装備や食糧をできるだけ持たずに、長期間単独で山を歩く“サバイバル登山”という独自の登山スタイルを30代で確立し、実践してきた登山家の服部文祥さん。
“自分の力”で自然の中を生き抜くことにこだわり、やがて狩猟や、廃村での自給自足の生活に辿り着いた登山家は、“生きる”ことをどう捉えているのか。心身のパフォーマンスを保つために大切にしている時間とは何か。
その思想と実践、そして現在地について聞いた。
意外に「めんどくさい」裏山のタケノコ掘り
斜面に建つ自宅の庭から、細い道を歩いて裏山の竹林に入っていく。
「ここに隠しておいたんだ」という鍬(くわ)を手に持った服部文祥さんは、竹林をざっと見渡し、地面からちょこんと頭を出した竹の新芽を次々と見つけていく。
「こんな都会の街なかにも、食えるもんがけっこうあるんだよね。この時期ならタケノコ、フキ、ノビルとかさ」
タケノコを壊さないように周りの土を掘ってから、一気に鍬を入れ、テコの原理で引き抜く。
慣れた手付きでタケノコを掘る服部さんと一緒に鍬を振ると、30分ほどで両手では抱えきれない量のタケノコが採れた。
気づけば、手は土にまみれ、背中は汗でびっしょり濡れている。
「タケノコ掘りって意外にめんどくさいでしょ。でも、それが生きるってことなのかも」
服部さんはそう言って笑った。
自然とフェアに対峙するサバイバル登山というスタイル
1969年に横浜市に生まれ、東京都立大学ワンダーフォーゲル部への入部をきっかけに本格的な登山を始めた服部文祥さん。
世界第2の高峰K2の登頂や冬の黒部横断など、先鋭的な登山を重ねてきた服部さんが、サバイバル登山を実践するようになったのは2000年のこと。
サバイバル登山とは、装備や食料をできるだけ持ち込まず、自給自足で長期間山を歩く登山スタイルだ。持参する食料は、最低限の米と調味料、茶のみで、携帯電話はもちろん、テントやライト、時計、燃料も使用しない。
沢の水を飲み、渓流で魚やカエルを獲り、道なき道を歩き、焚き火をおこして眠る。
服部さんが目指すのは、いわば一匹の動物として山に分け入り、自然環境のなかを旅するような山行。
そのスタイルは、整備された登山道を歩き、テントや山小屋に泊まるトレッキングとも、最先端のギアを駆使して急峻な山岳を登攀するアルパインクライミングとも一線を画している。
「“自分の力”で肉体を山の上に持ち上げて、肉体をまた下ろす。その過程すべてを楽しむことが自分にとっての登山の喜び。ただし、現代社会では、文明品や整備された登山ルートなど“他人の力”が多すぎて、“自分の力”でフェアに自然と向き合うのが難しい。そこをどうにかできないかと考えて行き着いたのがサバイバル登山でした」
サバイバル登山というスタイルの背景には、フリークライミングの思想があるという。
フリークライミングとは、人工的な道具に頼らず、自分の手足だけで岩を登る行為。自著では「ズルをしないで登る」と繰り返し表現しているが、“他人の力”をできるだけ排除することで、服部さんは登山の純度を高めてきた。
自然環境の変化がもたらす“ライブ感”の意味
これまで服部さんは、日本アルプスや北海道、東北の山々など、数多くのフィールドでサバイバル登山を重ねてきた。1回のサバイバル登山の期間は、1週間〜10日ほどだ。
「実際にサバイバル登山をやってみたら、やっぱり面白かった。実は、何も持たずに山に入って1週間滞在して生きて帰ってくるのは、そう難しいことではないんです。屋根を作って、焚き火をおこし、寝ていればいいわけだから。ただ、そこに移動や登山という要素を入れて“旅”にすると、難しくなり、格段に面白くなる」
「山の中を旅していると、予測できない環境の変化やさまざまなリスクが次々と降り掛かってくるから、その刺激に反応して脳内快楽物質が出るんだと思います。一言でいえば、ライブ感があるっていうのかな。ライブ感はものすごく重要で、生きるってこととほとんど同義だと自分は思ってる」
もちろん目の前に現れる環境の変化が、自身の生命を左右することもある。服部さんは、山の中では常に「死ぬかもしれない」リスクと対峙しながら、それでもサバイバル登山を続けてきた。
「目の前にリスクの高い岩壁があったとき、さっさと登って終わらせたいと思う一方で、『ここで吹雪いてきたらヤバいな』とワクワクしている自分がいる。もちろん危険な状態にならないように行動するんだけど、どこかで自分が全集中の状態に追い込まれることを期待しているところはある」
「サバイバル登山に限らず、冒険的な登山の多くは、計画段階では、不可能だと感じるくらい理不尽でちょっと理屈が通っていないことが多い。滑落しそうな岩壁によじ登ったり、厳冬期の山をわざわざ少ない装備で歩いたり……。どう考えてもおかしいでしょう」
「それでも山に入ったら、できるだけ合理的に行動して、不合理な計画の実現を目指す。登山には、そんな大きな“矛盾”が隠されているんです。遭難しに行って、遭難しないで帰ってくる。それが、面白い」
心身のパフォーマンスを保つ”快楽”の効能
肉体的にも精神的にも大きな負荷がかかる山行で、前向きに自分の心を保つことは簡単なことではないだろう。ときには、常に強張った心身を解きほぐすようなリフレッシュの時間も必要に違いない。
実際、服部さんは山にいるとき、朝起きたときと1日の行動の終わりに、チャイを飲むことが多いという。
「サッカーやラグビーなどのスポーツと違って、登山では基本的に100%の体力を使い果たすことはないんです。経験も技術も知識も気力も、すべて体力の上に成り立っているので、体力が尽きることは死に直結してしまう。だから登山では、80%ぐらいのパフォーマンスを長時間にわたってキープすることが大切」
「そのためにも、いかにリフレッシュするかは、非常に重要な問題です。寝ること、焚き火をすること、お茶を飲むこと、調達した食材を美味しく食べること。自分が快楽を感じることは、できるだけ大切にします」
たとえお茶のようにカロリーがないものだとしても、「摂取することで気持ちが前向きになったり、快楽を感じられたりするなら、そこには生命体として何かしらの意味があるはずだ」と服部さんは言う。
ただ、サバイバル登山においては、快楽の“効率性”は重要なポイントになる。
「たとえば、5分で寝床を整地できるならやったほうがいいけれど、地面をならすところから始めて何時間もかかるなら、多少寝心地が悪くてもすぐに寝たほうがいい。果物を食べたくなっても、採取するための時間やリスクが大きければ、採りには行かない」
サバイバル登山では、常に労力と効果のバランスや効率性が大事で、そこには己の技術や知識が関わってくる。
「火をおこす技術が高ければ、焚き火という快楽を得るための労力は少なくなるし、釣りも山菜採りも然り。自然環境の中でできる限り効率的に自分の肉体を維持していくためには、技術や知恵・知識が必要。それは、生きるってことそのものなのかもしれないですね」
生き物を殺して食べることがもたらした“混乱”
30歳の頃からサバイバル登山を重ねてきた服部さん。米と最小限の調味料しか持ち込まない山行で直視したのが、「生き物を殺して食べる」行為だ。
「それまでも釣りはしていたけれど、自然のなかで自分が生き延びるために他の動物の生命を獲ったことはなかった。初めて山奥の沢で大きな岩魚を釣り上げたときは、いろんな感情がわっと押し寄せましたね」
「自分がサバイバル登山にこだわらなければ、この岩魚は殺されることがなかった。別にラーメンを持っていけばいいだけの話なんですよ。『自分の力で登りたい』という勝手な欲によって、山で生きているものを殺してもいいのかな、と」
「その一方で、手の中にある岩魚は美しく生命力に溢れていて、とても美味しそうに見える。いや、実際に美味かった。岩魚の生命力を自分に取り入れるというポジティブな感覚もありました」
生きるために、殺して、食べる。その経験は、服部さんにプラスとマイナス両方の感情がごちゃごちゃと渦巻く“混乱”をもたらしたという。
「まさしく“混乱”でしたね。同時に、30年近く生きてきて、その“混乱”を一度も感じたことがなかったという事実にも衝撃を受けました。ああ、自分は本物の食い物をずっと知らなかったんだって」
サバイバル登山を通じて「本物の食い物」と向き合った服部さんは、35歳のときに狩猟免許を取得する。
「山に入って岩魚を食べているときは『これこそが本物の食い物だ』と思っているのに、家に帰ると、誰かが育てて殺した牛や豚の肉を『うまい』と言いながら食っている。それでは全く筋が通っていない。この後の人生でずっと肉を食うつもりなら、どこかで岩魚に感じたような感情を、肉に対しても感じなければいけないと思いました」
服部さんが初めて鹿を撃ったのは、狩猟を始めて2年が経とうとしていた頃。岩魚と鹿。両者の生命を奪い、食べることに違いを感じたのだろうか。
「同じといえば同じだけれど、もちろん違いもあります。鹿は人間と同じ哺乳類だし、体の大きさも触れたときに感じる体温も、岩魚とはまったく異なる。なにより、岩魚はある程度居場所がわかるけれど、鹿は山を面で移動しているから『ここに行けばいる』ということがない。より偶然性が高いんです。どこでいつ出合うのか。未来が見えない状態で対峙するから、出合ったときのインパクトは鹿のほうが大きいですね」
「猟銃の引き金を引く瞬間は、銃が放つ鉛玉を獣の体に入れて壊すことに集中しているけれど、弾が当たっていよいよ致命的だと感じたとき、一気にいろいろな感情が押し寄せます。『自分に食う資格があるのか』と自問したり、『かわいそう』と思ったり、『食べるとはそういうことだ』と言い訳したり……」
「でも、一番強く感じるのは『自分もいつか死ぬ』ということ。目の前の獣は急速に死に向かっているけれど、実はその命を奪った自分も、年老いて死に向かっていっている。鹿にも岩魚にも、我々人間にも、どんな生き物にも当たり前に死が訪れる。人生が折り返し地点を過ぎた今は、そのことをより実感するようになりました」
経済システムから離れた廃村での暮らし
サバイバル登山や狩猟を通じて自然や生命と向き合ってきた服部さんは、やがて「自力」で生活することにも目を向けるようになる。
3年前に関東近郊の廃村にある、電気やガス、水道などのライフラインから切り離された古民家を購入。現在は横浜にある自宅との2拠点生活を送っている。
周囲数キロにわたって誰もいない環境で、沢の水を引き、薪を燃料にし、小さな太陽光パネルで発電する。廃村での自給自足の生活を始めた背景には、山での経験がある。
「若い頃から結構リスクの高い山登りをしてきたけど、やっぱり怖いんですよ。いつだって『どうしてこんな死ぬかもしれないところに来てしまったんだろう』と考えざるをえない。裏を返せば『なぜ生きているのか』、『自分に与えられた時間をどう過ごせばいいのか』と自問することでもある」
「その問いと向き合ったとき、自分にとっては、カネを稼いで、豪華なマンションを買って、次々と欲しい物を手に入れ、ソファに座って誰かが用意したコンテンツを消費する、ということが“生きる”ことではなかった」
服部さんにとって、“生きる”ことはもっと根源的なことなのだ。
水を飲み、燃料を拾い、食べ物を手に入れる。
どれも生きるためのシンプルな営みのはずだが、現代社会に暮らしていると、これらを手に入れるのにもカネがかかる。私たちの生活は経済システムの上に成り立っている。服部さんが始めた廃村での生活は、経済システムから脱却する試みでもあった。
「自分は、その経済システムをあまり信じていないんです。だって、山に入っているときは、カネを使わなくても生きていけるから」
「食料の調達も燃料の補給も、本来は“生きる”ことの一部なのに、一生懸命カネを払うことで“生きる”ことを省略している。それどころか、手段のはずのカネ自体が、目的になっているような気さえする。それってやっぱり変でしょう。だからカネを使わず、できる限り“生きる”ことを自分の手の届く範囲で賄っていきたい」
古民家での自給自足の日々には、サバイバル登山のような刺激はない。「快楽というよりも、清々しさかな」と服部さんは笑う。
「薪を集めて五右衛門風呂を沸かしたり、畑の土作りをしたり、家の不具合を直したり……。やらなきゃいけないことはいっぱいあるし、はっきりいってめんどくさい。そう感じるたびに『今、“生きる”ことをめんどくさがったな』と笑ってしまいます。だって生きるのがめんどうなら、死んだほうがいいことになる」
「それでも、自給自足の暮らしは面白い。カネに依存するのではなく、もっとダイレクトに生きる。それが自分にとって信じられる生き方だし、こういう選択肢があることを社会にも示していきたいですね」
常識を疑い、思考を重ね、オルタナティブを切り拓いてゆく。登山も生活も、現場でこそ得られる「ライブ感」と「自力」を探究する服部さんは、今も冒険の途上にある。
写真:高橋郁子
1977年生まれ。2002年よりフリーランスの編集者・ライターとして雑誌、機内誌、webサイト、広告などの分野で活動。得意とする分野は国内外の旅で、これまでに70ほどの国と地域を取材。著書に『夢がかなう世界の旅』(ぴあ)などがある。
合同会社ディライトフル代表。1976年、埼玉県秩父市出身。早稲田大学第二文学部在学中より、制作会社にて編集者、ライターのアシスタントとして雑誌などの制作に携わる。2004年よりリクルートにてフリーマガジン『R25』の創刊に携わり、編集を担当。2010年に独立し、雑誌、書籍、ウェブメディア、企業や自治体が発行する冊子、オウンドメディア等の企画、編集を手がけている。