連載

システム工学者がたどり着いた“無駄ではないムダ”。「不便益」がもたらす人間らしさ

吉川 慧

嗜好品には、体をつくる栄養があるわけではない。

生命維持に必要不可欠ではないのにもかかわらず、全世界で嗜好品はたしなまれている。

嗜好品は、人間らしく生きるために、なくてはならないものなのかもしれない。

嗜好品や嗜好体験を考えることは、人間が生きるためには何が必要か、ひいては「人間という生き物とは何か」に迫ることでもある。

現代における私たちの嗜好品や嗜好体験を探究するために、文化人類学や歴史学者など様々な一線の研究者に話を聞く、連載「生きることと嗜好」。

今回は京都先端科学大学教授の川上浩司さんの研究室を訪ねた。

川上さんは物事の効率化を図るシステム工学の専門家でありながら、「不便」という「不便益」の考え方を提唱している。

工学とは「有用な事物や快適な環境を構築することを目的とする学問」だ。かつては川上さんも「世の中を便利にしてこそ工学だ」と考えていたという。

そんな工学の専門家が、今なぜ「不便」の効用を説くのか。そこには、便利さや効率を追求してきた人間が「真の豊かさ」やその時間を失いつつあることへ危機感があった。

(取材・文:吉川慧 写真:木村有希 編集協力:笹川ねこ 編集:呉玲奈)

「不便」だからこそ得られる「よいこと」、それが「不便益」

──川上さんは「不便だからこそよいことがある」という「不便益」を提唱されています。この「不便益」とは、どういう考え方なのでしょうか?

英語で言うと“benefit of inconvenience”。「不便だからこそ得られる、何かよいこと」という意味ですね。

「何かよいこと」は、一般には「益」と言いますが「益」にもさまざまな種類があります。

「益」と聞くと「利益」「収益」などモノや金銭にまつわるものが浮かびますが、それだけではありません。

何かを経験して「おもしろかった」「思いがけない新しい発見をした」という「楽しさ」や、自分で何かを工夫することで得られる自己肯定感なども不便益だと考えています。

──目に見える数値や量では測れない「よいこと」も「益」と言えそうですね。

まさに。たとえば、このインタビューはICレコーダーで録音していますよね。

録音した会話を後から聞けることはたしかに便利です。

しかし、録音に頼らず、あえて手元でとったメモだけで今日の話を自分の頭の中で思い浮かべることができたら? 

自己肯定感が少し高まると思いませんか。

不便のなかに感じる楽しさや自己肯定感を、私は「不便益」と呼んでいます。

ただ、「益」のなかでもワイルドカード(万能の効力をもつカード)のようなものですが(笑)。

──簡単にはできないことを達成したり、自分の身体や頭を動かして実現できたりすると「やった!」という達成感があります。

一見すると、無駄と思える手間を楽しむ点も不便益の特徴です。

登山だって、エスカレーターやエレベーターがあれば楽ですが、登山好きの人にとっては「登る」というプロセス自体が楽しいはずです。

旅行もそうです。ドラえもんの『どこでもドア』があればきっと便利ですが、旅情は味気のないものになるでしょう。

──ドラえもんの「ひみつ道具」は「あればきっと便利だろうな」と思える存在です。ただ、その「便利さ」は必ずしも「豊かさ」と一致するとは限らない。

たとえば、徒歩での移動には時間がかかりますが、途中で思いがけないお店や人に出会えることがあります。

ほかにも、高齢者向けの施設で、あえて段差をつけた箇所を作る事例もあります。過介護を防ぎ、人間の身体機能の低下スピードを緩めるためのものです。これは「バリアフリー」ならぬ「バリアアリー」と呼ばれています。

──バリア有り、ですね。ユーモラスな呼び名です。

以前、学生と一緒に「これって不便益だよね」という事例を100個ほど集めたんです。

それぞれに「どんなよいことがあるのか」「どんな益があるのか」と分類したところ、以下の8つに分類できたんですね。

・主体性が持てる
・工夫できる
・発見できる
・対象(対象系)を理解できる
・安心、信頼できる
・上達できる(飽和しない習熟)
・「私だけ」感がある
・能力低下を防ぐ

「不便益」は、このいずれかに結びつきます。

正確に理解してほしいのは、不便益は「不便だけど、よいことがあるから我慢しよう」というものではありません。「不便だからこそ、得られる益がある」というポジティブな考え方なんですね。

川上先生が所長を務める不便益システム研究所は、あらゆる事象を題材にして、不便益の研究を進めている。 

ある日、師匠が突然言い出した「これからは不便益の時代や」

──学生時代の川上さんは、京大の工学部と大学院の工学研究科で人工知能や効率化について学ばれました。いわば、世の中を「便利」にする研究です。そんな川上さんが「不便益」を提唱されていることは、ちょっと意外です。

僕は1964年生まれです。学生時代は1980年代後半のバブル経済の真っ只中で、日本経済に勢いがあった頃でした。

当時の京大工学部や工学研究科の学生は就職に困らない時代でした。

文系就職も華やかな頃で「外資系では初任給が1000万円」といった話がまことしやかにささやかれていました。

僕の同期で電機メーカーに入った人が「今年の研究費、1億円ももらえた!」と言っていたのを、よく覚えています。そんな時代でしたから「わざわざ大学の先生になろうとするなんて、よほど研究が好きなんですね……」と、周囲の人からよく言われました。

それから10年ほど経った頃です。師匠の工学者・片井修先生が京大の工学研究科を飛び出し、情報学研究科で新しい研究室を作り、僕もスタッフとしてそこへ入ることになりました。

「また師匠と一緒に人工知能の研究ができるぞ」と思っていたのですが、そこで師匠が突然言い出したんですね。

「これからは不便益の時代やぞ」と。

──いきなりですか!?

いきなりです。当時、私は33歳。正直、最初は「なんのこっちゃ?」と思って、とりあえずスルーしたんです。

なぜなら、もともと僕は工学系の人間です。「機械の効率化や高機能化を目指せばいい。世の中を便利にしてこその工学だ」と考えていました。

一方で、片井先生は工学部機械系のなかでも人間機械系という分野が専門。機械を使う人、機械にコミットする人間も含め、全体をシステムとしてとらえる分野です。

──人と機械の関係性についても考える分野ですね。

はい。たとえば、人と機械の付き合い方に人工知能があります。

その名の通り「人工的に作られた知能」「人間の知的活動をコンピューターにやらせる」、そんな付き合い方です。

──人間の代わり、つまり「代替」ですね。

僕が学生だった1980年代後半も、世は第二次人工知能ブームに沸いていました。人と機械の付き合い方も「代替」が主流で、僕もそういった研究をしていた。

でも、師匠には昔から「人と機械の関係性は“代替”だけではない」という考えがあったようです。

──片井先生は、人間主体ではなかった工学への問題意識をお持ちだったんですね。

「人と機械が共生するとか、いろいろな付き合い方があるはずだ」と。

それを説明するために片井先生は「不便益」という言葉を使ったのだと思います。

──「工学」といえば、人間の代わりに機械がスムーズにモノをつくったり、助けたりしてくれる。いわば「いかに人間が楽をできるか」を突き詰めていく領域というイメージがあります。

まさに。自動化(オートメーション)は工学の代表的な分野ですよね。

でも、考えてみてください。昔の人が使っていたモノづくりの道具は、あくまで人の能力を「拡張」するものだったはずです。

なのに、それが「代替」されてしまった。たしかに便利にはなるけど、便利になったことで逆に失われたものがあるのではないか。

僕の研究仲間には自動車の運転が大好きな研究者がいます。彼は自動運転を研究していますが、「僕は運転が好きなのに、その楽しさを奪いかねない自動運転の研究ってどうなんだろうか……?」と自問自答しているのが印象的でした。

むしろ「自分の手足のような“人馬一体感”があるような車こそおもしろいのに。そんな車があったら絶対に買うのになあ」と話していましたね。

世の中には「無駄なムダ」と「無駄ではないムダ」がある。

──川上さんは理論だけで終わらず「不便益」を現実の形にしています。たとえば、素数の目盛りしかない「素数ものさし」の誕生に携わりました。

形にすることにはこだわっています。

口で言っているだけでは「工学」ではありませんし、学生の研究指導にもならないので。実際に作って、試してみることが大切です。

京都大学の生協で販売されている素数ものさし。センチの目盛にある素数は、2、3、5、7、11、13、17。 足し算と引き算を用いれば、16、18以外の長さを測ることができる。

ただ、僕も師匠が「不便益」と言いだしたときは、「たしかに思想としては素敵だけど、それって工学の研究分野なのか?」と思っていたんです。

──たしかに。楽しさとか自己肯定感が得られると聞くと、哲学や心理学のような……?

僕が本格的に不便益と工学のつながりに納得できたのは、バブル崩壊後にモノづくりの世界で起こった「ある変化」を知ったからでした。

それは、商品を大量生産できる「ライン生産方式」から、多品種・少量生産の「セル生産方式」を導入するメーカーが相次いだことです。

──ライン生産方式は、ベルトコンベヤーで各部品の作業者が流れ作業で組み立てる方式ですね。セル生産方式は、一人または少数の作業者がすべてを組み立てる方式です。

自動車だとダイハツの初代コペン、複写機ではキヤノンが有名ですね。

生産性だけを見れば、分業形式のライン生産方式のほうが効率はよい。作業者が覚えることは少なくて済むし、同じ作業を淡々と繰り返すことで大量生産できます。

セル生産方式では、作業者に求められる知識や技術は多く、商品の完成までに時間がかかります。メーカーにとってセル生産方式は、不便でしょう。

──それでもセル生産方式を導入するメーカーは相次ぎました。バブル崩壊で大量生産・大量消費の生活スタイルが見直されるようになったことも一因にあるのでしょうか……。

たしかにメーカーも「多品種・少量生産に柔軟に対応するため」と説明していました。しかし、それだけではありません。

「不便益」の視点でみると、セル生産方式には大きな益があります。

考えてみてください。もし一人で自動車を組み立てることができれば、車の知識やスキルが向上します。仕事の質もよくなる。作業する人は優秀な技術者として尊敬を受けますよね。

もしコペンの組み立て技術者が街でコペンを見かけたら、「見てください! あれ、僕が組み立てた車かもしれないんです!」と言いたくなるでしょう。

一見すると、セル生産方式は、無駄が多いと思われがちです。しかし人間の立場からいえば、自動車を一人で組み立てる技術を培うことができ、モチベーションにもつながる。

モチベーションが上がれば、さらにスキルが向上する。

スキルとモチベーションの相乗効果は、不便益の理想的な状態と言えます。そこがベルトコンベアーに合わせて機械や部品の一部になってしまうライン生産方式との大きな違いです。

───「人間+機械の全体でシステムを考える」という人間機械系研究のど真ん中のような事例ですね。

世の中には「無駄なムダ」と「無駄ではないムダ」があるはず。不便益はまさに「無駄ではないムダ」と言えます。

それは、人間の栄養にはならないけど、豊かな暮らしには欠かせない嗜好品ともつながりそうな話だと思いませんか。

不便益にも嗜好品にも、私たちの暮らしをより幸せにできるヒントが詰まっているはずです。

(後編に続く)

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記者

Business Insider Japan記者。東京都新宿区生まれ。高校教員(世界史)やハフポスト日本版、BuzzFeed Japanなどを経て現職。関心領域は経済、歴史、カルチャー。VTuberから落語まで幅広く取材。古今東西の食文化にも興味。

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編集者 / ライター

Editor / Writer。横浜出身、京都在住のフリー編集者。フリーマガジン『ハンケイ500m』『おっちゃんとおばちゃん』副編集長。「大人のインターンシップ」や食関係の情報発信など、キャリア教育、食に関心が高い。趣味は紙切り。

編集者

『DIG THE TEA』メディアディレクター。編集者、ことばで未来をつくるひと。元ハフポスト日本版副編集長。本づくりから、海外ニュースメディアの記者まで。企業やプロジェクトのコミュニケーション支援も。岐阜生まれ、猫好き。

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