「時代とともに移り変わる嗜好」「現代の嗜好をめぐる論考」「嗜好の生成メカニズム」をテーマに、大学生を対象にして2023年に初開催されたエッセイコンテスト(主催:日本たばこ産業株式会社(JT)エッセイコンテスト実行委員会)の受賞作品です。「DIG THE TEA」は、哲学者・國分功一郎さんと入賞者ら学生との座談会と受賞作品の掲載に協力しています。

【エッセイコンテスト入賞作品】
最優秀賞「孤高の孔雀たれ」潮亮太郎
優秀賞「嗜好品の構造」諏訪優介
特別賞「布団の中の定まらない私」髙木咲織
特別賞「『如雨露』としての嗜好、『こぼし』としての嗜好」内藤広武

【座談会】
前編:「人間は、全員が軽度の依存症である」哲学者・國分功一郎、若者と嗜好を語る
後編:マッチングアプリで恋愛は嗜好的になったのか。哲学者・國分功一郎が、大学生と「嗜好」について語り合ったこと

寒いのが苦手だ。寒いと悲しくなる。寒いと自分が本当にみじめな存在だと感じる。それでも寒風の中へと出ていかなくてはならない。私は分厚くて毛羽立ったコートを愛していた。ぎっしり目の詰まった重いのがいい。強い風も通さないような、ずっしりしたもの。コートの重みは私を慰め、励ましてくれる。そこまで寒くない季節は、コーデュロイのジャケットとかもいい。あの起毛と凸凹のある生地の厚みには癒やされる。やっぱりそういうトラディショナルな感じの服が私のキャラにも合っている。私ってほら、結構古風なところがあるし。 

しかし数年前の冬、愛していたはずのコートを羽織って思った。 

「重い!」 

「このコートこんな感じだったっけ」 

「なんだかデザインも野暮ったい気がする」 

あらためてクローゼットを検分すると、そこにある服のほとんどが野暮ったく見えることに気づいた。服についての私の嗜好があきらかに昨年から変化している。何がきっかけでこうなった?記憶をたどると、はたと思い当たることがあった。 

その年の秋口、徐々に寒くなってきたころ、私は布団を買い替えたのだ。それまでは、分厚いアクリル毛布に挟まれて、その上に綿布団をかぶって眠っていた。直接肌に触れる毛布は毛羽立っており、布団と合わせるとずっしりと重かった。そしてそれらを感じることは、暖かさを得ることとイコールで結ばれていた。身体に毛羽立ちも重みを感じないときは、決まって寝具を飛び出して冷たい空気にさらされており、急いでそれらをたぐり寄せて再び毛羽立ちと重みの中に身体を納めるのだった。

それを、ちょっと高級な羽毛布団に替えた。羽毛布団は一枚で十分暖かく、毛布は不要になった。肌に感じるのはサラサラした布団カバーになり、しかも今度の布団は非常に軽かった。替えてしばらくは妙な気分だったのを覚えている。夜中に不安で目覚めたことが数回あった。身体に毛羽立ちも重みも感じないので、また飛び出しているのではないかと思ってしまうのだ。しかし身体はちゃんと羽毛布団の中でホカホカと暖まっている。一週間もするとすっかり慣れて、これまで以上に快適に眠れるようになった。 

絶対にこのことが、服の嗜好の変化に関係している。布団を買い替えてから、アパレルショップではウールコートよりダウンコートに目が行くようになったし、サラサラ・ツルツルした化繊への抵抗がなくなり、以前なら全く惹かれなかったフワフワしたスカートを衝動買いしたこともあった。当時の流行はどちらかといえばトラディショナルよりだったにもかかわらず、である。 

この確信は、大学院で認知心理学の授業を受講したときに裏付けを得た。この嗜好の変化には、少なくとも二つの認知心理学的現象が関わっているに違いない。 

まず一つめ。「感覚間協応」という現象がある。「もま」という音に丸さを感じたり、「キキ」という音に尖った感じを受けたりするのがその例だ。音と形はまったく別のものであるにもかかわらず、その間に何らかの結びつきを私たちは感じている。

Spence(2011)はその結びつきが生まれるメカニズムを分類する仮説をたてた。それによれば、感覚間協応は生得的な場合もあるが、環境が持つ法則性を学習することによって後天的に得られる場合もある。生得的な協応はおそらく誰しもに共通しているだろうが、学習によって獲得する協応であれば、どのような環境にいるかによってある程度の変化がある可能性がある。 私の場合、布団を替えたことによって、「暖かさ」に協応する視覚イメージや重さの感覚が変化したのではないだろうか。

それまでは、「毛羽立った見た目」や「重み」が、暖かさと強く結びつけられていた。コートを着たときに実際に肌に触れるのはツルツルした裏地であるにもかかわらず、また、軽くて暖かいコートがたくさん売られているにもかかわらず、 毛羽立っていて重いコートを好んでいたのは、その見た目や重さが私にとって暖かさを体現するものだったために、視覚的・体感的な満足を得られたからである。

しかし、個人のレベルで寝具という環境が変わったことによって、法則性に変化が生じた。寝具に包まれている時間は一日の三分の一などと言われるが、白状すれば私の場合はそれ以上である。このように長時間、しかも最も無防備な状態のときにそれを肌で感じているのだから、寝具の肌触りが無意識下の認知処理に影響するということは十分考えられる。こうして私にとっての暖かさは「膨らみを持った形態」「サラサラした肌触り」「軽さ」とより強く結び付けられるようになったのだ。

そして二つめ。「生態学的誘発性理論」というものがある。Palmer と Schloss (2010)は実験によって、色の好き嫌いがその色を持つ物体の好き嫌いと同じ傾向を示すことを発見した。例えば、バナナが好きな人なら黄色を好きになる傾向がある。黄色それ自体は味も舌触りもないが、好物のバナナをその色が連想させるから好きになる。逆に、嫌いなものの色は嫌いになる傾向がある。

つまり、自分にとって良いものを連想させる色へ接近し、自分にとって悪いものを連想させる色を回避するという生態学的な要因が色の嗜好に関わっているというのが、生態学的誘発性理論である。 

この理論は、色だけでなく、物体が持つ形や重さなど他の特徴への嗜好にも適用できるのではないだろうか。当然ながら寝具というのは寒い季節にとりわけ好ましいものである。冬の朝、布団から身体を引き離すのがどれほどつらいかを思い出せば十分な証拠になるだろう。このように愛着の対象となる寝具が新しいものに変わり、それまでとは別の特徴を持つようになれば、それ自体で好ましいと感じる特徴が変わる。このように、色・形・重量感などへの嗜好が変化すれば、ファッションへの嗜好も変化するのはもはや当然と言っていい。 

このように、布団の買い替えによって嗜好が変化する可能性は認知心理学によって裏付けられる。とはいえ、「感覚間協応」も「生態学的誘発性理論」も、特に意外なものではなく、日常生活から推測できる延長線上にあるように思う。ざっくりと言ってしまえば、「嗜好は環境に影響される」なんてことは、認知心理学によって説明されるまでもなく既に知っていたことでもある。

しかし、この「布団事件」で私が感じたのは、「こんなに些細なことで」「これほどラディカルに」変化するのかという驚きである。環境が嗜好に影響するとはいっても、それはじわじわと、気づかないくらいの速度で起こるものだと思っていた。もし急激に変化するとしたら、それはもっとインパクトのある何かが起こったときだと思っていた。

例えば恋愛。「恋をすれば人は変わる」とはよく言うが、私は恋をしたわけでもなく、 布団を替えただけで変わってしまった。それってちょっと情けないような気がする。 

さらにいえば、ファッションの嗜好というのはセルフイメージにも関わる。トラディショ ナルな衣服を好んでいた頃の私は、なんとなく自分を「古風」だと思っていたのだが、ワードローブを入れ替えて「スポーティー」「モード系」などと呼ばれるような服が増えた結果、 現在の私は自分を古風だとはあまり思っていない(トラッドな要素を取り入れたモードなファッションというのもあるが、私がかつて好んでいたのはトラディショナルかつコンサバティブなものだった)。

もちろんトラッドなファッションで進歩的な性格の人もいるに違いないが、多くの人は服のイメージとセルフイメージを近づける傾向があるのではないだろうか。そして、セルフイメージが変化すれば行動様式も変化する。

私の場合、以前は流行りの食べ物や話題のスポットなどをなんとなく敬遠していたのだが、とりあえず食べてみたり、行ってみたりするようになった。こういった変化が全て布団に起因しているとは思わないが、きっかけの一つを作ったのはおそらく布団なのだ。正直これは考えたくないのだが、 私が仕事をセーブして大学院に進学する一大決心をしたことにも、布団を替えたことが影響していたら……。そう考えると情けないどころか、もはや空恐ろしい。 

なぜ恐ろしいのかといえば、それは「私」とはなんなのかという問題にかかわるからだ。 これまで、「私」という主体がいて、それは置かれた環境に影響されて形成されるとはいえ、一旦形成された後はある程度定まっており、その定まった「私」が自由に何かを選好したり、 行動したりして今度は逆に環境に影響を与える、というストーリーの中で生きてきたように思う。

でも、実際は環境による影響は終わりなく続くもので、どうやら「私」は自分が選好した対象や行動した結果まで含めた環境に繰り返し影響されて変化しつづけているらしい。 影響は双方向的かつ持続的であり、もたらされる変化は想像以上にあからさまなのだ。そう思い至ってみれば、むしろ腑に落ちることが多い。 

寒いのが苦手だ。寒いと悲しくなる。寒いと自分が本当にみじめな存在だと感じる。そんな寒い冬の私と、割に楽観的な夏の私は、果たして同じ主体だろうか。包まれたくなる肌触りも、食べたくなる味も、聞きたくなる音楽も、嗅ぎたくなる香りも、冬と夏では全然違うのに、同じ主体だとどうして言い張れるのだろうか。むしろただ連続しているだけの、 別の主体なのではないだろうか。 

そんなふうに揺らいで、定まらない、羽毛布団みたいにフワフワしたものこそ、本当の私の姿なのかもしれない。だからこそ、これからさき何を好きになるか分からない。いま嫌いなものを、これから好きになる可能性もある。それは空恐ろしいような気もするけれど、ちょっとばかり楽しみでもある。

エッセイコンテスト入賞作品】(主催:日本たばこ産業株式会社(JT)エッセイコンテスト実行委員会)

最優秀賞「孤高の孔雀たれ」潮亮太郎
優秀賞「嗜好品の構造」諏訪優介
特別賞「布団の中の定まらない私」髙木咲織
特別賞「『如雨露』としての嗜好、『こぼし』としての嗜好」内藤広武 


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濁流のように去りゆくこの時間を、心が溶けるひとときに。