連載

セルフラブと“飲まない”選択肢の本質。アメリカの「Z世代的価値観」は物語る:竹田ダニエル

林慶

今や毎日のように耳にする「Z世代」という言葉。

新たな価値観やカルチャーを生み出す若者たちに、注目が集まっている。

一方で、上の世代が希望を込めて描くZ世代像と、実際のそれとでは違うことがあるのも事実。また、日本におけるZ世代と、海外におけるZ世代の間にも多様性がある。

そもそもZ世代的な価値観とは何か。彼らはどんな嗜好を大切にしているのか。

アメリカにおけるZ世代の当事者として彼らのリアルを読み解いた『世界と私のA to Z』(講談社)の著者で、音楽エージェントやライターとして活動する竹田ダニエルさんに、日本のZ世代のライターが意見を聞いた。

アメリカのZ世代において中枢をなす哲学や、時代と共に変化した嗜好体験が浮かび上がる。 

(取材・文:林慶 写真:中山京汰郎  編集:笹川ねこ) 

Z世代価値観、セルフラブという“自己防衛”

ーー竹田さんは、アメリカのZ世代をどういった属性の人々と捉えていますか?

色々な解釈がありますが、アメリカでのZ世代の主な定義は、90年代半ばから2000年代半ばに生まれた人で、とくに中高生や学生時代にコロナ禍を経験していて、黒人大統領の就任、学校での銃撃事件、同性婚の合法化などの社会の動きを直に感じながら育った世代といえます。

日本だとマーケティングの視点から突然使われるようになった側面が大きいと思いますが、そもそもアメリカでいうZ世代は、それ以前のブーマー世代(1946年から1964年頃に生まれた世代)やミレニアル世代(1981年から1996年頃に生まれた世代)の育んできた価値観や社会の延長線上にあるものです。

Z世代の話をする場合は、年代で区切った集合体だけを見るのではなく、今までの文脈を辿った上で、そこからどんなZ世代的価値観が生まれているのか、そんな地続きの考え方が大切だと思っています。

あくまで傾向の話なので、若い人全員がZ世代的価値観を持ってるとは限りませんし、年齢は定義から外れていたとしてもZ世代的価値観を持っている人もいます。

ーーアメリカのZ世代の価値観においては、「セルフラブ」や「セルフケア」がとても大切にされていますが、日本ではマーケティング的に「自分のために贅沢をすること」という意味合いが根強いのかなと。Z世代における「セルフラブ」、どうすればうまく伝わると思いますか?

アメリカでも、商業的な目的で「自分にご褒美を買うこと」として解釈されることが多いですね。しかし最近では、はたしてそれが本質的なのかという議論や価値観のアップデートが進んでいて、「友達や家族を大切にするのと同じように、自分のことを大切にしてあげようよ」という価値観こそがセルフラブやセルフケアだという認知が広まっています。

日本は文化的に、謙虚でいることや調和を乱さないことが美徳とされているので、自分を大切にすることと自己中心的な考えの境目がより複雑ですよね。しかし、カジュアルなたとえをするなら、誰かからの誘いを「今日は疲れているから申し訳ないけど行かない」と断ったり、謙遜という名のもとに自分を卑下しないようにしたりすることも大切なセルフケアです。

アメリカでこうした議論が進んだ背景には、コロナ禍のロックダウンがあります。外出が制限され、不安症やうつ病の人が増えていく中で、身体の健康と心の健康が同等に語られるようになったんです。

また、新型コロナで浮き彫りになった人種差別や政治システムの歪みなどもあり、セルフラブやセルフケアには「社会が自分を大切にしてくれないんだったら、自分が大切にするしかないよね」という自己防衛の側面もあります。

若者が“たむろ”できない社会と、SNSという“場所”

ーーSNSの普及により、多くの若者の居場所が「リアル」だけでなく「(SNS上の)オンライン」にも広がりました。例えば、SNSでは華やかな投稿をしながら、リアルでは不安を抱えていたり……彼らが抱える孤独も一見してわかりにくく複雑化してるように思います。アメリカの若者はこうした「見えにくい孤独」とどう向き合っているのでしょうか? 

「孤独パンデミック」とも呼ばれていますね。よく「若い人たちはスマホばっかり見てるから、リアルでの接触時間が減って孤独なんだ」と聞きますけど、実際はもっと社会的な影響があると思っています。

例えば、ロックダウンで学校に行けなかった期間に、一般の若者たちが投稿するTikTokを見て「みんなも同じ気持ちなんだ」とつながりを感じられたり、保守的な地域で暮らしているセクシュアルマイノリティの人が、遠くにいる同じくマイノリティの人とつながることができたりしました。SNSがもたらしたつながりも大いにあるんです。

リアルの交流が減ったという点では、そもそも若者がたむろできる「サードスペース」がなくなっていることも大きく起因しています。

例えば、1990年代の映画やドラマなどには、ボーリングやショッピングモールで若者が遊んでいるシーンがよく出てきますが、そういった「安いお金で長くたむろできる場所」は現代ではあまり現実的ではありません。

飲食店も50分までしかいられなかったり、特に郊外で有色人種の人たちがたむろしていると「この若者たちが何か騒がしい」と警察を呼ばれたりすることも少なくありません。銃乱射事件も増えていますし、とにかくリアルの交流が制限されている状況です。

ーー上の世代のように、交流できる場所を買えない資本主義の現実と、治安の悪化によって、若者たちが孤独になる時間が増えていると。 

そうですね。ただでさえアメリカは車社会なので、電車や徒歩でサクッと集まることの難易度もそもそも違います。そこに追い打ちをかけているような状況です。そういった制約の中では、SNSはむしろつながるための大切な場所とも言えます。

死を身近に感じた世代に広がる「YOLO」

ーー孤独を抱える一方、Z世代、若い世代を中心に「YOLOYou only live once=人生は一度きりだから楽しもう)」の価値観が広がっていますよね。その背景には何があるのでしょうか? 

YOLOには大きくふたつの文脈があると思っています。

ひとつは、FOMO(Fear of missing out =置いていかれる恐怖)から来るYOLOです。SNSには、みんなの日常が見えすぎてしまうという側面もあって、誰かが何気なく投稿した写真でも「私も仲良しのはずなのに仲間はずれにされてる」と感じたり、「自分の人生よりもこの人たちの人生は充実してる」と虚しい気持ちになることも増えました。そういう「自分もキラキラするために常に行動しなきゃ」というプレッシャーから生じるYOLOですね。 

ふたつ目は、ある意味でヤケクソのYOLO。コロナ禍で起きた多くの失業や、浮き彫りになった社会の不条理、毎日ニュースで目にする環境問題や経済の暗いニュースを受けて、「どうせ世界は壊滅的なんだから好きにしちゃおう」みたいな意識が生まれたんです。

程度は異なると思いますが、日本でも若い頃にバブルを過ごした大人と比べたら、今の若者の抱く未来への希望は希薄ですよね。

以前のアメリカでは「我慢して働いて、普通に貯金して普通に家を買う」という長期的な目標を掲げて頑張ることも一般的でしたが、今の状況下ではそもそも貯金や家の購入の難易度が当時とは全然違う。その現実を前に、若者が「どうせ“終わってる”んだし」と今にフォーカスしすぎている。これは、よく言われていることですね。

ーー今の若者たちは、頑張れば必ず報われるわけではない、厳しい現実に直面する時代を生きている。

加えて、コロナ禍では死をリアル感じざるを得なかったので、若者たちがかなり早いライフステージで「どうせ死ぬんだし」という思想に着地してることも起因しています。

Z世代が時々“絶望の世代”と呼ばれる理由は、こういったところにもあると思います。

物価の急激な上昇も“絶望”の一因ですが、例えばカフェのコーヒー一杯にも「馬鹿げた値段だけどYOLOだからいいか」と捨て台詞のように使われていますね。

ソバーキュリアスな文化が生まれた背景

ーー「DIG THE TEA」では嗜好品についてディグって(深掘りして)います。Z世代をはじめ、若者を中心にお酒離れやお酒を飲まない「ソバーキュリアス」という文化も広まりつつありますが、その背景にはどんなものがあるのでしょうか? 

お酒を飲まない選択肢を持つ人が増えているのは事実で、その背景には2000年代半ばから2010年代半ばに広がった過剰な酒カルチャーのバックラッシュ(振り戻し)もあると思っています。 

例えば音楽でも、以前は「お酒をバカ飲みして大盛り上がりして」みたいなパーティーの華やかさを歌ったものがヒットしていました。しかし、そういったカルチャーの先陣を切っていた有名人たちが、後に「実はその裏でドラッグ中毒やアルコール中毒に苦しんでいた」と証言するようになったんです。 

美化されすぎた酒カルチャーを受けて、「その人が『飲まない』と言うのなら、それを尊重するべき」という価値観が広まっていきました。ソバーキュリアスという言葉も、もともと飲まない人のライフスタイルというより、依存症や中毒に苦しんだ人たちがそれを治しやすいように優しくなった社会を言語化したものだと思います。

以前だったら、飲まない人は「え? お酒飲まないの?」とよく馬鹿にされていましたが、今では馬鹿にする人が「あいつ倫理的に大丈夫?」と首を傾げられるところに来ています。

ーー「飲めないとダサい」という空気感がなくなりつつあると。

はい。もちろん若い世代にもお酒が好きな人はいます。あくまで「私はこういう経験をして、こういう状態だから、こういう選択肢をします」という声が尊重されることに意味があるのだと思います。

最近では、マッチングアプリでも「アルコールをどれくらい飲むか」を表示できるサービスも増えているんですよ。以前は初デートはバーが一般的でしたが、最近ではコーヒーデートの人気も右肩上がりです。

とはいえ、やっぱり嗜好体験としてのお酒が欲しい場面もありますよね。例えばライブ会場ではお酒を飲みながら楽しみたい人も多いですし、せっかくバーに行くならソフトドリンクではないおしゃれなものを飲みたいじゃないですか。

そういうときの新しい選択肢として、お酒のようなビジュアルの缶に入った飲料水が売っていたり、バーでのモクテルの提供が一般的になったりしています。

社会の価値観の変化に伴い、お酒以外の新たな嗜好品が色々な場で生まれているんです。

古着とファストファッション、矛盾する2つの流行

ーーアメリカだけでなく、日本でもZ世代の若者を中心に古着が流行しています。その背景にはどんなものがあると思いますか?

環境問題や反資本主義という観点から古着を選ぶ人もいますが、「古着=貧乏」というネガティブなイメージが払拭されたことが大きいと思います。

そもそも、社会情勢や経済状況をふまえて、「経済に困窮すること =自己責任」の時代ではなくなっているんです。

古着屋なら安く良質な服が安く買えたり、昔のレトロなアイテムが買えたりすることも魅力ですよね。TikTokやInstagramで古着ルックをシェアしているインフルエンサーも多いですし、以前より敷居は低くなっています。

ーー古着と同時にファストファッションも高い人気を誇っています。一見矛盾しているようにも見えますが。

その背景でも、やはりSNSが大きな影響を及ぼしているでしょうね。以前なら誰がいつ何を着ていたかなんてあまり覚えていなかったですよね。でも今はInstagramによる写真文化が定着したことで、その日に着ていた服も記録されるようになってしまった。それによって「同じ服ばかり着てると思われたくない」という風潮が一気に強まったのは明白です。

トレンドも凄まじい速度で入れ替わり、その結果、今や若者の間では、旅行やフェスに行くときに新しい服を買うことも一般的になってしまいました。「常に自分をアップデートしなきゃ」という危機感が潜在的について回っているんです。

そういった不安を一時的にカバーしてくれるのが、安くておしゃれなファストファッションというわけです。お金があまりなくても、簡単におしゃれになれる。けれど、そのおしゃれの消費期限はすごく短い。まさに短期大量消費の縮図ですね。

“推し活”はエンタメではなく、アイデンティティの投影

ーーZ世代を中心に、今では幅広い世代で爆発的に成長したカルチャーに推し活があります。アメリカと日本の推し活には違いがあるのでしょうか?

英語では、“推し活”に一番近い言葉として「スタンカルチャー」がありますね。しかし、その本質は日本とアメリカではそれぞれ異なると思っています。

日本の“推し活”は、エンタメや癒しの区分にあって、ある意味で現実逃避というか、プライベートの充実度の向上が目的とされている場合が多いですよね。ファン同士の交流ももちろんありますが、「“推し”と自分」という関係が何よりも大切にされている印象です。

一方、アメリカのスタンカルチャーは、「価値観で繋がりたい」ファン同士の繋がりや、アーティストの持つ思想や政治性への共感が大きな意味を持ちます。

ビヨンセやハリー・スタイルズ、ビリー・アイリッシュにテイラー・スウィフトなど、それぞれのアーティストのファンコミュニティに異なるカルチャーがあって、ファンのファッションやこれまでの人生、社会的価値観、そして思想にもある程度、共通の傾向があるんです。

ーー自分の声、生き方を代弁しているのが推し”の存在という感じですか?

それに近いと思います。多くの人がアーティストを応援していること自体に、アイデンティティを感じています。

例えば、クィアを公表していて自身のメンタルヘルスについて歌っているフィービー・ブリジャーズのファンには、同じくクィアでメンタルヘルスの問題を抱えるファンが多かったり、そのこと自体をファン本人たちが自虐ジョークにしたりしています。

しかし、それはアーティストの“神格化”とは違っていて、「アーティストは間違いは許されない」という緊張感がある程度薄いことも特徴です。

欧米では、昔からロックスターがドラッグをやっていたり、倫理的に偏った人が有名になったりする事例が当たり前にあるので、ある意味でそこは期待していなくて「“推し”も人間であって、もちろん間違いは起こすし、その上でその人を応援するかは自己責任」という前提があるんです。

完璧さよりも生々しさに共感する関係性、アーティスト個人が“聖人”として踏み台に立たされないことは、健全な傾向だと思います。

Z世代的な思考と未来

ーー最後に壮大な質問ですが、Z世代の中で生まれてきた価値観によって、今後の社会はどう変わっていく可能性があると思いますか?

本当はメディアが求める「Z世代は社会変革を起こして、大人には作れなかったシステムを作って」みたいなことが言えたら良いのかもしれませんが、そう簡単に言い切れないとも思います。

社会にはやはり不可抗力もありますし、若者だけではどうしようもないこともあるので、個人的には「現状維持、もしくはこれ以上に社会が悪化するのを防がなきゃ」という価値観が今後も中枢にあり続けると思います。

一方で、ポジティブな変化が起きているのも事実です。特に若い人たちの声に以前よりも耳が傾けられるようになったことや、「今の社会っておかしいよね」と当たり前に言えるようになったことは、未来を考える上でも大きな意味を持っているはずです。

「将来、自分も大人になって社会で利益を得る側になれるから、今は我慢だね」という思考から「社会は混沌としているけど、自分は少なくとも社会の一員としてアクションを起こせるし、それによって何か変わりうる」という思考へシフトしていることも、大切にしたい事実です。

言い換えるなら、社会への当事者性や「自分にとって何が大切なのか」を意識して行動していくことが、今後の社会へとつながってくるのかもしれません。


写真:中山京汰郎

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Author
ライター・シンガー
1997年生まれ。書いたり歌ったりして生きています。獨協大学外国語学部英語学科卒業。he/him。近頃のテーマは「飯食って笑って寝よう」。
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編集者

『DIG THE TEA』メディアディレクター。編集者、ことばで未来をつくるひと。元ハフポスト日本版副編集長。本づくりから、海外ニュースメディアの記者まで。企業やプロジェクトのコミュニケーション支援も。岐阜生まれ、猫好き。

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