「世界の台所探検家」というユニークな肩書きで、多岐にわたって活動している岡根谷実里(おかねやみさと)さん。
世界各地の家庭の台所を訪ね、一緒に料理をしてその土地の営みをリアルに体感しながら、そこから生まれた問いや発見を、社会・文化背景などの観点から深掘りし考察を交えて、講演や執筆などで発信している。
彼女ならではの着眼点で、料理の先にある「暮らし」に一歩、また一歩と奥深く踏み込み、鋭い分析力で精緻に調査したものを、親しみやすく伝えてくれる岡根谷さん。
著書を読むと、その国に対する固定観念はさっさと取っ払われ、ワクワクするような未知の扉が開き、料理を超えて興味が多方面にバッと広がる。
すべて本人の実体験のため説得力があり、強力な知的好奇心にグイグイ引っ張られるのだ。
岡根谷さんがこれまで出会った「世界のお茶の時間」と、そこにある暮らしと社会、文化的な背景を聞く。そして「お茶とは一体なんなのか」という問いに、独自の視点で答えてもらった。
(取材・文:江澤香織、写真:川しまゆうこ、編集:川崎絵美)
インドでは、路上でチャイを奢り合う
岡根谷さんが、これまで印象に残った「世界のお茶」について聞いてみると、今までに出会ったたくさんのシーンを教えてくれた。
例えば、インドの路上で味わったチャイ。
「インドのラジャスタン州では、試飲用かと思うくらい小さなカップでチャイが売られていました。休みになると、10人くらいの男性たちが仲間同士で路上にたむろして、ただおしゃべりしているんですが、その中のひとりが全員分のチャイを奢るんです。誰かが遅れて来たら『追加でもう一杯』ってさらにご馳走したりして」
「別の日になると、今度はまた別の人が全員にチャイを奢っている。そうやって奢ったり奢られたりをお互いに繰り返すことで関係性が生まれ、次に繋げているんですよね」
「大した金額じゃないけれど、ひとりが全員に奢るってお互いに結構気持ちいいことだと思うんです。そういうコミュニケーションツールとしてのお茶があるって豊かなことだなあと思いました」
お茶のカップがとても小さいので、岡根谷さんが「なんでこんなに小さいの?」と聞いてみたら「1日に何回も飲めるから」という答えが返ってきたとか。
納得がいくような、いかないような答えだが、彼らにとってはたっぷりのお茶を一人で飲むよりも、仲間と心地良い時間を何度も過ごすほうが大切、ということなのかもしれない。
ヨルダンで出会った夜のティータイム
中東の国、ヨルダンの人々は朝早くから仕事を始め、仕事を終えた14〜16時ごろに遅い昼食をとるそうで、それが1日のメインの食事になる。そのため、夕飯はそれほど食べない。その代わりに夜は軽めのティータイムがあることが多いそうだ。
「“お茶の時間”というほどちゃんとしたものではないんです。なんとなく家族が一緒に過ごしている時に、たまには近所の人も遊びに来たりして」
「小腹が空いたら軽くナッツや果物をつまみながら甘いお茶を飲む。気楽なおしゃべりタイムみたいな感じです。お茶と手のかからない食べ物を出して、みんなで過ごす。そういう場を気軽に作れるのはいいなと思いました」
孤食が問題視される一方で、共食へのプレッシャーも感じてしまう日本。岡根谷さんは、お茶とナッツでおしゃべりするだけでも十分に豊かな時間はつくれるとわかり「気持ちが軽くなった」という。
大した用意がなくても、“食卓的なもの”は案外簡単に作れるのだ。
ヨルダンでも小さめのカップでお茶を飲むそうだが、茶器やグラスを店で見かけると、10〜12個入りなどセット販売が主流で、大勢集うことが多いことがうかがえたという。
「誰が何人来てもいいよ、という懐の深さがグラスの数に反映されているように感じます。日本もかつてはそうだったと思います。地方へ行くと、同じような風景を見ることがあって、効率化の中で切り捨てられてしまった文化なのだと気付かされます」
スーダンの朝食としてのお茶
岡根谷さんは旅の中で、人との繋がりや嗜好品としてのお茶だけではなく、食事としての役割をもつお茶のシーンにも出会った。
「インドやスーダンでは、甘いミルクティーとビスケットを朝ごはんに食べます。お菓子の朝ごはん?と最初はびっくりしたんですけど、朝に必要な成分は、夜の間に失われた水分と、脳のエネルギーに必要な糖分、それにちょっとのタンパク質。実は甘いミルクティーってその条件を満たしているんですよね」
提供:岡根谷実里さん
「ミルクティーにビスケットを浸して食べると、なんとなくお腹が満たされます。ホットミルクじゃなくてミルクティーなのはよく分からないんですが、味のためなのか、多少カフェインを付加するためなのか。お茶にもいろんな使い方があるんだなと感じました」
確かに、お茶は生活リズムに寄り添う便利なツールだ。
それにしても人はなぜお茶を好んで飲むのだろう。世界中にこれほどまでに広まって、それぞれの土地でそれぞれの文化として根付いていることも改めて不思議で面白い。
お茶は「居場所」をつくってくれる
お茶とは一体なんなのか。
岡根谷さんの話は聞けば聞くほど好奇心の扉が開き、興味は深まり、知りたいことが次々と増えていく。
「お茶のある空間は、『あなたはそこに居てもいいよ』と安心させてくれるもの」だと岡根谷さんはいう。
「さっき話したインドの路上で、この子にもあげてくれって、チャイを奢ってもらえたのがすごく嬉しかったんです。それは彼ら仲間たちの中に、自分も少しの間入れてもらえるってことなんだなと思って」
「誰かの家へ行ったときにお茶を出してもらえたら、あえて言葉にはしないけれど『ようこそ』『あなたはここに居てもいいんだよ』と伝えてくれているんだと思うんです。だからああよかった、居場所を与えてもらえた、とホッとした気持ちになります」
遠い国を訪ね歩く岡根谷さんの活動では、「他所から来た自分を受け入れてもらえるのだろうか?」という微かな不安感や所在なさがついて回る。
そんな緊張感を解きほぐしてくれるのも、お茶なのだ。
「海外で『言語はどうしているんですか?』ってよく聞かれるんですけど、言葉が通じないことなんていっぱいあります。でもそこにお茶があってお菓子があって、私が喜んでいると相手も喜んでくれる。言葉が通じなくてもお茶があればなんとなく間がもつし、会話できている気持ちになれます」
そういう時に「自分はここに居ても大丈夫」「受け入れてもらえた」という途方もない安心感が得られるのだという。お茶は、本来なら会うはずのなかった人と同じ空間を共にして、過ごす時間を少し長くしてくれる。
「私は、自分が壁をつくらなければそこに壁はない、と思うようにしています。でも確かに言葉でコミュニケーションを取ろうとすると、勝手に壁ができてしまうこともあるかもしれません」
「だから、言葉じゃないコミュニケーションの手段をいっぱい持っているといいと思います。料理もそのひとつだし、絵とか音楽もそうですね。お茶もそのひとつなのかなと思います」
お茶とは、“言葉にしなくても伝わる言語のようなもの”だと岡根谷さんはいう。
「言葉によって伝えられることもいっぱいあるんだけど、人間は案外そうじゃないところで会話しているなと思います」
知らない世界をもっと知りたかった
「子どもの頃は飽きっぽくて何事も長続きしない子だった」という岡根谷さん。
特別料理が好きだったわけでもなく、食いしん坊というほどでもない。将来何になりたいかも分かっていなかった。ただ地理の授業は好きだった。
「地理を学ぶと、その土地の気候や植生を知り、全く行ったこともない国がどんな暮らしをしているのか、何となく想像できることが楽しかったですね」
初めて自分の意思で渡航したのは大学1年のとき。台湾の国際交流プログラムに参加したことをきっかけに好奇心が湧き、以降は夏休みなど長期休暇を利用して、さまざまなスタディツアーに参加した。
「私はいわゆる途上国と呼ばれる国に行くことが多かったです。フィリピンのスラム街を訪ねたり、バングラディッシュのNGOと交流したりして、現地の人々や、さまざまな国から来た人たちと交流しました。旅行に興味があるというより、知らない世界をもっと知りたい気持ちが強かったです」
料理はみんなを笑顔にしてくれる偉大な手段
知らない世界への興味はますます強くなり、将来は国際協力関係の仕事に就きたいと考え、そのための技術を身に付けようと土木工学を専攻した。
大学院生の時には、インターンシップでアフリカのケニアに行く機会を得た。
現地のインフラを整え、大きな道路が通れば流通も良くなり、経済が発展して人々の生活は向上する、と信じていたことが現実では全く違っていた。
「道路を通すために、家や学校が立ち退きしなければならず、辛い犠牲が生じていた。目の前にいる人たちは全然喜んでいなくて、怒ったり悲しんだりしているんです。社会の発展のために、犠牲になる彼らの悲しむ姿を見ることが、自分の一生をかけてやりたいことなのか分からなくなってしまって」
そんなモヤモヤとした気持ちを抱える日々の中で、みんなが必ず笑顔になるのは食事の時間だった。
「道路や橋をつくることに比べたら、料理ってほんの些細なことだけれど、誰もが自分の手で食べるものをつくって、周りの人たちを笑顔にできる。それってすごいことだと思ったんです」
「料理は地球上の全ての人が犠牲なく、幸せをつくり出せる偉大な手段なのだと」
食を通じて、世界で起きていることが見えてくる
その頃、岡根谷さんは料理レシピ投稿・検索サービスを提供する企業クックパッドに出会った。
同社のミッションは「毎日の料理を楽しみにする」であり、「料理をつくる人を増やすことで、よりよい世界をつくる一助になれる」と信じている会社だった。モヤモヤしていた気持ちが、ストンと腑に落ちたという。
岡根谷さんはクックパッドで働きながら、休暇が取れるたびに世界各地の家庭の台所へ出かけるフィールドワークを始めた。
その体験を人に伝えたくて、最初は社内のブログに書き始めたそうだ。すると一緒に面白がって応援してくれる同僚や上司が少しずつ増え、いつしか社外にも発信するようになった。
2020年には初めての書籍『世界の台所探検』(青幻舎)を出版。2021年にフリーで活動を開始し、2023年に『世界の食卓から社会が見える』(大和書房)を出版した。
「世界の台所を訪ねて、疑問や気付きから料理の向こう側にある大きな出来事が見えたとき、ハッとすることがあるんです。たとえば食卓の一品には、環境問題や学校で習ったような歴史的事件が関わっていたりして、それを探究するのが面白くて続けています」
遠い国の人々の日常に関わっていくうちに、自分の手で暮らしをつくる人たちの格好良さや力強さに惹かれていった岡根谷さん。
「テレビや新聞のニュースだけを見ていると“貧しい国の恵まれない人々”に思えるかもしれないけれど、もっと違った視点を伝えてポジティブな興味を持ってもらいたい。食という身近なところから、世界で何が起こっているのか、政治経済、環境、歴史、伝統文化など、多様な興味を持つきっかけになればいいなと思っています」
誰かを思ってつくられたものは美味しい
岡根谷さんの話してくれた「世界のお茶の時間」は、どこの国のお茶はこんな味、というエピソードではなくもっと根源的なことだった。
「どんなお茶なのかという情報よりも、言葉が通じない場所でお茶を出してもらえると、それだけで『ああ、受け入れてもらえたんだ』ってホッとして、その心の動きや情景の方がより強く記憶に残ったりする」
岡根谷さんは「世界のどこの食べ物が一番美味しかったですか?」とよく聞かれるそうだが、「実はそれを聞かれるのがちょっと苦手なんです。万人にとって美味しいものなんてないから」と言う。
その土地の誰かと一緒に料理をつくる。
家族のために、何をつくろうか考えて用意している。
その時点で「もう絶対に美味しいんです」と岡根谷さん。
「何が美味しいかというより、その料理が誰とどう関わっているかが、自分の思う美味しさに繋がっています。誰かを思ってつくってくれた料理には一番も二番もない。つくり手への敬意と感謝の気持ちで美味しくいただきます」
岡根谷さんは、きっと感銘を受けるような素晴らしい人たちに、料理に、お茶のシーンに、世界のあらゆるところで出会ってきたのだろう。
「知らない世界を知ると、こうじゃなきゃいけないっていう偏見や思い込みからも自由になれます。自分が居る場所だけじゃないところに少し目を向けると、世の中はもうちょっとだけ良くなるんじゃないかな。料理をきっかけに、世界に興味を持つ仲間が増えたら嬉しいなと思っています」
note: 岡根谷実里 | 世界の台所探検家
撮影協力:La Ventura
フード・クラフト・トラベルライター。企業や自治体と地域の観光促進サポートなども行う。 著書『青森・函館めぐり クラフト・建築・おいしいもの』(ダイヤモンド・ビッグ社)、『山陰旅行 クラフト+食めぐり』『酔い子の旅のしおり 酒+つまみ+うつわめぐり』(マイナビ)等。旅先での町歩きとハシゴ酒、ものづくりの現場探訪がライフワーク。お茶、縄文、建築、発酵食品好き。
お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。
若いころは旅の写真家を目指していた。取材撮影の出会いから農業と育む人々に惹かれ、畑を借り、ゆるく自然栽培に取り組みつつ、茨城と宮崎の田んぼへ通っている。自然の生命力、ものづくり、人の暮らしを撮ることがライフワーク。