なんで味噌蔵がレモンティーを? 創業150年の老舗から新たなヒット商品が生まれるわけ

江澤香織

カップを覗くと、紅茶の中に浮かんでいるのは輪切りのドライレモン。

飲み進めるほどにじわりじわりと少しずつ、レモンの香りが静かに立ち上り、爽やかな酸味が口の中に広がる。

レモンティーは巷に溢れているけれど、ティーバッグと本物のレモンをひとつのパッケージに組み合わせて手軽に楽しめるような商品「フロートレモンティー」は、今までありそうでなかった。

茶葉とレモンは素材にこだわり、味は本格的である。

開発したのは山口県防府市の会社、光浦醸造工業株式会社

はて、醸造?と調べてみると、創業150年を越え、江戸時代から続く老舗の味噌蔵だった。

しかしなぜ味噌の会社がレモンティーを?

その意外な発想で新たな世界を広げた、8代目社長の光浦健太郎さんに話を聞いた。

(取材・文:江澤香織 写真:江藤海彦 編集:川崎絵美)

創業150年、地元に愛される故郷の味噌

まずは光浦醸造ならではの味噌の歴史を紐解いてみたい。

海が目と鼻の先という河内川のほとりに、味噌の醸造所は静かに佇んでいた。風がそよぐ、ほのぼのと穏やかな水辺の風景に心を和ませ、何時間でもただぼーっと眺めていたくなる。

「子どもの頃はほぼここで過ごしていました。よく釣りに行ったり、庭でサッカー遊びをして、ボールが海に落ちてしまい、漁師さんが拾ってくれたりしましたね。昔はカブトガニがいっぱいいて、歩いていたら踏んづけるほどだったんですよ。今でもこの庭でちょっとひと休みするのは気持ちいいですね」と光浦さん。

(光浦醸造工業株式会社 代表の光浦健太郎さん)

蒸したばかりのホクホクとした大豆の香りが漂ってくる。熱々の柔らかい大豆をミンチ状に潰し、塩と麹を混ぜ合わせて数カ月熟成すると味噌ができあがる。

蔵の中には古い木桶もいくつか並んでいるが、特にこだわっているわけではなく、あるものは大切に使い続けたいとのこと。

全国で生産の大部分を占めるのは米味噌だが、山口県は九州と同じく、麦麹でつくられる麦味噌が広く親しまれている地域だ。麦味噌は、米味噌と比べると甘みが深く、まろやかで優しい味わい。具沢山の味噌汁や、洋風料理にも使いやすい。

先代の光浦慎太郎さんと、健太郎さん。

(先代の光浦慎太郎さんと、健太郎さん)

かつては添加物を使用していた時期もあったそうだが、光浦さんの代になってからは少しずつ減らし、現在は自然の原料しか使っていない。

麦や大豆も基本は地元の山口県産。麹づくりは手作業だ。天然の甘みをしっかり出したいため、一般の麹蓋(こうじぶた)よりも大きい麹箱に麹をこんもりと厚めに盛って温度を上げ、酵素を活性化させている。

麹の比率は一般的な味噌の2.5〜3倍という贅沢な配合である。

「この蔵をずっと残していきたい。お客様においしいと言ってもらえればそれでいい」と光浦さん。

光浦醸造は昔から地元で広く愛されている味噌を、真面目にひたむきに淡々とつくってきたのだ。

味噌屋がレモンティーに注目した理由

真摯に味噌をつくり続けてきた光浦醸造が、なぜレモンティーを作ることになったのか。

光浦さんは東京農業大学の醸造学科を卒業すると、特に反発することもなく、家業に入った。

「当時の自分は本当に面白くない人間で、将来やりたいこともとくになかったんです。たまたまこの家に育って、のほほんと大学に行き、家業があったから、戻ってきたんです」

しかし実際に味噌事業に携わってみると、さまざまな問題点が明らかになってきた。

味噌蔵としての長い歴史と伝統は誇りに思うが、ある意味成熟した事業で、このままでいたら革新的なことは起こらない。

米と同じくらいパンが主食のひとつとなり、今後味噌が爆発的に売れるなんてことはないだろう。このまま横ばいで静かに継続していくか、何か全く新しいことを始めるしかない。

「味噌屋だから味噌のお菓子を作る、となりがちだけど、それは違うと思って。そういう発想は潔く切り捨てました。小手先で何かをやってもダメだと思ったんです」

光浦さんが社長に就任してから、光浦醸造の商品ラインナップは、味噌、醤油にとどまらず、調味料、甘酒、レモンティー、ストローなど幅を広げていった。

なかでも冒頭で紹介した「フロートレモンティー」は、瞬く間に製造が追いつかなくなるほどのヒット商品になった。

(日本の食文化に少しでも貢献したいと素材を吟味し、レモンは広島県の瀬戸田産、お茶は宮崎、島根、奈良、静岡などの産地から、生産にこだわった農園の茶葉を取り入れている)

「なんで味噌屋がレモンティーなの?って何回も聞かれてますけどね(笑)。全くかけ離れた違うジャンルをやったおかげで、できることの自由度が大きく広がりました」

光浦醸造の取引先は、病院や学校給食用などの業務用が主流だった。

それはある意味、事業が安定していたとも言える。

しかし業務用だけでは将来性がない。危機感を抱いた光浦さんはホームページの作り方を独学し、一般のお客さん向けにネットショップを始めてみた。

すると、これまで小売のことをほとんど考えてこなかったと気付いた。

今まで扱っていたのは一升瓶の醤油と20キロの味噌。家庭で使いやすいようなサイズの商品が全くなかったのだ。

そこで家庭用にリサイズしてみたが、味噌は重量があるためネットショップで販売しても送料がそれなりにかかってしまう。

何か軽くて付加価値のある商品をつくれないか。

そんなとき、業務用の乾燥機を扱う友人の会社へ行く機会があった。数々のドライフルーツの中に、オレンジの輪切りが目についた。

「今ではドライフルーツの輪切りはあまり珍しくないかもしれませんが、14、5年前にはなかったんです。こんなことができるんだと驚きました」

乾燥したレモンと紅茶をセットにしてレモンティーを作れないかと、その時ふと閃いた。

紅茶なら軽いし、ギフトとしても喜ばれる。当時このような商品はどこにもなかった。

早速乾燥機を導入し、商品化のためにブラッシュアップしていった。

「柑橘の輪切りの乾燥って実は難しいんですよ。フリーズドライにしたら粉々になってしまうし、ただ乾かすと真っ黒になる。色も形もきれいなまま、均一に乾燥するには、特殊な技術が必要だったんです」

(取材時に開発中だった「キャンディレモン」)

「Google検索しても分からないことを、試行錯誤して独自の答えを探し、一筋縄ではいかないことに魅力を感じる」という光浦さん。

パッケージデザインも自作。蔵に保管されていた醤油の古いラベルなどをヒントにデザインを編み出した。美術に興味はなかった光浦さんだが、独学でIllustratorを習得して描いた。

さりげないレモンティーだが、生産者のこだわりから製造加工技術、パッケージデザインまで、初めてのものを生み出すための苦労が詰まった結晶なのだ。

(乾燥レモンの自社工場も見学させてもらった。丁寧に検品して箱詰めされる)

しかしオリジナリティを生み出す苦労はあまり表に出していない。当たり前に誠実なものづくりを続けた味噌蔵ならではの職人気質を感じさせる。

レモンティーは生活雑貨を扱う小売企業などから声がかかり、徐々に販路が広がっていった。今や光浦醸造の代表作となったが、当時は売れるなんて夢にも思っていなかったそうだ。

ストロー、味噌蔵が生んだ唯一無二のプロダクト

光浦さんが、レモンティーの次に新たに開発した商品は、なんとストローだ。

薄いプラスチック製のシート状のものをクルクルと丸めてストローにするという方法を考案し、「STROLL(ストロール)」と名付けて商品化した。

軽くて洗いやすく、繰り返し使えて環境にも優しい。シート状なので表面にデザインやイラストをプリントすることもでき、ギフトや企業のノベルティにも便利。

これは実は光浦さんの娘さんのアイデアが発端となっている。

小学3年生の夏休みの自由研究で、彼女がアイデアを発表すると理科担当の先生に「これは特許が取れるんじゃないか」と言われたのだ。

それを娘から教えてもらった光浦さんは、仕事の合間を惜しんで開発。特許についても徹底的に調査、猛勉強し、1年半かけて無事に取得することができた。

「知的財産権について勉強してみると、知らなかったことがたくさんあって本当に目から鱗でした。どうすれば特許を取れるのか、例えば作る工程とか、今まで世の中にないものをどう説明するかなど。やってみるとすごく勉強になったし、大変でしたがいい経験でした」

またしても味噌とは全くかけ離れた商品だが、光浦さんの根底にある思いは「日本の食卓を豊かにしたい」ということ。

そこを起点にすることで、自由な発想で新たな食体験を生み出してきた。

光浦醸造の企業理念「味を、人を、あわせる、」には、長年培ってきた味噌醸造をベースに、シンプルな組み合わせから生まれる食の豊かさを人々に伝え、その先の新しい感動に引き合わせる、という願いが込められている。

自然や使い手に委ねて、有機的で不確実なものづくりをこれからも続けていくことをイメージし、最後を「、」で結んでいる。

伝統ある味噌蔵だが、あくまで味噌もまた手段のひとつなのだ。

和食とともにある味噌屋が“天敵”であるパンをつくったら…

2022年にはさらに新しい発想で、なんと敷地内にパン屋「ebb & flow」をオープンしてしまった。

パンは長年、“味噌の敵”としてライバル視されていた食品だ。朝のパン食が一般に浸透するにつれ、味噌汁があまり飲まれなくなってしまったから、というのがその理由。

その流れをどうやって食い止めるかが味噌業界における長年の課題だった。

「味噌もパンも発酵の技術を駆使した食品ですから、実は仲間なんです。麦味噌だから、原料にも共通点がある。僕は味噌屋はみんなパンもつくる、味噌屋に行ったらパンがある、という流れをつくりたいんです」

(2022年にオープンした「ebb & flow」。美味しそうなパンの香りが溢れるしあわせな空間。パンが並ぶテーブルは、古い味噌樽の木材を活用してつくったという)

味噌汁は今や欧米でも「ミソスープ」として親しまれており、健康志向の人々を中心に人気が高まっている。パン食に味噌汁を合わせることも不自然ではなくなっている。

光浦醸造では、麹から手作りした酒種をはじめとする4種類の自家製天然酵母でパンをつくる。目指すは“日本らしい”パン。

室町時代に確立された日本最古の醸造技術「菩提酛(ぼだいもと)」を紐解き、昔ながらの技法で、空気中に棲む自然の乳酸菌や酵母を取り込みゆっくりと発酵させる。

味噌づくりのノウハウがパンに活きているのだ。

「誰もやっていないようなパンを作りたかった」と光浦さん。

山口県産小麦をメインに、卵や牛乳、バターは使わず、材料はできるだけシンプルに。甘酒を練り込むことで、ふんわりもっちりした食感と自然の甘み、深いコクのある旨みを引き出している。

毎日食べても飽きることのない、優しい風味のご飯のようなパンだ。そして自然の発酵の力に委ねられた、同じようで毎日違う、生きているパン。

「その日の天候で発酵の具合は変わるので、いつも均一ではない、その不確実性が生むおいしさを楽しんでほしい」

「味噌屋にパンが売っているのは当たり前、という文化を育てたい。そのためのスキームをここで確立して、パンをつくりたい人にはノウハウを共有できるようにしたいんです」

菩提酛で酵母を発酵させるのは、温度や湿度の管理が大変で、手間も時間もかかる。

店長の徳本さんは「パンは自分の子どもみたい。今日の酵母は元気だな、とか、ちょっと不機嫌だなとか。手がかかりますけど試行錯誤しながら可愛がって育てています」と話してくれた。

パン屋は連日大盛況で、取材に訪れたこの日も、お客さんが途切れることなくやってきた。

(店長の徳本るみ子さん。元は栄養士だったが、パンづくりが好きで、イベントなどに出店していた)

発酵・醸成と向き合う、味噌屋ならではの商品開発

新商品が開発されるたびに、光浦醸造の世界観がクリアになってきた。

「斬新なものを生み出すことは、より難しくなってきました」というが、それでもまだアイデアは生まれている。その中のひとつは、原点に戻った味噌である。

これもありそうでない、自分で好きな配合の味噌がつくれるキットを考案中だという。

「何年も前から構想していて、できあがれば画期的なものになるんじゃないかと期待しています。実は味噌っていろんな種類が無限につくれるんですよ。地域性や文化があるから、味噌蔵では普通はつくらない。でも味噌づくりの多様さや面白さを知ってもらいたいと思っています」

光浦醸造の商品開発はロングテールで販売できるものが前提。「簡単に売れるものは、簡単に売れなくなるから」と光浦さんはいう。

スタートアップ企業がスピードを重視する一方で、腰を据え、長い時間をかけてじっくり向き合って商品開発していく光浦醸造の姿勢は、味噌の発酵・熟成という手間暇に携わってきた老舗だからこそ培われた発想ともいえる。

「ものづくりは時間がかかるものとして身に沁みているんです。味噌は何カ月も熟成させないとできあがらないから」

「ひよこ豆の味噌を開発したとき、試作しては熟成するまで待ち、できてみたらまだダメで、最初からやり直し、というのを繰り返して納得いくものができあがるまで5年かかりました」

光浦さんは、発酵・熟成を「待つ」時間こそが、新しいものを生み育てる有意義な時間だと話す。150年続く長い歴史が持つ時間をかけることへの信頼は、心の礎にもなっているようだ。

(開発に5年の歳月をかけた「ひよこ豆みそ」)

視点を変えて、アイデアのきっかけを模索する

伝統を大切にしながら、今ないものを生み出す光浦さん。アイデアの種をどのように見つけているのだろう。

ひとつの方法として、「やってはいけないことを改めて考えてみる」ことを挙げた。

「人はやってはいけない、やる必要ないと思っていることは普通はやらないんです。どうなるかわからないから、無意識に考えないようになってしまう」

「お茶屋さんは『レモンとお茶を一緒に袋に入れるのはタブーだと思っていた』と言っていました。ストローを解体して巻くなんて、意味ないと思うから普通はやらないです。

「今はネット検索ですぐに答え合わせができてしまうから、パンも調べればすぐにつくれるけれど、それだと新しいものは生まれないんですよね」

「菩提酛で酵母を起こして甘酒でパンを作るのも、普通ならやらないこと。だけど、未知のことも自分で行動して答えを探すことで、新しい発見が多々あるように思います」

(店舗に併設するオフィスは、日当たり良く開放感があった)

光浦さんがさらに意識しているのは、時代を遡ってモノが生まれる原点に戻り、その分岐点でどちらに進むかを自分で考え、新たな行動をしてみるということ。

それがイノベーションを生むきっかけにもなるという。

昔は分岐点を左へ行く手段しかなかったが、技術も発展した現代なら、知識や経験があれば右に行けるかもしれない。立ち止まって考えることで、意外な気付きがあると話す。

「例えば、電気がなかった時代にはこうするしかなかったけれど、今の時代なら違う方法があるかもしれない。卵やバターがない室町時代にふわふわのパンが食べたかったら、どう工夫するだろうって考えてみたりしますね」

ちなみに、異端ともいえる光浦さんの斬新な企画に対して、先代である父親は全く反対しなかったそうだ。

「やりたいことをやって、なんでもチャレンジできるのは良いことだし、羨ましい」と温かく見守ってくれた。

山口県は吉田松陰をはじめ、高杉晋作、伊藤博文など幕末・明治を揺るがした人物を多数輩出した歴史があり、「UNIQLO」や「獺祭」など世界に名を響かせるブランドが誕生した地でもある。

そう聞くと華やかでアクティブなイメージが強いが、深刻な過疎化や、保守的な気質もあるそうで、ともすると面白くない街になってしまうと光浦さんは憂いている。味噌業界の未来もこのままでは決して明るいものではないと話す。

「地域を盛り上げ、新しい光を差し込む力のひとつになれば嬉しい」と光浦さん。

これからも時間を味方にした日々の挑戦は続く。

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Author
フード・クラフト・トラベルライター

フード・クラフト・トラベルライター。企業や自治体と地域の観光促進サポートなども行う。 著書『青森・函館めぐり クラフト・建築・おいしいもの』(ダイヤモンド・ビッグ社)、『山陰旅行 クラフト+食めぐり』『酔い子の旅のしおり 酒+つまみ+うつわめぐり』(マイナビ)等。旅先での町歩きとハシゴ酒、ものづくりの現場探訪がライフワーク。お茶、縄文、建築、発酵食品好き。

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編集者

お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。

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ひとの手からものが生まれる過程と現場、ゆっくり変化する風景を静かに座って眺めていたいカメラマン。 野外で湯を沸かしてお茶をいれる ソトお茶部員 福岡育ち、学生時代は沖縄で哺乳類の生態学を専攻