。1976年、埼玉県秩父市出身。早稲田大学第二文学部在学中より、制作会社にて編集者、ライターのアシスタントとして雑誌などの制作に携わる。2004年よりリクルートにてフリーマガジン『R25』の創刊に携わり、編集を担当。2010年に独立し、雑誌、書籍、ウェブメディア、企業や自治体が発行する冊子、オウンドメディア等の企画、編集を手がけている。
『DIG THE TEA』メディアディレクター。編集者、ことばで未来をつくるひと。元ハフポスト日本版副編集長。本づくりから、海外ニュースメディアの記者まで。企業やプロジェクトのコミュニケーション支援も。岐阜生まれ、猫好き。