魅惑の柑橘・ベルガモットがひらく地域の物語 美食の町・雲仙市を「香りの産地」に 

江澤香織

紅茶やお酒に爽やかな香りを添え、香水の原料などにも使われているベルガモット。あの独特な色気のある柑橘の香りに、陶酔してしまう人も多いだろう。

しかしベルガモットという名前は知っていても、現物を見ることは意外と少ないのではないだろうか。ベルガモットは寒さに弱いため、日本で栽培しているところはまだまだ少ない。

そんなベルガモットに魅了され、長崎県雲仙市で激しく荒れた耕作放棄地を開拓し、ベルガモット栽培にチャレンジする渕上敏秀さんを訪ねた。

「バーテンダーやホテルの方、ミシュランの星付きレストランのシェフが来てくれることも。プロの方々と話をすると新しい発見があり学びも多いです」

困難と向き合いながらも、どこかのびのびと楽しそうな様子で、次々と新しいことに挑戦する渕上さんに、ベルガモット栽培の歩みや、雲仙の豊かな食文化、今後の展望について話を聞いた。

(文:江澤香織 写真:川しまゆうこ 編集:川崎絵美)

荒れ果てた耕作放棄地を開拓して農園に

長崎県雲仙市は、有明海に面した穏やかな海が広がり、自然豊かなエリアである。農業の盛んな地域であり、イチゴの産地としても有名だ。

渕上さんが最初に案内してくれたのは、なんとヘーゼルナッツを栽培する農園だった。ヘーゼルナッツはトルコやイタリアが原産地だが、日本では縄文時代に野生種を食べていた跡や、江戸時代に栽培されていた記録が残っている。昔は意外と身近なナッツだったのかもしれない。

現在は信州や北海道などで一部栽培されているものの、一般の消費者が手にするほとんどは輸入品である。

渕上さんが耕作放棄地を開拓して植えた、ヘーゼルナッツの木

渕上さんの育てるヘーゼルナッツはまだ小さな苗木だったが、3種類の品種を育て、国産ヘーゼルナッツの生産を目指している。

この場所はもともと何が植えてあったのかも分からないほどボウボウに草木が生い茂ってジャングルのような状態だったそうだが、渕上さんは木を切り倒し、草を刈り、地道に開拓した。

耕作放棄地は隣接する農地に悪影響を及ぼしたり、管理されないことによる災害リスクも高まったりするなど、全国的にも問題になっている。こうして畑にすることで土地がきれいに整い、視界も良くなり、地域の安心安全にも役立っているようだ。天気がいいと雲仙普賢岳が目の前にどーんと見渡せるという(残念ながらこの日は薄曇りだった)。

「あ、大事なことを言い忘れていました。もし誰もいないのに、袖を引っ張られたような気がしたら、気を付けて下さいね。この辺りは昔合戦のあったところで、“袖ひき坂”っていわれているんですよ」といたずらっぽく土地の歴史を語る渕上さん。

噂の袖ひき坂にも足を運んでみた。袖を引かれることはなかった。

「この辺りはイノシシも野犬もいないから安全です。山の方の畑は野犬が多いから、知らない人が行くには危険なんですよ」と明るい笑顔で飄々と話す。

2021年に兄の桂樹さんとともに耕した山の中の農園は、害獣が多く、人を招くにはちょっと躊躇する場所だそうだ。山の中の畑は危ないということで、次に自宅近くにある安全な畑を案内してくれた。

ここではベルガモット、ライム、メロン、カボスなどを育てている。ベルガモットはミカン科の柑橘植物で、一般的に4〜5月頃に小さな白い花を咲かせ、果実の収穫は11月以降になる。

ベルガモットの花

取材で訪れた初夏には、花も終わり頃で、小さな実がなり始めていた。青い果実はみずみずしいフレッシュな香りだが、だんだん黄色くなってくると穏やかな甘い香りに変化し、収穫時期によって違いを楽しめる。日本で作っているところはまだまだ少なく、栽培は難しいといわれているが、雲仙の気候には合っているようで、よく育つという。

雲仙は、イタリアのベルガモットの産地であるカラブリア州と、真冬の気候が似ているそうで、寒さに弱いベルガモットにとって適した気候だ。

私たちが訪れた時期は、ベルガモットの収穫シーズンではないが、木々は青々と元気に伸びていて、葉をちぎるとあの鮮烈な香りが漂った。爽やかでみずみずしく奥深い、唯一無二の香りである。一度嗅ぐと忘れられないほど心を奪われる、魅惑的な香りだ。

人々に元気を与えた、ベルガモットの香り

渕上さんの実家はもともと兼業農家。ある時たまたま見つけたベルガモットの苗が気に入り、軽い気持ちで庭に1本植えてみたのが、10年ほど前だという。

その後、渕上さんは県外の農業関係の会社で働いていたがコロナ禍で閉鎖になり、地元へ戻ってきた。

「自分ではすっかり忘れていたんですが、ちょうど帰ってきたときに、いい香りの実がなっていたんです。ああ、そういえばベルガモットを植えたな。この香りは素晴らしい、と改めて気付き、ちゃんと育ててみることにしました」

職業訓練校で知り合った仲間が、長崎県諫早市で柑橘栽培をしていると聞いた渕上さんは、現地へ学びに行き、技術を習得した。

その頃、渕上さんがベルガモット栽培に本格的に取り組むことを決めた、ある決定的な出来事があった。

「まだ事業化するほどの生産量ではないのでアルバイトをしていたのですが、そこで一緒に働いていた方の娘さんがうつ病になってしまったという話を聞きました。その時に何気なく、よかったらどうぞ、とベルガモットの実を渡したんです。なんとなくセラピー効果があるような気がして。少しはリラックスできるんじゃないかなと思いました」

すると次の日、電話がかかってきて「娘が大変よろこんだ」と報告されたのだ。

ベルガモットを持って帰って玄関をくぐると娘さんはすぐに気付き、そのあまりの香りの良さに、嬉しそうに嗅いでいたそうだ。後日、娘さんはお礼を言いたいとわざわざ渕上さんの自宅まで訪ねて来てくれた。

「お礼を伝えてくれたその娘さんのように、もしかしたら具合の悪い人を元気にしてくれる力のある果実なんじゃないかと思いました。誰かの役に立てるなら、ベルガモットを育て、もっと広めようと心に決めました」

美食の町・雲仙に、香りで貢献したい

雲仙は美食の町といわれており、2024年に第1回「美食都市アワード」を受賞している。島原半島は有明海と橘湾に囲まれて、多様で新鮮な魚介が水揚げされる、海の幸が豊かな地域である。

雲仙岳の火山灰土壌はミネラルが豊富で野菜は丈夫に生き生きと育つ。また雲仙市は2025年にオーガニックビレッジ宣言を発表した。自然農法を実践する志高い農家も多く、雲仙の野菜は多くのトップシェフから高い評価を得ている。

雲仙市では、し尿汚泥を原料としたリサイクル発酵肥料を製造し、人と土地の循環を実現している。「この肥料には島原市民の思いがこもっています(笑)」と渕上さん。

温泉の蒸気を利用した蒸し料理など、この土地ならではの食文化もユニークだ。雲仙の美食とは、ただ高級レストランを指すだけではなく、この土地の歴史や風土を映し出し、土地そのものを味わう食体験に本質的な豊かさがあるのである。

「美食都市・雲仙に、香りで貢献したいと思っています」と渕上さんは話す。ベルガモットやヘーゼルナッツという珍しい農産物を育てる渕上さんの畑には、地元からも他県からも飲食関係者が足を運ぶ。

「バーテンダーや雲仙のホテルの方、ミシュランの星付きレストランのシェフが来てくれることもあります。プロの方々と話をすると新しい発見があり学びも多いです」

例えば、ベルガモットは香りに着目すると果皮が重要で、果汁はそれほどおいしくないと思っていたが、完熟した果汁を海鮮類にかけるとレモンとはまた違った風味で、新たなおいしさの表現ができるそうだ。

パン粉にベルガモットの果汁や果皮を混ぜてカキフライにすることや、柚子胡椒ならぬベルガモット胡椒など、飲食関係者とのコミュニケーションから多様なアイデアが生まれている。

「日本料理の料理人も農園に来てくれました。実はベルガモットってフグにも合うんですよ」と渕上さん。他とはひと味違う農作物に次々とチャレンジする渕上さんの回りには、いい意味で「変わりもの」と呼ばれるような、こだわりの強いシェフが集まってくる。

ベルガモットを使った商品も少しずつ展開している。雲仙でお茶を栽培し、日本茶専門店を営む店主と一緒に、ベルガモット入りのお茶を作った。香料ではない、国産の果皮を使ったお茶は大変珍しい商品だ。

また渕上さんの兄、桂樹さんは長崎市内でバー「農家BAR NaYa」を経営しており、そのご縁で同市内でクラフトビールを作る製造会社「O /A NAGASAKI CRAFT BEER」の代表と知り合った。

そこから渕上さんのベルガモットを使ったビールと、雲仙で栽培されているお茶を使ったアールグレイのビールが生まれた。清々しいアロマが優しく香り立ち、ついゴクゴクと飲んでしまいそうな爽やかなビールは人気を集めている。

農山漁村への宿泊、ウェルネスツーリズムの構想も

今後は、農山漁村に宿泊し、滞在中に豊かな地域資源を活用した食事や体験等を提供する「農泊」を行う計画にも取り組んでいる。近くの旅館やアロマセラピストと提携し、農園で果実を収穫したら、旅館で蒸留体験などを楽しんでもらう。

渕上さんはベルガモットで心身を癒して整える、ウェルネスツーリズムを考案中だ。ベルガモットをきっかけに、多くの人が雲仙を訪ねてくれることを願っている。

「ベルガモットの魅力的な香りは、人の心を動かす大きなパワーを秘めていると思うんです。イタリアでは“緑の黄金”と言われています。自分はベルガモットに出会って人生が変わりました」

「これからは、“香りのバーサーカー(狂乱して戦う戦士、のような意味)”として、この香りの魅力を広めていきたい。ベルガモットを求めてくれる人たちのために、生産に精を出していこうと思っています」

古くからヨーロッパの王侯貴族や偉人たちに愛されてきた歴史があるベルガモット。嗅げば嗅ぐほど、心を揺さぶられる魅力的な香りである。「とにかくびっくりするから新鮮な生の果実の香りを一度体験してほしい」と渕上さん。

取材の最後には渕上さんの自宅にお邪魔し、母の手製パンナコッタに、ベルガモットジャムやシロップをかけていただいた。気分が高揚して体が浮き立つようなおいしさだった。まるでみんなが笑顔になる魔法の果実のようだ。ベルガモットが芳しく実る秋の農園をまた再び訪れてみたい。

雲仙シトラスファーム

Follow us!  → Instagram / X

Author
フード・クラフト・トラベルライター

フード・クラフト・トラベルライター。企業や自治体と地域の観光促進サポートなども行う。 著書『青森・函館めぐり クラフト・建築・おいしいもの』(ダイヤモンド・ビッグ社)、『山陰旅行 クラフト+食めぐり』『酔い子の旅のしおり 酒+つまみ+うつわめぐり』(マイナビ)等。旅先での町歩きとハシゴ酒、ものづくりの現場探訪がライフワーク。お茶、縄文、建築、発酵食品好き。

Editor
編集者

お茶どころ鹿児島で生まれ育つ。株式会社インプレス、ハフポスト日本版を経て独立後は、女性のヘルスケアメディア「ランドリーボックス」のほか、メディアの立ち上げや運営、編集、ライティング、コンテンツの企画/制作などを手がける。

Photographer
フォトグラファー

若いころは旅の写真家を目指していた。取材撮影の出会いから農業と育む人々に惹かれ、畑を借り、ゆるく自然栽培に取り組みつつ、茨城と宮崎の田んぼへ通っている。自然の生命力、ものづくり、人の暮らしを撮ることがライフワーク。