富山県南西部に位置する、南砺市利賀(とが)村。人口500人ほどの人里離れた小さな村である。
合掌造りで知られる五箇山がやや近くにあり、決して便利な場所ではない。市街から向かうと、山を越え、森を抜け、川沿いを走り、くねくねとした細い坂道を上ったり下ったり。
ヒヤっとするような崖っぷちの狭い道を通り抜けたと思えば、ハッと息を飲むような山あいの絶景にただ目を奪われる。
まるで冒険のようにドキドキワクワクしながらひたすら奥地へ進み、果たして本当に辿り着けるのかとやや途方に暮れた頃、緑に覆われた静かな山の中にひっそりと、一軒のオーベルジュが現れる。
食を愛する人ならばきっと、遥々ここへ来てまでも、その一皿を心ゆくまで堪能したいと強く願い、憧れる店「L’évo(レヴォ)」だ。“旅の目的地”として、ここに世界中の料理人や美食家たちが集う。
2023年、レヴォのオーナーシェフ・谷口英司さんは「食」の分野で新しい世界を築き上げたとして「辻静雄文化賞」の専門技術者賞を受賞。
富山の今この瞬間を隅々まで味わい尽くす、ここでしか体験できない究極のローカルガストロノミー。
地域の食材をふんだんに取り入れたレヴォの料理と、満足度の高いノンアルコールペアリングをついに味わう時がきた。
「料理は勝手に美味しくなる」。谷口さんが語る、料理への向き合い方と富山の自然が織りなす食体験とはーー。
(取材・文:江澤香織 写真:江藤海彦 編集:川崎絵美)
ノンアルコールペアリングで味わい尽くす、レヴォの芸術的コース料理
建物内に一歩足を踏み入れると、そこは美術館のようだった。
壁には、富山伝統の井波彫刻のアートピースが飾られ、黒鯛で作られたフィッシュレザー(本物の魚の皮をなめし加工したもの)のランプの明かりが灯る。
木目が美しいレストランの家具は、木工作家「Shimoo Design」のもの。テーブルに付いた引き出しを開けると、ガラス作家・安田泰三さん作の、まるで宝石のような盃が入っている。全てメイド・イン・富山の工芸品。
料理が出て来る前から、すでにこの場所に魅了されている。
最初に山の水がサーブされ、安田さんのガラス盃に「森のしずく」と呼ばれる、イタヤカエデの樹液が注がれる。この辺りでは馴染みの深い木で、年に一度の雪解けの時期にだけ、森の木こりが採ってきてくれるものだという。
森のしずく
優しく滋味深い、ほんのりと自然な甘みある液体がじわりと体内に染み込み、富山の大地と繋がったような感覚になる。
Prologue
プロローグは、森の妖精たちが集まってできたような、目にも楽しいアミューズ5品。
・薪火で風味を移した白海老を、海苔と餅米で作った海老煎餅にのせて
・黒部「Y&Co.」のヤギチーズと「満寿泉」の酒粕を使ったグジェール
・赤いビーツのメレンゲとレヴォ鶏レバーのムース
・甘鯛とジャガイモのクロケット、ナスタチウムをのせて
・小矢部川で採れたアユカケ、山椒をまぶして
合わせるドリンクは、利賀村を代表する香木、黒文字を使ったオリジナルのカクテル。黒文字の香りやエキスを抽出したものに、蜂蜜、生姜、柚子のシロップを合わせ、山の水に炭酸ガスを注入したスパークリングドリンク。ほのかに酸味あるスッキリとした味で、黒文字の清々しい香りが豊かに広がる。
鱧(ハモ)
鱧の身は一切入っていないのに、鱧をしっかり感じさせる驚きの一皿。鱧からとった濃厚な出汁のジュレをベースに、ウニ、ジュンサイ、シソの葉、梅のソース、大葉のオイル、ジャガイモのピュレ、モロヘイヤのペーストなどが初夏の水面のように涼やかに彩られ、しばし眺めていたくなる。オブジェのような器はガラス作家・小島有香子さんの作品。
太刀魚(タチウオ)
フィユタージュ(パイ生地)に炭火焼きの太刀魚。上にはズッキーニ、ナスタチウムの蕾、マーシュ。間に細かく刻んだ加賀太きゅうり、トリュフを合わせて。下に敷かれているのは五箇山の手漉き和紙。ふくよかで繊細な優しい味わいで、ほんのり和の趣を感じさせる一皿。
この2品の魚料理に合わせるドリンクは、緑茶を使ったハーブティー。今の季節は滑川にある「かずみ野ハーブガーデン」のディルを使用。新緑のような青々しく爽やかで深みのある香りが、料理をふわりと包み込む。
月ノ輪熊
近くの山で猟師が採った熊をレストランの階下にある専用のジビエ熟成庫で1カ月熟成。熊は脂身が美味しいといわれるが、あえて赤身を使ったという。冬眠明けの熊が必ず食べるというアザミをあしらい、ツルムラサキ、柚子、セミドライトマト、そしてウスベニアオイの花を添え、蜂蜜のジュレをかけて。クセのないきれいな旨味で食べ応えのある熊と、とりどりな野菜のリズミカルな香りと食感が楽しい。
ドリンクはカワラケツメイというマメ科の植物のお茶。この地域では古くから親しまれ、飲まれてきたお茶で、葉を焙煎し、煮出している。土っぽい香ばしさがあり、余韻はマメ科らしいナッツが香り、ジビエに寄り添う味わいだ。
大越中バイ
富山でとれるバイ貝の中でも一番大きく、柔らかで旨味甘味の強い「大越中バイ」。フヌイユ(フェンネルまたはウイキョウのこと)、レタス、ディルの花、マタタビの葉や新芽、黒文字の実、粉末状のオリーブの実などが彩り良く盛られた茂みの中に、バイ貝の身と肝のソースが潜んでいる。仕上げにかけたグリーンマスタードのオイルがアクセントになり、噛みしめるほどに辛味、酸味、甘味、旨味のめくるめくハーモニーを奏でる。
赤烏賊(アカイカ)
ボタンエビを詰めた赤烏賊を黒文字の枝で留め、野甘草の花、空芯菜の花、ハコベラ、ししとう、火入れした赤烏賊のゲソなどを添えて。ソースは2種類で、ボタンエビのジュの赤いソースと、野甘草とベルモット酒を合わせた白いソース。甘みのあるまったりとした烏賊とボタンエビに、香草が爽やかなメリハリを付ける。ソースは言わずもがな旨味の洪水で、しばらく余韻に浸っていたい。
貝と烏賊に合わせるドリンクは、専門のティーブレンダーが手掛けた、黒豆、甘草、蜂蜜、シナモン、クコの実を合わせたお茶に、上市町でとれたよもぎを加えたブレンドティー。スッとしたハッカのような爽やかさと甘草の甘みや豆っぽい香ばしさなど薬膳的な複雑味があり、旨味の深いクリーミーな料理とよく馴染む。
大門素麺
レヴォが展開するスペシャリテのひとつ、富山の特産品である「大門素麺」を使った一品。通常売られている乾麺でも、しっかりとしたコシがあって十分美味しいが、オリジナルで作られた半生麺をアルデンテに茹で上げている。
村に自生するフキノトウで作ったオイルと、黒部「Y&Co.」のヤギチーズを合わせて。フキノトウのキリッとした苦味をチーズがまろやかに包み、麺のモチモチとした食感と相まって、えも言われぬ心地よい風味に和まされる。
ドリンクは、南砺市で詰んだヨモギと、ローズマリーを漬け込んだ、ほろ苦いお茶。ややパンチのある苦味が、フキノトウに合わさり、味覚が一層覚醒される。
L’évo鶏
レヴォを代表する一品。富山市の農家「土遊野(どゆうの)」にて、レヴォのためだけに特別に育てられた若鶏。太腿の部分に、胸肉や腿肉、熊の内臓で炊いたご飯を詰めて薪火で焼き上げている。真ん中の黄色いソースは和がらし。出来立て熱々に気を付けながら、手で掴んで丸かじりする。
パリッとした皮の中にしっとり柔らかな鶏肉と熊ご飯の深い奥行きある旨味が広がり、無言で黙々と噛み締めてしまう。器はレヴォを建てるときに掘り起こした土で作られた、東岩瀬の陶芸家・釋永岳(しゃくなががく)さんの作品。
虎魚(オコゼ)
富山産の米を海苔と海老の出汁で炊き上げたという衣をまとった虎魚。相性の良いキャビアをのせて。モミの葉とアボカドを合わせたペースト、魚介のエキスと合わせていただく。モミの葉の囁くような優しい香りがアボカドの濃厚なコクを引き締め、魚介のエキスがまた一段、別次元の風味を引き出している。
L’évo鶏と虎魚に合わせるドリンクは、呉羽紅茶に生姜とライムをブレンドした一杯。呉羽という地域(現在の富山市西部)は、かつて富山藩が紅茶を作らせていた古い歴史を持つ。現在も茶畑があり、少量ではあるが紅茶を製造している。
程よい渋みのあるマイルドな味わいの和紅茶が、食材の焼いた香ばしさや旨味に寄り添い、ライムと生姜がキリッとアクセントを利かせていた。
猪
薪火でじっくり丁寧に火を入れたウリ坊(子イノシシ)に、長時間炭火で丸ごと焼いた茄子、実山椒、空芯菜、ジビエのソースと茄子の皮ソースを添えて。しっとり柔らかく滑らかな猪肉の食感と優しいながら余韻の続く旨味に、山椒がピリリと効いており、炭火香る茄子の濃い旨味が更なる追い打ちをかける。
ペアリングは、通常よりも強火で深く焙煎をかけ、アニスを加えた棒茶。ふくよかな香ばしさが肉料理に合い、アニスのスパイス感が味に華やかさを増す。ここからデザートへ向かう区切りのお茶としても、すっきり口の中を落ち着かせる。
ゆうかメロン
メロンの果肉とメロンシャーベット、その上には炭酸エスプーマと削ったトンカ豆。キリッと爽やかで甘さ控えめの大人のクリームソーダだ。さらに、この敷地内に咲いているというシシウドの花束が登場し、仕上げにハラハラと花びらを振りかける。まるで絵本の中に出てくる空想の食べ物のようだ。
黒文字
利賀村にたくさん自生する黒文字の生木は、柑橘のようなスッキリと爽やかな香りがする。その香りを存分に生かし、上に散りばめた白い花以外は全て黒文字を使った、黒文字尽くしのデザート。生地、中に挟んだクリーム、振りかけたパウダー、カラメルシロップなど、お菓子を構成する要素のそれぞれに黒文字を丁寧にしのばせている。清らかで上品な黒文字の香りが、長く静かに鼻腔に余韻を残す。
デザートと一緒に出されたのは、冬にとれる庄川の柚子の果汁を使った自家製シロップに、ジンジャーエールを合わせたオリジナルカクテル。庄川町は日本最北の柚子の特産地として知られている。清流のような、さっぱりと爽やかな味。
さらにエゴマのフィナンシェ、桑茶のアイスクリームが入ったチョコレートシュー、フランボワーズとミルクの生キャラメル、りんごのタルト、加賀棒茶のムースをのせたプラリネのタルトの5品が入った小箱をいただき、食後は黒文字茶で締めくくる。
香り、食感、余韻がいつまでも記憶に残る。五感を総動員して、富山の総合芸術を堪能する、とてつもない充実感に満たされる壮大なコース料理だった。
共に感性を磨き合い、高めていく、信頼の厚い同志
今回ノンアルコールドリンクのペアリングコースを体験したが、谷口さんは開口一番「僕はペアリングには全く関与していないんです」とひと言。
「ドリンクは、もう10年以上の付き合いがあるソムリエが担当しています。自分は何も言わずに全力で料理を作るだけ。地元の同じ食材を使うことはあるので、例えば香りの抽出方法とか、ドリンクに応用できるような料理のテクニックを教えることはあるかもしれませんが、僕が考えたり、意見を出したりすることはないです」
レヴォでは、食材を提供する生産者はもちろん、料理を引き立てる器や、店内を彩るインテリアなど、富山のさまざまなジャンルの作り手が店づくりに関わっている。公式サイトには“チームレヴォ”とも言うべき、多くの仲間たちが紹介されている。
彼らに対しても、谷口さんは全く指示を出さないのだという。
「僕の意見を入れちゃうと、それは彼らの作品ではなくなってしまう。僕の料理を彼らがそれぞれの感性で受け止め、料理に合うよう思考し、自分らしい作品を表現してくれたらいいと思う」
もちろん、谷口さん自身の感性と相違があることもある。しかし何故それを作ったのか、作り手の思いに耳を傾けると、そこから新たに学びやインスピレーションを得ることも多い。その積み重ねでそれぞれが成長できると考えているそうだ。
作家や生産者とは頻繁に会い、共に食事をし、丁寧にコミュニケーションを重ねることで、お互いの信頼を深めているという。
「外から見ると、自分が率いて発信している印象があるかもしれませんが、引っ張ってもらっていることが多く、共にみんなで階段を上がっているイメージです」
「この店は周りの方々の支えがあってこそ。僕は元々富山の人間ではないですし、常にいろんなことを教えてもらっていて、学びがあります。だから仕事が楽しくできているんだと思います」
自分がいなくなっても、レヴォの哲学はずっと残る
レヴォの料理は、「森のしずく」と呼ばれるイタヤカエデの樹液から始まる。この土地の恵みをシンプルにダイレクトに感じられる、唯一無二の液体だ。この樹液を飲むことで、利賀村から歓待を受けたような気持ちになる。
「実は、樹液って木の成長や健康状態を観察するために採取されているんです。それを活用できないかと相談されたことが最初のきっかけでした。樹液を飲む機会なんてあまりないですし、お客様には利賀村へ来たんだなと素直に実感してもらえる。ここにしかない価値あるおもてなしだと思っています」
テーブルに置いたグラスには、常時「山の水」が注がれる。一般のレストランに多い、海外産のミネラルウォーターはここにはない。
「たとえ有名ブランドでも、行ったこともない産地の水をこの場所で提供するのは、ちょっと違うかなと。それなら大変だけど自分たちで山に入り、目で見て手足を動かして手に入れたものを、お客様にきちんと説明して提供できることの方がより質の高い、一流のサービスだと思うんです」
「今はまだ全てが最上ではないかもしれませんが、そういうことをひとつひとつ丁寧に継続していくことでクオリティが上がり、皆が成長できる。今より5年後10年後がもっと良い状態になっていればそれでいい。そのときを楽しみに日々頑張っています」
将来、もし自分自身がいなくなったとしても、レヴォがこの土地に残り、誰もが誇れるようなレストランになればいい。レヴォという哲学がずっと存続する。それが谷口さんの最終目標だという。
天然の山水を使うことはメリットしかない。水が全て。
レヴォの建つ土地の周りは標高1000m級の山々に囲まれ、豊かな自然に溢れている。公的な水道は敷かれておらず、ここから20分ほど登った山から天然の水を引き、建物内にある独自の浄化装置で浄化して、施設の全てに使用している。
つまり、レヴォの料理は100%自然の山水が使われているのだ。実際の山水の使用は基準が厳しく、通常は営業許可が出ないため、煩雑な申請手続きに加え、大掛かりな浄化設備を導入している。そのための経済負担も膨大だが、それだけの苦労が伴っても、天然の山水を使うことは「メリットでしかない」と谷口さんは断言する。
「自然の水なので、大雨の後はめちゃくちゃ濁りますし、雪解けの時期は驚くほど冷たくてクリアです。夏は緑の葉がたくさん落ちるから山の香りを強く感じたりする」
「自然のものだから、日々変化する。それでいいと思っています」
「水は季節や気候で変化するから、今自分が一番食べたいと思う地元のものを使っていると、自然と料理に季節感が出ます。その時期でなければ収穫できない野菜は、間違いなくその時期の水にも合っている。だから僕は、料理に季節感をあまり意識していません」
「植物も動物もみんな水で育っているので、食材も、自分たちの感じ方も、必然的に合ってくるんですよ。料理は水からできているんです。水がすべてです」
「ここにしかないもの、それが自分たちの武器だ」と谷口さんはいう。もちろん手に入らない食材もあるし、不便なことも多々ある。
それでも、あるものを最大限に生かして美味しいものを作ろうと手を尽くし、先人に教えを請い、地元の食文化を学び、日々アイデアを巡らせることで、経験が積み重なり、知恵が付き、料理の質に反映されていく。
「ここで店をするなら、この地にしっかり足を根ざして料理をすることが、料理人のあるべき姿だと思う。富山は本当に素晴らしく、食材にも人にも恵まれていて、料理人にとっては聖地です。でもまだまだ知らないことも多いし、探求の余地がある」
「昔の自分は、料理人に必要なことは腕であり、テクニックで料理を美味しくできると意気込んでいました。でも今は、どんどん知識を増やして僕が富山のことを知れば知るほど、料理は勝手に美味しくなると思っています」
未来に向けて、レヴォはまだ進化を続ける。
L’évo: https://levo.toyama.jp/
フード・クラフト・トラベルライター。企業や自治体と地域の観光促進サポートなども行う。 著書『青森・函館めぐり クラフト・建築・おいしいもの』(ダイヤモンド・ビッグ社)、『山陰旅行 クラフト+食めぐり』『酔い子の旅のしおり 酒+つまみ+うつわめぐり』(マイナビ)等。旅先での町歩きとハシゴ酒、ものづくりの現場探訪がライフワーク。お茶、縄文、建築、発酵食品好き。
お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。
ひとの手からものが生まれる過程と現場、ゆっくり変化する風景を静かに座って眺めていたいカメラマン。 野外で湯を沸かしてお茶をいれる ソトお茶部員 福岡育ち、学生時代は沖縄で哺乳類の生態学を専攻