コーヒー、紅茶、カカオ。私たちの日常に彩りを与えてくれる嗜好品の多くは、遠い国の熱帯地域で育てられた植物からつくられている。
その生産現場ではいま、気候変動や土壌の劣化、生物多様性の損失といった地球規模の変化が、静かに、しかし確実に進行しているという。
こうした「地球の健康」と「人間の健康」を統合的に捉え、社会・経済・生態系に総合的にアプローチしようとする考え方が「プラネタリーヘルス」だ。
この概念を日本に紹介した第一人者が、医師の國井修さん。国内の僻地医療からキャリアをスタートし、国立国際医療センターや東京大学、外務省、長崎大学、ユニセフ、グローバルファンド(世界エイズ・結核・マラリア対策基金)などを経て、人道支援、感染症対策、母子保健、保健戦略・政策といったグローバルヘルスの最前線を歩んできた。
目の前の患者を診る医療から、地域を診るコミュニティヘルス、そしてグローバルヘルスへ——その歩みの中で國井さんが抱いたのは、地球と人間の健康はたしかにつながっているという実感だ。
プラネタリーヘルスの伝道師となった國井さんに聞いたのは、経済活動と環境問題の交点に位置するものとしての「嗜好品」の姿。世界中を渡り歩き、嗜好品の原料を生産する現場も数多く見てきたという國井さんは、プラネタリーヘルスの観点から「嗜好品」をどう見ているのか。
地球と人の健康、そしてこの世界の未来をひらく嗜好品のあり方とは——。
(文:鷲尾諒太郎 写真:田野英知 編集:小池真幸)
地球環境と人間の健康をつなげる「プラネタリーヘルス」
——ご著書『プラネタリーヘルス入門:地球と人類の健康のためにできること』(みすず書房、2026年)も刊行されていますが、そもそも「プラネタリーヘルス」とはどのような概念なのでしょうか?
人や動物の健康と地球の健康のつながりを重視し、それらを総合的にとらえながら、社会・経済・生態系にアプローチしていこうという考え方です。既存の学問との関連で言えば、主に「公衆衛生学」と「環境学」をつなぐ概念、と言えるかもしれません。
公衆衛生学は、人間を集団としてとらえ、どうすれば人々が健康に、より長生きできるかを考えるための学問です。ただ、そこには「環境を守る」という視点はありません。人間の安全や社会的、経済的安定を優先するあまり、動物や自然環境へ大きな負担を強いる側面もあります。
環境学は環境そのものの保全を重視します。一方、公衆衛生学は人間の命や健康を守ることを主な目的としています。そのため、環境そのものと人間の健康との関係を十分に統合して考える視点が必ずしも十分ではなく、両者を結びつける考え方が求められていました。
しかし実際には、人間の健康と地球環境には密接なつながりがある。その両方を統合的に捉え、お互いをどう守っていくか。そうした発想から生まれたのが、プラネタリーヘルスという概念だと私は捉えています。

——プラネタリーヘルスに関心を寄せるようになったのはなぜですか?
個人的な体験が影響しています。
私は自治医科大学を出たのち、医師として僻地で患者を診る仕事からキャリアを始めました。その中で、個人の健康を守るためには、その人の身体だけではなく、人々との関係性や地域全体を“診る”必要があると気付いたんです。
たとえば、ある山奥にある村には、肝臓がひどく悪い患者さんがたくさんいました。「もうお酒は飲んでいないよね」と確認したら、みなさん「はい」と答えるのですが、肝機能は悪くなっている。原因もわからず、どうしたものかなと。
そんな折、村の祭りに参加することになったんです。すると、みんな酔っ払っているわけですよ。「もうお酒は飲んでいない」と言った人も、一升瓶を抱えている。
声を掛けると、「先生、酒なしでこの村でやっていけると思うけ?」と。実際、やっていけない。村にはたくさんの祭りや集まりがあり、そのたびに宴が催され、酒が振る舞われる。酒を酌み交わすこと自体が、ある種の伝統や文化になっていたんです。
私自身も、村に溶け込むためにと、かなり飲んでいましたから(笑)。
つまり、その場所で生きることと、お酒を飲むことは、切っても切り離せない関係にあった。もちろん、酒の飲みすぎは体に悪いですから、コミュニティを“診る”ことから、人を診て、地域全体として行動を変えるための介入をする必要があります。
——人の健康は、遺伝的な要因やその人の生活習慣だけに左右されるものではなく、外的な環境まで考慮しなければならない、と。
また学生時代、アフリカの難民キャンプでボランティアをしていた際、人が次々と死んでいく様子を目の当たりにしました。患者を診て、薬を渡すだけでは命は救えなかった。なぜならば、水や衛生、食料など、いわゆる医療行為の範疇ではケアできない問題がたくさんあったからです。
そこからグローバルヘルスに関心を持ち、後にNGOやJICA(現在、国際協力機構)などを通じて海外を飛び回るようになりました。東大や長崎大で教育・研究もしていて、感染症アウトブレイクや大規模災害の度に、海外の現場に駆けつけたりもしました。
その後、ユニセフの職員としてミャンマーに3年、アフリカのソマリアに3年赴任しましたが、ミャンマーではサイクロンで約14万人が亡くなり、アフリカ東部では60年来の大干ばつが襲来し、多くの人が死亡また飢餓に瀕する事態に直面しました。
そういった経験から、地球環境の変化や気候変動が、直接的に人の命に結びついていることを実感し、プラネタリーヘルスという概念に関心を持つようになったんです。
——抽象論ではなく、個人の経験を通してプラネタリーヘルスの重要性を感じるようになったわけですね。
大きな話だけを言われても、なかなか自分事にならないじゃないですか。
「地球の環境と人間の健康には密接なつながりがあるのだから、人の命を守るためにも、環境を保全しなければならない」と言われても、具体的な行動を起こそうという気にはなりません。自分事にならなければ、人は動かない。
海外でのさまざまな経験を通して、私の中で「地球環境と人間の健康」は密接につながるようになり、双方を統合的に捉え、改善していくことは切実な課題でした。
つまり、プラネタリーヘルスが「自分事」になっていったわけですね。私自身は、自分事だからこそ真剣になれる部分があるんですよ。

モノカルチャーによる嗜好品生産の問題点
——ここからは、嗜好品とプラネタリーヘルスの結びつきについて聞いていきたいです。お茶、カカオ、コーヒーといった嗜好品の原料植物は、地球環境と人の営み、経済活動が交差する地点にあります。その生産は、気候変動や土壌劣化、生物多様性の損失の影響を受けやすいと思うのですが、いま生産の現場では、何が起きているのでしょうか?
嗜好品の原料は、アフリカや中南米、東南アジア諸国の、いわゆる低・中所得国で主に生産されています。欧米主導の大手企業が大きな農園を設けて、現地の方々の労働力を安く買い、モノカルチャー、つまり単一の農作物を集中的に栽培する手法を導入することで、生産量を拡大させてきた地域も少なくない。
現地の山々や熱帯雨林を切り刻み、単一の農作物を植えることで効率的に嗜好品の原料を栽培しているわけですね。その結果、CO2の増加や自然発火を原因とする山火事、土壌の劣化といった問題が表出しています。
たとえば、私が昔からよく訪れているエチオピア。コーヒーの産地として有名ですが、もともとは野生のコーヒーがあり、現地の方々が自然の中でそれを利用する形で小規模に生産していました。ところが、その品質に目を付けた大企業が森林を伐採してコーヒー農園をつくり、栽培を拡大してきた歴史があります。
ガーナはカカオの生産国として有名ですが、カカオ農園の拡大の影響もあり、過去60年間の間に、森林の大部分(約80~85%)が失われたといわれています。
もちろん森林消失の原因は嗜好品の生産だけではありませんが、大規模農園の開発が進むことで環境の問題が生じ、私たちはいま、そのしっぺ返しを受けている。

——大規模農園によるモノカルチャーが、プラネタリーヘルスを脅かしていると。
もちろん、モノカルチャーのほうが生産効率は高いんです。ただ、モノカルチャーは長期的なリスクをはらんでいます。土地が痩せて生産量が落ちるという問題もありますし、2050年頃には、暑さや降水量の変化も相まって、アラビカ種の栽培に適した土地が半分ほどになってしまうのではないかと言われています。
つまり、モノカルチャーによる環境破壊が、回り回って農作物の生産に悪影響をもたらしている可能性があるわけですね。だから私は、モノカルチャーをこのまま続けるのは、かなり危険なことだと考えています。
さらに言えば、人間の健康にも有害である可能性があります。モノカルチャーの担い手である現地の農民たちは、貧しい人が多いこともあり、食べ物が偏りがちで、似たようなものをずっと食べているんです。食べ物の選択肢の少なさが、病気の原因になることは少なくありません。
よく「腸内環境が脳に大きな影響を与えている」と言われますよね。人間の腸の中にはさまざまな微生物がいて、それらは多様な食物から多様な栄養素を摂ることで、数が増えたり、活性化されたりする。そういった側面から考えても、食べるものの多様性を担保するということは、人間の健康にとって非常に重要なことなんです。
たとえば、南アジアや東南アジアで発生するニパウイルス感染症の感染経路の一つは、ウイルスの自然宿主であるオオコウモリがかじったり、唾液や尿、糞便などで汚染したりした果物などを摂取したりすることです。こうした食品を避け、加熱したり、洗浄・皮むきをすればリスクを下げることはできます。しかし、安全な食品を安定して手に入れられない生活環境そのものが、感染リスクを高めてしまうのです。
「未来がないように見えた」土地に生まれた、変化の兆し
——モノカルチャーが、地球環境のみならず、現地の人々の健康にも害を及ぼしてきたのですね。
そういった状況を顧みて、少しずつではありますが変化が起こっています。
たとえば、モノカルチャーを推し進めてきた大手企業自身の変化が挙げられます。彼らにとって、いま一番大切なのはESGです。環境への配慮、社会的な取り組み、そしてガバナンスが、投資家が投資先を選ぶ際の重要な評価基準となり、財務的な指標と同様に、企業価値を大きく左右するようになりました。
そのような背景から、モノカルチャーを推し進めてきた企業も、アグロフォレストリー(森林農法)に転換し、多様な作物を育てるようになっています。土地を耕さない不耕起栽培や有機栽培も含めて、自然に優しい生産方法を採る企業が増えているんです。
モノカルチャーの影響を最も受けていたブラジルやインドネシア、エチオピア、ルワンダ、ガーナなどでも、改善の兆しが見えてきています。
——一方、モノカルチャーではあっても、大企業農園ができたことで現地経済が潤った、農民はより危険な仕事から解放されたという側面もあるのではないでしょうか。以前、フィリピンのバナナ農園の経営者から「私たちがここでバナナをつくらないと、現地の方々は金の採掘でしか稼げなくなる。金の採掘には毒性の高い水銀が用いられていて、多くの人がそれが理由で亡くなっている」といった話も聞いたことがあります。私たちは、そうした国々の現実とどう向き合うべきなのでしょうか。
もちろん、モノカルチャーをやめればすべて解決するというほど、単純な話ではありません。
まず、レギュレーション(規制)は絶対に必要です。本当に貧しい人たちは、明日食べるものがなく、飢えによる死の淵をさまよっています。
そういった人たちに、水銀の有害性を説いてもすぐに行動は変わりません。明日子どもが死んでしまうかもしれないのに、将来の健康被害を気にしている場合ではありませんから。

しかし、国としてはその状況を放置するわけにはいきません。だからこそ、さまざまなレギュレーションが必要なんです。
そして、レギュレーションは代替案とセットでなければいけません。たとえば、金の採掘に水銀を使用することを禁止する。とはいえ、ただ禁止しても明日の糧を求める方々は、違法だとしても水銀を使って金を採るでしょう。
ですから、「水銀は禁止にするけど、このようないい方法もありますよ」、あるいは「金の採掘だけではなく、こういったお金の稼ぎ方もありますよ」と代替案を示して具体的に支援する、雇用促進や貧困対策が必要になります。
バナナの栽培が「代替案」になることはあるでしょうが、バナナ栽培においても規制は必要でしょう。どれだけ生産効率を上げるものだとしても、環境や人間の健康に害をもたらす農薬の使用は禁止しなければならないのです。
いずれにせよ、最終的には地域の人々の健康や環境に配慮して、彼らが納得して取り組める方法を模索する必要がある。最近では、企業と現地の方々が話し合い、モノカルチャーからアグロフォレストリーでの多品種栽培へ転換していこうとする動きがあります。
最初はモノカルチャーと比べれば生産効率は落ちます。であれば、「政府から補助金をもらい、助け合いながらやっていこう」と。そういった、ローカルコミュニティのトランスフォーメーションが起き始めているんです。
——トップダウンでレギュレーション(規制)を設けることと、企業と現地の方々によるボトムアップの実践。その両方が必要なのですね。
その通りです。政府や行政がトップダウンで新たな方針を示し、企業や現地の方々がそれに応じて動き出したとしても、1年や2年では大きく状況は変わりません。
従来のモノカルチャーを脱して、プラネタリーヘルスに資する農業に転向するには、5年かかる場合もあるでしょうし、国によっては10年、20年かかるところもある。それでも、諦めなければ状況は変わっていくんです。
約40年前、私が学生時代に初めてアフリカを訪れたとき、「もうこの大陸に未来はないかもしれない」と思いました。それほど、当時は環境破壊も人間の健康状況もひどいものだったんです。でもたしかに、状況は改善しつつある。時間がかかるとしても、歩みを止めずに進み続けることでしか、変化は起こせないと思います。
「2℃」という境界線
——ボトムアップの動きが生じた要因はどのようなものなのでしょうか。
嗜好品の原料となる農作物の栽培に関する問題は、点ではなく線、つまりサプライチェーン全体の問題として捉えるべきものです。
消費者がサプライチェーンの全体像を捉え、地球環境や生態系、エコシステムを考慮してつくられた商品を選ぶようになれば、生産側の意識も変わります。そして、教育水準が上がったことによって、徐々にではありますが商品を選択する基準が変わってきているように思います。
その意味で、教育水準が向上したことはボトムアップの要因です。特に世界的に女性教育、初等教育の水準が上がったことによる影響が大きいと思っています。
社会は直線的に変化するのではなく、初めは緩やかに進み、ある転換点(ティッピングポイント)を境に一気に加速し、やがて成熟して定着していく——いわゆる「シグモイド曲線(S字カーブ)」を描くことが多いように思います。つまり、初めはなかなか変わらないけれど、ある時点から変化の速度は一気に上がっていく。
たとえばタバコは、昔は電車や飛行機でも吸えました。しかし、受動喫煙による健康被害がクローズアップされるようになり、徐々にタバコを規制する動きが起こり始めた。やがてその動きは一気に広がり、いまでは街中でタバコを吸える場所を探す方が難しい。
私は、社会変化のクリティカルマス(ある変化が「一部の人の行動」にとどまらず、社会全体に一気に広がり始める分岐点)は、おおよそ20%から30%だと思っています。つまり、値段やおいしさだけではなく、10人中2人ないしは3人が「地球環境や生態系に配慮されていること」を購買の判断軸にするようになれば、嗜好品生産のあり方は大きく変わっていくはず。
では、その2人ないしは3人をどう生み出すか。そこで重要なのが教育、とりわけバリューエデュケーションと呼ばれる、価値観を育むための教育だと考えています。

——とはいえ、いち消費者が嗜好品の来し方やモノカルチャーによる環境破壊、ひいてはプラネタリーヘルスを意識するのは難しいと感じます。何を知ることから始めればよいのでしょうか。
プラネタリーヘルスを自分事として意識する入り口のひとつは、「気温と体温」です。
2015年に採択されたパリ協定において、「産業革命以前と比較して、地球の平均気温上昇を1.5℃以内に抑えること」が世界的な目標に定められました。平均気温の上昇が2℃を超えると、極端な気象の増加、海面上昇、水不足や干ばつの深刻化、そして生態系の深刻な破壊などが生じると言われています。
たとえば、産業革命以前と比較して、平均気温が1.5℃上がると、全世界のサンゴ礁の70〜90%が、2℃を超えると99%以上が消滅すると予想されているんです。
そして、サンゴ礁は世界の海底面積の0.1〜0.2%ほどしか占めていないにもかかわらず、25%以上の海中生物がそこを住処にしているといわれています。つまり、99%のサンゴ礁が消滅すれば、海の生態系は壊滅的なダメージを受けることになる。
と言っても、「地球の平均気温が2℃上がること」の深刻さにピンと来ない人もいるでしょう。その理解の助けになるのが、自分の「体温」なんです。
人間の平熱を36℃としたとき、体温が37.5℃に上がったら——つまり1.5℃上昇したら——みなさん「熱が出た」と思いますよね。さらに熱が上がって、自分の体温が38℃を超えたときのことを思い出してください。もうひたすらしんどいですよね。
——体温であれば、1〜2℃の違いがよくわかります。
私たち医師は、患者の体温が37℃台であれば「風邪だろうな」と思うことが多いのですが、38℃ないしは38.5℃を超えると、「ただの風邪」ではない可能性も考えて慎重になります。
体温が38.5℃を超えていると、免疫系、神経系、循環器系などのさまざまなシステムがフル稼働して、体内のバランスが大きく崩れていることが多いです。
地球も同じです。気温が2℃上がれば、さまざまなシステムが異常を来たし、その異常が他のシステムも狂わせ、全体のバランスが崩れてしまう。サンゴ礁が失われれば、海の生態系が破壊され、海の生態系が破壊されれば、食物連鎖全体への影響は避けられません。
それはやがて、さまざまな形で私たちの暮らしや健康に、大きな影を落とすことになります。
「身土不二」——日本食に宿るプラネタリーヘルス
——ここまでは世界全体の傾向について聞いてきました。日本の飲食文化をプラネタリーヘルスの観点から捉え直したとき、どのような可能性が見えてくるのでしょうか。
プラネタリーヘルスを学べば学ぶほど、「日本ってすごいな」と思うようになりました。
たとえば、「身土不二(しんどふじ)」という言葉があります。人間の身体とそれを育む土地は切り離せないという考え方です。だからこそ、身近な土地で採れた旬のものを食べる「地産地消」の文化が、長く日本の暮らしに根づいてきました。
消費文化や資本主義の影響で、日本の食文化も少なからず変化しましたが、それでも旬のものや地のものを尊ぶ感性は残っていますよね。
世界では食品に関連する産業のCO2排出量は、全体の約3分の1を占めると言われています。食料を冷凍したり、運んだりする過程で多くのCO2が排出されているわけです。ですから、輸送や長期保存、あるいはフードロスに由来するCO2を削減するため、ひいてはプラネタリーヘルスのためには「その土地で採れた旬のものを、必要なだけ購入すること」が重要です。
それは、新しいアイデアなどではまったくありません。プラネタリーヘルスの観点から言えば、「いま求められるのは、日本古来の食文化に立ち返り、それを世界に普及すること」なんです。
——先ほど、嗜好品の生産環境の改善にはトップダウンとボトムアップの両方が必要だというお話がありました。プラネタリーヘルスの改善を加速させる上でも同様だと思うのですが、両者のバランスをどう捉えるといいでしょうか。
国によって、最適なバランスは違うと考えています。
たとえば、アフリカにはビニール袋を禁止している国が多いんです。「環境のために、ビニール袋を使わないようにしましょう」と呼びかけてもなかなか使用量が減らないため、トップダウンで「禁止」してしまっているわけですね。
日本に目を向けてみると、2020年7月から法令によりビニール袋の有料化が義務づけられました。ビニール袋の流通量を有料化前後で比較すると、60%程度になっています。
もちろん、「お金を払うくらいならいらない」という理由で使用を控えている人もいるでしょうが、消費者側の環境保全への意識が向上していることも、ビニール袋の流通量が減った一因であることは間違いないと思います。
各国の政府に求められているのは、その国の国民性や経済状況など、さまざまなことを考慮しながらトップダウンとボトムアップのバランスを取ることです。

嗜好品から「豊かさ」と「幸せ」の定義を問い直す
——最後に、プラネタリーヘルスに関する中長期的な展望と、よりスピードを上げて取り組んでいくために必要なことを教えてください。
やはり、地球と人間の健康が「つながっている」ということ、それらもまた、さまざまな要素によって構成されていることをもっと意識する必要があると思います。
そしてその「つながり」を解きほぐし、「どこをどう変えれば、よりよい変化を起こせるか」を知るには、国、省庁、企業の垣根を越えて協働する必要があります。
まずは国、省庁レベルから協働を進めなければならないと思いますが、まだまだ省庁間の連携が足りていないように思います。いかに組織横断的な協議や施策を実行するか。それが、プラネタリーヘルスの領域で日本がイニシアチブを握る鍵だと思います。
そのためには、政治家のみなさんにもプラネタリーヘルスの概念を理解してもらう必要がある。もちろん、地域行政の巻き込み、むしろ主体となって動いてもらうことも必要です。
環境、公衆衛生、エネルギー、食料、農業、あるいは住まいなど、ありとあらゆる角度から考えるべき問題ですし、そのためにはそれぞれの領域の専門的な知識を持った人が集まり、議論を進めて、アクションにつなげていかなければなりません。
——嗜好品の生産や開発に関わっている人々へのメッセージがあれば、お聞かせください。
まずはすべての企業に、プラネタリーヘルスの観点から自社の事業を見つめ直し、人々の健康と地球の健康のために「自分たちは何をすべきか」を考えてもらいたいですね。
嗜好品の製造や販売を手がけている会社について言えば、製品ができるまでのストーリーを伝えてもらいたいと思っています。
自社の製品の原料がどこで、どのように生産、加工、輸送、製品化され、販売されているのかを二酸化炭素排出量も含めて、消費者に伝えてもらいたい。製品にQRコードを付けて自社メディアや公式YouTubeに飛ばすなど、手段はどのようなものでもよいと思いますが、そういった過程が自社製品を見つめ直す機会になり、そこで自信をもって紹介できればそれが付加価値になり、環境に対する消費者の意識も高めることにつながると思うんです。
あるいは、製品の原料の生産量が落ちたことで原価が高騰し、製品の価格を上げざるを得ないときは、ただ「原価の高騰につき」と伝えるのではなく、「なぜ原価が上がっているのか」まで発信してもらいたいと思っています。「温暖化の影響で原料を生産している土地の気温が上がり、以前のように原料が採れなくなっている。具体的には、数年前は平均気温が……」といった具合ですね。
そういったことを発信しても、最初は見向きもされないかもしれません。それでも、発信し続けることが重要だと思います。教育や意識改革には時間がかかります。
やがて「自分が好きなこのコーヒーも、気候変動の影響でそのうち飲めなくなってしまうかもしれない」と気付き、「自分には何ができるだろう」と考えてくれる人が現れるかもしれない。先ほども言ったように、10人中2人がそう思えば、社会は変わり始めるんです。
さらにはブランディングなどを通じて、「豊かさ」や「幸せ」の定義を変える役割も担ってもらいたいと思っています。
——「豊かさ」や「幸せ」の定義、ですか。
「地球や自分たちの健康を守るためには、さまざまなことを我慢しなければならない」と考える人も多いと思いますが、いま求められているのは「我慢」ではなく、「豊かさ」や「幸せ」とは何なのかを、あらためて問い直すことだと思っています。
これまで私たちは、たくさんの高価なモノを所有し、国内外から届く高級なお酒や食材を楽しむことを「豊かさ」や「幸せ」の象徴としてきました。それ自体が悪いわけではありませんが、その生産・加工・輸送の過程で、現地の労働者を搾取したり、地球環境に害をなしたりしているものもある。
ですから、高価なモノや高級なお酒や食べ物だけを「豊かさ」や「幸せ」の尺度にしてしまうと、プラネタリーヘルスを考えることは「我慢すること」と同義になってしまいます。
しかし、本当に必要なのは、豊かさを減らすことではありません。むしろ、これまでとは違う豊かさを見つけることです。自然とつながり、人と人とのつながりを感じながらも、心身ともに健やかに生きる。そうした暮らしの中にも、いや、そこにこそ、これからの時代の「豊かさ」や「幸せ」があるのではないでしょうか。
資本主義や消費社会の中で固定化され、多くの人が内面化している「豊かさ」や「幸せ」について、問い直す時期に来ているのだと思います。
そして、プラネタリーヘルスを考えるうえで、一杯のコーヒーを飲む時間、ひいては、嗜好品を嗜む時間ほど最適な瞬間はなかなかないと思います。
目の前のお茶やコーヒー、チョコレートをゆっくり味わいながら、「自分にとって、本当の幸せって何だろう?」と問いかけてみる。そして、その一杯、その一口が、どこから来て、誰の手を経て、どんな環境の中でつくられたのかに思いを馳せてみる。
そうすれば、「幸せとは何か」という問いは、いつしか自分自身や愛する人の健康、さらにその先にある未来の地球の健康へとつながっていくはずです。

1990年、富山県生まれ。ライター/編集者 ←LocoPartners←リクルート。早稲田大学文化構想学部卒。『designing』『遅いインターネット』などで執筆。『q&d』編集パートナー。バスケとコーヒーが好きで、立ち飲み屋とスナックと与太話とクダを巻く人に目がありません。
編集、執筆など。PLANETS、designing、De-Silo、MIMIGURIをはじめ、各種媒体にて活動。
1995年、徳島県生まれ。幼少期より写真を撮り続け、広告代理店勤務を経てフリーランスとして独立。撮影の対象物に捉われず、多方面で活動しながら作品を制作している。
